「なあ」
エオメルに呼びかけられて、は針を動かす手を止めた。
「どうしたの?」
刺繍を膝の上に置き、彼女は夫を見やる。エオメルは考え事をしている時の常で足を組んで肘をついていたが、その顔は釈然としておらず、唇を尖らせていた。
「ふと、気付いたのだがな」
「はい」
きょとんとして
は聞き返す。一体どんな深刻な話がされるのだろうか。せっかく良いことが続いていると思ったのに。
昨日はセオドレドが訪ねてきた。自分の相棒の使者として戻ってきたということだが、終り良ければ全て良し、相棒には結局結婚を許された上に、役目を終えたセオドレドと時間が許す限り過ごすことができたのだ。
そして、もうじき子供も生まれる。産着に仕立てる前の刺繍をしているのだが、これが形になるまで間に合うだろうか。もう何着も縫っているのだが、多すぎるというほどでもないし、あって困るようなものではない。
「なんだか妙にひっかかると思っていたのだが、お前の相棒……」
「ナセ?」
思いがけない名が出てきたので、は思わずすっとんきょうな声をあげた。
「ああ。その彼はいつこちらの世界へ来たのだろうか。セオドレドの話を聞いていたときにはなんとも思わなかったのだが、よくよく考えてみたら、かなり前のような気がするのだが」
「まあ、一年近く『夢』は見せられていたから、それ以前というのは確かでしょうね」
あっさりとが同意すると、エオメルは頬を引き攣らせた。
「気付いていたのか?」
「気付いていたというか……そう考えないと変ですもの」
ふう、と彼女はため息をついた。
彼が一歩足を踏み入れると、そこには十八の存在がそろっていた。
男の姿をした者が九。女の姿をした者も九。
彼は進んだ。
薄い膜のようなものでできた仕切りを通り抜けると、そこには彼には馴染みのない力で満ちた世界が待っていた。
強い違和感。
自分こそが異質であるというその場所。
「ようこそいらした。遠き世界の方よ」
一人の男の姿をした者が前へ進みでる。そして彼に向かって言葉を紡いだ。
その言葉は力強く空間を揺るがし、彼を試すように向かってきた。
「訪問の許可をいただき、感謝する。エルの世界の方々」
彼も言葉を紡ぐ。弾けるような響きが空間を圧した。男は微動だにしなかったが、十七の存在たちは、あえかに震えたようだった。
だが、それは一瞬だった。
男と彼はふと目と目を見交わし、笑みを浮かべる。
互いが互いの力を認めたのだ。
「わが名はマンウェと申す」
「わが名は赤帝」
「シャクティ?」
「シャクテイだ。だが、わたし自身は、偲と呼ばれることを好んでいる。人の子がわたしにつけた名だ」
「シノブ。面白い」
マンウェは微笑んだ。その笑みは感心しているようにも、呆れているようにも見えた。
偲――シノブ――
文字の一つ一つに音と意味を合わせ持つ、異界の文字。
音は『サイ』『シ』『シノブ』
文字の意味は『強い』『賢い』『才能がある』。そして『思い慕う』。『思』慮のある『人』がその形の由来なのだ。
だが、こうとも読める。『人を思う』と。
定められし寿命のない存在が、人を思うのか。
それとも思ってほしいのか。
彼の「名」を付けた人は、彼を愛していたのか、恐れていたのか。
今となっては過去のこと。
ただその「名」のみが人の間で受け継がれてゆく。
「わたしの訪問の理由は、すでに知っていると思うが」
偲の問いにマンウェが頷く。
「迷い子が一人いる。中つ国はマークと呼ばれる国だ」
「地上はどのような様子だ?」
「大きな戦いが起きている。直接赴かれるか?」
「状況次第だ」
「では、まずはお見せしよう」
マンウェが腕を振った。
彼らの周囲を囲むように、映像が映し出される。それは、見るものが見れば、過去と現在が交じり合っているとわかっただろう。
中つ国を取り巻く、長い戦いの記録と、短い安息の記録。
現在の戦いの根は、遠い遠い古から伸びているのだ。突然生まれ出でたものではない。
そしてそこへ紛れ込んだ一人の娘――。
「どうなさる?」
マンウェは問うた。
偲は、例えるならば『遠い目』になった。余裕の垣間見える笑みをたたえていた口元――それは力あるもの故の傲慢とも受け取ることもできるだろう――は真一文字になり、目は半眼となった。
「誤算だった」
「ほう?」
彼の変貌に、マンウェは興味深そうに聞き返した。
「あの子が生きていたので、きっとその世界は我らの世界の人の子と同型のものがいるのだろうと思っていたのだよ。生あるものは、環境に適応して姿を変えてゆくことができるからね。たしかに、わたしの予想は当たっていた。だが……」
端切れの悪い偲を、マンウェは無言のまま見つめる。偲は秀麗な眉の間にしわを刻んだ。
「なるほど、同型の者がいると、別世界の者だとわかっていても、番おうとする者が出てくるのだな。同意するもだとは思うが……。まあ、あの子も人の子なのだから、番うな、とはいえないけれど」
映像は、マークの皇太子と少女を映し出していた。仲むつまじく、寄り添っている。
マンウェは笑い出すのをこらえるように唇をゆがめた。そしてことさらしかつめらしい口調で問うた。
「婚姻はあの少女を我らが世界へとつなげる契約となろう。もしも大きな代償を払うことなく彼女を取り戻すことを望むのならば、今すぐにでも行動を起こさなければ」
偲は考え込むと、ややあって頭を振った。
「急ぐ必要はない。もしも、あなた方が『奇跡』を起こすつもりがあれば、話は別だが」
何の話だね? とでも言うかのように、マンウェは目を細めた。
「死ぬのだろう、彼は。セオデンの息子セオドレドは」
偲は言葉を選ばずに言った。沈黙が漂う。
映像に向ける彼の目は、どこか悲しげだった。人の死など、幾つも見てきたというのに、まだ傷つき足りないとでもいうかのようだ。
マンウェは淡々と言葉をつむぐ。
「歴史の転換期には、往々にして起ることだ。まるで仕組まれているかのように古い世代の者がいなくなり、新しい世代が新しい世紀を作る。まあ、仕組んでいる、というか、決まってはいるのだけれどね、我らの世界では」
「こちらも、意図的に仕組むことはない。だが……そう……止められぬ流れ、というものはある。我らは力ある者ではあるが、我らが未来を決定するわけではないのだから。我らは完璧ではない。できぬことも多い」
偲は同意を込めて頷いた。軽く一息つき、
「時には、ひどくもどかしく思うよ」
ゆるく頭を振った。
「……ああ」
彼らの間に、相憐れむような空気が漂った。永遠に存在し、背負うもの重く、止まることも休むこともできない者の心の内は、器を持って生まれたどのような者――エルフであっても、人の子であっても、他のどのような生き物であっても――にも理解することはできないだろう。
だが、時折彼は――偲は――存在し続けることに疲れを覚えることがあった。それが、人の子の感じる疲労と同じであるかどうかは、彼にはわからないのだが。
「時に、地上へはどのような形で赴かれるつもりか?」
おもむろにマンウェは新しい話題を切り出す。
「いつもの人型を、と思っていたが、何か条件があるのならば考慮しよう。ここはあなた方の世界だ。部外者としては遠慮をしなければならないだろう」
小さく声をあげて偲は笑った。
「では、その型はロヒアリムに似せてほしい。実在する人物を真似るかどうかは任せるが、あなたが人ならざる者だと地上の子らに知られるのは困るのだ」
「困る?」
真剣な表情のマンウェを偲はいぶかしげに見つめた。
「あの娘は魔女だと思われている。そしてかの国はいつ大きな戦がおきてもおかしくない状況だ。もしも一触即発の時にあの娘が消え去ったら? また貴公がいかにもヴァラール然としてあの娘を迎えに行ったら? 彼らは絶望するだろう。救われるのは彼女だけであり、自分たちは見捨てられたと感じてな。マークのこのたびの戦に勝機は少ない。だが、零ではないのだ。それをむざむざと踏みにじるような真似は、我らとしてはしてもらいたくない」
偲は片手を軽く上げた。
「了解。だが、それならばこの戦いの戦局が定まるまで動かないでいたほうがよさそうだ」
「待てないか?」
「いや、わけはない。しかしそうなると、今度は別の問題が浮上しそうなのだが」
「別な問題?」
思い当たらないようで、マンウェはかすかに首を傾げた。
「エオムンドの息子エオメルのことだ。彼もあの子に惹かれている。自分ではまだ気がついていないようだがね」
「気付いていないのならば、構うまい」
マンウェはあっさりと切り捨てる。
「わたしは趣味で人の子の思考形態や行動分析をしているのだが」
突然偲は関係のない話をしだした。
「突き詰めてゆけば細かい差異は見つかるのだが、それでもやはりある程度は大まかな性格別に分けることができる。そのわたしの経験から言わせてもらうと、エオムンドの息子エオメルは、今のわたしにとってはなかなかやっかいな性格をしていると言えるだろう」
「つまり?」
意図が理解できないが、話を続けさせた方がよいと、マンウェは言葉少なに促した。
「正義感にあふれ、情に厚く、責任感が強い。さらに付け加えるのならば、単純。だからこそ、彼は自分の身内の愛した者を放っておくことはできないだろう。そしてもともと憎からず思っている相手なのだからね。だからこそ、ふいに失ってしまうと、その後ズルズルと引きずってしまうことがままあるんだ。思い込みが強いタイプだな」
この時、遥かな距離を隔てて、エオムンドの子エオメルは盛大なくしゃみをしていた。
「お前、くしゃみをする時には横を向くとか手で押さえるとかしたらどうだ?」
呆れ顔のセオドレドが手を振った。丁度向かいに座っていたので、唾が飛んだのだ。
「す、すみません兄上」
「今夜は冷えますからね」
いそいそとはキルトを運んでくる。
ローハンは戦火を見据えていた。だが、このときはまだ平穏が残されていた。
薄氷を踏むような平穏ではあったが。
「他のものならばまだ影響は少ないだろうが……。王になる定めを持っている彼が、本来起るはずのなかった恋を引きずって、いつまでも独身でいたり、ましてや彼女を妻に迎えたりしたら、その後のマークの歴史は大きく変わってしまうだろう。そしてマークの歴史が変われば、それは中つ国全体の歴史に影響を与えることになる。程度の大小は、まだはっきりしないようだが」
頭が痛いとでもいうように、偲は額に指を当てた。彼の造りからすれば、頭痛など起るはずもないのだが。
「物好きな趣味をお持ちだと思いましたが、なかなか有意義なこともあるものですね。確かに、未来は変わるでしょう。あの娘が中つ国に留まろうと留まらなかろうと、それは関係がない」
「ああ。水にできる波紋のようなものだ。最初の変化は小さい。しかし時を追うごとに大きくなる。今のあの子は小石程度の影響ですんでいるようだが、これが婚姻だのなんだの、エオル王家に深く関わりすぎれば大岩が沈んだほどの影響に変わるだろう」
マンウェは頷く。そして静かに口を開いた。
「未来は我らから見ても定まっているわけではない。いま、中つ国で起きている出来事も、我らにはどうすることもできないのだ。わずかな希望に向かって暗き道を行く者たちへ祝福を授けたくとも……時代は変わったのだ。かの地は遠過ぎる」
偲は不思議そうに眉を寄せた。
「あなた方は、あの子はこのままこちらの世界へ留まってもよいと思っているのだろうか」
「かの娘は人の子だ。人の子が一人増えたところでエルも中つ国も困らないだろう。無論、我らもそのこと自体はどうも思わない。異なる世界を渡ったとはいえ、あの娘が自力でできることでもない。起きたことの責任について論じるのであれば、貴公とすればよいだけのこと」
「なるほど、私も同意見だ。彼女がこちらの世界へ来てしまったことで起きる未来の変貌……そのすべてを知ることは叶わないが、できうる限りの軌道修正をする心積もりではいるよ」
マンウェは偲の言に軽く頷いた。そして、
「我も問おう。貴公はあの娘がこちらで生を終えてもかまわないと思っているのだろうか」
マンウェに改まった調子で問われて、偲は表情を消した。そうするとどこか親しみやすい雰囲気はなくなり、冷徹さが強調される。
「彼女は私の保護下にあるが、それでも人の子であることには違いはない。伴侶を得て番い、子孫を残そうとするのは、人の子の本能だ。そのように創られているのだから、邪魔をするなどという無粋な真似をするつもりはないんだ」
「では、エオムンドの息子次第、ということですかな?」
確認するようにマンウェは訊ねた。偲はしばし沈黙して思考を巡らす。
「そうだな。もしも彼があの子に婚姻を申し込んで、それをあの子が受けたとしたら、そのときには彼女はあなた方にお任せしよう。だが、あの子は私が目をかけていた一族の末の者。簡単にくれてやる気はないのだが、どうだろう。その時にはエオムンドの息子に、試練の一つも課してもよいだろうか」
妙に楽しげな口調で偲は提案した。
「どのような試練を?」
「そうだね……。彼にとって大事なもの、譲れぬものの中でどちらかを奪うというのはどうだろう」
マンウェは眉を潜める。
「もっと具体的に話していただきたい」
そこには地上の子らに危害を加えるつもりならば容赦はしないという表情が浮かんでいた。
「人の子にとって、子孫は大事だ。ましてや彼は王になるのだから尚更だ。だから、もしもエオムンドの息子エオメルがあの子を娶るようなことがあれば、私は彼に子ができないようにしようと思う」
「あなたの娘を石女にするという意味か?」
「それでも良いし、子が出来たら器が壊れるようにしても良い。そうそう、後者ならば別の女を娶っても、彼女と同じようになるようにするというのもいいな」
「彼を苦しめるためならば、娘を死なせても良いと?」
「人はいつしか死ぬものだよ。早いか遅いかの違いだ」
「なるほど、貴公は実際にはエオムンドの息子のことをひどく不愉快に思っているようですな」
マンウェは真顔で指摘した。
「そんなことはないよ」
ふふ、と偲は笑う。だがその目は少しも笑っていなかった。
マンウェは強い口調で言った。
「とにかく、子孫ができないのも王妃が次々に死ぬのもよしてもらおう。我の先見ではマークはこの先も長く続く国であるのだから。むろん、中つ国を覆っている大暗黒が拭われればのことだが」
「子孫ができないようにするのは、未来への影響を少なくするためでもあるのだが? あの子の血が混じってもいいのか? わたしが言うのもなんだが、それはそれは面白くてやっかいな結果になると思うぞ。巫覡の能力は簡単に消えるものではないんだ」
「そのような気遣いなど無用だ。かえって未来に余計な変化を加えかねない。貴公は我らの要請に従って力をふるってくださればよろしいのだ」
偲の秀麗な形の眉が、苛立たしげにピクリと動く。
「それならこちらは奪われ損ではないか。いや、奪われたとはまだ決まったわけではないが、こういう時の私の予感は当たるのだよ、癪に障るほど。ということで、エオムンドの息子エオメルはあの子に婚姻を申し込むだろう。そして私は、彼女がそれを受け入れないといいな、と思いながら待っていなければいけないわけだ」
子供のようにふてくされながら、偲は叫んだ。
「なんと大人げのない言いようを――」
「少し失礼してよいかしら?」
玲瓏とした声が、一触即発といった体の二人の間に割って入った。マンウェの伴侶ヴァルダが、美しい形の唇に微笑を浮かべながら前へ進み出る。
「わたくしに提案がございます。お話をしてもよろしいかしら?」
二人は息を吐くと、それを了承した。立場を忘れてつかみ合いの喧嘩になりそうだったからだ。
「シャクテイ殿のお気持ちは、世の父親と呼ばれるものならば、度合いの大小はともかくとして多くの者が感じることでしょう。ましてや、あの娘は異なる世界へ来てしまったのですもの。お探しの間も、ずいぶんと心配なされたことでしょうね」
「……ああ」
鈴を打ち振るような清らかで凛とした星々の妃の声に、偲は大人しく耳を傾ける。
彼女はにこやかに続けた。
「マークには、闇の手が伸びようとしていました。我らが使わしたマイアの一人が堕落したからです。クルモはマークの国人を一人篭絡し、マーク王を傀儡に仕立てていました。最終的には王と世継を亡き者にし、かの国を己が支配しようとしているようです。あの娘は、それを防ぎました。完全な形でではないのですが」
「つまり?」
マンウェは促した。
「つまり、彼女にもそれなりに功績があるということです。わたくしたちはそれに対して何事もなさないでいてよいのでしょうか、マンウェ。また、子を一人失うことになった場合に、シャクテイ殿の世界の方へ、なんの保障もしないでよろしいのでしょうか。お互い、歩み寄りをする必要があるのでは」
「だったら、どうしろと」
「わたくし、シャクテイ殿の試練を半分だけなら実行しても構わないと思いますの」
「……半分?」
偲とマンウェはどちらも不得要領な顔になる。
ヴァルダはたしなめるような笑顔で言った。
「ええ。試練をそのまま実行してはいけませんわ。それではただの呪いになってしまいますもの。でも『そうなると思わせる』だけならば構わないでしょう」
「悩むだけ悩ませる、ということか」
それならば、とマンウェは了承した。しかし偲が異論を唱える。
「それでは私が納得できない。結局、私が悪役になるだけではないか」
「もちろん、それではシャクテイ殿のお気が晴れないのはわかっております。ですから、呪いに関しても半分だけなら実行しても良い、ということにしてみては? どこかに抜け道をつけるのです。呪いが、ただ絶望を呼ぶだけではないように」
「抜け道といっても……」
偲は顔をしかめた。ヴァルダはそれには答えず自分の話を続ける。
「あの少女が中つ国の者と婚姻を結ぶことは構いません。シャクテイ殿もおっしゃったように、それが人の子の性なのですから。異なる世界の血が入るのも、相手がエオムンドの息子エオメルならば、あまり問題はないでしょう。なぜなら、わたくしの先見では彼はもともとそのような定めを持っているようですからね」
「それはどういう意味だ?」
マンウェが問うた。ヴァルダはにこりと笑う。
「彼はイムラヒルの娘ロシリエルと結ばれる定めにあったようです。エルフの血を引く一族の末です」
「なるほど」
彼は苦笑した。
「巫女がどのようなものか知らぬ者にしてみれば、エルフでもあの子でも大差はないだろうな」
偲も苦笑いした。
「そういうことであるならば、ヴァルダ殿、貴女の提案に乗せていただくとしよう。抜け道は、そうだな……」
一端言葉を切ると、次にはすらすらと続けた。
「試練は、二択のうちどちらかを選ぶという形式にすることにしよう。こちらも長々と結果が出るのを待つわけに行かないしな。王家のものにとって必須である王子ができないか――娘がいれば家系自体は続くし、なんなら孫息子ができるのを待てばいいんだ。こんなこと、こちらの世界にはざらにあるからね――子供が、特に男の子ができたら王妃が死ぬか、だ。王妃の場合は、誰であっても同じ結果になる。これが表向き」
「して、裏は?」
「イムラヒルの娘ロシリエルと婚姻を結んだ場合は、彼女が息子を生んでも死なないということにしよう。もともと結ばれる予定なのだろう? そういう相手までわたしはどうこうする気はないね。さて、王女しか生まれない呪いについてだが……どうしたものかな。どこかで区切るか。なにか良い情報はないだろうか」
「彼の祖父にあたる王は、歴代のマーク王のなかでは最も結婚が遅かったが……。そのせいで王子が生まれるのも遅かったのだ」
「了解。ではそれを区切りとしよう。エオムンドの息子エオメルはその祖父王に息子が生まれた年になるまでは男児ができないようにしよう。これならば?」
「結構」
マンウェが承諾すると、偲は図に乗ったようにさらに要求してきた。
「そうそう、この件にセオデンの息子セオドレドも巻き込みたいのだが、どうだろうか。なにしろ、まだ先行きが確定していないエオムンドの息子への処遇をこれだけ考えているのに、彼だけ何のお咎めなしでは不公平だろう」
「死ぬのだとわかっているのに、不公平もないだろう」
もっともな突込みをされたが、偲は堪えない。
「しかし、彼はあの子と婚約しているではないか。それなのに、死ぬのだから何もするなと? なに、私は難しいことを要求しているのではない。単に、私のこの試練を彼に伝えてほしいのだ。中つ国へおりなければ、私は私の姿のままで子らと接触をしても構わないのだろう」
「そういう意味で地上の子らの姿に似せろ、といったわけではないのだが」
マンウェはため息をついた。
「しかし、駄目だといったら、貴公はセオデンの息子セオドレドの姿でマークへ赴かれるのでしょうな」
「そういうことだ。なに、そんなに悲観することはないよ。祝福する気持ちだって、わたしは充分持ち合わせているのだからね。」
にっと偲は笑った。
「ということは、例の十四年後まで王子が生まれない呪い……」
ここでエオメルは言葉を切った。『呪い』という言葉にが過剰反応し、睨んできたからだ。
「もとい、代償が私たちにはあるわけだが、その時まで彼はこちらの世界のどこかにいるということなのだろうか」
は居住まいを正すと、改まった口調で夫に向かった。
「それはわたしにはわからないことよ。あのひとがいたところで、わたしには感じ取ることができないのだもの」
そして小さく首を傾けた。どこか愛おしそうな目で遠くを見つめる。
「だけど、もしいてくれたら、心強いわ。こんなことを言うと、あなたには嫌な思いをさせてしまうかもしれないけど、でもナセとは小さいときから一緒だったのだもの。見守ってくれているなら、嬉しい」
エオメルは複雑な表情になったが、やがてちらりと手に目をやった。
(見守られていたら嬉しい、か……)
そこには緑の光を帯びた指輪がはめてある。
光が反射しているのではない。石が内側から光っているのだ。
光らせたのは偲の力。そしてここにあるのは、セオドレドが戻ってきてくれたからだ。
「確かにな」
この指輪がある限り、自分はあの日のできごとを忘れないだろう。
奇跡のような再会と、人が悪くて情の深い、異界の神の意思を――。
あとがきは反転で
自分の力不足がしみじみと感じられました……。
人ならざる大いなる存在を、どのように書くかというのは書き手の技量が問われるものだと思いました。
なにしろ、人間と同じようにしてはそれらしさは出ないし。
堅苦しすぎると、多分読んでるほうが面白くないだろうし。
かといって、コメディ調にはしたくなかったし。
神々しさや威厳を、どうすれば出せるのか、未だにわかりません……。
今後の課題、だな。
つか、次の話にこの手の登場人物が絡むかもしれないのだから(舞台が第二紀だから)早急にどうにかせねば……!
と、まあそんなわけで、書くのになかなか苦労しました。
偲君は(あ、わたしは普段『君』付けで呼んでます。親愛の意味ではなくて、敬称の意味の『君』です。……とか書くと、私がアブナイ人のようだな/笑)普段はどちらかというと、白鳥に出ていた時のノリをしています。そんなわけで、今回はちょっと真面目ver.です。お陰で書いてて肩がこるったら(猫かぶってるようなものだからな^^;)。
それと、本編では結局、王妃を選んだ場合の呪いの緩和内容が明かされなかったわけですが、えー、まあ、そういうわけです。
そりゃあ、セオドレドも言えないよな……。
ロシリエルと結婚していれば何事もなかったんだよ、なんてさー(遠い目)
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