目が覚めたら身体が固まって動けなかった。
 一瞬ぎくりとしたが、すぐに思い出す。
(そういえば、エリックと一緒に寝ていたんだっけ……)
 昨夜の――時刻でいえば今日なのだが――出来事を思い出すと、自分の大胆さに顔から火が出る思いだった。
 一緒に寝ようだなんて、誤解されても仕方がない。さすがに身体をまさぐられた時には心臓が止まるかと思った。止まらずにかえって激しく動いてはいたけれど。
 だが、あんなに憔悴した様子のあの人を放ってはおけなかったのだ。
 夢は夢でしかないとしても、それは確実に彼を責め苛み、追い詰める。
 エリックの内には、時を経ても尚、塞がらない傷があるのだ。
 わたしが知っている事など、氷山の一角に過ぎない。
 そんなわたしが、彼の痛みを癒したいと思うのは、傲慢な願いに過ぎないのだろうか。
 タイムスリップをしたという、稀有な経験こそしてはいるものの、さしたる苦労もしていないわたしなのだから。
 とはいえ、地上の迫害から彼を守るほどの力はないだろう。
 しかし、せめて夢の中くらいは穏やかなものにできないだろうか。
 一緒に寝るくらいのことにそんな力があるとは思っていないけれど、目が覚めた時に一人でないとわかれば、ちょっとは安心するんじゃないかと思ったのだ。
 そしてエリックは、どうやらうなされることなく、ぐっすりと眠り込んでいるようだ。
 良かった……。
(……のはいいんだけど。少し腕の力、緩めてくれないかな)
 エリックはわたしの首と腰に腕を回してぎっちり抱えているので、思うように身動きがとれない。
 わたしの体感時刻では、多分もう起きなければならない時刻を過ぎているはずなのだが、この調子ではエリックを起こさずにベッドを出ることは不可能のようだ。
 いや、昨夜のことがことなので彼が目覚めるまでここにいてもいいのだけど、一回お手洗いに行きたい……。どうしたらよいのだろう。


 結局、どうにも我慢ができなくなってエリックの腕をはがそうとしたせいで彼は目を覚ましてしまった。
 朝の挨拶もそこそこに、洗面所へ向かう女というのは、さすがに色気にかけるというものだろう。
 戻ったときにはエリックの姿はなかったのだが、ベッドが綺麗に整えられていた。自分の手でされたのではないそれは、妙な気恥ずかしさを起こすものだった。


☆  ☆  ★  ☆  ☆



 その日の夜。
 時計の針は十二時を回り、寝る準備をしていたところをノックされた。
「はあい」
 エリックがこんな時刻に来るとは珍しい。まさかまた悪夢を見てうなされたというのではなかろうなと冗談半分に思いながら扉を開けた。
 そこにはわたしと同じくパジャマにガウンを羽織ったエリックが立っていた。
「まだ起きていたのか」
 声はどこか固い感じで、眉間には深いしわが刻まれている。
「どうかしたの?」
 本当にまた何かあったのかと思ったのだが、わたしの予想に反してエリックはこんなことを言い出したのだ。
「今日も一緒に眠っていいかね?」
「……はい?」
 聞き返してしまったのは、言われた事が信じられなかったせいだ。聞き取れなかったからではない。
「……嫌かな」
 ぼそり、とエリックは呟く。
「え、えーと……。どうしたの、急に」
 本当にうなされたのだろうか。しかし、エリックはまだ寝ていないはずなのでそんなことあるわけがない。
「心細いんだ」
 エリックは苦悩している様子で視線を床に落とした。
「……」
「悪夢を見た次の日は、眠らないようにしていたのだ。眠ればまた夢にうなされる。だからいつもなら夢を見なくて済むようにくたくたになるまで、何日も起きているようにしているのだ。だが……」
 エリックはふっと表情を緩めた。
「今朝は、悪夢をみた直後だったというのに、そうならなかったのだ。あんなに穏やかな気持ちで目覚める事ができたのは初めてかもしれない。人の体温があれほど心地よいものだとは知らなかったよ」
「そ、そうですか……」
 やばい、と反射的にあとずさった。
 いや、役に立てたのは良いのだが、『じゃあ続行しましょうか』で済む問題ではないのだ。
 いくらわたしだって、そこまで鈍くはない。
 心細いというのは嘘ではないかもしれないが、絶対別の目的があるだろう。
 この申し出を受けたのならば同衾が日常化し、そんでもってそのうち既成事実を作られることは確実だ。
 しかしそれはあんまりではないか。わたしにだって一応、希望するシチュエーションというものがあるのだ。
 こんななし崩し的になんて……。
「嫌か?」
 わたしがあんまり答えないので、エリックは断られたと思ったようだ。俯いて肩を落としてしょげている。それがあんまり悲しげなので、心がちくちくと痛んだ。
「嫌なのだね。すまなかった迷惑をかけて。自分の部屋で休むよ。お休み、
「あ……」
 勝手に結論を出してエリックは去ろうとする。
 わたしはとっさに手を伸ばしてガウンの袖をつかんだ。
、どうかしたのかい?」
 エリックは足を止めて振り返った。その目は……くっそう、笑っていたのだ!
 ああ、もう、わたしの馬鹿馬鹿馬鹿!
 演技だったんだ。全部全部演技だったんだ。
「……昨日の仕返し?」
「仕返し? 仕返しされるようなことをしたのかね? 私は純粋に感謝しているし、できれば今後もその恩恵に浴したいと思っているだけなのだが」
 恨みを込めて睨みつけたが、エリックは白々しいほど空とぼけた
 昨夜のような時はともかく、弱っていない彼は、わたしなどに振り回されたりはしないのだ。
「わたしが眠ったふりをしてたの、怒ってるんでしょう?」
「おや、お前は眠ったふりをしていたのか? 気がつかなかったな」
「……うそつき」
 しっかり気がついてたじゃないの。
「それで? 。部屋に入れてくれるのか入れてくれないのか、どちらなんだい?」
 エリックは畳み掛けてくる。
「うう……」
?」
 エリックはひょいと肩をすくめて背をかがめた。
 耳元で囁くなぁ!
「きょ、今日は駄目! またうなされたら来てもいいけど! だってほら、わたしのベッドって二人で使うと狭いし、エリックも窮屈だったでしょう? だから、ね、ね?」
「なるほど。なら、私の寝室を使おう」
「……!」
 ようやく見つけた言い訳も、エリックの直球に打ち返される。
 わたしの慌てぶりに彼は意地悪そうに笑っていたが、ややあって表情を改めた。
。嫌ならば嫌だと言ってくれ。無理強いするつもりはないから、そう言ってくれさえすれば、私はおとなしく引き下がるよ」
 その声音は思いやりに満ちている。
「……別に、嫌ではないけど」
 恥ずかしくて顔を背けたまま渋々と答えると、エリックが笑ったような気がした。


☆  ☆  ★  ☆  ☆



 エリックの部屋に入る事自体がまれなのだが、彼の部屋は彼の聖域同様、かなり散らかっている。
 だが空間の大部分を占める大きなベッドは、二人の人間が寝返りをうっても落ちないくらいに広かった。
 しかし、勢いのあった昨夜はともかく、素面で同衾するのは大分勇気がいった。
 ……はっ。もしかしたらこっちの仕返しもされているのか、わたしは。
 せめてもの抵抗にと、エリックに背をむけて横になっていると、髪をなでていた彼の手が腰に伸ばされてぐいと引き寄せられた。
「そんなに期待されては、私としてもぜひとも答えなければいけない気分にさせられるね」
「いえそんなけっこうです。きたいしてませんほんとうです」
 棒読みで返すわたしにエリックは喉の奥で笑う。
 しかしそれが収まると、すがるように後ろから抱きしめられた。わたしの背が彼の胸にくっつく。
「……心配だな」
 エリックはぽつりと呟いた。
 それが本心から案じているように聞こえたので、わたしは不安になってしまった。
 なにか本気で彼の気に障ることをしてしまったのかもしれない。
「エリック?」
 首だけ振り返ると彼は大きくため息をついた。
「こんなに押しに弱いようでは気が気でないよ。全ての男が紳士だというわけではない。思わせぶりに焦らせば、勝手に良いように解釈されるぞ。嫌な時には間髪いれずに逃げるか自分のテリトリーから追い出すことだ。どこかの馬の骨がお前を見初めて言い寄ってきたらどうするつもりだ? やはりお前を一人で外に出すのはやめにしようか?」
 ……まあ、確かにわたしはしょっちゅう一人で散歩には行くけどさ。
 しかしわたしたちが出会った頃、外には出さないと言っていたのはエリックだったのだが、最初にそれを破ったのもエリックではないか。
 外への行き方を覚えたわたしが勝手に抜け出した事もあったけど、発覚後も黙認状態だったし……。
 そんな、今更。
「お前のような女は悪い男にとっては格好の餌食なのだろうな。騙されないように気をつけなければいかんぞ。隙を見せてはならん」
「それって、自分のこと?」
 せめてもの憎まれ口を叩くと、エリックは肘をついて上体を起こす。彼の目が暗闇に光ったように見えた。
「そう思うかい?」
 思いますとも。わたしは力一杯頷いた。
「わかっているのなら――」
 一瞬目がまわったような感じがし、気がついたらわたしは仰向けになっていた。
「もう知らぬ振りをするのはやめてくれ。私の望みを理解していないお前ではないだろう?」










 この後のことは、詳しく説明するまでもあるまい。
 赤ずきんちゃんはお腹をすかせたオオカミに食べられたのだ。





二度目のチャンスは自力で作りました。
が、内心ドッキドキなエリックさんです(笑)
…ちなみに、これはこれということで、本編とは別、ということでひとつお願いします。



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