「イシリアン公ファラミア、そしてローハンの姫君エオウィン。この両名の婚儀が幾久しくゴンドールとローハンのつながりとなるように。そして子々孫々までも栄えんことを。乾杯!」
ドル・アムロス大公イムラヒルの音頭で、結婚式の宴が始まった。
厳かな乾杯が済むと、大広間の一角に控えていた楽士たちが甘やかな調べを奏ではじめた。
テーブルにつく者たちも、まだ固さが抜け切っておらず、しゃちほこばっている。
広間は奥が一段高くなっており、そこに主賓のファラミアとエオウィン、そして双方の父親役であるイムラヒルとエオメルが座っていた。本来ならば母親も席に着くのであるが、イムラヒルはすでに妻を亡くしており、エオメルは独身のため、長いテーブルに四人しかいないのだった。
階下には親類や臣下たちのテーブルが三つ並んでいる。広間全体を見渡しても女性の人数が少ないせいか、彼女の隣にはロシリエルが座っていた。
はじめの葡萄酒を飲み干すと、マーク、ゴンドールに関わらず顔を見合わせて笑いあう。テーブルの上には溢れるほどのご馳走が並んでいた。宴の形式はゴンドールでもローハンでも変わらないようで、スープなどの汁物からデザートに至るまで、最初からすべて用意されているのだ。
鳥獣の丸焼きや腸詰、野菜がたくさん入っている煮込み、高坏に盛られた果物などはエドラスでもよく見られたおなじみの料理だった。珍しいところでは、青々とした葉物のサラダのようなものもある。エドラスでは生で野菜を食べる習慣がないので、からすればこのようなものは一年以上ぶりになる。料理は各人が好きなだけとることのできるバイキング形式だ。給仕はいることにはいるが、彼らは料理のなくなった皿を下げ、新たな皿を運ぶためにいるのである。
サラダを取りに行ったは、自分の位置から見えなかったところに魚を揚げてソースをかけたものがあることに気付いた。エドラスでは魚もまずお目にかからない。
「魚なんて久しぶりだわ」
パンと肉と煮込み野菜、それにチーズなどが繰り返し出てくるのがエドラスでの食生活だ。それがあの国では当たり前のことで、食べ物に文句をつけるつもりなどないが、さすがにそれが続くと異国人であるには飽きが来てしまう。故郷の食事が恋しくなったことは一度や二度ではない。
これで白いご飯があれば最高なのにと思いつつ、サラダと魚を取って戻ると、ロシリエルが嬉しそうに話しかけてきた。
「その魚は昨日ドル・アムロスであがったばかりのものなのです。父がどうしても我が方の魚介を召し上がっていただこうと、氷につめて船で運ばせましたの」
「ドル・アムロスは海が近いのですか?」
はゴンドールの地理には明るくない。だがどこにあるにしても、運んでくるのは相当大変なはずだと思った。なにしろ船といえば帆船で、風がなければ漕がなければならないのだ。ましてやイシリアンへ行くにはアンドゥインを遡らなければならないはず。
「はい。屋敷のすぐ側には海岸もあるのです。わたくしは波の音を聞いて育ったのですわ」
「なんて羨ましい。わたしは子供の頃、海の近くに住みたいとわがままを言って両親を困らせたことがあったのよ。そうすれば夏になれば海水浴にいけるし、それ以外の季節でも砂浜で遊べるからと思って」
「様はローハンの生まれでは……」
きょとんとしたようにロシリエルは訊ねる。
「わたしはローハンで暮らすようになって、まだ一年半ほどです。それ以前は海に囲まれた島国にいました。ただ、そこはとても遠いところで……自分の力では帰ることができないのです」
「まあ……それは、お気の毒に。故郷を遠く離れてもお暮らしは、さぞ心細いことでしょうね」
悪いことを聴いてしまったと青い目を曇らせる姫に、は力強くかぶりを振った。
「懐かしくてたまらなくなることもありましたが、今は平気です。ローハンの方々にはよくしていただいていますし、草原の国での生活にも慣れましたから。ロシリエル様、どうかお気になさらないで」
ロシリエルはほっとしたように肩の力を抜く。
それから二人は和やかに談笑しつつ、食事に集中しだした。
「……」
ロシリエルとは反対側の隣に座っているのは、ローハンの領主の一人である。その男は三十代の後半くらいで領主としては若い部類に入るが、彼はエオメル同様、相次いだ合戦で父も兄も失ってしまったのである。
「……これは、なあ」
その彼が先ほどから深皿を何度も突いていた。あまり行儀の良い振る舞いではないと、さっきから気になっていたはそっと小声で訊ねた。
「どうかしましたか?」
男はばつが悪そうな表情になる。
「いえ、実はあそこの煮込みをとってみたのですよ。エドラスでも食べたことのある玉ねぎやなにかのクリーム煮だと思いまして……。ところが、見たこともないものも入っていましてね」
「見たことがないもの?」
は皿を覗き込む。
「一つ食べてみたのですが、噛んだときの感触が妙で。うまいともまずいともつかず、一体どうしようかと」
彼の指しているものは、淡い黄色のとろりとした煮汁で覆われているが、見覚えのあるものだった。
「それ、多分カキよ」
「カキ……ですか?」
「ええ、貝の一種。クリーム煮ならおいしいはずよ。食べ慣れないからそう感じたのだと思うわ」
「はあ……」
男は半信半疑で再び皿に目を向ける。食べるか食べまいか、迷っているようだ。
ローハンには海がない。そのため貝などはほとんど知られていないのだろう。
は自分も試してみようと、男と同じものを取りに行った。一口食べるとクリームとは違う濃厚な味が一杯に広がる。
「やっぱりカキよ。まさかこちらで食べられると思ってなかったわ」
思わず顔がほころぶ。
「ずいぶんいける口なのですね、姫」
向かいのテーブルから、ロシリエルの三番目の兄であるアムロソスが楽しげに笑った。
「魚はともかく、それ以外のものは内陸に住む方々にはあまり受け入れられないんですよ。見た目のよくないものもありますから、忌避されてしまって。食べていただければ良さがわかってもらえるとは思っているのですが、なかなか……」
アムロソスは残念そうに眉を下げた。そうするとずいぶんと優しげな様子に見える。
イムラヒルには三人の息子たちは、全員ペレンノール野や黒門前の合戦で戦ったと聞いている。体格は確かに戦士のもののようで、肩は広くがっしりとしていた。
しかし顔立ちは柔らかく、雰囲気も温厚そうで、とても剣や槍を握るのだとは思えなかった。それよりも書物や楽器の方がふさわしい。
従兄弟同士ならば似ていてもおかしくはないのだが、彼はボロミアよりもファラミアに近いように思えた。
「こちらの料理はいかがですか?」
アムロソスは深鉢をとっての目の前に置く。
「また面妖な……」
中身を一瞥すると、クリーム煮に手こずっていた領主がいぶかしげに呟いた。たしかに見たことがないものにとっては、これはグロテスクに思えるだろう。にとっては驚くようなものではなかったが。
「もう、アムロソス兄様ったら、ローハンの方々を困らせるようなことはなさらないでくださいまし」
「別にそんなつもりはないんだけど」
妹に注意された理由がわからず、アムロソスは肩をすくめる。
深鉢の中身はほとんど減っていない。食べてみようとする者がいないということだ。
「騙されたと思って食べてみてください。旨いですよ」
にっこりとたちに笑いかける。ふと、隣の男に目をやると彼は強張った顔で固まっていた。
これは駄目だと思ったは、代表して自分が食べることにした。もう腹が苦しくなってきているが、これも文化交流だと言い聞かせる。
「それじゃ、いただきます」
スパイスを効かせた煮汁で、タコとにんにく、オリーブを一緒に煮込んだもののようだ。
「うん、おいしい」
と、テーブルの反対から拍手が起こる。
イムラヒルの上の息子たち、エルフィアとエルヒリオンだ。弟妹たちとのやり取りをずっと聞いていたらしい。
「いや、素晴らしい! タコもいけるとは」
「これはアムロスでも好き嫌いが分かれるものなんですよ。見た目が気持ち悪いといことでね」
「料理してしまえば旨いんですが」
「誰が最初に手を出すかと、わくわくしていたんですよ」
酒も回っているようで、赤い顔をしながら二人は身を乗り出してきた。通りかかった給仕から新しい杯を受け取ると、にも渡してくるので否応なしに何度目かの乾杯をする。さすがに満腹で、飲み干すことはできそうにないため、一口だけすすった。
「タコならわたしの故郷でも普通に食べていますよ。わたしの家では酢の物にすることが多いですけど」
「酢……? 酢漬けにするということですか?」
アムロソスが首をかしげる。不思議そうな顔をしているので、アムロスでは酢の物という調理法はないのだと察した。
「漬けるのではなくて、和えるだけです。酢だけだと酸っぱすぎて食べられませんので、砂糖と、あと醤油という豆から作った調味料で味を調えるんです。さっぱりしていておいしいですよ」
「ほほう」
兄弟たちは感心したように何度も頷いた。
(何を……やっているんだろうな、あれは)
主賓のテーブルにいるエオメルにはがいる席の様子がよく見える。宴も半ばともなれば、あちらこちらで突発的に歓声があがることもあった。
宴が始まってすぐならばともかく、そろそろ動き回っても咎められない頃合になったが、次から次へと挨拶に来る者たちがいるので、エオメルは席を立とうにも立てないでいた。
そんな時に間近で盛り上がられては気にならないはずがない。見ればイムラヒルの四兄妹ととがなにやら大いに沸いていたのだ。自分も混ぜろ、と反射的に思ってしまう。
「話が弾んでいるようですな」
急に話しかけられて、エオメルは我に返った。イムラヒルがすぐ近くに来ていることにうかつにも気付けなかったのだ。
「イムラヒル大公」
彼はロヒアリムよりも明るい金髪の頭をゆるりと振ると、親しげに笑いかける。
「娘は内気なたちで、親しい友人もおらぬのです。あんなに楽しげなロシリエルを見たのは初めてなのですよ。姫と今後も仲良くしていただければ嬉しいことです。むろん、エオウィン姫ともですが」
エオメルは居住まいを正すと、新たに親戚になった歴戦の勇士に敬意を表した。
「こちらこそ願ってもないことです。ロシリエル姫の美しさや優雅さには我ら一同感服しておりますゆえ。特に妹は活発にすぎるところがありますので、ぜひとも姫を見習ってほしいと思っております」
イムラヒルは愉快そうに目を細めた。
「そんな必要はないでしょう。エオウィン姫はじゅうぶんに宮廷婦人のたしなみを備えておられる。それにご活発なところも、ファラミアは愛したのでしょうから」
「そう言っていただければ……」
エオメルは恐縮した。
と、またたちのテーブルが一際盛り上がった。切れ切れにしか会話の内容が届かないのだが、魚介のことが話題になっているようだ。
の正面にいるのは、たしかアムロソスと言ったはずだ。イムラヒルの末の息子で自分より二、三歳年下だったはず。
優しげな容貌で、大公国の貴公子らしく立ち居振る舞いは洗練されている。エオメルは彼らを眺めているうちにだんだん胸の内がもやもやしてきた。
エオメルの行動をどう受け取ったのか、イムラヒルはそっと語りだした。
「運よく、当家は私も息子も全員が生き延びました。自分が死ぬことも、息子たちが失われることも覚悟しておりましたからな」
エオメルは頷いた。
戦場で生き残れるかは確かに運の要素がある。百戦錬磨のつわものであっても、流れ矢の一本で死ぬこともあるのだ。覚悟をしていたのはどこの家でも同じだっただろう。エオル王家のように半数以上が失われることもあれば、ドル・アムロス大公家のように一人も損なわないこともある。理不尽だといってもはじまらない。
「一番心配していたのはアムロソスです。まだ若く実践も足りないと思っていましたからな。そもそもあれは武人に向いていなかったのです。時代が時代のため、否応なしに剣を握らせましたが、あれは本当は医者になりたかったのですよ」
「医者、ですか」
「ええ。自分は兄たちのように戦いには向いていない。それよりも医術を習い、一人でも多くの人びとを救いたい。戦場にあっては、医者も必要なはずだ、と説得されましたよ。ですが、アムロスの家の者が戦えないということはあってはならんのです。私や上の息子たちが死んだ場合、アムロスの兵を率いるのはあれの務めになるはずだったのですから。そのときに戦の仕方がわからない、などと言っておれぬでしょう」
「確かに」
「医者が必要なのはわかる。だが、それをお前にさせるわけにはゆかぬといい含めるのにだいぶ骨を折りました。最後には条件付で納得してくれましたが」
「条件とは?」
「戦争が終わったら、医者になる勉強をさせること、ですよ。終わった後ならばこちらとしても止める理由はない、と承諾しました。アムロスでも戦後の混乱はまだ残っていますが、年が明けたらミナス・ティリスの療病院に研修に行く手はずになっています」
「ではもうじき……」
「ええ、館が少し静かになってしまいます。ですがこれもまた嬉しい旅立ちに違いありません」
イムラヒルはしんみりと微笑んだ。
(医者の卵か……)
エオメルはアムロソスを見やった。
これこそ少女の望みどおりの相手ではないか? 命を奪う者ではなく、救う者。いるところにはいるものだ。エオメルは世界の広さに半ば感心し――そして半ば失望した。
このことをが知ったら、彼女は彼を望むのだろうか。
「行く末を心配していたのは息子たちだけではありません」
すっかり話が終わったのだと思い込んでいたエオメルは、はっとして意識を引き戻した。イムラヒルは真剣な眼差しでエオメルをみつめている。
「娘のこともそろそろ考えなければと思っています。娘には兄が三人おります。つまり、アムロスに残って婿を迎える必要はないのですよ。遠くへも縁付かせてやれます。相応の相手がおればの話ですが」
大公はずいぶんと気を揉んでいるように見えた。そこでエオメルは励ましにかかる。
「心配する必要などないでしょう。ロシリエル姫ほどの方を望まぬ男などおりますまい。大公が一言、結婚の申し込みを受け付けると申し上げさえすれば、山ほど希望者があらわれることでしょう」
「……」
「きっと憂慮すべきことが逆になりますぞ。誰がもらってくれるかということではなく、誰にやればよいのか、という具合に」
「……まあ、そうなれば選択に不自由することはあるまい」
「そうでしょうとも!」
エオメルは確信にも似た気持ちで豪快に笑った。
ロシリエルは確かに美しい娘だ。それに従順そうでもあるし、なによりアムロス大公家の姫なのだ。どう考えても引く手数多になるだろう。イムラヒル大公のなんと心配性なことかとエオメルは微笑ましく思った。
だがあれだけ美しい娘がいれば、そうなってもおかしくはあるまい。自分たちの父エオムンドも、生きていればおてんばな娘が嫁にいけるか死ぬほどやきもきし、そして今日のこの日を喜びつつも悲しんだに違いない。
「私も貴公も少々酒が過ぎているようですな。失礼して、私は風に当たってきます」
「おお、そうですか、気がつかず、不調法をいたしました」
急に話を打ち切られたものの、酔っているのならば仕方があるまいと従者を手招きした。
さきほどの怖いほど真剣な気配とは打って変わって覇気のない様子に、エオメルは首をかしげる。こんなに急激に酒がまわるというのも珍しい。
しかし彼自身はまだ素面であった。ジョッキで五杯は飲んだが、ローハンの男はこの程度では赤くなることもないのだ。
イムラヒルを見送っていたエオメルは、横から冷たい視線を感じて振り返った。この場の主役であるエオウィンが、花嫁らしからず半目になって睨みつけている。
兄と視線があった彼女は、わざとらしく肩を落としてため息をついた。
「な、なんだ……?」
「兄上って、本当に……」
エオウィンは言葉を切って溜める。
「鈍感なんだから!」
「は?」
故郷に通じる食べ物を食べたせいだろうか。はナセの出てくる夢を見た。何かしゃべっていたような気もするが、覚えていない。
目が覚めると胸が一杯になって涙がこぼれた。
朝食は各自の部屋で食べるようになっているようである。少女が起きたことに気付いた侍女たちはいそいそと用意を始めた。
身支度を整えてから水を飲むために席につく。用意されていたのはスモーク・サーモンを酢漬けの玉ねぎと和えたもので、薄切りのトーストに載せるもののようだ。それにスープや卵料理、果物やハムがついている。
(鮭……)
昨夜は食べすぎの上に飲みすぎたのでとても入らないと思ったのだが、引き寄せられるように手を伸ばす。徐にかじるとさっぱりした口当たりに眠っていた食欲が引き出された。
しかしさすがに全部は食べきれず、卵やハムは残し、腹ごなしに散歩に出かけた。
時折、自分たち同様宿泊していた人々とすれ違う。結婚式に集まった客はほとんどが遠方から来ているのだ。イシリアンは冥王が存在している間は人があまり住んでおらず、ファラミアが率いていた野伏の一団の力でようやく持ちこたえていたのである。
挨拶を交わしつつ、昨日のことなどをなごやかに話たりして時を過ごす。
当てもなくふらついていたので、気がついたときには建物の外れに来ていた。そこはまばらな木立に囲まれた花壇のようであるが、手入れがされていないようで、花よりも雑草の方が多いくらいだった。
「おはようございます。様」
ぼんやり眺めていると、ロシリエルが小走りで駆け寄ってきた。
「おはようございます。ロシリエル様」
大公の姫は息を整えながら申しわけなさそうな顔になる。
「申しわけございません。お見苦しいところをお見せしてしまって……。この辺りまでは手入れが間に合わなかったものですから」
「いいえ、いいのですよ。これもまた風流ですもの」
「風流……ですか?」
小首をかしげるロシリエルに、は微笑みかける。
「美しく整えられた庭も好きですけれど、人が手にかけていないままの状態のものにも見るべきものはあるのですから」
「では様はこのような庭をお好みなのですか?」
は苦笑する。
「そういうわけでは……。それに、ここはイシリアン公のお屋敷なのですから、わたしの好みを言っても仕方がないでしょう」
ロシリエルは微笑む。
「ファラミア様がおっしゃっていたのですが、エルフの公子様がイシリアンへ移住したいと申していらっしゃるとか。それで念願が叶った暁にはこの屋敷の庭を全部面倒を見るのだと」
「エルフの公子って……レゴラスのことよね。エルフは森に住む種族だと聞いています。彼が手がけるというのなら、素敵な場所になるでしょうね」
「まあ、公子様をご存知ですか」
目をきらきらさせてロシリエルは両手を組んだ。
「ええ、何度かエドラスに来ていますから」
「わたくしは一度もお目にかかっていないのです。この世のものとは思えないほど美しいと聞きますもの、ぜひ一度お会いしてみたいと思っているのですよ」
はこれまで出会ったエルフたちを思い出す。
そして余計なことは言わないほうがよいと、沈黙した。
夢を見ているロシリエルには悪いが、レゴラスはエルフの中ではごく平凡な顔立ちだと判断せざるをえない。なにしろ王妃アルウェンや女王ガラドリエルという、美が形になったようなものがいるのだ。男性だけに限ったとしても、レゴラスよりはアルウェンの兄たちの方が美貌だろう。
「そういえば様はその公子様から求婚を受けていらっしゃるとか……」
ふと思い出したようにロシリエルに、
「ここまで広まっているんですか?」
は叫んだ。思わぬ大声にアムロスの姫は目を瞬かせる。
「え、ええ……。触れてはいけないお話でした?」
「そういうわけではないですけど……」
あの時のことを思い出してしまい、は赤面した。いまになって気付いたが、ここにいる客人の中には、セオデンの葬儀に出席した人々もずいぶんいるはずだ。
「様、大丈夫ですか……?」
ロシリエルはおろおろとうろたえる。
「ここにいたのか、ロシリエル、姫」
そこへ登場したのは、イムラヒルの三人の息子たちだった。
「探していたんだよ、ロシリエル。父上の二日酔いがひどいようでね、いつもの飲み物を作ってくれないかと思って」
長兄のエルフィアがさわやかな笑顔で妹の肩を抱いた。
「まあ、お父様ったら。あれほどはしゃぎ過ぎないようにと申しましたのに」
そしてのほうをすまなそうに振り返る。
「あの、様」
「わたしなら大丈夫。大公についていて差し上げて」
「はい、それでは……」
ロシリエルはスカートを摘んで一礼する。も二人に礼を返した。
エルフィアとロシリエルが遠ざかってゆく。廊下の角を曲がり、二人が見えなくなると、エルヒリオンとアムロソスがそろってほう、と息を吐いた。
「第一段階は終了だな」
「そうだね。兄上がこのままロシリエルの気を引いていてくれるといいんだけど……」
「あの……」
様子のおかしい二人に、は頭の中が疑問符だらけになる。
「ああ、すみません。実は用があったのは妹ではなくて、あなたの方だったんですよ。父の命で」
エルヒリオンが決まり悪げに鼻の下をこする。
「大公の?」
「はい。それで、ぜひにも教えていただきたいことがありまして。ただ、それは姫のお気を悪くさせてしまう可能性もあるのですが」
アムロソスは遠慮がちに肩をすぼめた。
「聞かなければ悪くなるかどうかわかりません。まずは話していただかないと」
周囲に誰もいないことを確認すると、エルヒリオンが口を開く。
「エオメル王のことなのですが、彼の妃は決定したのでしょうか。噂ばかりは色々聞こえるのですが、本当のところがわからなくて」
「ああ、それなら決まっておりませんよ」
は即答する。
「そうですか!」
安堵したようにエルヒリオンは破顔した。そして内緒話をするように腰をかがめて顔を近づける。
「実は、父が昨日の宴の最中にそれとなくロシリエルをどうかと持ち出したのですよ。ところが、言い方が悪かったのか通じなかったそうで。ですがエオメル殿は一国の王であらせられる。とぼけた振りをして避けたのかもしれないと疑っているのです」
「陛下はとぼけたふりなどしてはいないと思いますよ。そういう腹芸は得意な方ではありませんから」
容易にその場の様子を想像できたので、は思わず苦笑した。
エルヒリオンは顎に手を当てて自信なさそうに首をかしげる。
「そうなのですか? 若きマーク王の武勇はゴンドールにも響き渡っているのですから、自分の身内の中に彼にふさわしいと思う娘や姉妹がいるものは、こぞって縁談を持ち込んでいるだろう、自分は出遅れたかもしれないと、父は気を揉んでいるのですが……。特に一番の候補はあなただと」
は小さく首を振った。
「いえ、まだ正式なお話はどこからも来ておりません。それから隠すようなことでもありませんので包み隠さず申し上げますが、わたしを陛下の妃にという話はたしかにマーク宮廷であがっています」
すると兄弟たちはやっぱりと言いたげな表情で顔を見合わせた。
「ですが、陛下には直接断りをいれています。わたしは世継の妃にと定められた女ではなく、ただセオドレドという騎士を愛しただけの娘なのです。彼の代わりはどこにもいません。ですから、わたしが陛下の妃になるというのは、筋違いにもほどがあるというものなのですよ」
よどみなく説明する少女を、兄弟たちは驚いたようにみつめる。
「では、エオメル王もあなたも、決まった相手はいらっしゃらないと」
エルヒリオンは確かめるように聞き返す。おそらく自分の事まで聞いてきたのは、レゴラスとのことがあるからに違いない。
「はい、現在のところは、ですが」
「それではドル・アムロスの総意として大公女ロシリエルをマーク王妃にという話を進めてもよろしいだろうか」
「よいお話だと思います」
密かに自分が考えていたことを向こうも考えていたのだと知っては嬉しくなった。満面の笑みで肯定すると、
「そうですか、ありがとうございます!」
エルヒリオンはの両手を取り、何度も上下に振った。
「ではさっそく、父に報告をしてきます。あ、アムロソス。お前は姫のお相手をしているんだぞ。退屈などさせないようにな」
「はいはい、わかっていますよ、兄さん」
言うが早いか、エルヒリオンは駆け去っていった。慌しい足音が廊下に反響している。
「え……と」
取り残された末弟は、柔らかな笑みを浮かべて片手を差し出した。
「少し、歩きましょうか」
「いいですね」
は青年の手を取ると、ゆっくりと歩き出した。
あとがきは反転で↓は
今回はやはりこう書かなければならないだろうな。
アムロスの4兄妹の性格は、春日が勝手に決めました。前回の話でロシリエルが黒髪とか書いていますが、それも実際のところはどうなのかわかりません。とりあえず、イムラヒルは金髪だけど。
もちろんアムロソスのあれやこれやも春日設定です。
さて、ライバルらしいのがまた増えたな。発奮してくれよー、エオメル。
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