【 手遊び 】





手持ち無沙汰な、午後3時過ぎ――

私は何とは無く、ソファに腰掛けたまま、
ぼうっと向かいのソファを見つめていた。
いや、正確には手持ち無沙汰なのではなく怠惰になっているだけだ。

ソファとソファの間に置かれたテーブル上には、
書きかけのスコアと飲みかけの紅茶、そのどちらにも手を出せずにいる。

外の風景でも眺めていれば、少しは気が紛れるのかもしれないが
あいにくこの地下の城には真昼の太陽を拝めるような窓は無い。
もとより拝むつもりなど更々無いので、一向に構わないのだが――

私は持て余し気味に伸ばした足を組み、
目を瞑る。

外に出たとて気が晴れるどころか、
むしろ気が滅入るだけに違いない。

私はそう自分の中で折り合いをつけると、
少しでもこの怠惰な空気から逃れるべく、
心を決めてソファから抜け出した。

自室からスケッチブックと木炭、
絵筆や絵の具
そして色の異なる布地を数枚携えて、私は再びソファに腰を降ろした。

向かいのソファにそれらの布地を無造作に置き、
私は木炭で、白い画用紙にスケッチを始める。

ドレスのデザインといえば聞こえはいいが、
単なるお遊びの、まるで責任の無い落書きのようなもので、
暇を持て余したり、何かに煮詰まった時に好んでする。



「あら、お仕事中でした?
 先程見た限りでは、退屈してらしたのようでしたのに」

どこか皮肉めいた声が、背中を叩く。

私はやれやれと思いつつ、首だけ動かすと、
そこには、ポットとティーカップを載せたトレイを手にしたローザが、
にこりと微笑みながら立っていた。

「そう思うなら、もっと厳しいレッスンを施すのをお許し願えるか?」

私がそう言うと、

「まあ。今までのレッスンは退屈しのぎでしたの。
 何とも切ないお話ですわ。こんなにも耐えてきましたのに」

ローザはおおげさに眉をひそめると、そう答えた。

私たちのやりとりは終始この通りである。
普通ならば頭に血が昇りそうな会話だが(実際無い事も無い)
不思議とローザの言葉は受け入れてしまう。
むしろ心地よささえ感じるときがある。

「失礼でなければ、お隣よろしいかしら?」

けろりとした表情でこう言うのだから、大したものである。

「もう十分に失礼をしてくれたのだ。これ以上悪くなる事はあるまい」

私はそう言って、少し端の方へ移動した。

「ご期待に添える様、最大限努力しますわ」

悪びれも無く、ふわりと私の隣に腰を下ろすと、
私が置いた道具を上手い具合に避けて、カップとポットを置いた。
私のカップにはまだ半分以上紅茶が残っていたので、
ローザは、きっと飲めたものではないから、捨てて新しいのを淹れますか?と尋ねてきたが
私はいい、と答えた。

ローザは暫く黙って紅茶を啜っていたが、
彼女も彼女で退屈だったのだろう。
すぐに私が描いているものに興味を示し始めた。

「ドレス……ですか? デザインでもなさってるの?」
「そうだ。といってもそんなに大業なものではない。ほんの手遊びだ」

ふうん。と唸りながら、ローザはやや私の方へ体を寄せ、
画用紙を覗き込んでくる。

わずかであるが肩と肩が触れ合い、
愚かしくも十代の若者のように、体を強張らせた。

「これは何をモチーフにしているのです? 薔薇?」

ローザは私が描いた、紅いドレスの胸元の一点をなぞった。

「……あ、ああ。そのつもりだ」
「素敵ですね。
 あの、でも。……差し出がましいでしょうけれど、もしお許し願えるなら
 少し意見を申しましても、よろしいかしら?意見と言えるほどすごくは無いですけれど。
 その、ほんの手遊びとして」

ローザは私の動揺などまるで気付きもせず、
私の様子を窺いながら、そろそろと尋ねてくる。

私は努めて冷静さを保ちながら、あくまでも無感動に

「どうぞ、ご遠慮無く」

と、言った。

ローザはぱっと顔色を明るくして、
では。と、先程よりも体を寄せてくるではないか!

「あのね、この薔薇のコサージュは、もっと大きめに作ったほうがいいと思いますの」



何たることだ。
わ、私の肩にローザの……!
……意外に大きめだな。



私は心の中で首を左右に大きく振った。

何を考えているんだ! 私は!

「裾ももっとふわふわした感じで……」

考えるまいとすればするほどに、
私の左側全体を支配するローザの感触は、否応なしに強くなってゆくばかりだ。

「なるほど、確かにふわふわして……」

目の前でふわふわと、誘うように揺れる黒髪。
絵筆を持つ手に、思わず力が入る。

私はこの苦行から逃れるべく、ローザには気付かれないように、
じりじりと微妙に体を、より端の方へ移動させる。

「どんな生地なのかしら? でも柔らかい方がいいですわね」

そんな私を嘲笑うかのように、
ローザはぐいっと寄りかかってきた。

――まさかわざとではあるまいな?

私は腹立たしささえ覚え、横目でちらとローザを見るが、
笑みを湛えた表情はどこまでも無邪気である。

「ビロードだ。この上も無く柔らかで……」

それにしても、ローザは何と柔らかいのだろう。
肩や腕に触れる、柔らかい肌の感触。
布越しにさえ、それは私を酔わせるのに十分なほど強烈である。

「それにとてもいい薫りが……」
「薫り? 薫りのするドレスなんて出来ますの?」

ローザは怪訝そうな顔で、私を見つめた。

背中にひと筋、冷たい汗が這う。
私は混乱の余り、つい感情のままに口走ってしまったのだ。
余りの失態に、私はそのまま押し黙ってしまう。

しまった! これでは唯の変態男ではないか。
……しかし本当にいい薫りがする。香水か?
馬鹿者、そんな事を考えている場合か!

ローザは眉根を寄せて
じいっと私を品定めするように見つめている。

――いかん。何か言わねば

「ファントム……」

私は挙動不審では無いと(自分では)思われる素早さで、
ローザの言葉に反応した。

「貴方」

――まずい。気付かれたか?

私は思わずごくりと喉を鳴らす。



「絵、そんなに塗り潰してもいいのですか?
 ……もう遅いような気がしますけれど」

私は、はっと画用紙に目をやると、
そこには無残にもべったりと赤く血塗られたドレスがあった。
この沈黙の間に、無意識の内に絵筆で塗り潰してしまったのだ。

「そんなに嫌でしたら、言ってくださればよろしいのに……」

ローザは拗ねた声で呟くと、すくっと立ち上がった。

「お邪魔してごめんなさい」

私も慌てて立ち上がった。
と同時に絵筆を取り落としてしまい、
黒いズボンの上に、トマトピューレのように赤い絵の具が横切ったが、
そんなことはこの際どうでもよかった。

「いや、違う。それは違うぞ。……いや、ある意味そうだとも……
 いや、いや違う、忘れてくれ。君に非は無い」

ローザは首を傾げて、私の様子を探っていた。
私は何とかいつもの冷静さを取り戻すと、軽く咳払いをした。

「君の意見は興味深い。是非参考にさせて頂こう」
「無理なさらないで」
「無理? 何のことだ。私に無理な事など無い」

ローザは呆然と私を見ていたが、
次の瞬間、ふっと笑みを零した。

「そうですね。何と言ってもオペラ座の怪人ですもの」

口許に手を当てて、ローザはことことと笑う。
その笑顔は、今すぐ画用紙の中に描き止めておきたくなるような
そういう種類の笑顔だった。

「どうしました?」

ぼうっとローザを見つめていた私は、
彼女の朗らかな声で我にかえると、途端に居心地の悪い思いがした。

「意見をまとめていただけだ。
 それよりローザ、紅茶を入換えてくれないか。とても飲めたものではなかった」

そう言って、
あれから一口もつけていないカップを、ゆっくり彼女に差し出すと、

「ほうら、申し上げた通りでしょう?」

ローザは得意気に微笑み、カップを受け取るのだった。



*** ***



「それにしても、薫りのするドレスって本当に作れますの?」
「……」





〜FIN〜








青い幻燈」さんの1000打記念企画でものの見事に1000を踏んだため、書いていただきました。
キリリク権を取ったのは、これが初めてです。わーい、わーい。
春日の方からは、「ローザさんがファントムに寄りかかって、ファントムがドギマギする話」をギャグ調でというお願いをしました。
そしたらば、春日の想像以上にファントムが動揺しまくってます(笑)
素晴らしい!
もはや挙動不審レベルですね〜。
ローザさんの方も、これは確信犯か?と思えるような行動で…。
どうなのかしらんと、深読みできるあたりがまた…。

暁月さま、転載を快く許可していただき、ありがとうございました。






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