注:スランドゥイル結婚後の話です。(結婚後である必要がある話だったかどうかはよくわからんけど)
外へ出てみた。
用事など特にない。ただ窓から流れ込んできた大気が香しかったからだ。
スランドゥイルは目的地も定めぬまま、足の向くままに歩いた。中心地を抜ければ背の高い木々が枝を広げ、思う存分陽光を浴びている。
光は葉が落ちた枝の間から大地に降り注ぎ、溶けた残雪が大地を湿らせている。その黒っぽく水を含んだ土の間からは地面を這うような葉が芽吹き始めていた。
水と土と草の香りが混じる風を受け、スランドゥイルは目を細める。
春、夏、秋、冬。
それぞれの季節にはそれぞれの良さがあり、どれが一番かなどと比べても仕方がないが、これより育え生じ、広がろうとする旺盛な生命の意欲が肌で感じられるこの時期は心が浮き立つものがあった。
「こんにちは、公子さま」
軽やかなさえずりとともに小鳥が一羽舞い降りた。それは慣れたようにスランドゥイルの頭にとまる。
スランドゥイルは目をあげたが、小さい生き物は頭の天辺にいるため、姿は見えない。
「アルエトか。息災のようでなによりだ」
声を頼りに記憶を掘り起こす。
「うれしい、わたしのこと覚えていてくださったのね」
ひばりは嬉しげに鳴いた。
「わたしたち、きょうだいが多いから、大きい方たちは見分けがつかないことが多いんですもの」
スランドゥイルは苦笑した。
「確かにな。私もそなたの声を聞かねばそなたのきょうだい達と見分けがつかなかっただろう。なにしろ色も形も似通っている故」
そうね、わたしたちも大きいひとたちはあまり区別がつかないわ、とアルエトは言いながら、スランドゥイルの頭の上をぴょんぴょん飛び跳ねた。小さな爪がひっかかる感触がむずがゆい。だがスランドゥイルはラークとアラウダの裔たちが彼の金髪と戯れるのを黙認していた。底抜けに明るいこの小鳥の一族たちは、彼のお気に入りなのだ。
「もうじき巣作りか?」
問うとアルエトはひょいと肩に降りてきた。
「いいえ、もう少し暖かくなってからでないと。まずは相手を見つけないといけないし」
「そういえば、そなたは昨年最後の仔だったな」
ひばりは一年の間に何度か卵を孵すのだ。昨年最後の抱卵で産まれたアルエトは、巣立ってから最初の繁殖期に入っていない。
「ええ。いいひとが見つかるといいんだけど」
不安半分期待半分というような声音で小鳥は言った。
「そうだな」
小さな生き物は入れ替わりが激しい。一年しか寿命が持たぬことも珍しくなく、さらには事故や病で一年も持たないことも多かった。ラークとアラウダの裔たちとは、何百、いいや何千という数と出会ったが、一度しか会ったことがないものが大半だ。
彼らは弱い。
だが彼らの種そのものは弱くはない。連綿と続く命がそれを証明している。
とはいえ個の持続力の強くなさは時としてスランドゥイルの心に小さな棘が刺さったような思いを与えた。この陽気なおしゃべり屋とも何回会えるのか、たとえこの上なく気があったとしても、そのつきあいは持って数年だ。エルフにとってはほんのわずかな間だけ。すぐに失われてしまうのだ。
「公子さまは今日はお散歩ですか?」
「ん? ああ……」
アルエトの声にスランドゥイルは物思いから引き戻された。
「そうだな、特に目的があるわけでは……」
言いかけて、彼は口をつむぐ。アルエトはきょとりとして小首を傾けた。
「そうだ、探しものがある。もしやそなたは知らないかね?」
スランドゥイルが探しものの名を告げると、アルエトは快活に知っていますと答えた。
アルエトの先導でスランドゥイルは先へ進んだ。しばし歩いてたどり着いたのは、ぽっかりと開けた空間だった。森にところどころある木の少ない天然の広場で、空を覆う枝葉がないぶん、丈の高い草が生える。いまはまだ茶色く枯れて地面に倒れ込んているが、よく見ると若草色の草の葉が枯れ草の間から顔を出していた。
そしてそこをよくよく見てみると――。
「ああ、確かに」
スランドゥイルはアルエトに礼を言って微笑んだ。
「エレナ、でかけるぞ」
「どうした、急に」
館に戻ったスランドゥイルはエレナの部屋に飛び込んだ。彼女は侍女たちとのんびり歓談していたようだった。
「いいから行くぞ」
ぐいと手首をつかんで立たせれば、彼女はやれやれと眉根を寄せた。
「痛いぞ。もっと緩めてくれ」
「すまない。……来てくれるか?」
エレナはふっと微笑む。
「来いといったのはそなたであろうに。いいよ、どこへ?」
「まだ言えない」
「ふうん?」
あえてその秘密に乗ってやろうというように、エレナは面白げな顔になった。二人は並んで館を出る。
外へ踏み出すとエレナの髪は日の光を受け、急激に輝きを増した。雪が太陽の光でより白く見えるように、彼女もまた白さを増しているようだった。髪を一房編んで額飾りのようにぐるりと巻き付けているが、本物の銀線を編んだように見える。この髪には冬の間、常緑の葉か数少ない木の実しか飾られていなかったのだ。
まぶしさに目を細めると、エレナはまじまじとスランドゥイルを見つめた。と、腕を持ち上げたかと思うと、彼女はスランドゥイルの肩にかかっていた髪を握った。
「どうした?」
「いや、なんだかこの色がとても暖かそうに見えてのう」
本当に温度差があるかと思って握ってみたのだとのんびりした口調でエレナは答えた。
「そんなわけがあるか。……行くぞ」
なんとなく照れくさくなったが、悟られないよう顔を引き締める。エレナはにこにこしていたので、無駄だったようだが。
それから指を絡めるように手をつなぎ、スランドゥイルは元来た道を辿った。時折足をとめてはたわいもない話をする。
たっぷり寄り道をしながらスランドゥイルはようやく目的の場所に到着した。
「ほら、そこだ」
エレナはスランドゥイルが指さす方向に顔を向ける。そして彼がなにを見せたかったかを理解して、彼女は目を輝かせた。
「スノードロップ! ようやく咲いたのだね」
「ああ、このあたりは日当たりが特に良いらしいな」
春に先駆けて咲く花はいくつかあるが、これはその一つだった。ほっそりとした葉と茎に繊細な白い花をつけた花がまだ寒さの残る風の中、凛と花を開かせていた。咲いているのはまだ一輪だけで、周囲にはほころびかけた蕾をつけたものがいくつかある。
季節の花を冠に仕立てて飾る公妃のために、アルエトにどこかに花が咲いていないかと訊ねたのだ。そして案内されたのがここだった。
「毎年思うが、この清らかな白さは本当に美しいのう」
ドレスに土がつくのも構わずに、エレナは膝をついて花を眺めた。
「そうだな。気が済むまで眺めたら、髪に飾ろう。白ではエレナの髪の色に紛れてしまいそうだが」
エレナは振り返り、スランドゥイルの手を握った。
「いいや、スランドゥイルよ。まだ一輪しか咲いていないのだから、摘んでしまうのはもったいない。もう少し待てばそこここに絨毯のように花々が咲き誇ろうに。そうしたらわたくしたちも彼らから色彩をわけてもらうのに気兼ねをすることはなくなるよ。そう、なにも急ぐことはない」
「そうか」
はしゃぎすぎをたしなめられたように感じられ、スランドゥイルばつが悪くなった。
エレナは立ち上がり優しく微笑む。
「今春最初の花をそなたと見られて嬉しいよ。教えてくれてありがとう」
そして彼女は最愛のひとの頬に唇を寄せた。
あとがきは反転で。
ひばりの生態をちゃんと調べてみたら、草原とか荒れ地とか、つまり大きな木があんまりないところに住む鳥なのだそうだ。…あれ?
いやいやでも、緑森にも開けたところはあるだろうし、そのあたりに巣を作っているということで!
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