マーク王エオメルと、異世界の少女である・レオフォストの結婚が決まったときの各関係者たちの反応について――
――ミナス・ティリスでは――
エオメルは結婚話が決定するとすぐに、同盟国の王たるエレスサールに宛てて使者を派遣しました。
使者と対面をした王は、その知らせを聞くとすぐににっこりします。そしてアルウェン王妃を呼びにやらせました。
「そうなるんじゃないかとは思っていたよ。だけどずいぶん早かったな。もう少しかかるかと思っていたが」
使者はかしこまって答えます。
「セオドレド殿下が亡くなって一年が経ち、気持ちの区切りをつけようとなさったようです。もちろん、エオメル王の強い希望があっての実現なのですが」
王と使者が話をしているところへ、アルウェン王妃が軽やかな足取りで現れます。もともと際立った美しさを持つ王妃でしたが、喜ばしい知らせを受けて、その顔は太陽のように輝いてみえました。
「様が結婚をお決めになったのですって、エステル!」
「ああ、新年の日に式をあげるのだそうだ」
夫であり国王であるアラゴルンの答えに、アルウェンはまあ、と目を見開きます。
「ずいぶん急ですのね。準備は間に合いますの?」
王妃は使者に向き直って尋ねます。美しいエルフの妃に見つめられて、使者はどぎまぎしました。
「は、はい。レオフォスト姫は昨年、セオドレド殿下との婚礼の準備をしておりましたゆえ、それをそのまま用いることにしたということですので」
アラゴルンは頷きます。
「なるほど。それなら一月後に式をあげるのは、むしろ好都合なのだろうね。その日はローハンでも新年の祝いをするのだろう?」
「左様でございます。諸侯も集まる目出度き日ですので、同時に祝おうということに相なりましてございます」
にこにこと話を聞いていた王妃は、アラゴルンに尋ねます。
「エステル、お祝いの使者は送られるのですか?」
「もちろんだよ。同盟国の王として、また友人として、黙っているわけにはいかないよ」
「それでしたら、わたくしちょっとしたお祝いの品を差し上げたいわ。よろしいですよね、エステル」
「もちろん、断る理由などないよ」
そして王妃は使者に向き直って微笑みます。
「それはそれとして、様へお伝えくださいましね。此度の結びつきが、エオメル様と様、お二人に幸いをもたらしますように。そしてローハンの弥栄を祈ります、と」
使者は恭しく礼をして、承りました。
かくして、ミナス・ティリスでは極めて好意的につつがなく受け取られたのでした。
――イシリアンでは――
「……エオメルにしては電光石火の早業ね」
虚をつかれたようにポカンとして、エオウィンが言いました。
これが、エオメルがと結婚をするという報告に対する第一声です。
そして、
「なんだかんだ言っても、兄上は朴念仁ですもの。女性をくどいたことだってなかったと思うわ。もよく承知する気になったものね。きっと、すごく的外れな口説き文句を言ったんじゃないかしら?」
と続けました。
身内なだけに、容赦のない評価です。
訊ねられた使者は言葉に詰まりました。そして「わ、わたくしにはそこまでは……」と濁します。
「の反応にも驚きました。セオドレド従兄上に対する遠慮もありましたし、承諾するとしても早くて一、二年先かと」
同席していたイシリアン大公ファラミアは、少し憂いた顔になって頷きます。
「そうだね、悲しい別れを経験されたばかりだから、心の整理がつくのに時間がかかりそうだと思ったよ」
しかし、すぐにそれも消え去ります。
「だが、亡くなられた人は戻ってこない。そう区切りをつけて新しい出会いに向き合う気持ちになれたのなら、その方が良いと思うよ」
「そうですわね」
エオウィンとファラミアは互いに見交わして微笑みあいました。
「ところで、実際のところはどうなの?」
「どう……とは?」
一転して好奇心旺盛な瞳でエオウィンが使者を見つめます。
「ですから、兄上たちのことです。もっと詳しいことを知らないのですか? 兄がどんな風にを口説いたのか、とか、が結婚を承諾する決心に至ったわけとか」
使者が顔見知りのロヒアリムだということもあって、エオウィンはずいっと身を乗り出して知りたがりました。すぐにこんなことになるのなら、もう少し婚約期間を取っていれば良かった、そうすれば兄たちの結婚式に参加できたのに、と残念に思っていたのです。もちろん、そんなことは口には出しませんが。
「わたくしはその場に居合わせておりませんでしたので、人伝に聞いたことなのですが」
と、前置きして使者は語り始めました。
彼は現場にいなかったものの、西の谷の騎士で、角笛城に詰めていましたので、その場に居合わせた人からすぐに話を聞くことができたのです。
こんなことがあった。あんなことがあったと、知っていることはすべてエオウィンたちに話して聞かせました。
そして最後の場面。
がエオメルの思いを受けとった(と思われている)場面を話すと、エオウィンは突拍子もない声で叫びました。
「まああっ!」
「やあ、義兄殿もやりますな」
ファラミアはあっはっは、と大笑いします。
使者は不思議そうな顔になりました。どうして大公夫妻がこのような反応を示すのかわからないのです。
「城壁で口付けって……わたくしたちのときと同じだわ!」
「皆に見られてしまったのもね。だけど、エオメル殿なら冷やかされても堂々とされるだろう。とにかく、大真面目な方だからね」
「ファラミア様ったら!」
兄妹そろって似たようなことをやったのが照れくさいのか、エオウィンは頬を赤くしてとにかく叫びます。
ファラミアはくすくす笑って、義兄の行動を褒め称えました。これでもう、彼がエオウィンに求婚したときのことを皮肉られずに済みそうなのですから。なにしろ、エオメル自身がそれと似たり寄ったりのことをしたのです。
まだ口の中でぶつぶつ言っているエオウィンの代わりに、ファラミアは使者に向き直ります。
「なににせよ、おめでたいことだ。使者殿、どうかお二人に伝えてください。いついつまでも幸いに恵まれますように、と」
「なんにせよ、これでマークも安泰だということね。わたくしからもお祝いを、兄上とに伝えて頂戴ね」
こんな風にイシリアンでは、大公夫妻に大変な驚きと混乱と笑いを提供したことになったのでした。
――黄金館にて――
眠る前に夜風に当たろうと、エオメルは館を抜け出しました。
昼間はまだまだ暑いですが、夜はもう涼しく、秋が近付いたのを実感します。
耳を澄ますと、密やかな歌声が流れてきました。昼間にも、こんな風に歌が歌われているのだと聞いています。しかし、昼間は毎日忙しいので、エオメルにはじっくりと耳を傾ける余裕がないのでした。
今、エドラスにはエルフとドワーフの客人が滞在しています。ドワーフはすでに見知っていたギムリを初め数人ですが、エルフはもっと大勢いるのでした。彼らはレゴラスが率いてきた闇の森の者たちで、これからイシリアンに移住をするのです。
そのレゴラスとエオメルとは、先日大喧嘩をしました。
より正確にいえば、レゴラスがエオメルに対して食って掛かり、さんざんごねまくったのです。ですがエオメルにはそんなレゴラスを責められません。なにしろ、彼がそんなことをした原因は、自分がと結婚したからです。
それも、先に求婚をしていたのはレゴラスだったのですから、彼からすれば抜け駆けされたととられても仕方がありません。
しかし、勝負とは非情なものです。は一人しかいないのですから、二人で分けることなどできません。
エオメルにできることは、せいぜいレゴラスの愚痴を聞いたり、酒盛りに付き合ったりすることくらいでした。
ふと、エオメルは目の端に朧に光っているものが見えたような気がしました。何気なく振り返ってみると、いつの間にかエルフが立っています。
「少し話をしてもよろしいですか、エオメル王」
そのエルフは涼やかな表情でそう言いました。彼は森エルフがそうであるように、緑と茶の服を着ています。そして髪は銀色で、少し波打っていました。年はよくわかりません。エルフは不死の種族なのですから。ただ、その落ち着いた眼差しから、レゴラスよりは年上だろうと感じました。
「構いませぬが、ええと…」
「私はシリンデと申します。緑葉の森はスランドゥイル王の顧問の一人を務めておりました。今はレゴラス様のお守りの一人、でしょうか」
ふふっとシリンデは笑いました。
エオメルは面食らいます。年だけなら自分よりも何千歳も上のレゴラスをひよこ扱いしているのですから。
「その、シリンデ殿がわたくしに何用でしょう」
真面目な話なのか不真面目な話なのかわからず、エオメルは構えます。
「ええ、実は、貴公にどうしてもお伝えしたいことがあったのです。レゴラス様に絶対に聞かれる心配のない時に」
「……レゴラス殿は?」
エオメルは思わず声を潜めます。
エドラスに滞在しているエルフたちは、ほとんど黄金館にはいないのです。屋根の下よりも、太陽や星空の下にいることを好むそうで、気のむくままにふらふらと行動している者ばかりでした。それでもレゴラスは、館にいることが多いのです。なぜなら、そこにはがいるのですから。そしてエルフはほとんど睡眠を取りません。おまけに耳がとても良いので、内緒話などしようにもできないのでした。
「レゴラス様は夢の小路を辿っているところです」
それが、つまり人間で言うと眠っている、という状態なのだということを、エオメルは最近知りました。
それなら、とエオメルは肩の力を抜きます。シリンデは微笑を浮かべながら軽く頭を下げました。
「レゴラス様の態度は、ローハン王を不快にさせていることと存じます。側近として、主人の無礼をお詫び申し上げたい」
そのことか、とエオメルは思いました。しかしエオメルは本当のところはそれほど気にしているわけではないのです。はっきりと思っていることを言ってくれた方が、腹の中で不満を溜めこまれているよりもずっといいのですから。
「いえ、どうぞお気になさらず。腐る気持ちは私にもわかります」
シリンデはふるふると頭を振りました。
「それ以上に、私は礼を言いたかったのです。よくぞレオフォスト殿を妻にしてくださいました。おかげで、私たちは人の子の姫を女主人とせずにすみます」
「…………」
これは褒められているのだろうか、それとも皮肉か、嫌味なのか。単に安堵の表明なのか。さっぱりわからなくて、エオメルの眉間にはしわが刻まれました。
シリンデは優雅に一礼をします。
「姫を軽んじているわけではありません。ただ、エルフはエルフ同士。人の子は人の子同士と、そう思うのです。貴公はいかがですか?」
「む……、まあ、それはそうですが……」
同意しようとしたエオメルだが、とっさに頭を振ります。
「しかし、エレスサール王とアルウェン王妃の例もあります。エルフと人間でも、当人たちが納得し、幸せになれば問題はないと思われますが」
「本当にそうでしょうか」
シリンデの目がきらりと光りました。
「エルフと人間の婚姻には、避けようのない重大な問題が控えています。すなわち、エルフは人の子の伴侶に、必ず死に別れるということです。深い悲しみは、エルフを損ねます。エルフ同士ならば、まだ良いのです。たとえ、肉体が朽ちようとも、西の方のマンドスの館で再会できるのですから。しかし、相手が人の子では、それもできない」
そういった話は、エオメルも少しは聞いています。それぞれが「死んだ」後は、エルフはエルフの楽園に、人間は父祖が待つ地へと行くのだと。
「愛する者と共に過ごせるのは、中つ国でのほんのわずかの間だけ。エルフにとって、それは幸福であればあっただけ、辛いものとなるのです。残された時間があまりにも長すぎるから。エルフというものは、身体ほど心は頑健にできていません。絶望したエルフは、西へ行っても絶望したままです」
エオメルはごくりと唾を飲み込みました。自分の頭では理解できないほど壮大な話になってしまったのです。
シリンデはそんなエオメルに優しく微笑みました。
「ですから、私は本当に安心したのです。レオフォスト姫が結婚していたので。失恋が辛くないとは申しませんが、それでも伴侶を失う苦しみに比べれば、まだ乗り越えやすいでしょう?」
シリンデが言いたいことはわかりました。彼はレゴラスをどうしても思いとどまらせたくて、だができなかったのです。しかし、彼がそうするまでもなく、物事は解決してしまったのでした。エオメルがを妻に娶ってしまったので。
問題の相手がすでに結婚不可ということになれば、いかなレゴラスといえど、強情を張ることができないのです。そのことを知ったシリンデは、どれほど心の中で喜んだのでしょうか。だが、レゴラスの気持ちを考えると、少し気の毒なように思えます。つまり、彼は誰からも自分の恋を応援してもらえなかったということなのですから。
なんだか胸の中がもやもやしたエオメルは、意地悪な質問をぶつけてみました。
「それでは、貴公はアルウェン姫がアラゴルン殿のもとへ嫁がれたことも残念に思われているのでしょうね」
シリンデは澄ました顔で答えます。
「ルシアンの再来と言われている夕星は、我らにとってはさほど遠からぬうちに失われるでしょう。ですが、それはそれ。かの姫君は、わたくしどもの主筋ではございませんからね」
とあっさりしたものです。
そしてシリンデはもう一度礼を述べ、このことはレゴラスには内緒にしておくようにと頼んできました。もちろん、エオメルにはこんな話を彼に伝える気はありません。
こうして、エオメルの結婚は、エルフからは妙な具合で感謝されつつ、祝福されたのでした。
――ホビット庄にて――
ぱらぱら、という窓を打つ小石の音に気付いて、メリーは目を外へ転じました。
もう夏も終わりに近く、暮れの大気は涼やかさを増しています。
メリーは外の木陰に人影をみたような気がしました。それも、ホビットではありません。大きい人くらいの背丈がありそうです。
メリーは無言のまま、短剣を持ってくると、それをベルトに差して外に出てゆきました。
ホビット庄で大きな戦いが起こってから一年も経っていません。外に潜んでいるのが、自分たちに仇なす相手ではないとは言い切れないのです。
メリーは長く伸びた家の影を踏んで進みます。オレンジ色の空は、だんだん藍色になってきていました。
それから三十分後――。
「ちょ、ちょっと待てよ、メリー。どこに行くんだい!?」
「袋小路屋敷だ、急げ!」
メリーは相棒のピピンを急かして走らせました。メリーは顔を紅潮させて、そしてピピンは訳がわからず目を白黒させています。
そしてメリーとピピンに襲撃された袋小路屋敷では、もっと大きな騒ぎになりました。
なにしろ夕食時で、そこへ二人が飛び込んできたのですから。
「一体どうしたんだい、二人とも」
屋敷の主人であるフロドは驚いて言いました。彼のすぐそばには、住み込んで暮らすようになったサムと、その奥さんであるローズがいます。
「やあ、フロド、サム、ロージー。急にすまないね」
メリーは息を切らせているものの、にこにこして挨拶しました。訳も分からず引っ張ってこられたピピンは肩をすくめています。
「僕たちの分の夕食も用意してもらえるかい? 今日はおめでたいことがあったってわかった日だから、ぜひ皆にもお祝いをしてもらいたいんだ。ほら、手土産だよ」
と、メリーはバック郷の生家から持ってきた上等のワインを差し出します。
「おめでたいこと、ですか?」
サムはそれを受け取りながらも不思議そうな顔をしました。
メリーはにっと笑って、両腕を広げます。
「そうさ。さっき北の野伏がやってきて、よその国であった出来事を色々教えてくれたんだ。エオウィン様がファラミア公に嫁がれるってことは知っていたけれど、エオメル王もご結婚されたんだって!」
「エオメル王が!」
ピピンは叫びました。それで親友が嬉しそうにしていた理由を理解しました。
彼はローハンの騎士です。その王様に祝い事があったのですから、自分も一緒に祝わなくてはいけないと思ったのでしょう。
フロドは全員を屋敷の食堂に招き入れます。歩きながらもメリーは野伏が教えてくれたことを話して聞かせました。
「そうは言っても、エオメル王が結婚なさったのは、春のことなのだけどね。新年の日なのだそうだよ」
「お妃様は誰かな?」
フロドが訊ねます。
「僕たちも知っている人さ。レオフォスト姫様だよ」
「ああ、あの方ですか」
サムもすぐに思い出して、にっこり笑いました。
ローズが食卓にたくさんのお皿を並べています。
いつもより人数が増えても、彼女は全然動じません。料理がとても上手なので、あっという間に追加分を作ってしまったのでした。
フロドも自分の酒蔵からビールとワインを持ってきます。そこは彼が不在だった時にだいぶ荒らされてしまったのですが、少しは残っていたのでした。
五人は食卓に座って、杯を満たします。
徐にメリーがそれを掲げました。
「エオメル王とレオフォスト姫の結婚を祝して」
それに全員が声を合わせます。
「乾杯!」
なんとなく、書きたくなった話。
シリンデというのは、映画での裂け谷会議のときにレゴラスに付き添ってきたエルフの一人(だったと思う)。
映画シリンデは金髪だった(と思う)けど、こっちでは銀髪ということで。
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