1月13日
カラズラス越えが不可能になったので、モリアという坑道を通ることになりました。
モリアはずーっと昔のドワーフの王国があったところだということで、ギムリさんはとてもうれしそうでした。
こんなことを言ったら絶対怒られると思うので、本人には言わないけど、そんなギムリさんはとっても可愛いと思う。
ああ、そうそう。今朝、まだ暗い頃に狼(ワーグ)の群れに襲われました。
わたしとホビットたちははっきり言って役立たずでした。
一番活躍をしたのはガンダルフです。
だって魔法を使って撃退したのだもの!
ものすごい迫力だったわ。
でもね、ガンダルフ。いくらなんでも周囲の木々をまるごと燃やすのはやりすぎだと思う。味方には燃え移らないようにしていたとは思うけど…
、心のミドルアース日記より
暗闇への入り口
1日中歩き詰め、太陽が沈む前にモリアの門がある壁の前にたどり着くことが出来た。
壁の反対側には巨大な湖が陰気な色をたたえており、これらの間にあまり広くない道が続いていたのだった。
道の終わりには立派な柊の木が2本、枝を広げて門のようにそびえていた。
「扉は閉じていると目に見えないんだ」
ギムリは斧で壁を軽く叩く。
「そうじゃ、その仕掛けを忘れてしもうたら、主人にも見つからん」
ガンダルフがそう言うと、
「そんなことだろうと思ったよ」
レゴラスはさらりと毒を吐き、ギムリは、むうっと顔を顰めた。
「どうしたんだ?」
アラゴルンは後ろから突付かれて振り返る。
内緒話をするように右手を口元に当てているのほうへ少し屈む。
「あの、今更聞くのもなんだけど、レゴラスとギムリさんて、どうしてあんなに仲が悪いの?」
心配そうに少し眉根を寄せているに
「ああ…」
納得したようにアラゴルンは頷いた。
ただでさえ静かな場所だ。声を潜めていてもきっとエルフには聞こえているだろう。
「あの2人の仲の悪さは種族的なものだ。何か個人的な諍いがあったわけではない。エルフとドワーフはずっと以前の時代には親密だったこともあるのだが…まあ、いろいろあってな」
「そう。それならあんまり心配することはないのね」
「え?」
安心した、というように微笑を浮かべる少女を、アラゴルンは驚いたように見返した。
「だって、エルフだから、ドワーフだからって言う理由で仲が悪いんでしょう?レゴラスだから、ギムリさんだから、っていう理由とでは天地の差があるわよ。そういう理由なら、お互いに良く知り合えば、仲良くなることもできるようになるもの」
はふわりと笑った。
「それは…そうだが…」
そう上手くいくのだろうか、とちらりと後ろにいるエルフに目をやると、案の定、今度はレゴラスのほうが顔を顰めていた。
そんな話をしている間、ガンダルフは柊の間の壁を探っていた。
星と月の光に浮かび上がると呟き、空を見上げると、折よく雲が流れてゆき、煌々と輝く満月が姿を現す。
その光を受け、門の表面に文字と2本の木の模様が浮かび上がっていた。
「こうある。『モリアの領主ドゥリンの扉 唱えよ 友 そして入れ』」
「それってどういう意味?」
間髪を入れずにピピンが尋ねた。
「友達なら合言葉を言えば扉が開くということじゃ」
アンノン エゼルレン エドロ ヒ アムメン!
命令するようにガンダルフが呪文を唱えたが、何も起こらなかった。
フェンナス ノゴスリム ラスト べス ラムメン!
「びくともしないや」
と、またもやピピン。
「以前のわしなら、エルフ語オーク語、どんな呪文でも全て言えたんじゃが」
扉に体当たりをかけたり、押したりといろいろ試しながらガンダルフは呟く。
「じゃ、どうするんです?」
さらにピピンは問いかけた。
「お前さんの頭で叩くのじゃ、ペレグリン・トゥック!それで開くか試せばいい!!」
立て続けに繰り出されるピピンの質問に苛立ったガンダルフは、とうとう怒鳴りだすのだった。
「くだらん質問はやめておとなしくしていてくれんか?わしは正しい呪文を見つけねばならん」
そう言い付けるとガンダルフはありとあらゆる言語を扉に向かって唱え始める。
アラゴルンとサムは子馬のビルから荷を降ろし、坑道に入るのに必要なものとそうでないものとを分けており、他にすることの無い者たちは待ちの体勢に入った。
「ねえねえ、の世界の呪文で、何かない?」
しばらく黙っていたピピンはさっき怒られたのも忘れたように、陽気にに話しかけてきた。
「呪文?扉を開くための?」
「そうそう」
「いくらなんでも開くわけないだろ、ピピン」
メリーが混ぜ返すと、
「試すだけでも試してみたら?」
面白そうにレゴラスが勧めた。
「え〜と、扉を開ける…ねえ。有名なのだと『ひらけゴマ』とか…」
が言うと、全員がつられたように一斉に扉に注目した。
もちろん何も起こらなかったが。
「ゴマって、あの食べるやつ?」
と、ピピン。
「なんでゴマなの?」
続いてメリー。
「………さあ…」
わたしも知らない、と。
レゴラスは肩を震わせて声もなく笑っていた。
「ギムリ殿、扉を内側から開けていただくわけにはいかないのでしょうか」
ボロミアは気を利かせて話題を変えようと、ギムリに話しかける。
「モリアにはいとこ殿がおられるのでしょう?」
ギムリは難しい顔で考え込んでいたが、ややあって首を左右に振った。
「わたしはモリアについて多く聞き及んではいるが、内部がどのようになっているかについては判りかねます。モリアの扉は厚さもかなりあり、たとえ叫んでも中には聞こえないでしょう。巨大な槌でもあれば別だろうが、それでも近くにドワーフが居なければ意味のないことです」
ギムリの言葉にボロミアは失望したように、眉をよせた。
扉はまだ開きそうにもない。
は特にやることもないままに、ぼんやりと怪しげな主でもいそうな澱んだ水面を眺めていた。
月の光が明るいので、それほど不安は感じない。
「わたしの故郷では、中に誰かがいて、扉を開けてもらえないときには宴会を開くんだけどね」
ボロミアとギムリの会話から、ふと故郷の神話を思い出した。
口に出したつもりはなかったのだが…。
「「宴会!?」」
メリーとピピンが目を輝かせて聞き返してきた。
「うん。歌ったり踊ったりして目一杯楽しそうにして、中にいる人をおびき出すの」
は苦笑しながらものすごく端折った説明を2人にした。
でも、叫んでも中に聞こえないようじゃ、やっても意味ないだろう、と思っていたら。
「へえ〜」
「なるほど、それっていいかも」
感心したように頷きあい、にんまりと目と目で合図をすると、ホビット2人はやおら踊り始めたのだった。
彼らは腕を組んでぐるぐる回ったりぴょんぴょん飛び跳ねたり、陽気な掛け声をかけながら踊りまくる。
「…えーと…」
君たち、さっきの話聞いてた?
はなんとなく口には出せなかったが、きっと他の皆もおんなじ事を考えていたに違いないと思った。
(でも楽しそうよね。だけど左腕、固定したままだと踊りにくいのよね〜。バク宙もできないもの。何か…道具は、と)
は鞄を下ろして中から金色の輪を2つ取り出した。
輪は顔よりふた回りほど大きいくらいで、その内側には三日月ほどの幅の位置に弧を描いた棒が差し渡されている。全体に細かな装飾が施され、握りの部分には鮮やかな赤い布が巻きつき、その両側には同色のタッセルが揺れている。
これは舞踊の小道具で、「圏」という。
その形状から「日月乾坤圏(じつげつけんこんけん)」ともいう、の今一番のお気に入りだった。
それらを軽く握り、ててっとメリーとピピンのそばまで行くと、掛け声とともに一方を空高く放り投げた。
それが落ちてくると今まで握っていたほうを放り投げ、また落ちてくると放り投げ、時にはつま先で受け止める。
あいにくジャグリングをするのは無理だったが、これなら何もなしよりははるかに見栄えがする。
なんだか2人にはやたら受けたようで、盛大な声援を受けた。
がそれに笑って答えると、今度は後方から弾けた笑い声がした。
レゴラスだ。
今までただこちらを眺めているだけだったレゴラスが、楽しげな笑みを浮かべたまま3人の方へ歩み寄り、ふっと息を吸うと歌い始めたのだ。
伸びやかでテンポの良い歌声は一帯に朗々と響きわたる。
初めて聞く歌だったが、は何とかリズムに乗れた。
だが、そんなことは問題じゃない。
(やっぱり、思い出しちゃうなあ…)
顔も性格も似てるわけじゃないけど
レゴラスを見ていると、元の世界のあのひとを思い出してしまう。
彼もよくこうやって月の下で歌っていた。
とても上機嫌で。
手のひらほどの大きさの杯に満たされた大吟醸を呷りながら。
今頃どうしてるだろう。
力一杯心配しているのは間違いないだろうけど。
泣き喚いたって帰れるわけじゃないから、逆に元の世界のことは思い出さないようにしていた。
わたしが帰れないのは誰のせいでもないのだから。
我が身の不運を嘆くだけしかしない、無様な行動だけはとりたくない。
なのに思い出しちゃうのよね。
これって、精神衛生にものすごく悪いわ。
つい、いつもあのひとにやっていたみたいに抱きつきそうになったり、愚痴をこぼしたりしそうになるのよね。
でもそんなことされたらレゴラスも困るだろうし、第一失礼だ。
ここにいない者の身代わりなんて。
わたしは改めてレゴラスに視線をむけた。
月光を浴びて歌う彼の人は幻のように綺麗だった。
彫像より整った容貌も、陶然と月を映す眼差しも、微風になびく金糸の髪も。
高い音を発するのに少しおとがいを上げると、白い喉がわずかに見える。
その何もかもが。
まったく、には驚かされてばかりいるよ。
小さい人たちが踊りだしたのを呆然と見ていたと思ったら、一緒に加わったりして。
可愛いなあ、と眺めていたら、その舞の見事なことといったら!
太陽と三日月を組み合わせたような形の金色の輪を2つ、器用に操って、手も足もしなやかに動く。
月光を反射した飴色の髪は普段にも増して艶やかで、愛らしいとばかり思っていたその顔は、妖艶にすら見える。
ちら、と横目で他の男どもの様子を伺うと、案の定惚けた様に見入っていた。
まあその気持ちは分かるけどね。
だけど、残念だな。どうせなら観客は私1人であれば良かったのに。
…おかしいな。
どうして私はこんなにのことばかり考えているのだろう。
今までこんなことはなかったのに。
ただ1人のことばかり考えているなんて…
自分の気持ちが分からないのがなんだかおかしくて、つい声を立てて笑ってしまった。
やめやめ。
せっかくの舞なのに、こんな楽しくない気持ちでいるなんて馬鹿らしい。
私は踊っている3人の方へ行き、エルフ語で歌った。
は驚いたように少し目を見張ったが、すぐに私の歌に合わせてくれた。
可愛い。今日の歌は君のために――
歌っているとだんだん気分が高まってくる。
レゴラスがなんとなくに向かって両手を広げると、彼女はうれしそうに笑って駆け寄ってきた。
そのまま抱きしめようとしたのだが、なぜか彼女はレゴラスの左手に自分の右手を重ね、そして、
「!?」
は地を強く蹴り、次の瞬間、彼女の小柄な身体は宙を舞っていた。
その体勢から空中で一回転をし、砂利を踏む音を軽くさせてきれいに着地した。
膝を曲げて優雅に一礼すると、旋回しながら元いた場所に戻ってゆく。
踊っていたメリーとピピンは盛大に歓声を上げ、様子を見ていただけのフロドとサムも楽しそうに拍手を送った。が――
「いい加減にせんかこの馬鹿者ども!静かにしろというのがわからんのか!!」
とうとうぶち切れたガンダルフの怒鳴り声で、突発的舞踏会は終了したのだった。
(飛んで行ってしまうかと思った…)
ローブも魔力の込められた宝石も、使えなくなるほどぼろぼろになっていても。
翼に変わる腕が折れていようとも。
自分には計り知れない異界の魔女たる力でもって、目の前から消えてしまうのだと。
そんなことは有り得ないのに。
我に返ったレゴラスは、とっさに浮かんだ自分の考えに苦笑した。
ひとしきりガンダルフから説教を食らってから少しして、フロドが扉の呪文がなぞなぞであることに気付いた。
「メルロン」
ガンダルフが告げると、扉は重々しく軋みながら外に向かって開かれた。
全員の目がそちらに向かい、そして、水面になにかが泳いでいるような波紋が立ったことに気付かなかった。
「すぐにもてなし好きのドワーフが現れるぞ、エルフ殿。燃え上がる焚き火、モルトビールと、骨付き肉!我がいとこバーリン自慢の住処だ。坑道とはとても思えまい!」
ギムリはそっくり返りそうな勢いで語り、ガンダルフは杖の先に明かりを灯し、他の者は真っ暗な中を物珍しげに、あるいは恐る恐る進んでゆく。
「たしかに」
ボロミアが硬い声音で返す。
「墓場だ」
はっと辺りを見回すと、足元から少し先の階段まで至る所に半ばミイラ化した骸が転がっていた。
どれも事切れてから随分時間が経ったのだろう。すでに腐臭もしていなかった。
「嘘だ…嘘だ――!!!」
ギムリの悲痛な叫びが木霊する。
レゴラスは死体に刺さっていた矢を1本抜き取るとさっと厳しい表情になった。
「オークだ!」
その声に男たちは一斉に武器を構える。
レゴラスは弓に矢をつがえながらあたりを警戒し、いつでも庇えるよう丸腰の少女の傍へ駆け寄る。
ホビットたちは一箇所に固まり、不安げに上を見上げている。
「ローハンの谷へ行こう!ここへ来るべきではなかった!!」
ボロミアが叫ぶ。
「皆、出ろ!外に出ろ!!」
アラゴルンが急き立てた。
「う、うわああああっ!!」
フロドの悲鳴に振り返ると、湖の中から伸ばされた触手が彼の足首に巻きついていた。小さなホビットには抗う術もなく、ズルズルと引きずられて行く。
「馳夫さん!馳夫さん!!」
サムは必死にアラゴルンを呼び、メリーとピピンはフロドを追った。
2人は水際まで引き摺られたフロドを押さえ込み、サムは触手を切り捨てた。
「フロド!」
「駄目だ!はここから出るんじゃない!」
「でも…!」
「ここにいるんだ、いいね」
駆け出したを引きとめ、レゴラスは坑道の外へ飛び出す。
うねうねと蠢く気味の悪い触手が数本躍り出て、一度は離したフロドを再び捕らえようとその腕を伸ばし、他のホビットを打ち据えた。
もう、なんなのよ、これは!?
どうして次から次に厄介事が湧いてくるの!
彼らと一緒に行動するようになって5日。
旅の目的を聞いて、わたし本当に落ちこんだんだから。
わたしってば、この世界の命運がかかっている旅の一行に面倒をかけたおしちゃってるのよ!
何事かが起こればレゴラスが守ってくれる。
何事もなくても、レゴラスは見ていてくれる。
レゴラスが守らなきゃならないのは本当ならフロドなのに。
わたしがいるせいで余計な負担をかけてしまっている。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
は唇を噛み締め、俯いた。
強い感情を押し殺すように服の裾を爪が白くなるまで握り締める。
それからゆっくりと顔を上げると、そこここに倒れている死体を見下ろした。
弓弦の鋭い音をさせ、レゴラスが矢を放つ。
狙いを違わずそれはフロドを捕らえている触手に当たった。
アラゴルンとボロミアも水の中に入って応戦している。
触手はフロドを彼らから遠ざけようとするかのようにさらに高く伸びる。
激しい水音をさせ、水中から本体が現れた。
腐った木の根っこのような凹凸の1つが口を開き、中の鋭く尖った歯が見て取れた。
するとそこに向かって空を切って投げ込まれたものがあった。
そこが顔なのだとしたら下唇にあたる所に、柄の折れた槍が突き刺さっている。
「何をしているんだ!中に戻るんだ!!」
振り返り、怒鳴るレゴラスを少女はキッと見返した。
「…冗談じゃないわ。守られるだけしか出来ないなんて」
痛いほど真剣な表情で、自分に言い聞かせるように呟く。
「わたしにだって出来ることはあるのよ!!」
は叫んで手斧を握った。
彼女の足元にはその辺から集めてきた槍などが5,6本転がっている。
いずれも灰色に変色した血の跡や刃こぼれがあったが、要はあれに当たればよいのだから、とさして気に留めなかった。
水際ぎりぎりに立ち、回転を加えて手斧を投げつける。
それは頬にあたる所をかすめ、水中に没した。
次には槍を掴む。
レゴラスは驚きに目を瞬かせていたが、少女の邪魔にならないよう少し離れて矢を打ち放った。
その距離は、いざとなれば一足飛びで彼女の元へ行けるだけのものだった。
その時アラゴルンがフロドを捕らえている触手を切り離した。
触手はフロドを落としたが、水中に落ちる前にボロミアが受け止めた。
フロドを抱え、ボロミアは坑道に向かって走り出す。
「レゴラース!」
「坑道に入れ!」
レゴラスは援護を要請する声に素早く矢をつがえると、口腔を狙って放つ。
「、戻るよ」
「うん!」
当たるが当然と矢の行き先を確認せずにの手を取って走る。
坑道に戻ろうとする10人を追って、それは水中から這い出してきた。
触手が門に取り付き、およそ地上に在るには向かない不恰好な胴体が露になる。
門はそれらの重さと張力に耐え切れずに崩壊し始めた。
両脇の岩が崩れ天井が落ち、重い落下音ともうもうたる土煙と共に門が埋まっていった。
それを見ているしか出来なかった。
一切の光が失われ、坑道を進むしかなくなった。
出口は、山の反対側のみ。
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