紙袋を右腕に一つ、持ち手のついたビニール袋が左腕に二つ。俺が買ったものではない袋をぶら下げたまま、カップに入ったトリプルアイスを注文する。
 少々の待ち時間の後、カラフルなアイスを手に、俺はその辺りをぐるっと見渡した。イートインコーナーのテーブルは半分くらい埋まっている。えーと、どこだろ。あ、いたいた。
「ジョーさん、お待たせしました」
「おー……」
 先に座る場所を見つけていたジョーさんと合流する。ジョーさんは四つの椅子に囲まれた丸いテーブルに肘をつけ、どこか遠くを見つめていた。テーブルにはアイスコーヒー。そしてジョーさんの隣の椅子には五つの袋が無造作に積んであった。
「女のひとの買い物はすごいですね」
「覚悟はしていたが……」
 ジョーさんはふう、と息を吐いた。
 今日は俺とマスターとジョーさんとローラさんとで、ローラさんの服などを買いにきたのだ。俺たちが持っていた袋の中身は、すべてローラさんのもの。マスターが先導する形で、あっちこっちの店で少しずつ選んだので、袋の数だけはやたらと増えてしまった。俺の時のように一カ所でほとんどそろえてしまえば、こんなことにはならないのに。でもマスターは、それだとつまらないのだそうだ。
 今はマスターとローラさん、俺とジョーさんとで別れて行動している。服はだいたいそろったから最後に下着を選ぶそうなので、俺たちは遠慮するという名目で退散した。これはこれで、きっとまた時間がかかるだろうし。
 そういうわけで、数時間を費やした買い物もようやく終わりが見えてきた。だが俺とジョーさんはもうくたくただ。どちらからともなく、軽食が食べられるところに足が向かう。時間の余裕があったら俺のコートを探そうか、なんて家を出る前に話したけれど、とてもそんな気力が起きない。俺なんてただマスターたちと一緒に歩いていただけなのに、頭がぼーっとしているほど。普段はマスターが入らないような店にも入ったので、情報の処理が終わっていないんじゃないかな。
 ぱくり。
 俺はおもむろにアイスを一口、スプーンで運ぶ。
「たくさん歩いたあとのアイスは格別ですね」
「俺もそんな気持ちになりたいもんだ」
 はふ、ともう一度ため息をつきながら、ジョーさんはストローを噛むようにして中身を吸った。それからカップの中身ををかき混ぜながら、誰にともなくつぶやき出す。
「ローラの私物をいれるスペースを確保したつもりだけど、多分もう入りきらないな。今日買ったものもパソコンの中に収納できたらいいんだが」
 何気なく無茶を言うジョーさんに、俺は笑えばいいのか心配すればいいのか迷った。多分、ちょっと口から出ただけだと思うけど、ここで笑ったら、人事だと思ってとかいう理由で怒られるかもしれない。かといって、ローラさんの面倒を見きれないんじゃって聞いたら、そんなに薄情じゃないって、やっぱり怒られると思うんだ。もう、俺、どうしたらいいんだろう。
 そこで俺ははっと気づく。ローラさんがマスターやジョーさんに怒られているところを見たことがないことを。
(同じボーカロイドなのに何この違い。ローラさんずるい……!)
 しかし咄嗟とはいえそんなことを思ってしまった自分の心の狭さに、恥ずかしさを覚える。やましさを振り払おうと、俺は頭を振った。
「どうした、カイト」
「何でもありません!」
 アイススプーンを握りしめながら、俺は断言した。
「何でもないようには見えないんだが」
 怪訝そうにジョーさんは言った。
「何でもあるけどないんです!」
「あー……。そうか」
 重ねてたずねようとしていたらしいジョーさんは、俺の剣幕に何かを感じ取ったのか、話題を変えてくれた。
「そういや、英語の勉強はどんな風にしているんだ?」
「あ、えっと、読むのも書くのも聞き取るのも、同時進行でやっています。全部一度にやっているから、それぞれの進み具合は遅いような気がしていますけど……」
 俺はあの話があった次の日に早速英語の勉強ができる英語ソフトを買ってきたのだ。それを一日二時間。それ以外のことを三時間くらい。やることがなくて、何かやることを探していたくらい暇だった俺の時間は、それで一気に埋まった。
と一日置きくらいに、英語以外をしゃべってはダメっていう遊びもしてます。一回三〇分くらいかな。まだすらすらとは話せないから、単語を並べているような感じになるんですけど」
 そしてその単語を検索するにも少し時間がかかってしまうので、もう本当にゆっくりとしか会話ができないんだよね。まあ、これは本当にゲームする感覚で英語に慣れろというマスターの配慮から始まったものなので、会話内容は本当にたいしたことがないものばかりだけど。
「そうか。今日はいきなりローラに英語で挨拶したから、結構驚いたんだ。本当に勉強を始めたんだな……というよりもかなり熱心なんだな」
「俺はやると決めたらやるんですよ。むしろやるなと言われることをやりたくなった時の方が大変です」
 我慢しきれるかどうかは、状況次第なんだよね。
「威張んなよ、そんなこと。せっかく感心したのに」
 ジョーさんはがくっと肩を落とした。それからふと気づいたようにたずねてくる。
「なあ、しゃべりの方で覚えた英語の発音って、本業にも生かせるのか?」
 本業……というのはエディターで使えるかということだろう。
 俺はテーブルに両肘をついて手を組み、軽くうなる。
「ここのところ歌の時間が取れていないからやってはいないんですけど、多分無理だと思います」
 俺の存在意義は歌うこと。しゃべるのはこの身体ができたからこそできるようになったことであって、本来は専門外だ。そして俺たちKAITOを歌わせるためのデータには、英語の発音は入っていない。メーカーがアップデートしてくれるならともかく、イレギュラーな経緯で覚えた英語の発音は、パソコンの中の俺にまで伝わってはいないだろう。そういう感触がしているというだけなのだけど。
「もちろん今のままでもそれっぽく歌うことはできますけど、あくまでもそれっぽくなるだけです。それぞれのマスターの腕前次第といいますか。これはではちょっと厳しいといいますか……」
 うう、マスターごめんなさい。でも事実だよね。
 ジョーさんは頭の後ろで両手を組んで、思い切り椅子の背もたれに体重を預けた。
「もったいないな。せっかく覚えるのに」
「そうですねぇ」
 本当、もったいない。俺に英語発音のデータがあれば、もっと歌の表現幅が広がるのに。外国の歌が歌えるようになるということだけじゃない。日本の歌でも一部歌詞が英語だったりするのは、珍しくないから。
「あ、そうだジョーさん。俺、知らなかったんですよ。は俺だけじゃなくて小次郎さんにとってもマスターだったんですね。でもマスターだけどマスターじゃないんですね」
 英語の勉強で一番印象に残ったことを思い出した俺は、この思いを分かち合ってほしいとテーブルに身を乗り出した。ジョーさんは一瞬呆気に取られたように目を見開く。それからおいしくないものでも食べたかのような表情になった。
「カイト、すまないが俺にはお前が何を言っているのかさっぱりわからん。それと、声がでかい」
「ああぅ……」
 俺は勢いを削がれてテーブルに突っ伏した。危ねぇ、という声に、アイスのカップを落としそうになっていたことに気づく。本当に危なかった。
 アイスを安全なところに置いて、ついでにきちんと座り直して、周りの様子を窺ってから俺はジョーさんに事の次第を最初から話した。できるかぎり、音量を抑えて。
「俺、英語の勉強を始めた最初の日に、まず自分がよく使う言葉は英語でなんて言うのか、どういう風に書くのかを調べたんです。あ、おはようごさいますとか、ありがとうございますとかの挨拶もやりましたけど」
「うん」
 ジョーさんは了解したと頷いた。
「で、俺といえばマスター、マスターと言えば俺、というわけでまずは「マスター」という言葉を探したんです」
「何が、というわけでなのかはわからんが、とりあえず続けろ」
「はい。で、俺は英語での綴りがわからなかったので、検索してから英和辞書を使ったんです。あ、そうそう、全部ネットでやりました」
 ジョーさんはこっくりと首だけ動かした。
「そしたら、masterには動物の飼い主っていう意味もあったんです。だからは小次郎さんにとってもマスターだったんだって知って、俺はなんだか感動してしまいました。言葉って、幾つもの意味がある場合もあるんですね!」
「ああ、そういうこと。じゃあ、マスターだけどマスターじゃないってのは、あれか。masterは本来男にしか使わない言葉だってことで驚いたとか」
「そうです」
 ジョーさんは察しが早いと、俺は笑う。それからちょっと首を傾げた。
「masterの女性形はmistressなんですよね。でもミストレスって、ちょっと言いにくいなぁ。マスターより長くなるし。でも正しい意味で話そうと思ったら、やっぱりミストレスって呼んだ方がいいのかなあって。ジョーさんはどう思います?」
 問うとジョーさんは、は何て言っているんだと答えた。
「好きにすればいいじゃないって」
 ふう、と俺はため息をつく。
「俺たち界隈のマスターという呼び方は、和製英語のようなものだからマスターでも問題ないだろうって。でも正しい言葉の使い方をしたいのであればミストレスにすればいい、俺の考え方次第だって」
「もっともだな。だいたい、マスター呼びもお前等の好物設定みたいな、後付けだしな。一般的に、メーカーの製品を使っている人のことはユーザーって呼ぶだろ?」
「あー……。そうですね」
 でも俺がのことをユーザーと呼ぶのは、マスターと呼ぶこと以上におかしいと思う。
「どうしたらいいんだろう」
 どれも間違っているわけではなくて、でもなんか違うという感じがして、俺は迷った。
 ジョーさんはしれっとして言う。
「どれもしっくりこないなら、名前で呼べばいいじゃないか」
「ローラさんはジョーさんのことを名前で呼ぶんですか?」
 あまりにも彼がさらりと言ったので、俺は戸惑う。もしかして、俺がマスターのことをマスターと呼ばないといけないと思っていたのは、自分の名前をカイトだと認識していたり、アイスが好物なのは必然だと思っていたような類の、刷り込みだったのだろうか。
「会話の流れ次第で色々使うな。ジョーの時もあれば、マスターの時もあるし、他にも……」
 そこで不自然にジョーさんは言葉を切った。ちょっと気になったけれど、まずは先に確認したいことを聞く。
「ジョー呼びなんですか? ミノルじゃなくて」
 いつもジョーさんと呼んでいるけれど、彼の名前は本当は穣さんというのだ。
「ミノルよりジョーの方が英語では呼びやすいからだろ。お前等がジョーって呼んでいるってのもあるだろうし」
「じゃあ、他っていうのは?」
「……聞かなかったことにしてくれ」
 食いつかれたのが不本意そうに、彼は顔をしかめる。俺はそれでピンときて、自然と顔がにやけた。
「もしかしてダーリンとかハニーとかですか?」
「違う」
 ジョーさんはやや声音を低くして答える。
「じゃあ、何ですか」
「聞くなっての」
 ぴしゃりと言われて、俺は頬を膨らませる。
「えー、気になるじゃないですか。英語で親しい人に呼びかける言葉って、色々ありますよね。俺はちゃんと調べたんですよ。それでせっかくだし、俺も英語で話す時にはに何か使いたいって思っているんですけど、俺との関係ならどれなら使っていいのかよくわからなくて。でも英語だと日本語と比べて甘い感じのものが多いですよね。そういうのがいいなぁ」
「甘い感じのって、sweetieとか? これなら別に恋人限定ってわけでもないから、が嫌がらなければ使えばいいだろ」
「いいんですか?」
 やったぁ! ジョーさんがそう言うんなら、大丈夫だよね。今度マスターのことをそう呼んでみようっと。ところで、はぐらかされたけど、結局ジョーさんはローラさんになんて呼ばれているんだろう。今聞いたら怒られそうだから、もう少し英語が話せるようになったらローラさんに直接聞いてみようっと。
 俺がうきうきと良からぬ計画を企てていると、ジョーさんがおい、と声をかける。しまった、気づかれちゃったかな。
「前から気になっていたことがあったんだが、聞いていいか?」
「俺に答えられることでしたら」
 違ったんだとほっとしつつ、俺は頷く。改まってどうしたんだろう。
「お前って、のこと、どう思ってんだ?」
 どう? どうって、何がどう?
 俺が首を傾げると、ジョーさんはあーあ、という顔になった。
「すまん。質問の仕方が悪かったようだ」
「あ、いえ。俺はが好きですけど、知りたいのはそういうことじゃなさそうだったので」
「いや、そういうことなんだが」
 ますますわからない。
「何でそんなこと聞くんですか。俺がを好きなんてこと、見ていたらわかると思うんですけど」
 だって俺、全然隠していないし。
「ああ、もちろん。だけどそのカイトの「好き」は男としての「好き」とは違うようだからさ。それがボー……、カイトやローラたちならではのことなのか、個人差のようなものなのか、判断つかなくってな」
「うーん……」
 どうしよう。ジョーさんが言っていることがまったく理解できない。いや、日本語で話しているんだもの、何を言っているかはわかる。でも意味というか意図がさっぱりだ。俺は男なんだから、俺の「好き」は男の「好き」じゃないの? 違うとしたら、何が違うの?
 ジョーさんは腕を組んでうなった。俺がわかっていないことがわかって、説明に困っているようだ。
「あー、そうだ。ローラたち、今下着探してるだろ」
「はい」
がどんなもの持ってるか、わかるか? あ、詳細に答えなくていいぞ」
 お前って時々声が無駄にデカくなるから周りに聞こえる、とジョーさんは付け加える。ここはムッとする場面だろうかと思いつつも、声を出さなければいいよねと頷いた。洗濯担当はマスターで、俺は基本的に関わっていない。けれど同じ部屋で生活しているんだもの、なんだかんだで見えてしまうことはよくあるのだ。
「そういうのが見えた時、どう思う?」
「どうって。特にはなにも」
 目にする回数が多いものは、お気に入りなんだなとは思うけど。
「ふうん」
 ジョーさんはテーブルに片肘をついて、俺の発言を吟味するようにまぶたを伏せる。
 少しの間、沈黙が漂う。
「どうも意志の疎通がうまくできていない気がする」
 ジョーさんはぼそっと呟いた。俺も同意見なので、そうですねと答える。
 沈黙。
 ジョーさん、さっきからどうしたんだろう。何が知りたいんだろう。
「カイトはにどう接してもらうのが理想なんだ」
 じっとジョーさんを見ていたら、ふいに目が合ってしまった。何となくそわそわしてしまい、微妙に声が裏返る。
「え、えーと、そうですね」
 これは今の話の続きかな。それとも別の話に変わったんだろうか。でもこれなら俺にもちゃんと答えられる。
「頭なでてもらうのも、抱きしめてもらうのも好きです。回数は少ないから、もっと増えたらいいなって思いますし、あとは一緒にでかける時は手をつないで歩きたいです。それから話しているときに適当すぎる相づち打たれたりしなければいいんですけど。殴られたり蹴飛ばされたりは、最近はほとんどなくなったので、この調子で減ればいいですね」
「そんなに殴られたり蹴飛ばされたりしてたのか?」
 眉間にしわをよせて、ジョーさんは俺を見つめる。
 しまった。これではマスターのイメージが悪くなってしまう。また余計なことを言ってしまった。
「あ、違うんです。は悪くないです。俺が調子に乗ったり言うことをきかなったりしたときだけで。たまに八つ当たりのときもありますけど、そっちは回数は少ないしって、あれ、俺何言ってるんだろう」
「落ち着け。フォローになってねぇぞ」
「ですね!」
 俺はぺちんと両頬を叩く。それから落ち着くためにアイスを食べた。バニラアイスは、やはり最高だ。
 うっとりと息を吐き、俺は冷静さを取り戻す。
「で、俺がを好きなのと下着の話がどう関わるんですか?」
「直球できたな」
 ジョーさんは苦笑いを浮かべる。
「いや、単純な話、好きな女と一緒に生活していて、理性を保てているのかって気になったんだよ。世間一般的な感覚だと、まあかなり難しいだろうって思うし。そうでなくてもこの間のコート事件があるしな」
 コート事件って、マスターがローラさんばっかり構うから、思わずぶち切れて俺のコートを無理矢理マスターに着せた件のことだろう。
「あー……。あの時はつい……。でも、あんなことはそうそう起きないので、大丈夫です」
「そうそう、ってことは絶対起こさないとはすでに断言できないんだな……」
 苦笑いの顔のまま、ジョーさんはため息をついた。
「だってー、しょうがないじゃないですか。コート事件の時もですけど、どうしようもなく自分を抑えられない時があるんですよ。ジョーさんはそういうことってありません?」
「ないとは言わないが、時と場合によるぞ。これをしたら取り返しがつかないってことは、さすがにセーブできてる」
「はぁ」
「ここんとこ、酒の量が減ってるんだよ、俺」
「そうなんですか?」
 ふいに真顔になり告白するように告げるジョーさんに、俺は目をぱちくりとさせる。最初の印象からか、彼はかなり飲む人だと思っていたので、意外だった。
「ああ、自制ができない状況に自分を追い込んでおいて、我慢できませんでしたっていうのは、どう考えてもふざけんなとしか思えないだろ?」
「そうですね」
 でも俺は普段は全然お酒は飲まないので、酔っぱらってうっかり何かをやらかすということは起きないからなぁ。むしろ酔ってないのに何かをしでかしてしまうんだから、情けない。 
「ところでジョーさんは何を我慢しているんですか?」
 軽い好奇心で聞いたら、ジョーさんはどこか安心したような笑みを浮かべた。
「この話の流れで察せないか……」
「す、すみません」
 この反応は、普通のひとならジョーさんが何を言いたいのかわかるってことだよね。どうしよう、俺、本当にさっぱりわからない。
「別に謝らなくていい。ただ、まあ、なんてーの。無邪気なのも時に罪作りだなと思ってな。……無邪気か。邪気が無い、か」
 考え込むように、ジョーさんの声は低くなる。
「俺のことですか?」
「お前もローラも、どっちもだよ」
 俯きかけた顔を上げ、かすかに笑みを浮かべて彼は答える。
「えー」
 俺は顔をしかめた。
 罪だなんて、悪いことじゃないか。悪い部分は改めないと、マスターに見捨てられてしまうかもしれない。
 俺はジョーさんの目をじっと見つめた。
「ジョーさん、もっと具体的に、詳しく教えてください。邪気がないのが罪作りなら、邪気があればいいんですか? でも、邪気って、良い意味の言葉じゃなかったと記憶していますけど、それでもあった方がいいんですか?」
 ジョーさんはそこで盛大に吹き出す。
「ないならない方がいいんだよ、そういうもんは。あっても面倒なだけなんだからな」
「でも、それだとそのうちに嫌われるかもしれないんじゃ」
「ああ、まあ、その可能性はあるな。結局欠けているところがあるわけだから。嫌われるかどうかはわからんが、今の段階でもかなり面倒くさいしな、お前は」
 真面目な顔でジョーさんは頷く。もう、人事だと思って!
「なら、放っておくわけにはいかないじゃないですか!」
 抗議するも、彼はしれっと受け流す。
「でもな、お前等は俺たちと違うから、邪気を持とうにも持てないかもしれないだろ」
「そう、なんですか?」
 ひとじゃないから無理かもと言われ、俺の気分は瞬く間に沈んだ。だけど。
「持てないと決まったわけじゃないなら、俺は持てるようになりたいです。教えてくださいジョーさん、どうしたらいいんですか?」
 必死の思いをジョーさんに向ける。だけどジョーさんは小さく頭を振った。
「教わって覚えるようなもんじゃない。でてくるときは勝手にでてくるもんなんだ」
 なら、でてこない以上、俺の中には邪気がないということになるのか……。
(焼き餅なら焼いたことはあるけど、それと邪気とは違うのかな……)
 それなら俺にも少しは邪気があるということになるんだけど、そうでないなら本当にないかもしれない。どうしよう、マスターに嫌われたくない。もっともっと、好かれたいのに。
 意気消沈している俺の耳に携帯の着信音が聞こえた。ジョーさんがポケットから無造作に取り出し、受け答えをする。かすかに聞こえてくる向こう側の声は、マスター。彼女は買い物が終わって、こっちに向かってくるらしい。
 ジョーさんが電話をしまうのを見計らい、口を開いた。俺の中に少しでも邪気があるかどうかを確認しないと。
「ジョーさん、マスターの下着に対してどう思えば、邪気があることになるんですか」
「言えるか、こんなところで」
 叩き返すように、ジョーさんは答える。
 どうもこの話題はまずかったようだ。でも先に話を振ったのはジョーさんなのに。
「じゃあ……」
 俺はローラさんに、ジョーさんをなんと呼んでいるのかを聞こうとしていることを白状した。ジョーさんは知られるのをちょっと嫌がっている風にしていたし、ひとの嫌がることをするのはいけないことだと俺はマスターにしっかり教わっていたから。それをこっそりしようとしていたんだから、邪気があると言えるかもしれないよね。
 するとジョーさんは、どこか優しい目をして立ち上がり、俺の頭をぐりぐりした。
「よくわかった。お前は精神年齢が小学生並なんだなー」
「イタっ。痛い。痛いです、ジョーさん!」
 彼はわははと笑いながら、首を抱えて頭をグリグリしてくるので、逃げようにも逃げられない。それでも抵抗しようとする俺の耳に、マスターの「ちょっとカイト、今度は何をやらかしたのよ」という声が聞こえてきた。何って、何って……。
 なんとか目だけを上げてジョーさんを窺うと、彼は目の奥に獰猛な色を潜ませていた。その表情は、「言うなよ」ということですね。わかりました、言いません、言いませんから。
「助けて、ー!」






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