旅の仲間たちはゆるやかに解散していきました。
 最初はレゴラスとギムリです。
 彼らはエント森を訪ねつつ、闇の森まで一緒に帰るためにアイゼンガルドで別れました。
 アラゴルンはもう少し先までついてきたのですが、とうとうローハン谷でお別れをすることになりました。
 彼を護衛するためについてきたゴンドールの兵士たちも、ホビットたちに最敬礼をして去ってゆく彼らをいつまでも見送っていました。




 そして裂け谷とロスロリアンのエルフたちとホビット、魔法使いという集団は荒地へと入り込みました。
 そこは長い間、ゴンドールの支配を逃れていた地域です。道はありますが、ひどく凸凹しています。
 遠くにはみすぼらしい家が見えましたが、人の姿はどこにも見当たりませんでした。
 ガンダルフが言うには、この辺りに住んでいるのは褐色人と呼ばれている者たちで、エルフをひどく恐れているのだそうです。

 アラゴルンと別れて六日目のこと、一行は意外な人物に行き逢いました。
 サルマンとグリマです。
 魔法使いは、以前は白かった衣がすっかり灰色になり、あちこち破れ、すっかりぼろぼろになっていました。
 グリマの黒い衣も同様です。
 ホビットたちは魔法使いたちがこのようなところにいることに驚きながらも、ガンダルフとガラドリエルが最後の説得を試みているところをじっと見ていました。
 だが、それは決裂したようです。
 サルマンはグリマを杖で打ち、ホビットたちのところへ向かってきました。蛇の舌は足をひきずりながらもサルマンについてきます。
 近付いてきたサルマンは、気の毒なほどうち寂れていました。白髪も灰色に薄汚れ、もつれています。ですが、ホビットたちを見下ろす目だけは憎しみと怒りで燃えていました。
「お前たちもわしをあざ笑おうとこうしてやって来たというわけかな? 小僧ども、ええ?」
 眼差しとは反対に、声は冷え冷えとしています。
 しかし憎まれ口を利かれても、ホビットたちに怒りはわきませんでした。ただ、哀れみだけを感じるのです。
 サルマンは彼らに対して堂々と物乞いをし、メリーからパイプ草をせしめました。
 それはアイゼンガルドで見つけたものでしたが、ホビット庄から買ったものだと魔法使いは言いました。
 そのことは、彼らに少しばかり不安を与えました。
 ですが、それ以上のことをサルマンは教えてはくれず、そのまま彼らから離れて行きました。グリマもまた難儀そうに歩き出します。
「グリマ、まだあんたは行っちゃいけない。僕はあんたに伝えなければならないことがあるんだから」
 メリーはグリマを呼び止めました。
 蛇の舌は警戒するようにメリーを睨みつけます。ですが、聞く意思はあるようで、足を止めました。
 メリーはマントの前をばさりと開けます。すると、ローハン特有の、馬の刺繍のしてある上着が現れました。グリマは目を見張ります。
「ご覧。僕はローハンの騎士になった。そしてレオフォスト姫から、あんたに会ったら伝えてほしいことがあるとお言葉を預かってきたんだ。『以前にわたしが言ったことを忘れないで』と。マークへ戻るのは辛いことだろうが、サルマンといてももっと辛くなるだけだ。逃げたところでなにも変わらない。悪を断ち切る勇気を持てとね」
 グリマは無言でうな垂れました。強く握りしめた拳が震えています。
「グリマ。ローハンはまだそんなに遠くなっちゃいない」
 メリーが静かに言うと、離れたところで苛々と待っていたサルマンが耳障りな笑い声をあげました。
「蛇よ。お前にも最後の機会とやらを与えてくださる御仁がいたな! まあ、そんなたわ言は受け入れぬのが懸命であろうよ。甘言に騙されてのこのこ戻ろうものならば、馬乗りどもが槍と剣を持ってお前を追いかけるぞ!」
 グリマはびくりとしました。
 メリーは落ちぶれた魔法使いに目を向けます。年若いホビットの顔には威厳が満ち溢れていました。
「サルマン。あんたがガンダルフと奥方様から与えられた機会を蹴ったのはあんたの勝手だろう。グリマに与えられた機会については、グリマが決めることなのだ。黙っていてくれ。さあ、どうするんだ、グリマ」
 促されたグリマは暗い影に覆われた目だけを上げました。
「それは、セオデン王も同じ意見なのですかな?」
 ぼそりと呟かれた言葉に、メリーは少し驚いてしまいました。
「そうか、あんたは僕たちとアイゼンガルドで会って以降のことは何も知らないのだね。セオデン王はペレンノール野の戦いで亡くなられた。勇敢に戦われて、父祖の地へ旅立たれたんだ。今のローハンの王様はエオメル殿だ」
 すると、グリマは雷に打たれたように顔を歪めると、肩を揺らして喘ぐように哂った。
「なるほど! ではあの若造も少しは小賢しさを身につけたということだな。王の位を得て慢心したか。オークを追いかけることしか脳のなかった奴だというのに」
「どうしてここにエオメル王が出てくるんだ?」
 メリーには解せません。
 グリマはにやりと見下した笑みを浮かべました。
「あいつはずっと私を殺したがっていた。逃がしてしまうのはさぞかし悔しかろう。だが自分が帰還を促しても私が従うはずもない。だから小娘にさせたんだ。そうに決まっている。あの娘だって、私が憎くないはずがないのだからな。大喜びで従ったわけだ」
「あのお二人のことをそんな風に見るなんて、どうかしてるよ、あんた」
 グリマのあまりにも捻じ曲がった解釈に、メリーは呆れてしまいました。
「以前、セオデン王があんたに戻れと言ったことまで忘れてしまったのかい? エオメル王が伯父君の意思を踏みにじるはずがない。姫だってそうだ。あんたたちにひどい目に遭わされたというのに、戻れと言ってくれていたじゃないか。差し伸べられた手……じゃなくて、あの時は羽だったけど、それを断ったのはあんたじゃないか。サルマンを怖がって。ずっとそうやっていくつもりなのか?」
「何とでも言え。だが、私は騙されんぞ」
 目を眇めてグリマは吐き捨てます。
「だいたい、何様のつもりなのだ、あの女は。王家の姫気取りだが、ただのよそ者ではないか。が、何を企んでいるかなどとお見通しだ。セオドレド殿を誑かし、マーク王妃になろうとしたが死なれてしまった。だから次はエオメル王というわけだな。だがまあ、あの女にとってこれは不運でもなんでもない。なにしろあの若造はセオドレド殿ほど賢明じゃあないからな。どうとでもできるだろう。結構、勝手にやるがいいさ。だが、魔女がのさばっている国になど誰が戻るものか」
「だったら勝手にすればいいさ!」
 メリーは激高しました。王と姫を貶されて、頭にきたのです。使者らしい礼儀などどこかに吹き飛んでしまいました。王の代わりに自分が殺してやりたいほどです。
「あんただって、一度は賢者として宮廷にいたんだろうに、サルマンに毒されすぎて、目も耳も頭もすっかり腐っちまったようだな! あんたがちょっとはまともなら、あのお二人が誠実な人間だとわかるだろうに! お前なんてどこへでも行っちゃえばいいんだ! 例え王が許したって、お前のような奴は二度とマークに入ってほしくないね!」
 ぜいぜいと肩で息をしているうちに、悔しくて涙が出てきました。しかし、
「お前に言われずとも、二度とマークに戻るつもりなどないわ」
 グリマの口調は皮肉気でしたが、どこか寂しそうなものでした。
「え……?」
 意外な反応に、メリーは目を瞬かせます。
「やつらは勝った。そしてグリマは負けたのだ。慈悲などいらん。許されようなどとは思わん。奴らの顔など二度と見たくはないし、奴らも本気でグリマに会いたいなどと思わんだろうよ」
 悪ぶってはいますが、表情はどこか安らかでした。心なしか、纏わりついていた影が薄れているように思えます。
「あんた……もしかして……」
 メリーが言い終わる前に、グリマはさっと身を翻してサルマンの方へ行ってしまいました。
 以前は白の魔法使いだった彼は、ぶつくさと文句を言うと、一行から離れて森の方へ消えてゆきました。


「あいつ、最後はちょっとだけいい奴に戻ってたね」
 二人のやりとりを大人しく見守っていたピピンは、メリーに近付いてそう言いました。
「ああ。ちょっとだけな。あいつ、自分で自分に決着をつけるつもりなんだ。……これで良かったのかは、わからないけど」
 メリーは悲しげに森の方に目を向けます。


 そして一行の列が動き始めると、メリーもゆっくりと進み始めました。




グリマのその後については、のちほど番外編で書きます(予定ですが…)


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