ばらばらと分散していた意識が、一つにまとまってゆく。
ゆっくりと目を開けた。
そこには。
鮮やかに満面の笑みを浮かべながら、真っ黒なオーラを漂わせている美女がたたずんでいた。
賭けられてる人々、三様
「おかえりなさい」
にっこりと、彼女は美しい切れ長の瞳を細めてヴァロマに微笑みかけた。
声は頭の芯を蕩かすような、甘い響きを帯びている。
「た、ただいま戻りました。母上」
ヴァロマは目の前の人物に気付くや、すかさず笑顔で返した。
口元は明らかに引きつっているのだが。
女は優雅な形の唇にさらに深く笑みを刻む。
その姿に銘をつけるのならば『慈愛』。
そして女は口を開き、
「ただいまじゃないわよ、この莫迦――!!」
と、怒鳴った。
予期していたヴァロマは突風が過ぎ去るのを待つが如く、目を瞑って怒声に耐えた。
「いや、申し訳ないとは思っているんですよ。貴女の苦労は知ってますから。でもひいながどうしているのか、心配で心配で」
「不安だから、心配だから、というのは免罪符にはならないわ。わたくしは前からそう言っていたでしょう?勝手に別の世界に跳ぶなんて…自分の立場をわかっているの!?定命の子らが迷い込んでしまうのとは訳が違う。下手をしたら、あちらとこちらで戦争になってしまうのよ!?」
女の強い叱責にヴァロマは肩をすくめただけだった。
「わかっていますよ。わたしは世界の作成者の一人ですからね。縄張り争いが起こるから、他世界への干渉は一切厳禁。ただ貴女のみが唯一の例外…。わかっていますよ。頭では」
「感情は別とでも言いたいの?言い訳は無用よ。あんたはあの子だけでなく、わたくしたちすべてを危険にさらした。しばらくの間、力を行使することを禁じます。もちろん彼女との誓約も解除するわ」
「ちょっ…!待ってください。誓約の解除って…そんなことしたらひいなの護りが」
「もともと現状では届いてないわ。あんたが向こうで何をしてきたかは大体想像つくけど、気休め程度のことしか出来なかったでしょう?今のあの子は誓約が解除されたって気付けない。だからこれを罰だと思うのはあんただけなの。前に言っていたじゃない。「生きてる」ということしかわからないのは却って怖いって。そういう意味ではこれって恩寵だと思うけど?」
「冗談ではありませんよ。何が恩寵ですか!ひいなは死ぬ気になってるんですよ!?おまけにエルフとかいう妖精族の男が2人、あの子を狙っているんです。場所はわかったのですから、早く迎えに行きましょう。その後だったらいくらでも罰を受けますから!」
そういうと、ヴァロマは女に手を差し伸べた。
女は厳しい表情でその手を取ると,一瞬強く目を閉じた。
「――あの子らしいといえば、この上なくあの子らしいけど…
どうしてそこで旅を続けるっていう結論になるのかしら…」
頭が痛いというように、額を押さえて女は呟いた。
ヴァロマを通して、女もミドル・アースの情報を得たのだ。
がどのような目にあったのか。
誰と出会い、何を話したか。
何を考え、何を決めたか――。
わが意を得たりとヴァロマは力強く説得する。
「でしょう!?わたしが見たところ、花の夢見る国は留まるには悪くない地でしたよ。たとえ指環破棄が失敗したとしても、母上が着くまでには十分持ちこたえられるでしょう。正直、彼の世界の現状を知って、気の毒だとは思いました。あの「身の毛のよだつ者」も、わたしからすれば敵ではないですし。だけど、手出しするわけには行かないでしょう?それこそ、あちらの「世界の諸力」たちとわれわれ「世界の作成者」とで、どちらかが滅びるまで戦わなくてはならなくなりますからね。だから、何とかしてやりたいとは思ったけど、我慢して指輪も壊さなかったし、どうしてくれようと思ったけど、緑葉にも木の下闇にもなにもしませんでしたよ」
釘は刺しておいたけど、と澄まして最後に小さく付け加えた。
ややあってから、ヴァロマははふ、とやや大げさにため息をついた。
「でも、きっとひいなは行ってしまうのだろうな…こんな時に、傍観することもできないなんて…辛いです」
+++
「むー。強情だなあ」
はぷうと頬を膨らませ、厳しい表情のエルフの青年を見上げる。
「強情なのは君の方だ」
ハルディアはぴしりと言い放った。
ヴァロマ来臨から一昼夜たち、いつもの落ち着きを取り戻したロスロリアンでは、3人の男女が小一時間ほど言い争いをしていた。
旅を続けるのだと言ってきかないと、断固反対の姿勢のハルディア。
そして、
「いい加減にしたら。しつこい男は嫌われるよ?ハルディア」
つまらなそうに時々口を挟むレゴラス。
話は平行線のまま、どちらも引こうとはしない。
「初めて会ったときから不思議だった。傷の痛みも喪失の悲しみも、君の誇り高さを奪ってはいなかった。なのに私には、君が何かを諦めていたように見えていたのだ。それがこれなのか?ミスランディアの代わりとして行くことが。故郷に、帰れなくなっても――」
「それってちょっと違うわ、ハルディア。わたしにガンダルフの代わりが勤まるはずがないじゃない。旅を続けるって決めたのは、ガンダルフがいなくなったからじゃない。もっと前から決めていたことよ」
ハルディアの秀麗な面をしかめる。
「もっと前――?君はこちらに来てから一月と経っていないはずだろう。旅するよりも、ロスロリアンにいる方がすでに長くなっているではないか。一日二日で決めたとでも?なにが君にそうさせたんだ!?」
「一日二日じゃないよ、五日だ」
しれっとしてレゴラスは口を挟む。
「モリアに入った日の夜だもの。五日目だったよね?」
むっとしたようなハルディアの表情をさらりと無視して、いかにも親しげにに笑いかけた。
「…そうだけど」
あまりハルディアを刺激しないでほしいなあと言う表情ではレゴラスを見上げる。
レゴラスはクスクスと笑いながら、
「ハルディアと同じことをフロドも聞いているんだよ。私だってその事を知るまでは、てっきりミスランディアの代わりに行くのだと思っていたけど、そうじゃなかったんだ。が旅するのは、そう定められているからなんだよ」
だから止めても無駄なのだと言外に含んだ。
「これがの運命だと?しかし、ヴァロマ殿はそのようなことは一言も仰ってはいなかったが?」
ヴァロマの名前を出されて、レゴラスは言葉に詰まった。
なんとなれば、自分とハルディアに対するヴァロマの評価は、わずかな差ではあると思うがハルディアの方が勝っているようだったからだ。
「運命かどうかはわからないけど、でも吾が神はやっぱり止めようとはしなかったでしょ?」
が本気でそう言うと、
「あれのどこが!?」
「今までの話を理解していなかったのか!?」
レゴラスとハルディアは同時に絶叫した。
「え?え?だって、吾が神、結局フロドに会いもしなかったんでしょ?」
は2人の剣幕にたじたじとなりながらも確認をする。
「フロド殿?」
「たしかにそうだけど…」
「2人ともしっかりしてよ。いいこと?旅の中心は誰?フロドでしょう?もし吾が神が本当にわたしを止めようとしたのなら、ハルディアに説得を頼むよりフロドをどうにかしてるわよ。フロドに何かあったら、もしくは指輪がどうにかなったら、旅する理由自体がなくなっちゃうんだから」
「…確かに」
「…そういえば」
真顔で呟く2人に、はがっくりと肩を落とした。
「まあ、だとしても、だ。」
ハルディアは照れ隠しのように咳払いを一つして居住まいを正した。
「うん?」
「私は、やはり君が旅をすることには反対だ」
「ハルディア!?いい加減に…!」
「君の決意が固いことはよくわかった。ヴァロマ殿でも君を止め得ないことも。だが君は弱い。剣も弓も使えないのだろう?君の特殊な能力がいくら有効であっても、いや、だからこそ却って危険が君を取り囲むだろう。それに対し、いかなる対処が出来る?死にに行くようなものだ。決意や熱意だけではどうにもならないこともあるのだということを、君は知るべきだ」
真っ直ぐを見つめながら淡々と話すハルディアには逆らいがたい迫力があった。は言葉に窮し、恨みがましい目つきで、
「……石頭」
ぼそりと呟いた。
しっかりと聞こえていたハルディアはにやりと口の端をあげる。
「石頭で結構。本来ならば、これは職権乱用になるのだが、ロスロリアンの国境警備隊長として、、君の出発は許さない。覚悟するんだな」
「それって、横暴!」
「何とでも言うがいい」
「〜!準備できたわよー!」
険悪な空気の中をスーリンが軽やかに駆け寄ってきた。
二ムロスとエスイラノールも一緒である。
「あ、はーい!」
その声にぱっと表情を明るくして立ち上がる。
「、準備って?」
問われてはじっとレゴラスを見、次にハルディアにも視線を注いだ。さらにもう一度レゴラスに目をやり、いたずらっぽく微笑んだ。
「内緒」
はスーリンと連れ立って行ってしまったが、ニムロスとエスイラノールはその場に留まった。
少女が十分遠ざかったのを確認すると、二人のエルフ乙女たちはやおら2人のエルフの青年たちに向き直った。
「ハルディア〜!」
「何をする、ニムロス!」
胸の前で手を組んでいたニムロスが、感極まったように頬を染めながら、ベシベシベシっとハルディアの胸を連打した。
「もうもうもうっ!何って予想通りの行動をとりますの!?がんばるのですよ、わたくし応援しておりますから!!」
「何の応援だ、何の」
「欲を言えば告白の一つもしていただきたいところなのですけど…」
「話を聞いているか?」
「あ、安心してくださいな。ルーミルとオロフィンはちゃんとあなたに一票入れておりますから」
「………」
「もしかして、結構盛り上がってるの?えっと…エスイラノール、だっけ?」
「まあ、光栄です、王子。ええ、そうなんですよ。お聞き及びだったのですね」
「…いや、聞こうと思ったわけじゃないけど、聞こえてきたんだよね」
で、順位は?とレゴラスが尋ねると、エスイラノールはヴァロマ殿、レゴラス王子、ハルディア、その他の順で、それぞれ275票、128票、121票、36票というところですね、とさらりと返した。
「やっぱりヴァロマ殿が優勢か。でも、票の多さで結果が決まるわけじゃないし」
「ええ、そうですよ!これは単なる『誰がの心を射止めるか?』予想ランキングであって、実際の結果がどうなるかとは無関係です!あ、でももし結果がはっきりしたら、そのときははずれた者たちから何か一品ずつ食べ物か飲み物を提供してもらって、当たった者たちだけで宴会をすることにはなってるんですけどね。あ、ちなみにあたしはレゴラス王子に1票入れましたから!」
和気藹々としたレゴラスとエスイラノールに、ハルディアは頭を抱えてうめいた。
「…そんなことをしていたのか?お前たち」
「ハルディア、本当に知りませんでしたの?わたくしたち、ヴァロマ殿がいらしてからこの話でもちきりだったのですけど?」
「…いまがどういう状況なのかわかってるのか?」
「固いこと言わないでよ。こーゆー時代だからこそ明るい話題がほしいんじゃない」
「ガラズリムたちってけっこうノリが良かったんだね。知らなかったよ」
ハルディアとエルフの乙女2人が騒いでいる中、レゴラスはのんきに的外れなことを感心していたのだった。
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