ばらばらと分散していた意識が、一つにまとまってゆく。ヴァロマはゆっくりと目を開けた。
すると目の前には鮮やかに満面の笑みを浮かべながら、真っ黒なオーラを漂わせている美女がたたずんでいた。
「おかえりなさい」
にっこりと、彼女は美しい切れ長の瞳を細めてヴァロマにほほえみかけた。声は頭の芯を溶かすような、甘い響きを帯びている。
「た、ただいま戻りました。母上」
ヴァロマは目の前の人物に気づくや、すかさず笑顔で返した。口元は明らかに引きつっているのだが。
女は優雅な形の唇にさらに深く笑みを刻む。その姿に銘をつけるのならば『慈愛』。
そして女は口を開き、
「ただいまじゃないわよ、この莫迦――!」
と、怒鳴った。
予期していたヴァロマは突風が過ぎ去るのを待つが如く、目をつぶって怒声に耐えた。
「いや、申し訳ないとは思っているんですよ。貴女の苦労は知ってますから。でもひいながどうしているのか、心配で心配で」
「不安だから、心配だから、というのは免罪符にはならないわ。わたくしは前からそう言っていたでしょう? 勝手に別の世界に跳ぶなんて……。自分の立場をわかっているの? 定命の子らが迷い込んでしまうのとは訳が違う。下手をしたら、あちらとこちらで戦争になってしまうのよ!」
女の強い叱責にヴァロマは肩をすくめただけだった。
「わかっていますよ。わたしは世界の作成者の一人ですからね。縄張り争いが起こるから、他世界への干渉は一切厳禁。ただ貴女のみが唯一の例外……。わかっていますよ。頭では」
「感情は別とでも言いたいの? 言い訳は無用よ。あなたはあの子だけでなく、わたくしたちすべてを危険にさらした。しばらくの間、力を行使することを禁じます。もちろん彼女との誓約も解除するわ」
「ちょっ……! 待ってください。そんなことをしたらひいなの護りが」
ヴァロマが反論しかけるも、女は聞き入れなかった。
「もともと現状では届いていないわ。あなたが向こうで何をしてきたかは大体想像つくけれど、気休め程度のことしか出来なかったでしょう? 今のあの子は誓約が解除されても気づけない。だからこれを罰だと思うのはあなただけなの。前に言っていたじゃない。生きているということしかわからないのはかえって怖いって。そういう意味ではこれって恩寵だと思うけど?」
女の本気を感じ取り、ヴァロマは焦った。
「冗談ではありませんよ、何が恩寵ですか! ひいなは死ぬ気になってるんですよ!? おまけにエルフとかいう妖精族の男が二人、あの子を狙っているんです。場所はわかったのですから、早く迎えに行きましょう。その後だったらいくらでも罰を受けますから!」
そう言うと、ヴァロマは女に手を差し伸べた。女は厳しい表情でその手を取ると,一瞬強く目を閉じた。
「あの子らしいといえば、この上なくあの子らしいけれど……どうしてそこで旅を続けるという結論になるのかしら」
頭が痛いというように、額を押さえて女は呟いた。ヴァロマを通して、女もミドル・アースの情報を得たのだ。
がどのような目にあったのか。誰と出会い、何を話したか。何を考え、何を決めたか。
女の様子にわが意を得たりとヴァロマは力強く説得する。
「そうでしょう? わたしが見たところ、花の夢見る国は留まるには悪くない地でしたよ。たとえ指輪破棄が失敗したとしても、母上が着くまでには十分持ちこたえられるでしょう。正直、彼の世界の現状を知って、気の毒だとは思いました。あの「身の毛のよだつ者」も、わたしからすれば敵ではないですし。だけど、手出しするわけには行かないではないですか。それこそ、あちらの「世界の諸力」たちとわれわれ「世界の作成者」とで、どちらかが滅びるまで戦わなくてはならなくなりますからね。だから何とかしてやりたいとは思ったけれど、我慢して指輪も壊しませんでしたし、どうしてくれようと思ったけれど、緑葉にも木の下闇にも何もしませんでしたよ」
釘は刺しておいたけれど、と澄まして最後に小さく付け加えた。そしてややあってから、ヴァロマははふ、と大げさにため息をついた。
「でも、きっとひいなは行ってしまうのだろうな……。こんな時に傍観することもできないなんて……辛いです」
緑葉→レゴラス
木の下闇(このしたやみ)→ハルディアのこと。
ハルディアの名前訳はちょっと無理やり感がある。
前へ 目次へ 次へ