がマンドスから戻ったあとの話。
その1
「だってわたし、服を着ていないんですもの」
がそういうと、アルウェンがものすごい勢いで少女をレゴラスから引っぺがし、連れ去って行った。
「あああっ、アルウェン〜!?」
呆然としたレゴラスが追いかけようと駆け出したところに、エオウィンがすかさず足を差し出した。いつもだったら引っかかりはしないのだが、今回ばかりは色々なことが起こりすぎて軽く混乱していたレゴラスはあっさり転んでしまった。
「いけませんわ、レゴラス殿。たとえ夫といえど、婦人の着替えの邪魔をしてはいけません」
涙が滲んだ目元を拭って、エオウィンは晴れやかに立ち去った。
そんなこんなで二時間後、すっかり飾り立てられたは改めてレゴラスに引き渡された。
以前と比べて大きく変ったところはなかったが、肌や瞳がエルフのように朧な輝きを発しているようだった。
の着替えを待つ間、彼女の帰還を祝う宴が用意された。
ヴァロマの来臨に関することは、その場に居合わせたもの以外には厳重に伏せられていたが、改めて一連の出来事を伝えることになった。
王の帰還、結婚に続きミナス・ティリスは再び喜びに沸いた。
「しかし、大変でございましたな。それにレゴラス殿も」
一言と言葉を交わそうと集っていた人々がようやく引いたので、親しい者たちで集って酒を酌み交わせるようになった。
エオメルは三日寝ていないので身体はふらふらだったが、心は満たされていた。が戻ったという事実が彼に力を与えていた。
「皆様にもご心配おかけしまして、申し訳ありませんでした。こうして戻ってこれたなんて、夢のようです」
は両手を胸の前で組んで微笑んだ。その隣にはレゴラスが片時も離れずいる。
「夢といえば、もしも私があなたの愛を得ていたのであれば、どうなっていたのでしょうな。私はただの人間で、差し出せるような恩寵はないのですが」
「どうでしょうか。別の試練になっていたのではないかと思いますが」
は小首を傾げる。
例え話にしても面白くなかったので、レゴラスは半目でぼそっと呟いた。
「ローハンか、どっちか選べって言われたんじゃない?」
「それはありそうですわね」
すかさずアルウェンが賛同したので、エオメルは言葉に詰まった。
「で、どうなんだ、エオメル殿、ローハンかかと問われたら、貴殿はどうお答えになる?」
アラゴルンがいたずらっぽく問いかけた。
「意地悪なことを聞かれますね。それは私には選びようのない問いです。セオデン王とその後継セオドレド亡き今、エオル王家の者は私とエオウィンのみ。しかしエオウィンは伴侶としてファラミア殿を望んでいる。ゴンドールから執政を奪うわけには参りますまい。またローハンを導く者がいなくなる訳にもいきますまい。私は、ローハンしか選べませぬ」
からかわれていることには気付いていたが、嘘は言えない性格のエオメルは真面目な表情で答えた。
「あら、そうしたら今度は、わたしがエオメル様にふられちゃったんですね」
が無邪気に笑うと、エオメルは真っ赤な顔で叫んだ。
「と、とんでもありません! ただ私はあまり多くのことを一度に考えることができないのです。私はローハンの王でありますれば、まずは国と民のことを第一にしなくてはなりませんが、だからといって、あなたへの愛情が減じたわけでは……!」
「エオメルー。どさくさに紛れて何ひとの奥さん口説いてるのさー」
レゴラスがこれ見よがしにの腰を抱えて自分の膝の上に乗せると、警戒も露に軽く顔をしかめてみせた。
「レゴラス殿!」
慌てたエオメルに、一同はどっと沸いた。
「大丈夫だエオメル殿、あんたは充分いい漢なのだから、あんたにふさわしい婦人がいずれ現れるさ」
酔っ払ったアラゴルンにばしばしと肩を叩かれて、エオメルは苦笑した。
少し離れたところで歓談をしていたイムラヒル大公が、二国の王たちの大騒ぎを眺めながら、
――次にエオメルのいる宴が催される時には、娘を連れてこよう。
などと考えを巡らせていた。
第三紀三〇二一年。
エオメル、イムラヒル大公の娘ロシリエルと結婚する。
その2
セオデン王の葬儀が終わり、アイゼンガルドを経由して北へ帰る道中のこと。
エオメルたちとはエドラスで、アラゴルンとはローハン谷で既に分かれており、一行はエルフたちと指輪の仲間の八人だけになっていた。
エレギオンに到着するとしばらく休むことになった。
「なんだか、すごく懐かしいなあ」
はしみじみ呟いた。
「ここで私がを見つけたんだものね」
レゴラスも上機嫌で笑う。
「そうそう。僕たち、のことごはんの材料だと思ったんだよね」
メリーは早とちりした自分たちがおかしくて、けらけらと笑った。
「それは別に懐かしくないけどね」
焚き火を囲んで笑いさざめく指輪の仲間たちのそばに、そっと近づく影があった。
「失礼。に用があるのだが」
灰色のマントに包まれているため、辺りの風景に溶け込んでいるハルディアがそこにいた。
「あ、なあに、ハルディア」
「少し時間をくれないか?」
「ここでは駄目なの?」
「ああ」
ハルディアはちらりとレゴラスを見た。レゴラスはむっとしたように眉間にしわを寄せたが、すぐに、
「行ってきなよ」
との背を押した。
目礼をして感謝を捧げるハルディアを見送ったギムリは、珍しいものを見るようにレゴラスを見やった。
「珍しいな。あんたがゴネないなんて」
「そりゃ嫌だけど、彼は振られたんだし、けじめくらいつけさせないとかわいそうだもの」
「ほう」
ライバルにはひどく狭量なレゴラスにしては感心だな、とギムリが思っていると、
「でないと、いつまでたってものことを諦めなさそうだし? 彼女のことは良い思い出にして、さっさと恋人を見つければいいんだよ。まあ、以上の女性なんてそうそういるもんじゃないけどね」
ああ、私ってなんて親切、と大げさに振舞うレゴラスに、ギムリは切ないため息と共にエルフの友人の肩を抱いた。
「レゴラス」
「なに?」
「前言撤回するよ」
人気の無いところまで歩いて行くと、ハルディアは足を止めた。
「」
「はい」
「あなたがたは、さらに北に向かうわけだが、我らロリアンのエルフはここで分かれることになるだろう。その後、奥方様が船に乗られるとき、我らの多くも共に西へ渡ることとなる。君に会えるのも、これで最後になるだろう。道の途中ではなく、ちゃんとした別れを君に言いたかったのだ」
無表情に近い淡々とした物言いでハルディアは告げた。
「そっか、ハルディアは西に行くんだ……。皆、行ってしまうのね。わかってたことだけど、寂しくなるわ」
は悲しげに微笑んだ。
「」
ハルディアは厳しい顔つきでに向き直った。
「うん?」
「私は君が好きだ」
ぱちくり、と音がしそうなほどは大きく目を瞬かせた。
「愛しいと思っている。だから、君の幸せを願う。この想いは西へ運ばれ、色あせることはないだろう。思い出は思い出以上にならないにしてもだ」
「ハルディア」
はどう言葉をかければいいのかわからず、立ち尽くした。
「すまない、困らせたな。告げるまいと思っていたが、本当に最後だと思ったら、どうしても伝えたいと思った。ただ、知っていて欲しかった。それだけなんだ」
「あ、ありがとうございます」
は深々と頭を下げた。
旅の仲間たち以外でハルディアは初めて友となった者だ。何度も親身になってくれて、どれほど感謝しているか。彼の愛情に応えることはできないまでも、その率直な気持ちには応えたいと思った。
「厚かましい願いなのだが……」
ハルディアは珍しく目元を赤く染め、堰こもりながらあさっての方を向いた。
「一度だけ、キスしてもいいだろうか」
も赤くなったが、少し間をおいて、
「どうぞ」
きゅっと目を閉じて上を向いた。
ハルディアはまさか了解をもらえるとは思っていなかったため、瞬時には何と言われたのかわからなかったが、恐る恐るに近づき、柔らかな頬を両手で包み込む。
一拍おいて、そっと唇を落とした。
「ありがとう」
その3
おと彦は深刻な声で受話器の向こうの者と話していた。
「さすがにもう半月雨が降りっぱなしじゃなあ。いい加減、農作物に被害がでてしまっているし、浸水した地域もあるだろう」
「どうにかしないとな。……まあ、実際、こちらは打つ手なしなんだが」
「へえ、止雨法をするのか。いや、こちらは遠慮しておく。効くとは思えないんでね」
「違う。へそを曲げてるのは竜神じゃない。もっと上だ」
「泣きたいのはこっちの方だよ。わかっている、原因はうちのみことだ。娘が結婚してしまったんだよ」
「だから、泣きたいのはこっちだといってるだろう。私は相手の男に会ってもいないんだぞ。みことが勝手に承諾して、勝手に連れ戻しもしないで、もう二度と会えないと泣いてるんだからな。父親の私の立場はどうなる」
「好きにすればいい。気象庁がそんなこと、本気で信じると思うか? 宗教関係者はこれだからと、せせら笑われるのがオチだ。だいたい、彼らの仕事は天候の予測をすることであって、コントロールすることじゃない。長雨の原因が温暖化と結論付けられようがエルニーニョになろうが、こちらの関与するところではないよ」
「根本的な解決案、ねえ。これは別れの涙なのだから、治まるまでそっとしておくしかないと思うが」
「ああ、その子なら知ってる。なかなか優秀な巫女らしいね」
「みことの巫女に、ねえ。止めておけ、そんな人身御供でどうにかなるほど、あの方は生易しい方じゃないぞ。愛する娘を思って泣いてる男に他の娘をあてがって、どうにかなるものだとはとても思えないね。かえって機嫌を損ねるだけだ。これ以上感情を昂ぶらせると、嵐になるぞ。それに他の神々がみことに呼応したら、火山爆発か大地震もありうる」
「やっかい? 坊主のあなたがそんなことをいうものではないよ。彼らは人間のために存在しているわけではないからな。我々は生かされているのだ。忘れるんじゃない」
「まあ、いつまでも泣かれるのは確かに困るからね、様子を見て祭りをしようかと思う。うちは神社だし、私は神主なんだから、祈祷よりそっちのほうがふさわしい。が、とりあえず引きこもってるみことをどうにかするところから始めなきゃならん。詳細は決まってからまた連絡する」
はあ。
おと彦は受話器を置くと疲れたように肩を落とした。
窓の外に目を向けると、ヴァロマがアルダから帰還して以来続いている雨が、未だ飽くことなく降り続いていた。
(そりゃ、私だって悲しいけどね)
二度と会えないのだろうが、娘は死んだわけではない。それどころか不死になってしまったので、世界の終わりまで生き続けることになるようなのだ。だが彼女はきっと不幸ではない。文字通り永遠を誓った伴侶ができたのだから。
それを思えば、悲しむばかりのことではない。
だから――
数日、妻と一緒に落ち込んで、今では普通の生活に戻った。
賑やかさは少し失われてしまったが、それでも、
(それでも、生きているものさ)
さてと、と気合を入れておと彦は顔を上げた。
みことのところに顔を見に行こうかと逡巡し、今は止めようと思い至った。
彼の領域へ踏み入れても追い出されることはないが、一言も口を利かないのは、正直、気が詰まるのだ。
(あなたにも、早く晴れが)
晴れが訪れますように。
そうしてヴァロマのいる方向へ祈りを捧げると、踵を返して部屋を出た。
あとがきは反転で↓
みあさまからのリクエストで、「エオメル、ハルディアの片思いの話とヴァロマ殿の話」でした。
えーと、片思いというには微妙な内容でしたが、エオメルは一応本編中で引き下がっちゃいましたし、ヴァロマは、彼の内面を書けないんですよ。私の筆力不足が原因ですが。一応神様なんで…
というわけで振られた男たちのその後、という形で書かせていただきました。
若干立ち直っていないのが一名ほどおりますが。
そうそう、ハルディアが最後ヒロインにキスしていますが、「どこに」キスしたかはわざと書きませんでしたので、お読みになった方がお好きな場所を想像してください。頬でも額でも唇でも…。
キスした時間もさっとしただけなのか、じっくりしたのか…(笑)
ご想像にお任せします。
あ、原作ではレゴラスとギムリはアイゼンガルドからファンゴルンに入っていったので、帰り道ではエレギオンには寄ってないはずなんですよね。少なくともホビッツと一緒ではない。のにここではみんなと一緒なのは、ひとえに通常番外編「根回し」でのスランドゥイルからの手紙が原因です。あの「寄り道しないで帰って来い」ってやつ。こっちのレゴラスギムリヒロインの三人は、このまま裂け谷に寄って、そこからまた緑葉の森に行くことになります。ギムリはやっぱりレゴラスん家に寄るのを渋りますが、引っ張られていったのでしょう。合掌。
ヴァロマ編は、ヴァロマが引きこもって全然しゃべってくれないので、代わりにお父さん登場。
案の定ガイアは大雨洪水警報発令中のようです。
しかしこれ、2004年〜2005年の一月中に読むと、ちょっとしゃれにならない感じですが、災害を揶揄する意図は一切ございません。台風、地震、津波で被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます
戻る