アラゴルンの戴冠式終わってしばらく経ったころのことです。
「ねえねえ、。ヴァロマ殿って、どんな方?」
とピピンが尋ねました。
ホビットたちは毎日のようにミナス・ティリスを探検していましたが、ようやくそれにも一段落つき、今日はのんびりお茶会をすることになったのです。
ギムリとガンダルフを呼び、ほとんど部屋から出てこないレゴラスとも引っ張り出してきました。もっともの場合は出てこないのではなく、出してもらえない、というのが本当のところだったのですが。
「どんなって?」
は小首を傾げて聞き返しました。
「だって、ほら、はレゴラスと結婚したんだもの。ガイアには帰らないんでしょう? ヴァロマ殿、怒るかもしれないじゃない。だからヴァロマ殿がどんな方かもっと知っておきたいなあと思って」
レゴラスとが結婚したことを手放しで喜んだのはピピンただ一人だけでした。
他の旅の仲間たちも祝福しなかったわけではなかったのですが、これから来るであろう人物のことを考えると簡単に喜べなかったのです。必ず何かひと悶着があるに決まっている。そう思っていました。
「ピピン、なにもこんな時に持ち出さなくてもいいじゃないか」
レゴラスが顔をしかめました。は彼の奥さんですが、彼女は今でもヴァロマが大好きなのです。が悲しむので口には出さないようにしますが、やっぱりレゴラスはヴァロマが嫌いですし、できるだけ彼のことは聞きたくありませんでした。特に彼女の口からは。
「いや、いや、あんたはヴァロマ殿のことを知っといたほうがよいぞ、レゴラスよ。どうしたって会わねばならぬのじゃろうし、彼の許しを得られねば、は正式にお前さんの奥方とはなりえんのじゃからな」
ガンダルフがパイプを燻らせながら諭しました。
「そう毛嫌いするものではないぞ。それではいつまで経っても友情は生まれぬ。じかに会い、言葉を交わしてみよ。さすれば少しずつでも歩み寄ってゆけるじゃろうから」
「ミスランディア……。でも、私は会ったことがありますよ。ヴァロマ殿のほうが先に私を目の敵にしてきたんです」
レゴラスは異議を唱えました。
ガンダルフは首を振ります。
「それは致し方のないことじゃ。彼にはの無事を知る術がそれまでなかったのじゃからな。許すようにとは言わん。だが、受け入れることじゃ。今となっては、お前さんは彼が危惧していたこと――を妻にするということ――をしてしまったのじゃから」
レゴラスは黙りました。
自分が駄々っ子のように思われているようで気分が良くなかったのです。
ガンダルフの言い分はわかります。でもレゴラスはどうしても聞きたくなかったのです。はレゴラスを好いてくれています。悩んでいましたが中つ国に残ると決めました。結婚式も済んでいます。だけどレゴラスは不安でした。
ヴァロマが来てしまったら、いいえ、思い出すだけでも、はきっと懐かしさと愛しさで一杯になるに決まっています。レゴラスとの結婚はなかったことにしてほしいといわれてしまうかもしれません。そんなことにならないよう、レゴラスは一生懸命の気をそらそうとしていました。
昼にはエルフのことを教え、夜には彼女がくたくたになるまで肌を合わせます。
後者に関しては、新婚ですし、純粋に彼女が欲しいのだということもありますが、他にも目論見がありました。何度もレゴラスを刻み付けて、レゴラスだけで満たしてしまえばは自分から離れていかないだろうと考えたのです。
「ぼく、悪いこと聞いちゃったかなあ」
レゴラスがあんまり沈んだ表情になるので、ピピンはしょんぼりしました。
「いいや、ピピン。大事なことだとわたしも思うよ。ヴァロマ殿にはできうることならわたしたちが全員揃っているときに来ていただきたいものだと思っていたからね。そうしたらわたしたちからも二人の結婚を許してほしいとお願いができるじゃないか」
ギムリが言うと、フロドも頷きました。
「レゴラス……」
は困ったように微笑んでレゴラスを見あげてきます。彼女にはレゴラスの不安は伝わっていました。だけど彼女にはその不安を和らげることはできないのです。
ヴァロマが来ても帰ったりしないと口にするのは簡単です。しかし何度言おうとその時が来るまでレゴラスの不安がなくなることはないでしょう。レゴラスはヴァロマの力を少しは知っています。だからこそ不安は消えず、恐れを抱いてしまうのです。
「よくわかんないなあ。そんなに嫌なの? そりゃたしかにロリアンの森に来た時はなんだかすごかったけど、でも怖そうな感じじゃなかったよ」
「……お前、あの時会ってないだろ?」
ピピンが首をかしげると、メリーが訂正しました。
ロスロリアンにヴァロマが来た時、それがヴァロマだとすぐにはわからなかったため、アラゴルンはホビットたちを騒ぎの現場に行かせなかったのです。それでもロリアンの森中を振るわせた力は皆の記憶に残るところでしたが。
「うん、でも、えーと、ぼくがパランティアを覗き込んだ時に後姿を見たことはあるよ。背が高くて変わった髪の色をしていた。力に満ちていて、でも猛々しいという感じじゃなくて、あったかいお日様みたいだと思ったんだ。こっちを向いて笑ってくれたらいいのにって思った。ぼく、あの人好きだなあって感じたんだ」
「ペレグリン・トゥック、お前さん、あの危険な時にそんなのんきなことを考えとったのか」
ガンダルフがなんだか疲れたように肩を落としました。あの時というのはピピンがパランティアを好奇心で覗き込み、あわやサウロンに尋問される、ということがあった時のことです。下手したらピピンの口によってこちらの情報は洗いざらいサウロンに知られてしまうところだったのです。
「でも、ナセが聞いたら喜ぶと思うわ。ありがとう、ピピン」
は本当に嬉しそうに微笑みました。
それを見てレゴラスがまた沈みます。
「変わった髪の色って、どんな?」
フロドは少し気の毒そうにガンダルフとレゴラスを見やると、それでも興味が湧いてきてピピンに尋ねました。
「赤と黄色とオレンジ色がまぜこぜになったような感じ。あ、それと青とか緑も混ざってたかも。たしか白や紫もあった」
「……結局、それは何色なんだ?」
メリーはわけがわからないという顔つきになりました。
「だから赤と黄色とオレンジ色と……」
「もういいよ、お前に聞いた僕が馬鹿だったよ」
メリーは説明して、というようにを見あげました。
「あれは火の色なのよ」
はレゴラスが不安に飲み込まれないようにそっと彼の手を握って言いました。
「ひ?」
「炎。ほら、火って温度や燃やしているものによって色が違ってくるじゃない。温度が低い時は赤いし、高温になってくると白っぽくなるし」
「なるほどの。それならわかる。花火を作るには基本的な知識じゃからな」
花火作りの得意なガンダルフはすぐに思い当たったようでした。
「ああ、よくわかるよ。塩を含んだ木で火を起こすと赤紫になるし、銅を火に入れると緑になるんだ」
鉱物を広く扱うギムリも頷くとちらりとレゴラスを見ました。レゴラスは少し青い顔をしていましたがの手をぐっと握り締めてなんとか平静を保っているようです。
「火の神様なの?」
ピピンはきょとんとして瞬きました。
「えーと」
は空いているほうの手をあごに当てて考え込みました。
「火はナセの象徴だけど、火の神ではないわ」
「象徴?」
「そう。ナセはあらゆる変化促すのが役目なの。例えば、土から芽がでて花が咲き、種を残して枯れる。種はまた新しい芽を出すわ。もちろん花だけじゃなくて、生物すべてと生物でないものも含めて、変化してゆくこと、循環してゆくものを司り、複雑に絡み合ったこれらをあるべきところに在るように見守り導くのがナセの役目なの。新しく作り出したり、古くなったものを処分したりもするわ。だから、ナセは創造神であり、ある意味破壊神でもあるのよね。それを象徴しているのが火なの。エネルギーの塊ということね。小さければ煮炊きに使ったり、暖を取ったりして扱えるし役に立つけど、一度大きくなるとあらゆるものを飲み込んで焼き尽くす、そういう感じね」
「へえ……」
「なんだかすごいね。想像がつかない」
ホビットたちは口々に感心したように言いました。あまりわかっていないのもいるようですが。
「お前さんは彼の相方だったわけじゃが、そうするとお前さんもそういった力も使えたのかの?」
「いいえ、ガンダルフ。巫女というのはナセのような上位者のところへ行って、力を使ってくれるように、あるいは抑えてくれるように説得するのが基本的な役目ですから……あくまでも力があるのはナセのような神々、精霊であって、わたしじゃないんです」
「それは危険なことではないのかい?」
レゴラスがおずおずと切り出してきた。聞きたくないことには変わりなかったが、があまりにも簡単なことのように言うので少し不安になったのです。
「それはもちろん、危険よ。必ずしも人間に好意的な方ばかりじゃないもの。ナセは別だけど」
「別って……」
「あのひとはねー、すっっっごく人間に対して好意的なのよ」
はぐっと拳を握り締めて力説しました。
「ほう」
ガンダルフが続けろと促します。
「ガイアには人間がいっぱいいるんだけど、別にガイアは人間のためにガイアを造ったわけじゃないわ。あくまでも人間はガイアに存在する種族の一つ。でも数が多いのよ。それにまあ、色々してるし……。だから神々の間ではどうやら人間に対してだけは役目とは別に派閥ができてるらしいのよ。親人間派、反人間派、中立派って具合に」
「役目と別と言うことは……」
ガンダルフの言わんとすることを受けて、は頷きました。
「そうです。人間に関わる、何らかの役目を持った方で、人間が大嫌いという方もいます」
がきっぱりと言い切ると、
「うーわー」
「怖い……」
メリーとピピンはぶるっと身体を振るわせました。
「あ、大丈夫。一番多いのは中立派の方たちだし、それにナセが親人間派の筆頭だから」
は取り成すように手をひらひらさせました。
「だからお前さんやお前さんの一族を護ってこられたのか」
納得したようにガンダルフは頷きました。
「千年くらい前のわたしたちのご先祖様をナセが気に入って、それ以来の付き合いだと聞いています。わたしたち、ナセには助けられることが多いですけど、一応持ちつ持たれつでうまくやっているんですよ。それでもナセはやっぱり力の強い神のお一人だから……わたしの一族の者でもナセを恐れるものはいます。そういう人はひとり立ちできるようになるともう本家には絶対に寄り付きませんね」
なんでもないことのように言うを驚愕の眼差しでギムリはみつめました。
「で、はヴァロマ殿が怖くなかったんだ」
レゴラスが問うと、は小さく微笑みました。
「ねえ、」
少し間をおいてピピンが尋ねました。
「ナセっていうのが、ヴァロマ殿の本当の名前なの?」
「違うんだよ、ピピン」
これは以前ヴァロマをナセと呼んで怒られたことのあるレゴラスが肩をすくめて答えました。
「その名はしか呼んじゃいけないんだよ。私、怒られたもの」
「それはそうよ。だってレゴラス、男のひとだもの」
「は?」
レゴラスは目をぱちくりしました。
「『ナセ』って、兄弟とか恋人とか夫とかの、女性から見て親しい男性に対する呼びかけだもの。今はもう一般的には使われていない、古い言い方だけどね。だからわたしはちょっと特別な意味をこめてそう呼んでいたの。でも伝わっている意味は変わるものじゃないし、男性から男性に向かって言うのは、さすがに違うと思うわ」
苦笑するにレゴラスは
「へー」
と、遠い目になりました。
なんとなく、あの時の彼の怒りの意味がわかったような気がします。
多分、あの時のヴァロマは心の底から不愉快だったのでしょう。
「でもさあ、それって、から見たらレゴラスもナセってことになるよね?」
ピピンがあっけらかんと言うと、
「確かに意味を考えればそうだけど……」
レゴラスを見あげて、は困惑したように首を傾げました。
「レゴラス、わたしにナセって呼ばれたい?」
ナセというのは彼女にとって特別な呼び名です。一瞬考え込んだレゴラスですが、
(多分、そう呼ばれる度にあの人のことを思い出しそうな気がする)
易々と想像がついてしまい、レゴラスは力なく首を振ったのでした。
ヴァロマがやってくる、ちょっと前のお話です。
オマケ・その頃、マンドスの館にて
「マンウェ」
「なんです?」
「あのペレグリン・トゥックっていう小さい子、もらっていってもいい?」
「駄目です」
「・・・(ちっ)」
あとがきは反転で↓
沙柳緋里さまのリクエストで、「ヒロインがレゴラスにヴァロマのことを教える話」でした。
レゴラスにというよりピピンにという感じになってしまいました。スミマセン…。
なんか、私の書くレゴラスは心の底からヴァロマが苦手なようです。
でもヴァロマのことを話すならやっぱりあの人が来る前だろうなあ、と思いまして。
来た後だったらこういう話はしないんじゃないかなあ、と。
ヴァロマのこと〜
この人もヒロイン同様十年以上春日の中に住み着いているキャラですので、設定はいっぱい決まっていました。ヒロイン嬢の本来の相手役、というかヒロインがヴァロマの相手役、というか…。なものですから最後の最後まで抵抗してくれました。
作中でヒロインが話したヴァロマの髪の色とか役目のこととかはこの連載に当たって変更したものです。おかげでどれが白鳥天女設定でどれがオリジナル設定だったかわからなくなることもありましたが、とりあえず、お人好しなところは変わってないようです。
…いえ、本当に。なんだかんだ言って、結局ヒロインをレゴラスにあげてますから。
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