「あ、起きた!」
「………すーりん?」
目覚めると、の世話係を任命されているエルフの女性、スーリンが寝台に乗り出すようにまじまじと見下ろしていた。
「おはよう。ねえ、昨夜のこと、覚えてる?」
「…ゆーべ?」
寝起きでまだぼんやりとする頭に新鮮な空気を送るように、大きく伸びをする。
「やっぱり覚えてないの?すごい大騒ぎになったのに」
「…なにかあったの?ゆうべ?」
ついでに大きなあくびもした。
少し頭がはっきりする。
「本っ当に憶えてないの?"ひいな"ってば」
「……」
「…………」
「………………」
「あ、あ、あ―――!!!」
賭けする人々、三様
「スーリン、奥方様に会える?今すぐ!!」
がばっと上掛けを跳ね除けたは、蒼白になってスーリンを揺さぶった。
「ちょ、ちょっと、落ち着きなさいな。やっぱり憶えてるの?」
「ないです!ないけど、でもっ…!」
記憶が途切れたところまでは思い出した。
清めの禊を終えようとした時に、身の内を瞬く間に占めていった圧倒的な力の塊。
たちまち意識は絡みとられ、奥底に沈んでいった。
何が起こったかなんて、聞く必要もない。
「うっわあああ。ナセ、来ちゃったんだ…」
どうしよう〜と頭を抱えて呻くに、スーリンは不思議そうに首をかしげた。
「嬉しくないの?」
「…そりゃ、嬉しいけど…絶対に何か騒ぎを起こしただろうから…。あああああっ口惜しい!何にも覚えてないなんて!!」
直前までガラドリエルと話していたのは覚えている。
だから早く彼女に会って、森を騒がせた詫びをし、[彼]が何を言ったのかを聞かなくては。
そうスーリンに言ったが、彼女は、
「だめだめ。あなたはまずドレスに着替えて、朝食を食べるの。奥方様に会うのはその後よ!」
と笑って取り合わなかった。
「!」
「あ、レゴラス、おはよう。ごめんちょっと急いでるの」
スーリンの先導でガラドリエルとの謁見に向かっていたは、後ろからレゴラスに呼び止められた。
気が急いていたは、立ち止まらずそのまま歩みさろうとした。
が、
「昨夜のことだけど!」
ピタリ。
との足が止まった。
「…もしかして…会った?」
ふるふると指を震わせて、レゴラスを指差す。
レゴラスがあっさりうなずくと、は頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。
レゴラスが、自分が連れてゆくからとスーリンを帰し、2人で連れ立ってマルローン樹の高みに建つ館に向かう。
「他のみんなは?みんなも吾が神に会ったの?」
「いや。多分彼の君がこちらに来た時のだと思うけど、ロスロリアンの護りが吹き飛ぶんじゃないかっていうくらい、強い力が吹き荒れたから…サウロンや黒の乗り手ではないとは思ったけど、念のために避難していてもらったんだ。彼の君と直接話したのは、ガラドリエルの奥方とケレボルンの殿、それから私とハルディアだけだと思うよ」
「ハルディアも?」
きょとんと不思議そうにはレゴラスを見上げる。
「ハルディアは外の見回りをしてきてその報告に戻ってきたんだ。でも、実際は護りの異変は内部から起こっていたわけだろう。それで、その現場を見にね。私たちは少しはなれたところから奥方と共に歩いていた一応見かけはの彼の君を見物していたんだ。近づくのも話しかけるのも憚られるような状況だったから。他にも野次馬がいっぱい」
ここまで聞いて、は大きくため息をついた。
レゴラスはくすくす笑いながら話を続ける。
「奥方とは随分気さくに話しておられたよ。でも急に私たちのほうにやってきて「やあ、こんばんは」ってされてさ、それで色々話をしたというか…怒られた」
「怒ったって、レゴラスを?なんで?」
「私が君を止めなかったからさ。には旅を続けてほしくないんだよ」
他にも理由はあったがレゴラスは言いたくなかった。
[彼]がしばらく来られないとわかった以上、の側にいるのに遠慮したくない。
ハルディアにだって邪魔させる気はなかった。
「そんなの、レゴラスを怒るのは筋違いだわ。別にレゴラスが無理やりわたしを連れ出そうとしたわけじゃないのに。…無理言ってついて行くって言ったのはわたしの方なのに。ごめんなさい、嫌な思いをさせてしまって。吾が神が来たら、絶対に謝らせるから。まったくもう、八つ当たりするなんて」
すまなそうに自分を見上げる、そんな小さなことも嬉しくて、レゴラスは
「彼の君はのことが心配だったんだよ。それは私もわかっているから」
だから気にしないでと微笑んだ。
しっかり牽制されたことはわざと言わなかったが。
「あ、でも、ハルディアもが旅を続けるのに反対なんだって。
それで、彼の君がを説得するように頼んでいったよ」
「う……」
「気が変わった?」
「変わらないわよ!」
むくれた表情が可愛らしくて可笑しくて、レゴラスは思わず声をあげて笑ってしまった。
少女はそれでますますふくれてしまったのだけど、機嫌を直してと髪を撫でた。
艶々とした濃い茶色の髪の感触と共に、棘刺すように投げつけられた言葉もまた思い出される。
《男は毒だ。穢れよりもなお悪い》
「スーリン、スーリン!」
「どうだった?」
レゴラスとを見送っていたスーリンは、友人たちの声にやれやれと振り返る。
「やっぱり覚えていないんですって。当てが外れたわね」
「そうなんですの?残念ですわ」
おっとりとした話し方の、このエルフの乙女はニムロス。
「で、結局、あなたはどうするわけ?スーリン」
砕けた口調のもう一人の乙女はエスイラノール。
興味津々と目を輝かせる友人たちに、スーリンは苦笑しながら答えた。
「そうね…同じガラズリムとしてハルディアを応援したいとも思うし、熱心さでいえばレゴラス王子が勝っているとも言えるけど…ここは手堅くヴァロマ殿にするわ」
「え〜〜〜!!」
「どうしてよ!!」
2人はスーリンの返答に不服そうに声をあげた。
「そんなの、つまらないですわよ。ありきたりです。もう少し冒険いたしませんと」
「今だってね、レゴラス王子とハルディア隊長の2人でようやくヴァロマ殿と同数くらいの票なのよ。の世話係してるあなたまでヴァロマ殿に入れちゃったら、この後みーんな、そっちに流れていっちゃうわよ」
「そういわれても、ねえ」
「ハルディアになさいな。あの厳格で堅物で朴念仁の彼がようやく興味を示した女の子なのですわよ!見かけは子ども過ぎるかもしれませんけど、なかなかしっかりした性格みたいですし、悪くないですわ。
は人間ですけど、アルウェン姫様の婚約者のアラゴルン殿も人間ですもの。本人たちがよければ問題なんてありませんでしょう?種族を超えた愛!しかもライヴァルは闇の森の王子と異世界のヴァラ!身分や立場から考えれば一番不利ですけど、恋の障害はあればあるほど燃え上がるものと決まっていますわ。このロスロリアンでハルディアが動かせる兵士の数を考えれば、彼女は指輪所持者殿と共に旅立つことは出来ないでしょうね。は…怒るのかしら悲しむのかしら。どちらでもいいですけど、ともかく気を落とすでしょうから『貴女の為を想ってやったことだ』って慰め続ければ落ちますわよ、きっと」
と、ニムロスが手を組んで夢見るように語ると、エスイラノールが負けじとまくしたてる。
「何言ってるの、種族が違うのはレゴラス王子だって同じじゃない。ヴァロマ殿は手荒な手段はなしだって言ったでしょ。は旅立つことを望んでいるんだから、これから一緒に過ごす時間が多くなるのはレゴラス王子よ!共に危険に立ち向かうとなれば、絆は深まるもの。ちょっとくらいヴァロマ殿の心証が悪くたって気にするほどのことではないわよ、きっと。それにってレゴラス王子と初めて会ったときって、白い鳥の姿だったっていうじゃない。で、その後乙女の姿に戻ったんでしょ?劇的な出会い方よね〜。本人に聞いたわけじゃないけど、王子は一目ぼれしたんだと思うわ。これは歌になるような恋物語になるわよ!」
「だけどやっぱり、これまで共に過ごした時間の長さで言えばヴァロマ殿が一番長いわ。
培ってきた愛情と信頼も堅固なもののようだし。その2人の間にたかだか長くて一年くらいで割り込めるものかしら。朝のの様子を見る限りでは勝手に身体を使われた上に記憶も読まれたって言うのに、そのこと自体はなんとも思っていないようなのよね。普通なら嫌じゃない。そんなことされるの。恋人にだってされたくないわ。まあ、もとからヴァロマ殿とは恋人以上の関係みたいだから当然なのかもしれないけど。それに、これはまだ確認してないから絶対にそうだとは言えないんだけど、って、殿方の基本がヴァロマ殿なのじゃないかしらね。ヴァロマ殿はヴァラにも等しい方なのよ。単純に考えて、エルフがかなうと思う?」
最後にスーリンが冷静に締めると、エルフの乙女たちは難しい顔をして唸った。
彼女たちはけして大きな声で話していたわけではない。
ないのだが――エルフの耳はとても良い。
もちろん、レゴラスの耳にもはっきりと聞こえていた。
次へ あとがき 戻る 目次