「……ここは変わらないな」
執務室に足を踏み入れたセオドレドは、目を細めてそう呟いた。
「中には手をつけておりません。その必要も特に感じませんでしたので」
エオメルが答えると、セオドレドは苦笑する。
「少しは洒落っ気というものを持ってもいいんじゃないか? せっかくゴンドールだのエルフだのといった、典雅な趣味をお持ちの方々と知り合いになれたのだから」
「仕事部屋を飾ったところで仕方がありません。気が散るだけです」
しかつめらしい顔で即答するエオメルに、セオドレドはやれやれと肩をすくめた。
執務室には五つの椅子があるのだが、二つは背もたれのついているもので、王の執務机及び書記の机と対になっているものだ。ただし書記の椅子は水穂が使っていたので、今日彼は予備の背もたれのない丸椅子を使っていた。軍団長二人も同様である。
ここでひと悶着が起こってしまった。椅子の数と人数は一致しているのだが、誰が背もたれのある椅子を使うかで二人が二人とも引き下がらなかったのである。
エオメルもセオドレドも、一つはまず水穂が座るべきだということで意見の一致をみた。ただ立っているだけでも辛くなってくる臨月の身であるため、これには軍団長も口出しをせず、当の水穂もありがたくその勧めを受け入れた。
しかし、もう一つの椅子は現国王と元世継の間で、互いに相手が座るべきだと譲らなかったのだ。セオドレドは国王はエオメルなのだからエオメルが座るべきだと頑として言い張り、エオメルもエオメルでセオドレドはエオル王家直系の血筋で自分よりも年上なのだから彼が座るべきだと、椅子に近付こうとしない。
軍団長たちも長幼の序がどうの、面子がこうのと話に加わるので中々決着がつかない。
一足先に座っていた水穂は頭の上で会話がなされることにいい加減業を煮やし、すっくと立ち上がって、「だったら、立って話しましょう!」と叫んだ。
男たちはそれでぴたっと動きを止め、気まずそうに互いを見やる。
「お前、どうしても引く気はないか? エオメル」
セオドレドが唇を尖らせると、
「ございません、従兄上」
エオメルはすかさず答えた。セオドレドは小さく息を吐くと、仕方なさそうに椅子を引いた。
「私もないが、それでは話が進まんからな……。こちらの時間にも限りがあるし、私が座るよ」
言いながらどかりと彼は王の執務椅子に座る。
エオメルは満足げに小鼻を膨らませて丸椅子に座ったが、すぐに顔をしかめて従兄に向き合う。
「時間に限りがあるとは……?」
「ここにいられるのは、日が沈むまでのことなんだ」
「ずっといてくださるのではなかったのですか!?」
愕然としたようにエオメルは叫ぶ。
「そのようなこと、私は一言も言っていないぞ」
セオドレドは静かな声で答えた。執務室は絶望的な静寂に包まれる。その中で水穂は何があってもおかしくはないという覚悟でセオドレドを見つめた。彼が運んで来るのは喜びだけではないと感じたのだ。いや、喜びなど彼にもう一度会えたということ以上のものなど、ないのかもしれない。
「ナセはあなたに何を頼んだの、セオドレド様?」
「急くな。そうだな、どこから話せばわかりやすいか……」
セオドレドは両手を膝の上に組んで視線を天井に向けた。
「まずは、そうだな……。エオメル、お前が一時期毎日のように見ていた夢だが……」
「はい」
いきなり重要なところに来たな、とエオメルは生唾を飲み込んだ。
「あれには私は一切関わっていない。どうも聞くところによると、彼は今朝の夢だかに私の姿に化けて遊びに行ったようなのだが」
「あ、遊び……。私が真剣に悩んだことを、遊び……」
ふるふるとエオメルの拳が震える。
「彼に対しては憤るだけ無駄だ。短い付き合いではあるが、私はそのことをよく学ばされたぞ」
「ごめんなさいセオドレド様……。わたしが謝る筋合いではないけどでも、ごめんなさい……」
ナセは一体彼に何をしたのだろう。わからないだけに一層居たたまれなくて、水穂は身を縮こませた。
セオドレドは苦笑いをする。
「マークに来るまでは彼と毎日のように顔を合わせていたのだろう? それだけでも賞賛に値するよ。それはともかく、彼の目的はミズホを取り返すことではない。そのことについては不問に処すと言っておいでだ」
「不問に処す?」
「つまり、許すということですか?」
エオメルと水穂は同時に口を開いた。セオドレドは複雑な表情で頷く。
「彼の言い分では、水穂はマークにおいては一人前の女として扱われているし、故郷の法律でもすでに成人と見なされる年齢を過ぎているのだから、結婚をしたところでなんら問題はないというんだ。それからこれはミズホへの伝言だ。自分で選んだのだから責任を持って王妃として頑張りなさい、と」
「そ、それでいいんですか? わたしはてっきり修羅場を演じなければいけないのだと思っていましたが」
あまりにもあっさりと承諾されて、水穂は面食らった。しかし、こうも簡単に許されては、嬉しいと思うよりも先に不気味さが立ってしまう。
セオドレドはげんなりした顔で肘をついた。
「私もそう思ったので訊ねてみたんだ。そうしたら彼は、ミズホには反対するより許可を与える方が堪えるだろうと言うんだ。親や自分の許可も得ずに結婚したことを、不可抗力とはいえ気にしていないはずがないし、後ろめたくも思っているだろう。とはいえ、反対すれば意固地になるだけ、ならばここはこちらが折れた方が良いとね。そうすれば、さらに済まないと思うようになるだろう、とな」
「言っていることは確かにわかりますが、何と申しますか、そこはかとなく腹が立つ御仁ですな」
エルケンブランドがむっとしたように呟いた。エルフヘルムも同意を示す。
「まるで、こちらを手の平の上で良い様に動かしているようではないですか」
セオドレドは肩をすくめた。
「実際その通りなのだから仕方がない。この私がこうして血肉を備えた肉体を一時とはいえまとって地上に戻れたのも、偏に彼の思惑があったからこそなのだからな」
「やはり、何か脅されたとか強請られたとか……?」
朝の会話を思い出して、すかさずエオメルが口を挟む。
「まあな。ミズホの問題はそれで片付いたとして、結婚は一人でできるものでもない。彼女をこの世界に留めることになった男、つまり私とエオメルに、相応の代償を支払ってもらいたいというのだ」
「代償って……私はともかくどうしてセオドレドが!」
エオメルは憤慨のあまりに立ち上がって叫ぶ。軍団長たちも同様だ。そして水穂は今度ばかりはナセの考えが理解できずに困惑する。
「彼にしてみれば、婚約も結婚も大差はないということだろうよ。それはともかく、ミズホ
がマークへ来て三年になるな……。今だから言えることだが、三年くらいなら迎えが来るのを待つことができるくらいの長さだと思わないか? しかし私もお前も、そんなことは少しも気にせずに……いや、しなかったわけではないがさほど重大な事だとは考えずにミズホを口説いたんだ。それは、彼も面白くはないだろうよ」
「だからと言って……」
エオメルはまだ不満があるように顔を真っ赤にした。セオドレドの口を通してその言葉を聞くしかできないだけに、ますます怒りは募ってくる。
水穂は、エオメルと一緒に怒りたいのだが、そうするとナセのことを悪く言わなくてはいけないので口を開くに開けないでいた。やり方はともかくとして、彼はいつでも自分のことをちゃんと考えてくれていたのだ。一時の激情にかられて見限るのは公平ではない。しかし、どちらの肩も持てないという立場は頭を掻き毟りたいほどもやもやした。しかも一方がこの場にいないのだから尚更だ。これでは彼の真意を問おうと思っても、セオドレドというフィルターを通してでしか答えは返ってこない。そしてその答えは正しいとは限らないのだ。そこに『セオドレドの解釈』というものが混じってしまう以上は。
「ともかくだ、彼は私たちに水穂をこの世界に留め置くための代償を要求してきた。私に対しては、彼の代わりに彼の使者としてエオメルに会いに行くこと。そして実際にミズホを妻にしたエオメルにはこれから先に起こる出来事のどちらかを選ぶことを」
「……あの夢の選択ですね?」
「そうだ」
軍団長二人は王と世継を怪訝そうに見つめた。夢の話は彼らにもしていないのだ。
エオメルはここで夢の内容を軍団長たちに話して聞かせた。一年近く同じ夢を見せられていたということには、さしもの勇士たちも仰天する。そして、意図的に見せられた夢を、エオメルは気力で見ないようにしたというと、驚くのを通り越して呆れていた。
「しかし気力で跳ね返せるような力しか行使しないというのでしたら、そのような言語道断な選択など答えなくとも良いのではありませんか? 代償というのでしたら、宝物庫にある宝を幾つかお渡しすればよろしいでしょう」
エルフヘルムは額に青筋を浮かべながら腕組みをした。
「同感ですな。王妃や王子が、金や宝石に劣るということはありますまい。諸卿も理解してくれるだろう。それに、我が家が陛下から賜った結納の品もお渡ししよう。本来は王妃の実の両親が受け取るべきものだったのだから」
エルケンブランドも言い添えた。エオメルは従兄を気遣わしげに見つめる。
「私は最初から、故郷の者が来たら相応の礼を尽くそうと思っていました。しかしどうやら彼は私と差し向かいで話す気はないようですね。それは残念に思っています。ですが私としてもあのような選択などどちらも選ぶつもりはありません。あまりに一方的過ぎます。その代わりといってはなんですが、宝を渡して済むのでしたら、私としてはそうしたいのですが、お届け願えるでしょうか、セオドレド従兄上」
セオドレドは悲しげに目を伏せた。
「それはできないんだ、エオメル。お前ができることは、彼が提示した選択のどちらかを選ぶことだけなのだ。それ以外のことはすべて、第三の選択を為したと見なされるというのだ」
「第三の選択……?」
「ああ、第三の選択は、お前がどちらも選ばないこと。その時にはすべて白紙に戻る。……ミズホは故郷へ連れ戻され、二度と会うことはできなくなる」
「な……!」
一同は絶句した。一層暗い表情になったセオドレドは、苦痛に耐えるような面持ちで止めを刺した。
「エオメルはまだ若い。それに、まだ一人も子は生まれていない。別の姫を新たに娶り、やり直せばいいだけのことだ。もともと……」
一端言葉を切ったセオドレドは、無理やりひねり出すように続ける。
「もともと、ミズホは私たちと出会うはずもなかったのだから、初めからいなかった者と思えばいい。と……」
怒りを堪えているのだろう、セオドレドは歯軋りをしそうなほど食いしばった。
水穂はナセのあまりにも無情なやり方に、言葉を失い顔色を失くした。エオメルはわなわなと身体を震わせ、激昂する。
「これほどの理不尽を黙って受けよというのですか、セオドレド!」
「他に方法はないんだ!」
「ああ、セオドレド、このような話を貴方から聞かされるとは! 目の前にいるのが、従兄上ではなくあいつだったら、如何様にでもしてやったものを!」
一息に叫ぶエオメルを、セオドレドは悲しげに眺める。
「だからこそ、私が来たんだ」
「それはどういうことです?」
「彼が私に科した代償も、選択式だったんだよ。彼の使者として彼の言葉を伝えるか、黙って成り行きを見守るかだ」
「見守ってくださればよかったのです」
エオメルは渋い顔で吐き捨てる。
「その時には、彼が私の姿をしてお前たちの前に現れていたんだ」
その一言で水穂は弾かれたように顔を上げた。
「夢の件もありましたし、わたしはてっきりナセは後者のやり方をするのだと思っていましたが」
まだ顔色が悪いままだったが、彼女はようやくものが考えられるようになった。しかし、これでますます彼が何を考えているのかわからなくなった。
「そうした方が私にとって楽なのは確かだよ。エオメルなら同じ顔をしていようと、私と彼を間違えたりはしないだろうと思ったしな。しかし、彼が私の顔をしたまま何をしでかすかわからない。事情を知らぬ民たちに何か王家の威信を著しく下げるようなことをされてはたまらないのだ。……お前の身内なのに、このようにしか考えられなくて済まないと思っているが」
セオドレドは気の毒そうに一礼をした。水穂は頭を振る。
「いえ、仕方がないことだと思います。わたしにも庇える限界を超しているとしか思えませんから。だけど信じられない。ここまでする意味があるとは思えません。だって、わたしの父や祖父が結婚する時だって、特別何かがあったとは聞いていませんもの。お嫁に行った叔母たちだってそうよ。どうしてわたしだけ……」
「いや、嫁に行ったとはいえ、それは同じ世界の、ほとんどが同じ国の者のところへだろう? さすがに、陛下や妃殿下の場合とは事情は異なるとは思うが」
エルフヘルムが口を挟む。水穂は決然と返した。
「それでも、結婚は結婚です」
「一応な、理由はあるんだ」
ぼそりとセオドレドは呟いた。一同の視線は彼に集中する。
「理由というのは?」
「ミズホ
は本来、私たちと出会うはずはなかった。……睨むな、エオメル。本当のことだろう。それで、私もエオメルも、結婚をしたのならばその相手は別にいたはずなんだ。この世界のどこかにな」
「……あ」
全然考えたことがないのだろう、エオメルは一拍を置いて呆然と口を開いた。
「その本来の結婚相手たる女性は、どうなるのか? 別の男と結婚というのが、この場合の最善の解決策だろうが、そうなるとその別の男は本来私かお前と結婚する予定だった娘と結婚するわけではなかったということになるな」
「……ややこしいですが、なんとかわかります」
「で、その本来行われるはずではなかった結婚がどんどん連鎖されてゆくと、当然生まれる子供も本来生まれるはずの子ではなく、生まれる予定でははなかった子供になるんだ。さらにその子たちが成長して結婚して……と続くと中々怖いことになると思わないか?」
ようやくナセが何を危惧しているのかはわかった。理が彼の側にあるのも認めざるをえない。自分は相当大変なことをしでかしてしまったのだ。水穂は青い顔で頷いた。
「未来が大きく変わってしまうんですね」
「ミズホがいなかった世界と存在している世界。どちらがこの世界にとってより良い未来になるのかは、ただの人の子である私などにはわからん。さすがに彼もそこまでは教えてくれなかったからな。彼はそのすべての連鎖をどうにかしようと言っていた。今後広がる影響を含めてな。代償はその労力に対するものだとしたら、彼の要求もそれほど理不尽だとは思えまい」
「だったら、わたしに対して代償を求めれば良かったんだわ。こんな風に、もう大人なのだから自分の責任で頑張れって突き放しておいて、肝心なことはすべてエオメルに背負わせるなんて。おまけにセオドレド様を苦しめて!」
水穂はどうすることもできない自分が歯がゆくて、膝を何度も拳で叩いた。自分の思慮の浅さがこの事態を招いたのだ。情けなくて涙が出てくる。
と、水穂はひらめきを感じて硬直した。
「それが狙いなのね。これが、わたしに対する代償なのね……」
それは確信へと変じ、水穂を打ちのめした。
「迎えに来るまで待っていなかったから、怒っているのね」
当然だろう、と思った。水穂は自分の身に起こったことだったからこそ、どうやって生活していこうかと案じこそすれ、迎えが来ないなどという心配はしなかった。生きているうちに来るかどうかは別だ。ナセが自分を探していないなどとは思わなかった。
だが、探していたナセはどうだっただろう。気を揉んで、心配して、ようやく見つけてみればその子は結構楽しく暮していて、もう帰らなくてもよいとすら考えていたのだ。ナセが腹を立てたとしても、それを責める権利は自分にはない。
セオドレドはそれには答えず、そっと水穂から目をそらした。
「エオメル、こういう事情があるんだ。是が非でもお前にはどちらかを選んでもらわなければならない。それからこれには期限があって、私がいられる日暮れまでだ。それを過ぎたら……」
「第三の選択が発動されるのですね」
硬い声でエオメルが続きを奪う。
「その通りだ」
エオメルはむっつり黙り込み、苛立たしげに足を踏み鳴らした。
「選べないだろう?」
静かな声でセオドレドは呟いた。
「ええ。己の身を半分に裂けと言われた方が遥かにましな問いですね。なのに、このどちらかを選べというのなら、彼は根が腐っているのだと思わざるをえません」
夫のきつい口調に、水穂はびくりとした。そんなことはない、意味のない理不尽をするような方とではないと、胸の中では反射的にかばう。
だが、それが口から出てくることはなかった。セオドレドを使うというやり口で間接的に痛めつけられて、戦う気力がなくなってしまったのだ。
「そうだろうな。あんな、範囲のあやふやな、しかも選んだ後に何がどうなるかもわからない選択など、選びようがあるまい」
「……選ばれなかった方が死ぬのではないのですか?」
思いもよらなかったというように、水穂は目を丸くした。
「まあ、そういうことなんだがな」
セオドレドは言葉を濁す。
「それに、範囲とは?」
今度はエオメルが場違いなほどきょとんとして訊ねた。
「彼は妃か王子か、と聞いたんだ。その妃がミズホだとも、王子がミズホが生んだ子だとも言っていないだろう?」
「そ、そうかもしれませんが、この場合他に誰が……」
「彼がそういっているからといって、ミズホのことであるとは限るまい。それで、もう少し詳しいことを聞かせていただいたんだ。」
「それで、何と?」
「王妃を選んだ場合は、王子が生まれなくなるのだという」
「……は?」
エオメルは素っ頓狂な声をあげた。
「姫なら生まれる。そして、王妃は……現段階ではミズホだが、定められた寿命を生きることになるということだ。その寿命がどれくらいかは、私には教えてもらえなかったが、不慮の事故や病気でも起こらない限り、まあ大丈夫ではないかと思った」
「それはつまり、世継がほしければ姫に婿を取らせてその男を次の王にするか、エオウィンのところに男の子が二人以上できたら、一人を養子にすれば良い、という意味ですか?」
「そちらを選んだ場合の現実的な対応策はそれくらいだろうな」
「……もう一つあるわ」
萎えた気力をかき集めて、水穂は話に加わった。
エオメルの出した案は、そうするより他にないというものではあるが、もっと単純な方法がある。
「離婚をすればいいんだわ。王子が生めない王妃は、今のマークには必要ないもの」
「そのようなこと……!」
激したエオメルが立ち上がる。セオドレドはそれを制した。
「それは意味のないことだ、ミズホ。この選択での『王妃』は、そなたに限られてはいない。エオメルが他の娘と結婚しようと、王子は生まれぬ。それから、腹立たしいだろうが、例えとして聞いてくれ、エオメルが王妃以外の女に子を生ませようとしても、結果は同じだ。姫なら生まれるが、王子は生まれん」
「なら、王子を選んだ場合は?」
「王子は生まれる。が、姫が生まれないというわけではない。王子が生まれるということは、その間は王妃が存在していなければないのだが、生まれた後はどうなるかわからん。彼が言うには速やかに退場してもらう、とか……かなり物騒なことをおっしゃっていたが」
「そちらを選んだ場合も、王妃が誰であるかは関係ないのですか?」
念のためにエオメルは確認する。セオドレドは頷いた。
「ちょっと待ってください、セオドレド。納得がいきません。それでは私の選択しだいで、今ミズホの腹に入っている子の性別が決まるとでもいうのですか?そんな、無茶苦茶な」
すっかり混乱したエオメルは、眉間にしわを寄せた。
「まあ、それは私も気になったが、男か女かは教えてもらえなかったんだ。ただ、これは私の考えだが、腹の子は女の子ではないかと思う」
「そうですね。それならどちらを選んでも対応できますもの。王子を選んだ時でも、姫が生まれないわけではないのですし、王子はその次、ということになるのでしょうね」
故郷ならば男か女かは機械の力で知ることもできるのだが、ここでは迷信のような判別法しかないのだ。水穂はよくもここまで事態をこじらせる事ができるものだと、この場に来なかった相方を恨めしく思った。
「しかし王子を選んだあと、次の子を作らなかった場合はどうなるんです? 今腹に入っているのが姫だというのが前提の疑問ですが」
エオメルの問いに、セオドレドは顔をしかめた。
「それは思い至らなかったな。どうなるのだろう……」
王子が生まれなければ王妃は寿命まで生きられるということだろうか。しかしそれでは王妃を選んだ時と同じ結果になる。
水穂もナセの記憶と彼の取りそうな行動のあらゆる可能性を考慮して考え込んだ。マークへ来てからというもの、その予想はさっぱり当たらなくなってしまったが、それでもナセのことを一番知っているのは水穂だった。会ってそれほどもないセオドレドがわからないとなると、一度も会ったことのない軍団長たちや、会ったには会ったようだが交渉の余地がなかったエオメルにはもっとわからないだろう。
「予想でしかないのだけど……多分、王子を作らなくても王妃は長く生きられなくなるのだと思う。王子を選んだのに子供を作らなかったというのは、こちらの都合になるのだもの。王妃の寿命に上限が設けられるのではないかしら」
現王妃である水穂の発言に、男たちは顔を強張らせた。
「寿命の上限……なるほどな。それなら何も彼がずっとこの世界に留まって監視する必要はないわけだ」
比較的落ち着いているセオドレドが口を聞いた。水穂も頷く。
「こうなると、第三の選択が一番ましだと思えるわ。そうすれば少なくとも呪いみたいに王子が生めない王妃や、早死にするとわかっている王妃が出現することはなくなるのだもの」
エオメルとマークの将来を考えれば、それしかないように思えた。もしかしたらナセは最初からそのつもりでこのようなことを言い出したのかのかとすら思えてしまう。
軍団長たちは答えない。違うと言い切れないのだ。
王妃を選んだ場合、婿か養子を取ることになるという。それはそうだろうが、こういうことはかならずしも上手く行くとは限らないだろう。
マークでは王の直系男子が絶えたことが二度あった。しかし王の妹の子が次の王となったのだ。だが結婚して間もないエオウィンが男子を二人以上生む保障はどこにもない。
ましてや王妃が姫しか生めないのでは、その子はたとえ年頃になっても王位は継げない。少なくとも前例はないのだ。姫の婿ならその男は王家の血筋ではないが、それでも民の信頼を受けることができるだろうか。
王子を選んだ場合はもっと難しい問題が生じる可能性がある。
男の欲は御しがたい。妃を愛すな、などと彼らには言えなかった。それに寿命の上限付なら、愛さなくとも死ぬことになるだろう。早くに妃を亡くした王には、再婚の話が持ち上がるのが通常だ。セオデンのように頑として応じない者もいるが、だからといって彼に倣ってエオメルに独り身で過ごせとは言えないし、宮廷の花たる王妃は民にとっても必要だ。だが、娶った妃が次々に死んでいったら、民はどう思うだろう。そしてもし、その妃が外国から来た姫だったら? 微妙で
不愉快な問題が起こるのは請け合いである。
まさに呪われたローハン、そして呪われたマーク王の図だった。
水穂が自分から言ったとおり、沈黙することが最善にしか思えなくなってくる。
そう感じたのは軍団長たちばかりではない。
エオメルは大きなため息をつくと、不機嫌にそっぽを向いて黙り込んだのだった。
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