この日、緑葉の森(元・闇の森)の北側を治めるスランドゥイルは朝からソワソワしていました。それというのも昨日、森のあちこちに潜ませている見張りの一人から、息子のレゴラスが戻ってきたという報告を受けたからです。見張りはレゴラスはドワーフと小柄な少女を連れていると告げました。
ドワーフと言うのは息子が親友になったという例の旅の仲間の一員だった者のことでしょう。スランドゥイルはドワーフ嫌いでしたが礼節くらいは心得ています。見張りや門番たちにはドワーフ殿を丁重に出迎えるよう指示しました。
問題は小柄な少女の方です。
多分、その娘がレゴラスが妻に迎えたという異世界の少女なのでしょう。王と一緒に報告を聞いた王妃は「やはり来たんだなあ」と呟きました。
「ただ今戻りました。父上、母上」
レゴラスがにこにこしながら玉座の前まできました。
予期していたことでしたが、彼の後ろにそっと控えている少女を見るや、王と王妃は思わず顔を見合わせてしまいました。
「紹介しますね。彼女は・アルフィエル。私の妻です。それから、父上、ドワーフのグローイン殿を覚えておりますか? 彼はグローイン殿の息子のギムリで、私の親友です」
という少女とドワーフは礼儀正しく挨拶を送りました。落ち着いた物腰ではありましたが、彼らの表情からずいぶんと緊張していることが窺えました。
しかしレゴラスがギムリを親友だ、と言ってからというもの、森エルフたちは一斉にざわめいています。レゴラスがドワーフを連れてきたことからすでに予想されていたことでしたが、信じられないという戸惑ったような雰囲気が一気に沸き起こったのです。
レゴラスの後ろで少女と並んで立っていたドワーフが、ほれ見たことか、という表情で憮然としました。彼の父親は以前この森のエルフに捕らえられ、牢に入れられたことがあるのです。もともとエルフとドワーフは仲が良いとはいえませんが、そのこともあってきっとここまで来る間に、行くの行かないのという言い合いが何度もあったのでしょう。ドワーフは歓迎されるはずがないのだから行きたくないと言ったに違いありません。
「歓迎してくださいますよね?」
前を向いているのでそんなドワーフの心情に気付いていないのか、レゴラスはにこやかに父親に確認をとりました。
スランドゥイルは威厳を漂わせて頷きます。
「無論だ。ドワーフであれ、他のいかなる種族であれ、身内が客人として連れてきた者はすべてもてなされるのだ。歓迎いたそう、グローインの息子ギムリよ。そして・アルフィエル。新たに森の王国の一員となる者よ」
レゴラスはそこでほっとしたように肩の力を抜きました。ほやほやと笑っていましたが、父親がどう出るか、やはり心配だったようです。
王妃が立ち上がりました。
「さあ、それではそなたたちは旅の汚れを落としておいで。その間に宴の用意が整おうから。そこで旅の話を聞かせてもらおう。どれだけ長い話になっても構わぬ。時間はたっぷりあるのだから」
王妃の言葉が終わると、レゴラスはとギムリを連れて退室していきました。
「おや、よく似合うこと。わたくしの見立てに間違いはなかったようだね」
湯を使い、着替えをしてさっぱりとした身なりになってきた息子とその妻と親友に気付いた王妃が目を細めて迎えました。
宴は既に始まっています。丸いテーブルが幾つも置かれ、たくさんの料理が並べられていました。
しかし酒のビンはありません。大広間の片側にぶどう酒の樽が山と積んであり、そこから各自酌んでくるようになっているのです。さすがに王のテーブルには給仕がついていましたが。
エルフの国といったらロスロリアンしか知らないはざっくばらんな緑葉の森の雰囲気にすっかり驚いていました。
レゴラスは王と王妃が着いているテーブルに歩み寄ります。スランドゥイルはとギムリに席を勧めました。
レゴラスはスランドゥイルの隣、は王妃の隣です。ギムリはレゴラスとの間に座りました。
王妃は彫像よりも整った顔でをじっと見詰めました。彼女の髪の色は明るい銀色、目の色は灰色や青が多いエルフには珍しい緑色です。
は何かへんなところがあるのではないかとどきどきしながら彼女が何か言うのをまっていました。
ふっと王妃は微笑みます。
「わたくしたちは緑色の服を着ることが多いのだけど、そなたはあまり濃い色は似合わぬと思ったのだよ。若草色にして正解だった。そなたの目と髪の色によく映える」
の濃い茶色の髪を指に巻きつけて、王妃は顔をほころばせました。
「あ、ありがとうございます。王妃様」
が頬を赤らめるとレゴラスが苦笑します。
「母上、私の妻を口説かないでください。それよりも、の部屋の用意を整えてくださっていたのですね。ドレスのサイズまで彼女にぴったりです。だけど驚きました。エルロンド卿の書簡を読まれたのでしょう? あとで詳しく話しますけど、あれを読んで彼女のことはなかったことにされたらどうしようかなあって思っていたものですから」
その言葉に王妃は唇を引きつったように持ち上げました。
「なかったもなにも……わたくしはこうなるだろうと思っておったよ。確信があったわけではないのだが……」
「母上?」
レゴラスはきょとんとしました。
「まあ、早い話が、来たのだよ、ヴァロマ殿がな」
スランドゥイルはゴブレットを傾けながらそう言うと、
「へ?」
「ええっ!」
「なんですと!?」
レゴラス、、ギムリはいっせいに声を上げました。
王妃は森にヴァロマが来た時のことをかいつまんで話しました。はヴァロマがオロフェアの姿をとっていたことを聞くと「すいません、すいません」と連呼して、王妃が「そなたのせいではないから」と止めるまで謝り倒しました。
レゴラスはヴァロマが試練のことをすべて自分の両親に話していったことが気に食わないようで、どんどん仏頂面になりました。が、母親がヴァロマにの姿になるように要求し、娘の姿になったヴァロマを触り倒した件になると、驚きで目を見開きました。
「怒らなかったんですか!?」
絶叫するレゴラスに、
「いや、別に。鷹揚な方だなあと思ったぞ」
王妃は「そうなのだろう?」とに同意を求めます。
も驚きで固まっていましたが、間違ってはいなかったのでこくこくと頷きました。
レゴラスは「えー、でもー」とかぶつぶつ呟いています。
王妃は話の続きをします。
「でのう、そなたらに伝えたかったのは山々だったのだが、そうすることもできなかったのだよ。エルロンドもすべて終わってから手紙をよこせばよかったものを、途中だったからな、こちらもはっきりしたことは書けず終いになったのだ」
王妃の言葉を遮って、思い出したというようにスランドゥイルはとん、っとテーブルを指で叩きました。
「おお、手紙といえばレゴラス、お前もエルロンドの手紙が中途半端だとわかっておったなら事後報告くらいはよこすものだぞ。なにもしないでおいて心配していたもないわ」
スランドゥイルは秀麗な眉を軽くしかめました。
「まあ、お前のことだから黙って連れて帰り、われらが驚く様を見てみたいなどと考えておったのだろうが」
王妃も同意しました。
「よくおわかりで」
レゴラスが悪びれずに答えると
「何年お前の父をやっていると思っておるのだ」
「何年そなたの母をやっていると思っておるのだ」
スランドゥイルと王妃はそろって真顔で言い返しました。
「ま、なにはともあれ、こうして家族が新しく増えたわけだしの、今日はその祝いも兼ねようぞ」
王妃が言うと、スランドゥイルが杯をに向かって捧げました。
と、今まで勝手気ままに騒いでいた森エルフたちもいっせい振り返って続きます。陽気な歓声が大広間中に響きました。
は感激して涙ぐみます。レゴラスはが同胞たちに受け入れられてので嬉しくて嬉しくて声をあげて笑いました。
「ありがとうございます」
「おやおや、なにを泣くのだね」
王妃はの頬を拭いました。
「わたしは人間だし、アルダの生まれでもないから王様と王妃様によく思われていないと思っていたので……」
「なんだ、そのようなことか。まあまったく気にならなかったわけではないがな、ヴァロマ殿にお会いして気が変わったのだ」
「左様。よ、闇の森と呼ばれていた頃を知らぬそなたにはわからぬだろうが、この森の影の暗きことはモルドールに劣らぬものであった。それは森の南にあったドル・グルドゥア、サウロンが拠点としておった地からの闇がここまで来ていたからだ。此度の戦いでロリアンのに破壊されたが、ただ打ち倒しただけでは今のように明るき緑を取り戻すことなどできなかった。今の緑葉の森があるのはサウロンが滅びたからこそだ。わが友ビルボの養嗣子フロドと、そなたが指輪の重みに耐えぬき、忌まわしきあれを破棄させしめたからこそだ。だが、指輪は、サウロンただ一人によってもたらされたものではない。エルフの傲慢と油断が指輪を形作らせ、人間の弱さが指輪の存続を許したのだ。ガイアの生まれであるそなたにも、ホビットであるフロドにも、なんぞ負わねばならぬ責務などあろうはずもない。だというのに、最も忌まわしい重荷を、そなたらに背負わせることになってしまった」
スランドゥイルは杯を置いてを見詰めました。
「すまぬ」
「そんなこと……わたしが勝手に首を突っ込んだだけですし、それに、耐え抜いたわけでは……。結局指輪の力に飲み込まれてしまいましたし」
王妃はうつむいた少女の顔を持ち上げて、華やかな顔立ちに慈悲深い表情を浮かべました。
「それでも間におうたではないか。そなたらの働きにはわれら一同、感謝してもしたりないほどだ。だから、わたくしたちはそなたにして差し上げられることがあるのならばなんでもしようと決めたのだよ。この森にもそれなりに財物がある。レゴラスの手紙ではそなたはあまり装飾品には興味がないようだが、欲しいものがあればなんでも持っていってよい。まあ、とりあえずはそなたには息子をあげようから、持っていなさい」
王妃がウインクすると、はようやく泣き止んでクスクス笑いました。
「わたしがレゴラスをもらうんですか?」
「不肖の息子じゃがな。よろしくたのむ」
「私がもらわれたのかあ。どう思う、ギムリ?」
盛り上がっている両親と嫁からすっかり忘れられている形になったレゴラスは、隣の親友に話しかけました。
「良かったじゃないか」
「え!?」
「ヴァロマ殿はあんたにをあげたのだし、あんたのご両親はあんたをにあげたんだろう? お互い様じゃないか」
「……うん。そうだね」
苦笑いをして、レゴラスは杯の中身を飲み干しました。
「あ、そうそう。や」
「はい」
王妃がに耳打ちするように顔を寄せました。
「わたくしのことは、王妃ではなくナネスと呼びなさい。共通語がよければそれでも構わぬけれど」
スランドゥイルもそれを聞きつけて割り込んできました。
「無論、私のことはアダールと呼んでくれるのだろう?」
ナネスというのはエルフの言葉で母という意味です。
ということは、もちろんアダールは父になります。
はにっこり笑いました。
「はい。アダール、ナネス」
・単品としても読めますが、この後の話がリクエスト番外編の「新婚ネタ。スラパパがイシリアンにやってきて皆を振り回す話。」になります。できれば続けて読んでほしいなあ、と。
・テーブルが丸いのは、ホビットの冒険での宴会シーンが焚き火を囲んで輪になっていたところから。ここでは外で宴会してるんですけどね。中でやるなら丸テーブルかなあ、と。
長机だと上座と下座ができてしまうけど、輪になってしまえばそういうの関係なくなるじゃないですか。(アーサー王の円卓みたく)きっと闇の森はこういう感じなんだろうなあ、と。
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