注:このお話にはヒロインもレゴラスも登場しませんのであしからず。
そんでもってまた妙な春日設定がでてきます。
でもちゃんと番外編です。





 アルウェンの結婚式も終わりましたし、娘婿の同盟国の先王の葬儀も終わりました。アイゼンガルドに寄ってサルマンの様子を見たらようやく家へ帰れます(そうは言っても裂け谷まではまだ一ヶ月はかかるのですが)。
 久しぶりに遠出したなあとエルロンド様が思っていると、北から伝書が飛んできました。
 伝書というのはエルフたちの間で手紙をやりとりする時に使いに出す鳥のことです。馬を走らせるより速いので、緊急の用事の際にはこの方法を取るのです。
 伝書はエルロンド様宛のようでした。
 真っ直ぐに降りてくる伝書から書簡を外し、差出人の名前を確認して、
「しまった……」
 エルロンド様は口元を押さえて一人ごちました。
 手紙はレゴラスの父であるスランドゥイルからのものでした。エルロンド様はレゴラスが父親宛に結婚の報告をしたためたことを知っています。しかしレゴラスの奥さんは異世界のヴァラールに愛されていたという、エルロンド様から見ても珍しい経歴の持ち主でした。そしてその異世界のヴァラの企みで、レゴラスは奥さんのことを忘れさせられてしまいました。それで事の顛末をスランドゥイルに書き送り、レゴラスが帰っても奥さんのことは聞くな、と忠告しました。まさかレゴラスが覚えているだなんて思ってもみませんでしたから!
 これはその手紙の返事なのです。エルロンド様は余計なことをしてしまったなあと思いながら封を開けました。
「……どういうことだ?」
 手紙を読み終えたエルロンド様は眉間にしわを寄せました。
 そこに書かれていたことは、時候の挨拶を除けば極めて簡潔なものでした。
「心配無用。すべて承知しておる。さる筋から根回しをされたのでな」
 それからもう一つ。
「息子に余計な寄り道はせぬように、とだけ伝えてくれ」
 これだけです。
(根回し……?)
 エルロンド様の頭の中は、さる筋とはどこのことか、とか、根回しというのはどういう意味だろう、という疑問で一杯になりました。
 エルロンド様には知る由もなかったことですが、闇の森(この頃にはもう緑葉の森ですが)ではこんなことがあったのです。


 七月十九日の朝もまだ明けやらぬ時刻のことです。戦いの爪あとも深い緑葉の森に慌しい雰囲気が走りました。
 と、いうのもエルフ王の領土を巡回していた森エルフたちが、王の岩屋へ向かう一人のエルフを見つけたからです。
 そのエルフを見て、年若いエルフはレゴラスが帰ってきたのだと思いました。なにしろ彼にそっくりでしたから。
 しかし年嵩のエルフはオロフェアが帰ってきたのだと思いました。なにしろ銀髪だったのですから。
 レゴラスは両親のどちらにも見た目はあまり似ていません。髪の色が金髪であるということを除けば父親の父親、オロフェアに一番似ているのです。
 しかしこのエルフはどちらであってもちょっとおかしいのです。
 なにしろレゴラスだとしたら髪の色が違いますし、オロフェアだとしたらこんなところにいるはずがないのです。彼は三千年以上前に死んでいるのですから。
 そういうわけで、森エルフは自分たちの王様であるスランドゥイルに報告に行きました。

 スランドゥイルは王妃さまを伴って門まで出ていきます。報告の奇怪さに、奥で待っている気にはなれなかったのです。
 果たしてそのエルフを見るや、スランドゥイルも王妃様もあっと声をあげました。
「父上!?」
「オロフェア、そなたかの!?」
 先に口を開いたのはスランドゥイル、次が王妃様です。
 王妃様がオロフェアを呼び捨てにしているのは、彼女にとって彼はまたいとこで、さらに彼女の方が年上だったからです。父親より年上の婦人とスランドゥイルが結婚するに至ったいきさつは別の話になりますのでここでは控えましょう。とにかくそういうことになっています。
 王妃様は冴え冴えとした氷のように輝く銀髪を揺らし、上古の星の光を宿した緑の瞳を細め、つかつかとオロフェアらしいエルフに近づきます。
 彼の前に立つと王妃様はじっと見詰めました。
 それから腰に手を当てると居丈高に言い放ちます。
「なに奴じゃ。そなた、わがまたいとこの姿をとるはいかなる理由があってのことか。そなたがオロフェアであるはずがない。マンドスの館にあれが出向いてから何年たったと思っておる。戻ってくるのであればもっと早く戻って来ておったはずじゃろう。第二紀の末の指輪を巡る戦いの屈辱を晴らしにのう。違うか? さあ、そなたが誰か、早々に申せ! 申さず、死者を愚弄するというのなら、わが刃の露にしてくれるわ!」
 王妃様はそういいながら、隠しにしまっていた短剣を抜き放ちます。エルフの婦人は剣を取って戦うことをしないものですが、彼女は違います。エルフの敵がサウロンの前のモルゴスだった時代から、堅固な砦も立派な武器や防具がなくとも、なんとか仲間の森エルフたちをまとめて地の利や身のこなしの素早さで戦っていた上古のエルフの婦人なのです。
 そんな彼女にオロフェアによく似たエルフは涼やかに微笑みかけました。
「なぜこの姿をとるのかといえば、この姿ならあなた方が外に出てくるだろうと思ったからだ。そしてわたしが誰かと言うと、わたしはヴァロマ、そなたの息子が妻にした、異世界の娘の護り手だよ」
 これにはスランドゥイルも王妃様も驚きました。なにしろ息子の無謀さ加減には頭を抱えさせられましたから。
 でも結婚してしまったものは仕方がない、娘を見てからどうするか決めようと思っていたのです。
 しかし娘よりも先にヴァラの方が来てしまったのです。
 思わずエルフ王と王妃様は顔を見合わせました。


「此度の訪問はわが息子の愚行を裁くためか?」
 とにかく来てしまったものは仕方がありません。スランドゥイルはヴァロマを岩屋に招きました。人払いをした賓客用の部屋でエルフ王と王妃様、ヴァロマだけで話し合いをすることにします。
 スランドゥイルは回りくどいことは苦手です。単刀直入に切り出しました。
「そんなところだね」
 ヴァロマは気を悪くした様子もなくにこやかに応じます。
「生憎だがまだ息子は戻っておらぬ。裂け谷の養い子の結婚式まで付き合う気なのであろうよ。エルロンドの族がそろそろゴンドールに着く頃合だと思うが。帰りはいつになるか」
「いや、ここへ来たのは緑葉殿に会うためではない。わたしはそなたらに会いに来たのだ。なぜと言って、彼がわたしの行う試練を成し遂げられるかどうかによって、そなたらの未来にも多かれ少なかれ影響を与えてしまうから」
「ほう?」
 スランドゥイルは唇の端をあげました。ヴァロマは神妙な態度でしたが、それは何事かの企みを隠すためのように思えたのです。
「あなたが何を望んでおられるかはわからぬが、息子が成し遂げられたらなんとする?」
「すべて考えてある。あなた方にはそれを聞かせに参った。なにしろわたしが負けた場合、そなたらはわが姫の義理の親になるのだもの。ゴンドールに来ることはないだろうとわかっておったし、ならば直接出向くしかなかろう」
 ヴァロマはすました表情で微笑みます。中身はヴァロマなのですが、顔は父親のものです。スランドゥイルは微妙に不愉快な気持ちになりましたが、ぐっとこらえて話を聞くことにしました。


「……」
「なんとまあ」
 聞き終わった後、スランドゥイルは無言で額に手を当てました。そして王妃様は目を丸くしました。
「それは……試練なのか……?」
 スランドゥイルは恐る恐る尋ねます。
「勝とうと負けようと、レゴラスはなんら損をしないような気がするのだが」
 王妃様も王に同意しました。
 なにしろレゴラスが失敗した場合、彼は奥さんの記憶をなくしてしまうのですから、そのことによって彼が苦しむことはないのです。また成功した場合は奥さんがアルダの物質で作られた身体を得て、戻されるのです。奥さんも試練に成功する必要はありますが、それにしたって破格の待遇です。
「違う、逆だ」
 ヴァロマは笑いました。
「逆?」
「そう。わたしはガイアの神だぞ。わたしが関与できるのはガイアのものだけだ。そなたらの息子はわが姫に強く関わりすぎたために巻き込まれたにすぎぬ。無論、わたしとて姫を奪った返礼をしないわけではないがな。この世界の法に背かぬ範囲で痛めつけれるだけ痛めつけようとは思っているが」
「ああ……そういうことか」
 王妃様は納得したように頷きます。
 息子が痛めつけられるということには眉をひそめましたが、それはヴァロマにとってはおまけのようなもので、本来の目的は以前に娘と交わしたという誓いを果たすことのようでした。試練という形をとっているのは、ヴァロマにできる最大の抵抗なのでしょう。
「つかぬことをお聞きするが、もし試練に成功したのが片方だけの場合はどうなるのだ?」
 スランドゥイルの問いにヴァロマは口を袖で隠しました。笑っているようです。
「緑葉殿が失敗したら、姫は死に損だね。でも大丈夫、そのときはガイアに器と魂を持ち帰って、新しく生まれなおさせるから。姫が失敗したら……多分そんなことはないと思うけれど、その時も緑葉殿の記憶がなくなるだけ。なぜならそのときは姫の命をこちらに預けることができないのだからね。連れ帰るしかないだろう。そうしたら緑葉殿は死ぬだろうからねえ。わたしはこちらの世界の生き物には損害をあたえてはいけないのだよ」
 ヴァロマはしたり顔でそう言いました。
「なるほど、成功率は半々、というのは見せ掛けで、実際は二割五分か」
 分の悪い賭けだ、とスランドゥイルは思い、またそう思った自分に戸惑いました。
 なにしろこの「分の悪い賭け」に息子たちが勝ったときには異世界の人間の娘が義理の娘になってしまうのです。ずっと昔、自分がドリアスに住んでいた頃、楽園と思っていたそこが崩壊するきっかけともなったのが、主君の娘ルシアンと人間のベレンの恋でした。娘を諦めさせるために無理難題を申し付けたシンゴルを愚かと断定するのは簡単です。しかし自分が似たような立場に立たされてはじめて、ようやく彼の怒りや苦悩がわかりました。
 エルフにとっては、やはり人間は異質なのです。
 友人にはなれても身内と呼ぶには抵抗があります。
 しかしなにもかも投げ捨ててまで息子と共にあろうとするのが年端もゆかぬ娘ともなれば、その気持ちを無碍にするのはあまりにも非情という気がします。
「参ったのう……」
 スランドゥイルは深く深く息を吐きました。
「ああ、本当に参ったよ」
 ヴァロマは苦笑いをします。
 そこで会話が途切れました。
 スランドゥイルは頭をかきむしり、王妃様は物思いに沈んでいるようで目を伏せています。
 そんな二人をヴァロマは静かに見守るのです。
「時に……これらをわれらが息子らに伝えた場合はどうなりましょうか? 急使を遣わし、洗いざらい知らせたときはどうなさいます」
 顔を上げた王妃様は真剣な眼差しでヴァロマを見つめます。
 息子そっくりのまたいとこの顔は優しげに微笑みました。
「どうもしない。好きにすればいい。だが間に合わぬよ。わたしはこの後すぐにゴンドールへ行く。それには瞬きする時間もあれば充分なのだから」
 王妃様は不快そうに鼻をならしました。なにもかもヴァロマの手の上で踊らされているということがこれではっきりしたのです。
 事情のすべてを知りながら自分たちはなにもできず、息子らとその周辺にいるものたちはヴァロマにいいようにあしらわれるのでしょう。望みの綱はガンダルフですが、その彼でもどこまでヴァロマの企みを見抜けるかわかりません。
「ヴァロマ殿。娘の姿にはなれようか? 息子らが試練を潜り抜けたなら、あなたの娘はわれらの娘になるのだもの。どのような娘か知っておきたい。」
 王妃様は腹を括りました。
 アルダに住まう者として、異世界から来たものなどにやられっぱなしでいるのは癪に障ります。せめてもの抵抗として、息子が嫁を連れてきたら、ヴァロマが口惜しがるくらい可愛がってやろうと決めました。
 王にもその決意が伝わったようです。
 スランドゥイルからもぜひにと頼まれてヴァロマは姿を少女に転じました。
 それを見た王様と王妃様は口が開いたままになってしまいました。
 息子からの手紙で楚々とした美少女だと察していましたし、その予想は間違っていませんでした。しかし少女の容姿は彼らから見るとずいぶん幼いのです。
「なんとまあ、息子は幼女趣味だったのか?」
 エルフ王が言います。
「いや、単に童顔なだけで……」
 ヴァロマが一応のフォローを入れます。
「細い腰じゃのう。これで子が産めるものか?」
 王妃様は思わず立ち上がってヴァロマの腰をむんずと掴みました。
「特に問題はない」
「お、おい……」
 ヴァロマは動じませんでしたが、さすがにエルフ王は王妃様の行動には冷や汗を流しました。彼女は腰を掴んだだけではなく、胸にも手を伸ばしたのです。
「ああ、意外と胸はあるようだのう」
 感心したようにいう王妃様に、
「妃よ……その辺にしてくれ」
 エルフ王は泣きそうな気分でそう言いました。


 それから少し話をした後、ヴァロマは暇を告げて姿を消しました。
 色々なことがあったので少し疲れを感じたスランドゥイルは、王妃様にもたれかかろうとしましたが、王妃様は王様には目もくれず、扉まで走りました。どうやら衣装係の侍女を呼んでいるようです。
 王妃様のお呼びに侍女たちは慌てて飛んできました。
 王妃様は彼女たちに向かって身振りも交えてあれやこれや言いつけます。
 侍女たちがいいつかった仕事を果たしに部屋からでると、王妃様はやや満足げに腕を組みました。
「あの娘のう、あんまり細くて小さいものだからサイズの合うドレスがないのだ。そうでなくともエルフ王が息子の嫁の着るものすら用意できんと思われるのは癪でならん。森の面子にかけても息子の帰郷までにすべての用意を整えるぞ。よいか」
 ああ、それでヴァロマの身体を触りまくったのか。とエルフ王はようやくわかりました。しかし王妃様は完全に暴走しています。止めるのが夫の務めだと思いました。
「それは良いが、あまり張り切りすぎるなよ。必ず来るとは限らないのだから……」
「甘い! 来るに決まっておる! そうでなければなぜわざわざここまで来やる? 娘が来るから用意して置けと言う意味に決まっておるではないの。あれはヴァラだぞ。先見があって当然であろうが。まったく遠まわしな!」
 負けるものかー! と王妃様は叫びました。


 そしてそれはその通りでした。
 しかしこの時はスランドゥイルにも王妃様にも確信があったわけではありません。
 エルロンドからの書簡が来た時も、それが試練の最中に書かれたものだとわかったので多くを書かずに返事をしたためました。
 そのせいでエルロンド様にはまったくわけのわからない返信になってしまったのです。
 悩んだエルロンド様はとりあえずスランドゥイルからの伝言を伝えようとレゴラスを呼びました。
 森に帰ったレゴラスと水穂は王様と王妃様からヴァロマが根回しをしていったことを聞かされてあっけにとられたり頭を抱えたりしたそうですが、それはまた別の話です。





読了後の注意

1 レゴラスがオロフェアに似ている、というのは春日のでっち上げです。
2 王妃様の設定もすべて捏造です。
3 でもレゴママ夢も書きたいなーと思っています。




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