わたしは指輪を引き抜いた。
これを持っていることはできない。
エリックの花嫁にはなれないわたしが持っていていいものではない。
立ち上がると、小船はわずかに軋んだ。
「すぐに戻ってくるから……。待っていて。ラウル……」
ラウルはなにも言わなかった。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
濡れたドレスの裾を引きずり、わたしはもと来た道を引き返す。
石の床に疲れたように座り込んだ男が一人。
……なんて悲しい光景だろう。
泣きたくなるのを堪えて、わたしはエリックの前に立った。
エリックは顔をあげない。
わたしはかがみこんで彼の手を取り、指輪をその手の平に乗せた。
ぴくりと指が動き―エリックはそれを握りしめた。
わたしは彼への思慕も哀れみも、すべて振り切り、その場を後にした。
散々に味合わされた苦痛の恐怖は小さく固まり、記憶の奥へ。
ファントムは消え、音楽の天使であるエリックが胸の中に息づき始める。
それは生涯消え去ることはないだろう。
「、愛している」
足が止まった。
聞こえたかどうかという小さい声。
振り向いて、駆け寄って、今の言葉は本当に言ったのかと聞いてしまいたい。
だけど、わたしにはもう、そんな資格などありはしない。
わたしは歩き出した。
前だけを見詰め、わたしを待っているラウルのもとへ。

