三日前の出来事。
 朝→アラゴルンとギムリが起きるまで待つ。その後、追跡開始。
 昼→追跡中。
 夜→日が暮れるまで追跡。その後は朝まで休憩。深夜を回ってからレオフォストと名乗った鷲と話す。可愛い声をしてた。

 二日前の出来事。
 朝→アラゴルンとギムリが起きるまで待つ。その後、追跡開始。
 昼→追跡中。
 夜→日が暮れるまで追跡。

 昨日のできごと
 朝→アラゴルンとギムリが起きるまでまつ。その後、ローハンの騎士が近づいてきたので、彼らが来るまで待っていた。馬を二頭借りた。
 昼→追跡中。
 夜→日暮れ近くにファンゴルンの森に到着。捜索をするも、手がかりは見つからず。夜も深くなった頃、サルマンらしき人物を見かける。それから、ハスフェルとアロドがいなくなった。





3月1日





 レゴラスたちは朝になると、再びメリーとピピンが生きていた痕跡がないか、念入りに調べました。
 そして彼らは希望を見つけたのです。
 踏みつけられて地面にもぐりこんでいた縄と短剣がありました。その近くには小さい体格のひとが転がったような跡もあります。
 アラゴルンはこれが二人のホビットがオークとローハンの騎士から逃げ出せた証拠だと言いました。
 レゴラスとギムリはアラゴルンに導かれ、どんどん森に近づきます。
 そして鬱蒼と木々が生い茂るファンゴルンの森に入りました。
 森エルフのレゴラスには、森の木々がひどく苛立ち、緊張している様子が感じ取れます。友人のドワーフは、森の雰囲気に飲まれてしまったようで、びくついていました。ギムリは精一杯強がっているのですが、彼にはわかるのです。
 そして、奥へと進むと三人の前に白い衣の魔法使いが現れました。
 サルマンだ、とレゴラスは思いました。
 しかしすぐに違うとわかりました。
 魔法使いはガンダルフ、エルフの呼び名ではミスランディアと呼ばれていた灰色の魔法使いだったのです。
 彼の姿を認めたレゴラスの胸中には喜びが溢れました。
 なぜなら彼はレゴラスたちの目の前で、モリアの奥底へ墜落していったはずなのです。
 その魔法使いが戻ってきた――。
 信じられませんでした。
 だけど間違いなく、ガンダルフがいます。

「ガンダルフ!」
 アラゴルンとギムリは叫びました。
 レゴラスは「ミスランディア!」と叫びました。
 ガンダルフは三人に温かい笑みを向けました。


「それでは、夕べの老人もあなただったのですか?我々はてっきりサルマンだと思っていたのです」
 アラゴルンは言いました。
 昨夜、三人はファンゴルンの森の外れに野営したのですが、どこからともなく現れた老人がいつの間にか近くにいたのです。
 老人は声をかけるとすぐに消えてしまいました。
 そしてそのすぐ後に馬たちいなくなっていたいことに気付きました。
 ファンゴルンはアイゼンガルドに近く、また彼らはエオメルに会った時に、サルマンがローハンをこっそりうろついているらしいという噂を聞かされました。
 それで、その老人はサルマンだと思ったのです。力尽きたと思っていた灰色の魔法使いだなんて、思いもよりませんでした。
 しかしガンダルフはゆっくり首を振りました。
「いいや、それはわしではない」
「では……?」
「サルマンなのじゃろう」
 三人の旅人の顔に心配と緊張の色が浮かびました。
「では、サルマンはメリーとピピンを受け取りに現れたと? 彼らは無事なのですか?」
「サルマンの目的はメリーとピピンではない。彼の目的の行方は知っているがの。メリーとピピンは無事じゃ。木の鬚とエントたちのもとにおる」
 それからガンダルフはすぐにでもエドラスに行かねばならないと言いました。
 ガンダルフを見出した旅人たちは、すぐに魔法使いの言に従うつもりでいました。
 しかしそれは困難のように思えました。
 馬がいないので、エドラスに着くには再び数日間、歩く必要があるからです。

 森の外へ出ると明るい太陽が草原を照らしていました。
 草と草が風にそよいでさやさやと鳴る以外には音はしません。
 レゴラスはファンゴルンにもっといたいと思っていました。
 この興味深い森で何日か過ごせたら、すっかり元気を取り戻せるのに、と残念に思いました。
 しかし今はエドラスに急がなくてはなりません。
 あとどれくらい歩けばいいのかしらんと思っていると、ガンダルフが口笛を吹きました。
 やがてレゴラスに耳にかすかな蹄の音が聞こえてきました。
 音の方向に顔を向けると、遠く草原の彼方に銀色の毛並みの馬が疾走してくるのが見えます。
 さらにその後には、見覚えのある馬たちもついてきていました。
「馬が戻ってきた! 三頭もいる」
 レゴラスの声に、アラゴルンとギムリも彼の見ているほうへ顔を向けました。
「ハスフェルとアロドだ! でも彼らの前を走っている馬はどこから来たのだろう。あんなに立派な馬は見たことがない」
「あれなるは飛蔭。メアラスの長じゃよ。わしは彼にひたすら思いを傾け、急いできてくれるように念じておった。そして彼は来てくれたのじゃ。はるか遠きエドラスからの」
 古い友人に会ったように、喜ばしげにガンダルフは語ります。
 魔法使いの前まで来ると、飛蔭は高く嘶き、大きな鼻を彼の首筋にこすり付けました。
 馬の長の力強くも美しい姿をレゴラスは感嘆の思いで眺めます。
 飛蔭から少し遅れて後の二頭も到着します。
「やあ、アロド。また君に会えて嬉しいよ」
 レゴラスはほっそりとした指でアロドの首筋を撫でました。
 アロドもそれに答えて鼻を摺り寄せます。彼は気性の激しい馬でしたが、すっかりこのエルフの青年に懐いてしまったのです。

 馬たちとの再会が済むと、四人は馬上の人となりました。
 馬たちはガンダルフからの要請で、能う限りの速さで駆けてゆきます。
 ハスフェルとアロドにとっては無理にならない程度に。
 飛蔭はその二頭を置いてゆかないくらいの速さで。
 飛蔭は道なき道を疾駆します。その後ろをハスフェルとアロドが付き従いました。
 三頭は草地や川辺や湿地帯を通り過ぎます。
 太陽は高くなり、やがて沈んでゆきました。
 それでもまだ休むことなく駆け続けます。
 しかしやがて真夜中に近くなると、ガンダルフが二、三時間の休憩をしようと言いました。
 馬たちは草を食んだり水を飲んだりしています。
 ギムリは疲れ切って、地面に足が付くやいなや眠ってしまいそうになりました。
 アラゴルンは横になります。眠ってはいないようでしたが。





 レゴラスは杖に寄りかかって立っている老人ににじり寄りました。
「ミスランディア、お話をしてもいいですか? 聞きたいことがあるのです」
「なんじゃ?」
 魔法使いは髪同様真っ白になった眉の下からエルフの青年を見つめました。
「実は、ずっと気になっていることがあるんです。ミスランディアは小さい鷲を見ませんでしたか? レオフォストという名前で、ファンゴルンに来ていたはずなんです。……中に入ったかどうかまではわかりませんけど」
「小さい鷲とな?」
「ええ、そうです。羽を広げた大きさが、これくらいしかなくて」
 言いながらレゴラスは両手を広げました。
 この程度の大きさは、鷲としてはずいぶん小さいのです。
「わたしは、レゴラスは寝ぼけていたんだと思うんだけどね……」
 ギムリは眠い頭でぼそりと呟きました。
 ドワーフの彼も鷲の大きさなら承知していましたし、よほどの事が無い限り、鷲の一族が他種族を助けてくれることはないと知っているからです。
 ですからギムリは、レゴラスは一晩中起きていたと言い張っていましたが、自分でも気付かないうちに眠っていたのだと思いました。
 しかしレゴラスは構わずぺらぺらとしゃべります。
「それから、ちょっと雰囲気が違ってたんですよね。鷲じゃないみたいで。何か魔法がかかっているような感じがしました。でもそれは悪い感じではなかったんですけど。私はずっと彼女が戻ってくるのを待っていたんですよ。メリーとピピンのことを話したら、とっても心配してくれて、だから間に合ったにせよ間に合わなかったにせよ、どうなったかを教えてくれると思っていたんですから。最初は私のことを警戒していたみたいで、一生懸命低い声で話していたんですけど、だんだんと本来の声に戻っていったんです。高い、可愛い声をしていました。だから女の子だと思ったんですけど、でも、鷲に『女の子』って言い方は変だってアラゴルンもギムリも言うんですよ。でも私は『女の子』だって咄嗟に思っちゃったんですよね。あ、そうそう、警戒していたってことは、やっぱりあの子は霧ふり山脈の一族ではないってことでしょうね。彼らならエルフを警戒したりはしないもの。うん、発見ですね」
 レゴラスはぽん、と両手を打ち合わせました。
「お前さんは相変わらずじゃのう、レゴラスよ」
 ガンダルフは苦笑します。
 アラゴルンは起き上がって助言を求めるようにガンダルフを見つめました。
 レゴラスはここ二日というもの、何かというとこの鷲のことを口にしてくるのです。
 直接見ていないアラゴルンには不可解でしかありませんでした。
「レオフォストという名は、ローハンの言葉でなら『最愛の人』という意味になります。レゴラスの話では、まさしくレオフォストはエオル王家になんらかのかかわりがあるのでしょう。しかし……ロヒアリムと鷲に繋がりがあると言う話は聞いたことがありません。彼らは馬の司であって、鳥とは話が出来ないはずなのですから」
 レゴラスは不満げにアラゴルンを睨みました。
「彼はこう言って、ちっとも信じてくれないんです。だけど私は知っているんですよ。父の友人であった人の子、バルド殿はつぐみの言葉がわかるんです。谷間の町の人間とローハンの人間は、源を同じくしていたはずです。人の子にとっては遙かな昔に別たれていますが。だからローハンの人間の中に鷲の言葉がわかる者がいたって、ちっとも不思議ではありませんね!」
 ガンダルフは顎に手を当ててしばらく考え込むと、おもむろに口を開きました。
「レオフォストは何のために飛んでおったのか、聞いたかね、レゴラス」
「ローハン王の甥に用があって探していると言っていました」
「その時、レオフォストは鳥の言葉を話していたのかね?」
「え? ええ。私にはそう聞こえましたけど……?」
 それが何か、とレゴラスは首を傾げます。
「わしも小さな鷲に会うたことがある。昨年の秋のことじゃった。場所も、ここローハンでのことよ」
「え!? それじゃあ……」
 レゴラスは目を丸くしました。
「しかしその鷲は、ローハンの言葉を話しておった。わしにはそう聞こえた」
「違う鷲ですか?」
「いいや、同じじゃろう。あのようなものが他にいるとも思えぬ。おそらくお主が会うた鷲は、作り物の鷲じゃろう。エドラスには魔女がおるのじゃ。というのが本来の名のようじゃ。彼女はロヒアリムではないからの」
「……魔女、ですか? エドラスに?」
 アラゴルンは驚いていいのか訝しんだほうがいいのかわからないような顔で魔法使いを見ました。
「ロヒアリムは魔法を使うものを好まぬはずですが……」
 若い頃にローハンで過ごしたことのあるアラゴルンはそう言いました。
「左様。ロヒアリムは魔法使いも魔女も好いてはおらぬ。しかし現におるのじゃ。彼女は王の息子セオドレドの要請で侍女としてエドラスに務めておる。セオドレド殿は王の不調の原因がサルマンにあるのではないかと疑っておるのじゃ。そして彼の内通者がいると。魔法使いに対抗するために魔女を採用した、というところのようじゃ。任が解けていなければ、まだかの地におるじゃろう」
「その魔女というのは、あなたのようなイスタリの一人なのですか? ガンダルフ」
 さきほどまで眠そうにしていたギムリだったが、話に興味を持ったようで津々と訊ねてくる。レゴラスが「あー、私もそれ、聞こうと思っていたのにー」と不満げに頬を膨らませた。
 ガンダルフは首を振る。
「いいや、その娘はイスタリでもエルフでもない。人間の娘なのじゃよ」
「人間ですって!?」
 アラゴルンとレゴラスは叫びました。
「そんな話は聞いたこともありませんよ!」
 ギムリも叫びます。
はゴンドリアンでもロヒアリムでもない。ブリーやエスガロスの者とも姿は違う。どこの生まれかは分からぬが、しかし間違いなく人間じゃ」
 その不思議な話に、レゴラスの中に好奇心が刺激されました。
 人間だけれど魔法を使い、どの国の者とも姿が違う。
 一体、どんな子なのでしょう。
 会ってみたくてたまりません。
「その子はエドラスにいるんですね? うわあ、早く会ってみたいなあ」
「お前は……」
 レゴラスの呑気な発言に、アラゴルンは片手で顔を覆います。
 エルフの背後にお花が飛んでいるように見えたのです。
「その人間の魔女は危険ではないのですか?」
 一方、ギムリは心配そうに訊ねます。
 ガンダルフは難しい顔になりました。
「彼女はセオドレド殿に心酔しておるようじゃった。セオドレド殿は真っ直ぐな気性の持ち主で、知恵にも力にも優れておる。彼がおる限りは危険はないじゃろう。むしろ、 の方が危険かもしれぬ。なにしろアラゴルン、お前さんも知っておるように、ロヒアリムは魔法を好まぬからのう。セオドレド殿はともかく、彼女を厭わしく思っておるものは少なからずおると、わしには思える。わしは彼女に、平時には魔法を使うなと忠告した。彼女がそれを守っているとしたら、ローハンでは何か重大なことが起こったと考えねばなるまい。わしらの到着が遅きに失することがなければ良いが……」
 エルフと人間とドワーフは黙りました。



 休憩が終わると、彼らは再び闇の中を走り始めます。
 まだ日が昇るまではまだしばらくかかるでしょう。
 出発前にガンダルフは言いました。
 このまま恙なく進めば、夜明けにはエドラスが、そして王の居城が見えるだろう、と。
 期待と好奇心と興味とがレゴラスを駆り立てます。
 もうすぐ、きっと、新たな出会いがあるはずです。
(楽しみだな……)
 レゴラスは手綱を引き締めました。


 エドラス到着まで、あと数時間。







31話あとがきに書いた、「明るく軽くお気楽な話」のつもりですが、時期が時期なだけにあんまし軽くもなりませんでしたね。




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