翌朝、楽屋に入るとエリックの姿はなかった。
どうしたのだろう。
姿が見えると不安なのに、見えないともっと不安で……。
なにかが起こって来られないのだろうか。
それとも、言いつけを守らなかったわたしなど、もういらないと見限ったのだろうか。
しんと静まった楽屋がかえって恐ろしい。
「エリック」
思わず呟くと、返答のように悲しげなため息が聞こえた。
「またやってくれたね、お前は」
「エリック!?」
きょろきょろと見回したけど、やっぱり中にはいない。
壁の向こう側にいるに違いなかった。
「どうして今日はこちらにいらっしゃらないの?」
「お前のためだよ、」
「わたしのため?」
「そうとも、今の私がお前に手の届く所にいたら、怒りにまかせてどんな手荒なことをしてしまうかわからないからね」
「え……?」
エリックの声は少しも怒っているようには聞こえなかった。
ただ悲しげで、とても疲れているようだった。
だけど声の調子で、やはり彼が深く強く怒っているのだというのがわかるのだ。
「それは……やっぱり、あの……」
「私に隠れて何かをしたいのなら、私以上に姿を隠す能力を身につけることだ。オペラ座の噂スズメどもがやかましくさえずっていたよ。ラウル・ド・シャニー子爵が、・をお姫様のような格好にさせて、連れ出したってね」
エリックはわたしの言い訳を途中でぴしゃりと遮り、皮肉の入り混じった笑いを浮かべる。
「あ……」
自分の愚かさに顔が赤くなった。
一瞬、エリックが本当に魔法を使ってわたしがラウルと出かけたのを知ったのかと思ったのだ。
「オルゴールなどよりも、高価なドレスの方が良かったかい?言ってくれれば用意したよ。これでも流行は熟知しているから君に似合うものを作ろうか?それともわかりやすくラ・ペ通りにでも行くかい?」
ラ・ペ通りにはクチュリエ界の大御所、ウォルトの店がある。
王室や上流の中でも特に特権的は婦人たちにしかドレスを作らないのだ。
この店のドレスはデザインも仕立ても超一流。値段もそれに見合うだけの高価なものだ。
痛烈な皮肉にわたしは泣きたくなった。
「そんなことありません。オルゴールはとても気に入っているわ。わたしが毎日あれを聞いていることを知っていらっしゃるでしょう?あんなに綺麗なものを作れるなんて、あなたは本当に素晴らしいわ」
「心にもないことを言うのはやめてくれ。それにその作り笑いも。恐怖に怯えた顔をされるほうがまだマシだ……!」
「ひどいわ!わたしは本当のことを言っているのに」
確かにわたしはエリックのあの顔を、受け入れているとはいえない。
だけど彼の才能や彼が作り出す作品に対するわたしの賞賛に偽りは一欠けらもない。
彼は素晴らしい人だ。
だが、それだけでは駄目なのだろうか。
彼の姿も激しすぎる気性も、すべて受け入れなければ彼は満足しないのだろうか……。
