歌い終わったわたしは心身ともに疲れてしまって、マダムに抱えられるようにして楽屋に戻った。
舞台に立っている間、もしかしたらエンジェルの姿が見られるのではないかという期待を持ったのだけど、それらしい姿はちらりとも見つからなかった。
残念だったけど、エンジェルはどこかで聞いていてくれたと思っている。
ああ、早く一人になりたい。
そうすればきっとエンジェルが現れてくれる。
「?」
「え?あ……」
はっと気がつくと、マダムが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「大丈夫?顔色があまりよくありませんね」
「ちょっと疲れてしまっただけです。大丈夫ですわ」
無理に微笑んでみせると、マダムは黒いリボンが結ばれてある一輪の薔薇を差し出してきた。
これは……
「そう。なにしろ急でしたからね。だけどとても良かったわ。あの方もきっとお喜びになっていることでしょう」
「マダム、これ……!」
「あなたへよ。あの方からね」
「どうして、マダムは知っているんですか!?」
マダムは答えてくれなかった。
かわりに、新支配人たちが声をかけにくるから仕度を整えて置くように言って楽屋から出て行った。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
かちりと小さな音がして、誰かがドアを開けた。
「『小さなロッテは考えた。わたしの好きなものはお人形かしら?』」
扉から入るなりラウルはいたずらっぽい目で子供の頃のお気に入りのお話を口にした。
腕には大きな花束を抱えている。
「『それとも靴かな?なぞなぞかな?』」
「ラウル」
わたしは彼がわたしのことを覚えていたことが嬉しくて、思わず駆け寄った。
「わたしが一番好きなのは音楽の天使さまが頭の中で歌ってくださることよ!」
わたしとラウルは顔を見合わせて明るく笑った。
「久しぶりだね、。今夜の君はとても素晴らしかったよ」
「ありがとう、ラウル」
「新たなる歌姫に」
芝居がかった調子で恭しく花束を差し出した。
くすくすと笑ってわたしはそれを受け取る。
色鮮やかな花と、芳しい香りにしばしうっとりとなった。
今日はなんてい幸せな日なのかしら。
代役は成功。ラウルとの再会。この後はエンジェルがきっと褒めてくださるわ……。
「だけど驚いたよ、カルロッタ嬢の代役が君だって、しばらく気がつかなかったくらいだ」
「まあ、ひどいわね。わたしはすぐに気がついたのに」
「ああ、ごめんよ!」
わざとすねたように言うと、ラウルは本当にすまなそうな顔になった。
こういうところは、ちっとも変わっていない。
「今日はおじさんも聞きに来ているのかい?」
わたしは首を振った。
「父はもうずっと前に……。だけど亡くなる前に父は言ったの。『私が死んで天国に行ったら音楽の天使を送るよ』って。父は約束を守ってくれたわ。今日、わたしが成功できたのもエンジェルのおかげなの」
ラウルは微笑んで、
「きっとそうに違いないよ」