「じゃあ、まずはレイシアンを歌うね」
◎ レゴラスのエルフ語講座一日目 ◎
旅の仲間のための屋敷は第七階層の一角に用意されている。洞窟で暮らすことを好むドワーフのギムリや、高くても一階までしかないというホビット穴に住むフロドたちは皆一階の部屋を選び、わたしとレゴラスはありあまっている二階の部屋のなかで一番広いところを使うことにした。
アラゴルンの戴冠も住んだある日のことだった。
わたしがエルフ語がわからないということにようやく気付いたレゴラスは(と、いうよりもわたしとしては普通に日本語で話しているつもりなのだけど、彼らの耳には西方共通語に勝手に翻訳されているようなのだ。よって、話す分には困らないが、読み書きができるわけではないし、エルフ語にいたっては、さっぱりわからないのだ)わたしにエルフのことを教え込もうと決意したらしい。
闇の森のお父さまに手紙を書き終えると、レゴラスは嬉々として冒頭のセリフを言った。
だけど、いきなり歌?
「歌はいいんだけど、多分内容とか、ほとんどわからないと思うんだけど……。言葉を覚えるのなら、簡単な会話とか、よく使う言い回しとか、そっちの方からはじめた方がいいんじゃないの? わたしはいつもそうしているのよ。あとは基本的な発音の仕方とか。文字にしたって、何度も書いて練習しなくちゃいけないでしょう?」
わたしは困って眉を寄せた。
レゴラスの歌は好きだけど(これがまた綺麗な声してるのよね)言葉を覚えるには不適当だと思う。覚えるだけならできるだろうけど、日常生活で使うとはとても思えない。それに、ある程度言葉を理解してからでないと。
わたしがそう言うと、
「へえ、そうなんだ」
レゴラスは感心したように頷いた。
「レゴラス、あなた、ひとにエルフ語を教えたことって……」
「初めてだよ。あ、野伏になりたてのアラゴルンに虚実取り混ぜてイロイロ教えたことはあったけど。アラゴルンはね、裂け谷でエルフのことも、シンダリンやクウェンヤのこともしっかり教え込まれていたんだけど、シルヴァンエルフのことは言葉も習慣もあんまり知らなかったんだ。だから私や父上が森エルフの流儀っていうものを教えてあげようと思ってねー。まあ、五年もしたら彼も騙されてくれなくなったけど」
あっはっは、とレゴラスは笑った。
……虚って、なんだろう。虚って。それに、騙されなくなったって……。
何教えたのかしら。今度アラゴルンに聞いてみよう。
「で、簡単な会話って、具体的にはどういうものを教えればいいの?」
レゴラスは首を傾げた。その弾みで金色の髪がさらりと肩から滑り落ちる。こうしていると、とっても神秘的で綺麗なんだけどね、レゴラスって。などと考えながら、わたしは答えた。
「まずは自己紹介と、こんにちは、ありがとう、さようなら、が言えれば何とかなるものよ。あとはおいおいと」
「ああ、それなら簡単だよ。えっと、そうしたらエルフの言葉にもいくつか種類があるんだけど、日常会話として一番使われるシンダリンを教えるね。自己紹介のするときは、名前の前に【イム】って付けるの。イムは「私は」ってこと。もし出身地もつけたいのであれば、その後に【オ】を付ける。はガイアの出身だから「オ ガイア」だね。それから、名前はエルフ語のものがあればそっちを名乗った方がいいと思う。好みの問題だけど」
「イム アルフィエル オ ガイア?」
「そうそう」
よくできました、とレゴラスは笑った。
「こんにちは、は【マエ ゴヴァンネン】。丁寧な言い方がしたいときは【レー
スイロン】。親しい相手に砕けた感じで言いたい時には【ゲン スイロン】」
わたしはレゴラスの後に続けて言った。
「ありがとうは【ハンノン レ】。さようならは【クィオ ヴァェ】」
またわたしが続けて言うと、レゴラスはちょっと首をかしげ、何度か同じ言葉を繰り返した。
どうも発音がいまいちのようで、そのあとは発音練習に変わった。
一時間くらいずっと練習して、今日はエルフ語はここまで、ということになった。
最後にレゴラスは何か企んでいるようなうそ臭い爽やかな笑顔でこんなことを言った。
「あのね、これから簡単なエルフ語を言うから、それが何か当ててみて。今日は多分わからないと思うけど、毎日勉強が終わったあとに言うから、わかったら答える。正解したらご褒美をあげるから。ね?」
「ご褒美って?」
「それは秘密」
晴れやかで美しいその微笑みを向けられると、わたしはいつも何も言えなくなる。
うーん、弱いなあ、わたし。
「それで、問題は何?」
「これだけだよ。【アニロン ヴェレスリーン】」
わたしは少し考えてみたけれど、今日の授業は発声がほとんど。よって。
「……わからないわ」
「ん、じゃあまた明日ね」
そのあとは二時間くらいエルフの歴史を聞かされて、二時間くらい歌を聞かされた。
◎ レゴラスのエルフ語講座二日目 ◎
朝食の後、レゴラスの姿が見えないなあと思っていたら、大量の羊皮紙と羽ペンを持ってきた。
「今日は文字を教えるから」
そういってさらさらと羊皮紙に書き付けるとわたしの方に寄越した。そこには五十音表のように(それよりは少ないけど)文字が並んでいる。そしてアルファベットに比べれば、ずいぶん丸い文字だと感じた。
「文字にはそれぞれ名前があるから、一つずつ覚えていってね。あ、文字の名前はクウェンヤだけどね。これはにあげるから、やりやすいように書き込んでいいよ。
じゃ、一つめから、
ティンコ、
パルマ、
カルマ、
クウェッセ、
アンド、
ウンバール、
アンガ、
ウングウェ、
スーレ、
フォルメン、
ハルマ、
フウェスタ、
アント、
アンパ、
アンカ、
ウンクウェ、
ヌーメン、
マルタ、
ゴルド、
ングワルメ、
オーレ、
ヴァラ、
アンナ、
ヴィルヤ、
ローメン、
アルダ、
ランベ、
アルダ、
スィルメ、
逆スィルメ、
エッセ、
逆エッセ、
ヒャルメン、
シンダリンのHW、
ヤンタ、
ウーレ。これが子音で、母音は別にある。
ア、
エ、
イ、
オ、
ウ
こっちはテフタと言って、シンダリンで書く場合には次の子音の上に書くんだ。子音が無い場合には縦線を書いてその上に書く」
わたしは羊皮紙を一枚取ると、書き取りを始めた。発音の練習も同時にする。
レゴラスは横から眺めているだけだったので、部屋の中はカリカリとペン先が紙を引っかく音と、わたしの声だけが響いた。
これはさすがに時間がかかったので、今日はこれだけだった。
最後にまたレゴラスは聞いてきた。
【アニロン ヴェレス リーン】
やっぱりわからない。
◎ レゴラスのエルフ語講座三日目〜五日目 ◎
三日目ははじめに発声の復習と文字のおさらいをしてから次のステップに移ることになった。
新しい言葉はよく使いそうな名詞、動詞、形容詞を主に毎日十数個ずつ覚えようということになり、声に出しながら書き取りをする。
文法はその後に一時間くらいだろうか。
一番初めにレゴラスが教えてくれた綴りは「レゴラス」だった。……いいんだけど、どうしてこの人はこう子供っぽいのだろう。
その次はわたしの名前だったけど。まあ、とにかく少しずつわかるようになってきて、こうなると楽しくなってくるものだ。
でもレゴラスはそうじゃなかったみたい。
書き取りをしているとわたしがまったくレゴラスに構わなくなるので、おもしろくないようなのだ。
じーっとわたしが書き取りをしているのを眺めていたかと思うと、小さな声で歌いだしたりする。これはBGMになるので別に構わないのだが、うろうろと歩き回ったり、わたしの髪の毛をいじってきたりされると、さすがに気が散ってしまった。
しかし、五日目の今日のこと。
「ー」
「うっきゃああっ!」
レゴラスが後ろから抱き付いて耳に息を吹き込んできた。
「あー、インク壷が〜!!」
びっくりした拍子にインク壷を倒してしまったのだ。
慌てて戻そうとしたが、すでに中身は空っぽ、机も羊皮紙も真っ黒だ。
「レゴラス〜!」
「ごめんなさい!」
よくよく見ると、手やドレスもあちこち汚れてしまっていた。
わたしが絶叫すると、レゴラスは首をすくめて謝ってきた。
と、
「、大丈夫!?」
ばん、と部屋の扉が開き、ホビットたちとガンダルフ、ギムリが飛び込んできた。
どうやらわたしの悲鳴が聞こえたみたい。
だけど説明するよりもわたしと机の上の惨状を見て、皆、何が起こったかわかったらしい。
ガンダルフはわたしにお風呂に入ってくるようにと言い、レゴラスには机を綺麗にするように命じた。
お風呂から戻ってくると、部屋の中にもう一つ机が増えていて、レゴラスはそこで何かを書いていた。ギムリとホビットたちがお茶を飲みながらそれを見ている。
「何してるの、レゴラス」
わたしが覗き込むと、
「ミスランディアが、『の勉強の邪魔はしません』って百回書けって……」
「で、ぼくたちはレゴラスが逃げ出したり誤魔化したりしないように見張ってる役なんだー」
しょんぼりするレゴラスとけらけら笑うホビットたち。思わず噴出してしまうと、レゴラスが恨めしそうにわたしを見上げてきた。
「自業自得よ、レゴラス。あなたが邪魔したらいつまでたってもエルフ語、覚えられないもの。それとも覚えなくてもいいの?」
「覚えて欲しいけどー、書き取りしてるとは私のこと見てくれないんだもの。つまんないよ」
「無茶苦茶言わないでよ」
わたしが呆れていると、ギムリが、
「、ガンダルフから伝言があるよ。『このエルフが邪魔してくるようなことがあったら、そのたびに百回ずつ増やして反省文を書かせなさい』だそうだ。良かったね、レゴラス。やることがあればあんたも退屈しないだろう」
ギムリが笑うと、
「ひどいよ、ギムリ〜」
レゴラスは涙目になった。
ところで、わたしはこの日、ようやく【アニロン ヴェレス リーン】の意味を理解したのだけど。
どう解釈したらよいのか、いささか悩んでいる。
レゴラスはわたしに不満が……あるんだろうなあ。
わたしのレゴラスとナセに対する「好き」な気持ちは別物で、どっちがどれだけ多いか比べられるものじゃない。
でもレゴラスにしてみれば、ナセが好きなわたしは、やっぱり嫌なのだろう。だけどこんなこと言うなんて……どうしたらいいのだろうか。
どうしたら、彼の望みを叶えることができるのだろう。
悩んだけれど答えは出なくて、とりあえずわたしは百回反省文を終えたレゴラスに正解を耳打ちした。
指輪戦争のどんな合戦を終えたときより疲れたような顔をしていたレゴラスは、途端にぱっと明るくなってわたしを抱きしめてきた。
「当たり。じゃ、ご褒美あげないとね」
レゴラスはギムリたちを部屋から追い出すと、わたしを横抱きにして寝室に直行した。
え? え? え?
「っちょ、ちょっと、待って、これがご褒美!?」
「そうだよ〜」
「ま、毎日やってるじゃない!」
さすがに大声で言うのは恥ずかしかったので、声を潜めると、
「うん、だからいつもより多めにしてあげるから」
レゴラスはしてやったりとにやりと笑う。
冗談じゃない、「いつも」レベルでもかなりふらふらになるのだ。これ以上されたら起き上がれなくなる。
「いいっ! ご褒美いらない!!」
「やだなあ、が自分から言ったんじゃないか」
「!!!」
その一言で、わたしはようやく彼の罠を理解した。
そ、そういう意味か!
気付いた時にはもう遅い。
抵抗するわたしを羽交い絞めにして、レゴラスはわたしの口を塞いできた。
【アニロン ヴェレス リーン】
(私はあなたの愛が欲しい)
あとがき
ネタが浮かんだと同時に、頭の中には某THE虎○竜の「ロード」が駆け巡りましたよ。
ロード違いですが。
マナシさまからのリクエストその2「私(管理人)の好きなエルフとエルフ語の勉強」でした。
や、わたしが一番好きなエルフは、今んとこスランドゥイル王様なんですが、ちょっとシチュエーションが思い浮かばなかったのでレゴラスに…
エルフ語は伊藤先生の本やシルマリルの物語下巻の巻末、終わらざりし物語の補注などを読んだり、サイト上でエルフ語を扱っているところを参考にさせていただきました。今回のリク以前から自分でもちょこちょこやっています。テングワールは綺麗な文字だな〜と感心することしきりです。(でももっと詳しいエルフ語の本が欲しい。語彙も文法ももっとやりたいですよ。ああ、この熱意が学生時代に発揮されていたら、英語の成績、もっと良かっただろうに(笑))
作中のテングワールの名前で、「アルダ」というのが2つありましたが、
はardaで「土地」
はaldaで「木」という意味です。
ちなみにシンダリンでレゴラスの名前を書くとこうです。

ヒロインのエルフ語名、アルフィエルだとこう。

アルフィエルの綴りはAlphielなのですが、テングワールは表音文字なためこうなる(はず)です。
戻る