「そうか……」
ラウルは腕を組んで考えこむと、力強い声で皆の注意を向けさせた。
「わかってしまえば簡単なことだ。答えはすぐ傍に転がっていたのだから。このオペラは我らの『頭のいいお友達』を罠にかける千載一遇の機会になる」
「どういうことで?」
「続けてください」
支配人たちはラウルを促した。
「奴の指示に従うふりをするんだ。オペラは上演する。そしてが歌いさえすれば、あいつは必ず現れる。警官を前もって劇場中に潜めさせ、オペラが始まったら入り口には鍵をかけるんだ。それであいつは袋の鼠となる」
支配人たちは「おおっ!」とか「名案だ!」とか叫ぶ。
だけど、ラウル。その提案は……。
「そんな、無謀だわ!」
マダムは反対の声をあげた。
「そうですか?やってみる価値はあるでしょう」
「勝ち目はありません。あなた方もご覧になったでしょう。彼は人を殺します」
「だが、相手は一人。こちらは大勢だ!」
マダムの反対にムッシュウ・アンドレはイラついたように叫んだ。
「それより、あなたも協力してください、マダム!」
ラウルはマダムに懇願の眼差しを送る。
「私には無理です」
「では、あなたはファントムの味方なんですか?」
マダムはラウルとわたしにじっと目を向け―
「いいえ」
首を振った。
「そんなことはどうでもいいのよ!」
カルロッタがたまりかねた様に怒鳴った。
プリマ・ドンナである彼女はいつでも自分が注目されていないと気がすまないのだ。
「・が黒幕の一人なのよ!こんな子、追い出してしまえばいいんだわ!」
「そうとも、それでなにもかも収まるんだ!」
続けたのはピアンジ。
「そうとは思えません。に何かがあったら、ファントムは黙ってはいないでしょう。ここは私の提案に従ってもらいます」
ラウルはきっぱりとカルロッタの案を退けた。
オペラ座のパトロンである彼にはカルロッタでも逆らえない。
忌々しげにわたしを睨み、肩を怒らせて部屋から出て行った。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
「、どうか歌ってくれ。舞台に立ってほしいんだ」
ラウルはわたしの手を取り、優しく諭す。
「この役目は、君がやらなければ意味がないんだ」
「あなたはファントムを軽く見ているんだわ、ラウル。次にあの人が現れたら、彼はわたしを連れ去ってしまう。二度と離してはくれないわ。わたしにはわかるの」
「あいつは所詮人間にすぎない。だけど生きている限り、奴は僕らを脅かし続けるんだ。、お願いだ。勇気を出してくれ」
ラウルの熱心な説得に、わたしは何も言えずにうなだれる。
勇気……。
出そうと何度も思ったわ。
だけどあの人を前にしたらと考えるだけですぐに萎んでしまうの。
歌うしかないということはわかっているわ。
いつかは終わりが来てしまうことも。
それでも、断ってしまえたら……。
破滅を先送りすることでしかないとわかっていても、わたしはそれを願ってしまう。
ラウルは懸命にわたしを助けようとしているのに……。
だけど、ラウルの提案に従うことはわたしに声を授けてくれた人を裏切ることになってしまう。
それが嫌ならば、わたしがエリックの餌食になるしかない。
どうして、こんな選択しかないの?
他に道はないの?
ああ、エリック。
かつては夢にまで見ていた人なのに、今ではこんなに恐ろしい。
彼はいつだってわたしの傍にいるんだわ。
わたしがあなたのオペラに立ったら、どんなことが起きるのかしら――。
「」
何も言わないわたしにラウルはおずおずと顔を覗きこんできた。
すまなそうに、心配そうに、彼はわたしを抱きしめる。
「こんなことになって……。だけど今はすべての望みは君にかかっているんだ。それだけは、わかってくれ」
わたしはもう抵抗することにも考えることにも疲れ果て、力なく頷いた。
