外に出るのは苦痛だ。
 特に今日のように日差しが強く、暖かい日には。


 太陽は容赦なく我が醜き姿を照らし出して、人びとの目に晒す。
 異様な仮面を少しでも隠してくれるものといったら帽子以外には無く、それはあまりにも頼りなかった。

 これでもまだ若かった頃には誰かの手を借りるなど考えもしなかったから、必要に駆られてこんな日でも外出をしたことがよくあった。
 好奇心と不安、怯える眼差しに囲まれながら道を歩く。
 毎回どれほど勇気をかき集めて踏み出さなければいけないか、余人にはわかるまい。
 今ではこうして人を雇い、衣食住の基本的な品々はその男を通して入手できるようになったので、必要以上に心を軋ませることもなくなった。移動するにも馬車を使える。
 それでも、こうして外に出て、他人と対峙しなければならないことが少なからずあった。
 私の趣味である実験のために調達しなければならないものがあるからだ。
 必要な器具や部品が売っていないために自分で作らなければならないことも多く、金属やガラスを望む形に作ってもらう必要があるからだ。さすがにこういったことは専門の工房に頼まなければならず、またベルナールでは手に負えることではなかったのだ。
 実験の成果は我が館を守る罠やオペラ座中に張り巡らせている仕掛けに転用することもあるだけに、おいそれと扱うことはできない。
 それに今では婦人物を扱う店にも出入りをするようになった。
 これらの店は取り澄ました店員と客のご婦人、そして連れの紳士といった人びとがほとんどな為、どこの店に行くよりもきまりが悪い。
 しかしそんな事は言っていられない。
 大切な同居人である彼女のために、私の目に適う品物を選びたいのだ。
 それが終われば心労でへとへとになるが、彼女が喜んでくれるのなら構うまい。


☆  ☆  ★  ☆  ☆



 用を済ませて店内から出ると、人通りの少ない路地でじっと怒りが覚めるのを待った。
 出来うる限り紳士的に目的を伝えるようにしてはいるが、大抵の相手は私の姿に初めはぎょっとしたように息を飲み、次いで気味悪そうな顔になる。
 次なる態度には二通りに分かれる。
 さっさと私に出て行ってほしいような素振りを見せるか、私の機嫌を損ねないよう無闇にへりくだるか、だ。
 こちらは怯えさせる気などないし、喧嘩を売るつもりもない。
 ただ他の人間を相手にするときと同じように仕事をしてほしいだけだ。
 だがすんなりと私の望みが叶ったことなどなかった。
 それは、今日も変わらない。

 冷静さを呼び戻そうと努めていると、ふいに甘い香りが漂ってきた。
 ふんわりとした優しい匂い。
 菓子などのものではない。これは、花の……。

 ついと顔を上げて匂いの元を探す。
 すると頭上には探すまでも無く満開の花をつけた木が枝を広げていた。
 ハート形の葉と枝先に密集した紫の花の間から木漏れ日が落ちて、地上にモザイク模様を作り出す。
 風は甘く香り付けられ、辺り一帯に春を運んでいた。
 ああ、この花は……。


「ベルナール」
「はい、先生」
 馬車に戻ると御者席で待機していたベルナールは畏まって答えた。
「途中で花屋に寄ってくれ」
「花屋……ですか? 承知いたしました」
 怪訝そうにしながらも、さっきまで私が見ていたものが何か察すると、小さな声で「ああ……」と呟いた。


☆  ☆  ★  ☆  ☆



「お帰りなさい、エリック」
 家に戻ると居間にいた彼女は笑顔で迎えてくれた。
「ただいま」
 こんな当たり前の風景を、どれだけ望んでいたことだろう。
 地下に作られたこの屋敷は明かりを絶やさずにいても陰鬱な印象が残る。
 だがそこに彼女がいるだけで、こうも明るく感じられるとは……。
 未だにこれが我が身に起こったことだとは、信じられない。
「あれ? なにかいい匂いがするみたいだけど?」
 彼女は匂いの元を辿るように鼻を動かした。
「さすがに気付かれてしまうね」
 と、私は後ろ手で隠し持っていた花束を差し出す。
「わ……」
 彼女はびっくりしたように瞬き、次の瞬間、満面の笑みを浮かべた。
「綺麗。ありがとう、エリック。これ、リラよね?」
「そう、お前と同じ名の花だ。普段は花など気にすることはないのだが、あちらこちらで満開だったのでね。ぜひ君に見せたかったのだよ」
「えー、それなら連れてってくれれば良かったのにー」
 ぷう、と拗ねたように頬を膨らませた。こんな可愛いわがままを言ってくれるくらいに、彼女は私に懐いてくれている。それがたまらなく嬉しい。
「おや、これでは不満かい?」
「そんなことはないけど……」
「冗談だよ。今日はもう日が暮れる。花を見るなら明日にしよう」
「それなら夜がいいわ。月が大きい時に。日本では夜にも花見をするのよ。きっと綺麗だわ」
 彼女は名案を思いついたというように、人差し指を立てた。
「夜に?」
「ええ。駄目?」
 小首を傾げ、こちらを窺う。
 そんな彼女にじんわりと胸が温かくなってきた。
 日中の外出をしなくてもいいようにと、気を使ってくれたのだろう。
「駄目なわけがないじゃないか!」
「決まりね。じゃ、わたし、この花を飾ってくるわ」
 スカートの裾を摘んで、彼女はキッチンに向かう。
 私もその後を付いて行った。
 二人で飲むお茶を入れるために。




 我が家には花がある。

 その名は……。






後書き長いです……。

今までヒロインの名前を出さないできましたが、さすがに限界です。
すみません、ギブです。
前回の日常その7エリック視点話はかーなーりー強引なやり方で乗り切りましたが、もうこれ以上は無理だと判断しました。
理由その1としては、リクエストのもので、どうしても名前を呼ぶ必要があるというものがある、ということ。ま、これはリクなのだし、リクエストしてくれた方のお名前を使う、という手もあるにはあったのですが、理由その2として、今後書く日常話で、もうこれは名前を出さないわけにはいかないなーというやりとりがあるからです。
となれば、やっぱ名前は統一した方がよいかな、と。
ちなみにもう1つの案として、名前ではない呼び名を使う、ということも考えていました。どういうものかってゆーと「シィ」というのを便宜的に名前にしようかというものです。
「シィ」っていうのは、[彼女=She]だから(笑)。
…フランス語としてはどういう意味に聞こえるんだろうな、コレ。

今回は予定変更&ご紹介も兼ねて変換なしでやりましたが(変換すると意味がわからなくなる、ということもありますが)次回以降は名前変換をするようにしますので、ご了承願います。

ちなみに彼女、リラさんは漢字では李良と書きます。
指輪夢読んでくださってる方はすでにおわかりでしょうが、私にはムダに名前に拘る性質があるのですが、今回のこの日本人名だけどフランス語でも意味が通る、というコレは、単なる偶然でございます。
李良さんは私がオペラ座を知るずっと以前、10年以上前から李良さんでした。
まだ私が国語辞典と漢字辞典を使ってキャラの名前をつけていた頃、「李」という漢字を使いたいがためにひねり出したものです。
花の方の「リラ」は気にしてなかった……。
まさか10年以上経ってからフランスが舞台の二次創作を書くことになって、そこのヒロインとして動かすことになろうたー、思ってもみなかったですよ。

さらにオマケ。
リラは英語ではライラック、日本語ではムラサキハシドイ。
フランスのシャンソン、(と一般に思われているらしいけど元はドイツの曲)で「白いリラの花がまた咲く頃」というものがあるのですが、日本ではリラではなくスミレになってます。
「スミレの花咲く頃」は宝塚歌劇団のテーマとして知られている……というのを今回調べて知りました。でもこの曲聞いたことあるわ。
こちらのページで聞けます。(でもこのページ、バックできないからどこのサイトなのかわからない〜)
紫のリラの花言葉は「愛の芽生え」




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