夏が近づいたある日、黄金館では女官たちが朝からそわそわとしていた。
 それというのも、館の女主人たるエオウィンが午後に休暇を取ることになったので、彼女付きの侍女たちも多くが休めることになったからだ。
 無論エオウィンが休むとはいえ、館には大勢の人間が起居している。セオデンの世話とて常と同じにしなければならない。ユルゼが代理となるものの、完全にエオウィンの代わりになれないのだ。そのため彼女らの手をなるべくわずらわせないよう、その日は館に関わる者は極めて大人しく過ごすことになっていた。たとえば、その日の食事は作り置きのパンとハム、チーズなどが主体になり、ビールは喉を湿らせられる分しか出さないようになっている、などだ。食事一つとっても、人数が多ければそれはなかなかの大仕事になるのである。
 そのようにして、エオウィンが休暇を取ることによって、彼女を補佐する役目である女官の仕事もずいぶんと軽減されるのだ。年に何度もないことなので、彼女たちは皆、この日を楽しみにしている。
 そして侍女になった水穂にとっても初めての休暇らしい休暇だった。最低限やらねばならないことが終われば、あとはその日一日、自由に過ごしていいということになっていた。
 そんな水穂が用事の一つを済ませて広間を通りかかると、エオウィンが若い騎士と話をしているところに出くわした。水穂に気づいたエオウィンは丁度良いところに来たと水穂を呼び寄せる。
「セオドレドとエオメルは、昼食を外で食べることにしたのですって。それで必要なものを届けてほしいの」
「わかりました。何を届ければ良いのでしょう」
 エオウィンは手早く、頼まれた品物を水穂に伝える。種類は多くないが、嵩張るものが混じっていたので一人で運べるだろうかと不安に思っていると、
「ああ、荷は彼とあなたとで分けあって運ぶといいわ。お昼頃になったらわたくしも仕事が一段落すると思うの。ですからわたくしも兄たちと一緒に外で食べようかと思って。ミズホ、あなたもご一緒してくださるでしょう?」
「あ、はい。ありがとうございます」
 外での昼食ならピクニックのようなものだ。誘われたことが嬉しくて、水穂は笑顔になる。まだ仕事の途中なのに気を緩めすぎたかと、慌てて口元を覆うも、エオウィンは目元を和ませて少女を微笑ましく見つめていた。
「セオドレドに荷を届けたら、今日のあなたの仕事は終わりよ。ゆっくり楽しんでね」


 早速水穂は準備に取りかかった。台所に行って鍋を借り、藁を敷き詰めた木箱に食器類を詰めてもらう。一人で運ぶのは無理なので、それは伝言を携えてきた騎士がやってくれた。彼はそれを乗ってきた馬の背にくくりつける。他にも塩やチーズの固まり、野菜が何種類か。それにパン種やビールもだ。ビールは小さい樽に入っているものを二つ、持ってゆくことにした。最後に水穂が乗るために引き出してきた小型の馬の背に一抱えはある薪の束をくくりつける。ブレードはまだ人を乗せる訓練が終わっていないので連れていけないのだ。
 ようやく準備が終わったので出発することになった。とはいえ、いつものように馬を走らせれば食器類が壊れてしまいかねないので、散歩をするようなゆったりとした足どりだったが。
「なんだか色々と外で昼食にするには足りないように思うのですけど、本当にこれだけで良かったのですか?」
 準備をしている段階から疑問に思っていたことを水穂は口にする。彼らの食卓に欠かせない肉類が全然ないのだ。それにパンではなくパン種とは……。セオドレドたちは自分でパンを焼くつもりなのだろうか。
 水穂の疑問に気づいた騎士は、朗らかな笑みを浮かべた。 
「いいんですよ。といいますのも、野うさぎの巣穴を見つけたので、何匹か捕らえたのです。館に持っていっても良かったのですが、本日はエオウィン姫が休暇を取られる日なので、姫のお手をわずらわせないようにしようと。それにはこちらで調理してしまうのが早いというわけなのです」
「調理って……セオドレド様やエオメル様もするんですか?」
 驚いて水穂は目を丸くする。もちろんですよ、と騎士は笑った。
 ローハンは基本的に自給自足で済んでいるため、商店らしい商店は少なく、食べるための肉も各家庭で家畜を解体して得るのが普通だった。鳥はともかく羊や牛となると大きいため、その作業は一家の男がすることが多い。だからセオドレドがやり方を知っていてもおかしくはないだろう。もっとも館は抱える人数が多いので、専門の係がいる。そのためセオドレドがこの仕事に関わっているところは見たことがないのだが。
「遠征や敵の動向を探るために、長期間自分たちで飯の始末をしなければならないこともありますから、騎士ならば必ず覚えておかなければならないことですよ。携帯食料だけでは足りなくなることもありますし、そうでなくとも飽きますからね。食べられる草を見分けたり、狩りをするのはもちろん、調理もやれます。とはいえ野外で作れるものは限られていますから、手の込んだものは無理ですが」
「そうだったんですか」
 思いがけないことだったが、説明されれば納得できる。
 そして携帯食料を食べた時のことを思い出して、料理はできるに越したことはないと心の底から思った。
 角笛城からエドラスへの道のりや、アイゼンガルドへ往復する間に水穂も何度か食べたものだが、携帯に適するよう加工されたその食べ物は、お世辞にもおいしいと言えるものではなかったからだ。基本的に水気がなく、味付けも塩だけと思われるようなものばかり。それも保存のためか、妙にしょっぱかったりする。そして持ち運べる水の量も限られているので、食べにくいからとそうそう飲むこともできない。
 セオドレドたちはさすがに慣れた様子だったが、水穂にとっては苦痛この上ないことだった。食事がこんなに楽しくないという経験は彼女にとって滅多にないことで、できれば二度と長距離移動はしたくない、とまで思ったものだった。
 騎士に先導されて到着した先は、エドラスの門を出てしばらく進んだところだった。
 エドラス前に広がる草地は馬の運動場を兼ねていて、あちらこちらに人馬の陰が見える。その中に二、三十ばかり固まった集団がいた。それはセオドレドとエオメル、そして彼らの腹心といった面子で、水穂も見知った顔が多かった。
 彼らに囲まれていたセオドレドは水穂たちに気がつくと、片手をあげて合図を送る。
 エオウィンの休暇に併せて今日は急ぎの仕事以外はしないようにしているという彼らは、ちょっと体を動かしてくると行って出ていっていたのだ。くつろいでいることはその身にまとっているものからもわかる。いつもの重そうな金属の鎧ではなく、もっと軽量の革製のものなのだ。もっとも、こういった時には必ず見張りが配置されているものなので、見張りのいる範囲より内側ではそうそう敵に襲われるなどということはないということだが。
 セオドレドは馬から降りなくていいと身振りで示すと、水穂の近くまで歩み寄ってきた。
「丁度良いところに来たな。十分獲物が獲れたところだったんだ。場所を変えるからついてきてくれ」
 彼にとっても今日は休暇のようなものなのだ。くったくのない笑みを浮かべたセオドレドは、たまの休みを心から満喫しているように見えた。
 水穂が了解した旨を伝えると、彼は楽しげに片手を上げて愛馬の方へ戻る。下馬していた男たちも一斉に騎乗し、ぞろぞろと移動を開始した。
 気がつくと水穂は列の中程におり、四方を騎士たちに囲まれている。女官を守っているつもりなのかもしれないが、大柄な男たちに取り囲まれるのはなかなか圧迫感があるものだった。加えて風の通りが悪くなるので、異臭がする。
 異臭――血の臭いだ。
(獲物が獲れたって言っていたもの……ね……)
 水穂はちらりと周囲に視線を走らせる。と、あちこちの馬の背に束ねられた灰色や茶色の固まりがくくりつけてあった。
(ということはこれから捌くのか……)
 想像するだけでくらくらしそうになる。しかしこれがこの国の流儀であり、自分が故郷で食べていた肉も自分が見える範囲で行われていないというだけで、いずれ人の手によって解体されていたものなのだと言い聞かせる。狩りをし、それを屠る彼らを残酷だというのは、お門違いだ。
 とはいえ水穂にとって慣れないことであるのも確かだった。すでに肉になっているのならともかく、これから行われるというそれは、できればあまり目にしたくないものだった。
 セオドレドは川からほどなく離れた場所に馬を止めると、ここにしようと決めた。次々と騎士たちが馬から降りたので、水穂もそれに倣う。
 手慣れているものらしく、指示らしい指示もないのに男たちはさっさと行動を開始していた。
 ナイフで丈の高い草を刈る者や地面に穴を掘る者、獲物をまとめて一カ所に集めておく者。荷を取りに来た若い騎士は仲間に鍋を配って自分も一緒に川の方へ行ってしまった。
 自分は何をしたらいいのだろうかと、てきぱきと働く男たちを眺めていた水穂は、とりあえず荷物を下ろそうと薪に手を伸ばす。
「あ……っ!」
「おっと」
 薪の束は見た目ほど重量はないが、かさばっているのでくくりつけていた縄を外した途端にバランスを崩してよろめいてしまった。
「すみません、ありがとうございます」
 とっさに近くにいたエオメルが腕を伸ばして支えたので事なきを得る。
「大丈夫か、どうした?」
 セオドレドが水穂の悲鳴に気づいて駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫です。薪の束を落としそうになったのですけど、エオメル様が支えてくださいましたので」
 己の要領の悪さに水穂が恥じいっていると、セオドレドは安堵したように息をはいた。
「そうか。しかしそういう力仕事はその辺の奴を呼んでさせればいいんだぞ。馬の側で荷を落としたら、驚いて蹴られることだってある。どんなに人慣れしている馬でも、こういった事故は起きてしまうものなんだ」
「は、はい」
 エオメルも薪を抱えながら頷いた。
「セオドレドの言うとおりだ、ミズホ。そうでなくともお前はまだ馬の扱いに長けているとはいえんのだからな。蹴られたらお前の体格からいって、骨の一本や二本は簡単に折れるんだぞ」
「き、気をつけます」
 馬の扱いに対する注意は乗馬を習い始めた頃にされていた。しかしある程度乗りこなせるようになり、扱いにも多少慣れたということで初期の頃のような緊張感が薄れてしまっていたようだ。安全装置のある故郷の乗り物とは違い、相手は生き物。人の方でも気をつけなければ思いも寄らない事故が起こらないとも限らないのだ。水穂は改めて気を引き締める。
「まあ、誰しも通る道だから、あまり思い詰めないことだ。そのうち自然とどうすればいいか、わかるようになるさ」
 セオドレドは表情を強ばらせた水穂の肩に手を置く。そして残っている荷を外すと、馬の尻を叩いた。荷がなくなって身軽になった馬は自由時間だとばかりに走り去ってしまう。他の騎士の馬たちも同様だった。思い思いに草原を走り回っているが、見えなくなるところまで行ってしまうことはない。呼び戻したくなった時には指笛を馴らせばすぐに駆けつけるよう訓練されているのだ。
 水穂はそれを見送るとセオドレドを見上げる。
「わたしは何をすればいいでしょうか」
「お前も今日は休みなんだろう。好きなように過ごしていていいぞ」
 注意をした時にはさすがに厳めしい顔つきをしていたセオドレドだったが、もう表情を和らげていた。彼の気遣いをありがたく受け取り、水穂もわだかまりなどないと態度で示す。
「好きなようにと言われましても……」
 ここにいるのは男ばかりで、誰もが忙しく働いている。そんな中、好きにしていていい、と言われても気兼ねしてしまってできるものではない。乗ってきた馬も遊びに行ってしまったので、その辺をぶらぶら歩き回るということしか思いつかなかった。だがそれは、邪魔でしかないだろう。
「セオドレド様のお手伝いをしてもいいですか?」
「私の? 構わんが……しかしその侍女服を汚してしまうだろうからなぁ」
 困ったように頭に手をやったセオドレドだが、まあいいかと水穂の背に腕を回した。
「たいして面白いものでもないだろうが、それで良ければ近くで見ているといいだろう」
「はい」
 服を汚してしまうもの、という言葉に水穂は嫌な予感がした。その予感は見事的中してしまい、セオドレドは捕らえた獲物――そのほとんどは野うさぎと水穂には名前がわからない茶色い羽の鳥だった――を捌く係を請け負っていたのだった。
 すでに数人の男たちが車座に座って、手際よく作業をしている。近づくにつれて背中がぞわぞわしてきた水穂ではあったが、ローハンで生活している以上、いつかは通らなければならない道だろうと腹をくくった。
 あちらでは鳥の羽根を毟っている者がいるかと思えば、こちらには処理の終わったものの血抜きをするために、槍を組み合わせた簡易の物干し台のようなものにつり下げている者がいる。そして毟った羽根は大きな麻袋にまとめて入れているようだった。おそらく布団の中身にでも使うのだろう。
 セオドレドは空いている場所に座ると積み重なっている野うさぎを一匹取り上げ、ナイフを出して皮をはぎ始めた。血がたくさん出るのだろうとドキドキしながらその手元を見つめていた水穂だが、思ったほどではなかったので、半ば拍子抜けする。よく見てみと、野うさぎはすでに内蔵の抜き取りがしてあったようで、そのためなのだと理解した。ふと頭をめぐらすと、風下の方で野うさぎになにやらしている者がいるが、その騎士の背後には曰く言い難い物体――もしくは残骸――が積み重ねられている。思わず視線を下に落とすと、そこには因幡の白兎と化した塊があった。
 あっと言う間に一匹分の皮を剥ぎ終えたセオドレドは、内側を上に向けて草地に広げる。
「そういえばそなたは冬用のドレスを作っていなかったな。マークの冬はかなり冷えるんだ。襟や袖の縁取りをするのに必要だろうし、それに毛皮で裏打ちしたマントもあった方がいいな。ここにあるもので気に入ったものがあったら確保しておいていいぞ。使えるようになったら届けさせよう。それにうさぎ以外のものがよければ、館に戻れば色々あるぞ」
「え、ええと……ありがとうございます」
 これから夏になるところだが、いずれ冬もやってくる。保温効果の高い化学繊維やフェイクファーなどないこの世界で冬を乗り越えようとするのなら、毛皮は必要だろう。理詰めで考えればなにも問題はない。しかし加工前の状態を垣間見てしまった水穂としては温かく過ごせそうで嬉しい、と単純に喜べないものを感じていた。
(本当に、人間ってものは多くの生き物に支えられて生活しているものなのね……)
 思わず遠い目になってしまう。
 しかし喜んで贈り物を受け取ってもらえるものと思っていたセオドレドは、思っていたほど効果がなかったことに落胆する。と、水穂の顔を見て、自分の失敗を悟った。
ミズホ、顔色が悪いぞ」
「え?」
 言われてミズホは顔を押さえる。
「悪かった。そなたはこういったものは苦手だったんだな。言ってくれればこっちには連れてこなかったのに」
「い、いいえ」
 心底すまなそうにするセオドレドに、水穂は力一杯頭を振った。
「確かにちょっと苦手ですけど、でもマークの人なら普通にできることならわたしもできるようになりたいんです。だから、謝らないでください」
「いや、こういうことは貴族の娘は普通はやらないものなんだ。だからそなたも覚えなければいけないというものでもないんだぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。指示は与えるが、自分でやるものじゃない。菓子とかハーブ入りシロップとか、そういうものなら作るがな」
「そういえばそうですね」
 エオウィンが管理する部屋の一つに蒸留室というところがある。セオドレドが言っていたようなものはそこでしか作られていない。食品とひとくくりにできるものでも、貴重な材料が必要であったり、繊細な作業が必要とするものは貴人がする、ということなのだろう。これもある種の特権なのだ。
 話している間にも、セオドレドはもう一匹の野うさぎを掴んで自分の前に置いた。そして水穂を慮るように見つめる。
「エオメルがやっていることの方がそなた向きだと思うが……。手伝いをしたいのなら、そっちへ行った方が良くはないか?」
 思わずエオメルの姿を探すと、彼は炉床を作る担当をしているようだった。草を刈って周囲に延焼しないよう地面に穴を掘り、そこで火を起こしている。大きな焚き火を一つ作るのではなく、いくつかの小さい焚き火を作るらしい。すでに細く白い煙が空に吸い込まれるように立ち上っていた。
 火起こしにも興味がないわけではないが、と水穂はまたセオドレドに視線を戻した。
「あちらへは後で行きます。それより、せっかくですので捌き方を教えてください。わたし、魚なら三枚に下ろすこともできるんですよ。魚ができて肉ができないというのは、ただの生活環境の違いによるものでしかないと思いますので、やってみようと思えばできると思うんです」
 セオドレドはまだ心配そうな顔をしていたものの、そこまで言うのなら、と承諾した。
 スカートが汚れないよう、余っていた麻袋を膝にかけて、水穂は野うさぎとナイフを手にする。
 可愛らしいというよりもふてぶてしいと感じる大きさのそれを捌くのは相当力が必要だった。そして生々しい感触に何度も心の中で悲鳴をあげたものの、水穂はなんとか一匹を捌き終える。ほっとしたと同時に、自分が少したくましくなったような気がした。




 セオドレドたち解体班がてきぱきと野うさぎや野鳥を捌いていく傍ら、料理班は解体されたそれらを適宜持っていく。煮込み料理を作っているようで、ほどなくして良い匂いが漂ってきた。
 一匹だけ捌いたあとは草地に座ってセオドレドの作業を見ていた水穂は最後の野うさぎを解体し終えたのを期に料理班の作業を見学しに行くことにした。
 そこでは掘った地面の縁に河原から持ってきたらしい石で囲んだ簡単な炉が作ってあった。わざとそうしているのだろうが、炎の勢いは強くない。石と石の間に鍋を置いており、その中ではタマネギやにんじん、それにぶつ切りになった野うさぎなどの肉などがくつくつと煮込まれている。ところどころに見える鮮やかな緑はハーブのようだった。香草類を持ってきた覚えはないので、これも彼らが摘んできたのだろう。
 館の食事にも煮込み料理はでてくるが、それに比べれば材料の切り方が統一されていなかったり、一つ一つが少々大きめだったりと、男の料理という感じがした。鍋の番をしていたエオメルが、味を見てみるかと、椀にスープを少しいれて水穂に渡す。一口飲んでみると、まだ少し青臭い野菜の匂いと塩気、それに苦みがした。
「あれ、これ……。ビールを入れてるんですか?」
 鍋が黒っぽい色をしていたので気づかなかった。
 エオメルは鍋をかき回しながら頷く。
「ああ。こうすると肉が早く柔らかくなるんだ。行軍中にビールは持ち運べないから、滅多に食べられん。館でもあまり作らないからな、お前は運がいいぞ」
「ビール煮だったんですね。こういう料理、わたしの国にもあったわ。懐かしい」
 とはいえ、うさぎ肉が使われることはほとんどないだろうが、と彼女は心の中で付け加える。
 エオメルは眉をあげて興味深そうにした。
「そうか。なにかしら、共通するものはあるということだな」
「そうですね。ところで、他にも何か作るんですか?」
「もうやってるぞ」
 言ってエオメルは薪を指さす。水穂が不思議そうに首を傾げるとエオメルは笑った。
「火の下に鳥を丸ごと、大きな葉で包んだものを埋めているんだ。火が消える頃には煮込みも蒸し焼きもできあがる」
「そこまで計算してたんですか?」
 思わず水穂の声が大きくなる。
「もちろんだ。適当にやってるわけじゃないんだぞ」
「ごめんなさい、適当にやってるんだと思ってました」
 不適に笑うエオメルに、水穂はぺこんと頭を下げる。お前なぁ、とエオメルはふざけたように頭を押さえつけてくる。やめてー、と叫んでいると、上からセオドレドの声が降ってきた。
「エオメル、あまりミズホをいじめるなよ」
 片づけを終えてきたセオドレドが苦笑しながら助け船を出す。
「いじめていたわけではありませんよ、従兄上」
「もうちょっと力を加減していただければ、そのお言葉にも同意できたのですが」
 声に笑いをにじませて、エオメルが答える。水穂はそれを澄ました顔でまぜ返した。
「お前なぁ」
 エオメルが目を半眼にする。水穂はしらっとそっぽを向いた。
 と、我慢ができなくなって同時に吹き出す。セオドレドにも笑いが移り、草原に陽気な声が流れていった。



 太陽が中天にさしかかる頃になって、エオウィンが数人の侍女を引き連れてやってきた。
「丁度良い時にきたのかしら。良い匂いね」
「おお、そろそろ食べごろだぞ」
 立ち上がって妹を迎えにでたエオメルはエオウィンの持ってきた荷を取り外す。
「ビールか?」
「ええ。きっと足りないと思いまして」
 エオウィンはにっこりと笑う。
「気が利くな」
 ますます上機嫌になったエオメルは軽々と両手に小樽を持ち抱えた。他の女官たちの馬にも同じような樽がある。手の空いている男たちに呼びかけて、エオメルはそれらを焚き火の側に持っていかせた。
 鍋をかけていた焚き火はほぼ火が消えかけ、焼けた灰が白く残っている。別のところに作った焚き火の上には、川辺で拾った大きくて平たい石を乗せていた。そこにパン種を伸ばして焼いているのだ。
 それらとチーズとを肴に、男たちは残ったビールでちびりちびりとやっている。そして水穂はというと、木の枝にチーズを刺して火であぶっていた。一度やってみたかったのだ。
 追加のビールと女たちが加わったことで、場は一気に盛り上がる。料理もできあがったので、早速振舞われた。
 煮込みが器にたっぷりと入れられ、各自に配られる。蒸し焼き肉は包んでいた葉の上に乗せたまま、切り分けられた。
「おいしい」
 水穂は感嘆して思わず声に出す。
 煮込みの肉は軟らかく、大きいと思っていた野菜は煮くずれて小さくなっていた。それらが煮汁に絡み、渾然一体となる。蒸し焼き肉は皮の表面が少々焦げていたものの、中身には影響がなく、詰め物まで十分火が通っていた。
「そうか、良かった」
 とセオドレドとエオメルは満足げに笑った。
「本当においしいわ。今日は夕飯まで兄上たちに作っていただこうかしら」
 エオウィンもスープを飲み込んでにっこりと微笑む。
「おいおい」
 エオメルは呆れ顔になったが、満更でもなさそうだった。セオドレドは声をあげて笑う。
「構わんぞ。まだ材料は残っているからな」


 雲の流れる空の下、火を囲んで歌い、しゃべり、食事をする。
 日々の緊張と慌ただしさから解き放たれるのは束の間だと知っているからこそ、いっそうこの時が楽しいと思われるのだった。






あとがきは反転で↓

うさぎは日本語では一羽二羽と数えるのが慣例ですが、ローハンにはそぐわないと思ったので、「匹」にしました。
それにしても、オチのない話だな、これ。

こういう焚き火料理の定番は直接肉を火にかざした炙り肉だと思うけど、あれは意外と難しいらしい。表面焦げてても中身が生だったりして、均等に熱を加えるのが大変なんだそうだ。ソーセージみたいなのだったらいいんだろうけどね。
ちなみに、作中の料理を実際に作って食べたことがないので、おいしいかどうかはわかりません。


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