第四紀七百年頃のこと
とはいえここはアマンなので、中つ国の暦とは違います。
アマンの暦はどうなってるんだかわかりませんが、とにかくエルロヒアとロスマリエンが渡ってから二百年くらいたったときのことだと思ってください。
ハルディアは遠出をして東を向く海岸にやってきました。
たびたび彼はここに来て、中つ国とそこから訪れるはずもない最愛の少女のことを思い出すのです。
エルダマールは聞きしに勝る輝かしいところでした。ここにはどのような悪も存在しません。歌を歌い、楽器をかなで、また森や草原を逍遥します。
ハルディアはここに来てからというもの、武器を持っていません。はじめの頃こそ習い性で手入れだけはしていましたが。
海原は日や月、星々の光を受けていつも煌めいています。
エルフの目でも中つ国を見ることはできませんが、東に目を転じ、心の中に中つ国を思い描くのです。少女の面影は、鮮やかに消えることなく残っています。不死の命を得た彼女は変ることなく存在しているのでしょう。
会いたい。
そんな思いに駆られて彼はいつもここに来てしまうのです。
それは叶わぬことだと受け入れるまで、ここで時間を過ごすのです。
(おや……)
ハルディアは海岸に、自分以外の人影を見つけました。
ずいぶん小さなそれは、見間違いようもなくホビットたちでした。
「フロド殿。サムワイズ殿」
ハルディアは近づいて声をかけます。
フロドとサムはハルディアに気付くと満面の笑みを浮かべました。
「これはハルディア殿、お久しぶりです。なんてことだろう。ここは本当に時間がゆっくり流れているんですねえ。ここに来てから何年もたっているのに、今まで一度もあなたに会えなかったんですから」
フロドは皺の増えた顔でにこにこ笑いました。サムはフロドのそばに控えて穏やかに微笑んでいます。
「私は普段、シルヴァンエルフの郷(さと)に住んでいますから、ここに来るのは海を見に来る時だけなのです」
エルダマールには都がいくつもあり、大抵は種族ごとに分かれています。
昔からあったヴァンヤール、ノルドール、テレリの都の他にも、第二紀が始まった頃にエルダマールに渡ってきたシンダール、シルヴァンの国が新たにできました。シルヴァンエルフたちは森を愛する心が他の種族よりも強かっため、エルダマールの奥にある森林地帯に彼らの郷を築いていたのです。
「そうでしたか。私たちはこの近くに住んでいたのにあなたが訪れていることにはちっとも気付いていませんでした」
「そう頻繁ではありませんでしたから。お二人がここにこられるのは……」
「とても見える距離ではありませんが、中つ国の近くにいたいと思ったからですよ」
フロドは悲しそうでも辛そうでもなく、ただ懐かしそうに目を細めて海に目をやりました。
ハルディアはその横顔をそっと眺め、呟きます。
「私がここに来るのも、かの国を懐かしむためです」
アマンには病などはありませんが、定命のものはやはり年をとっていくのです。
中つ国よりはずっとゆっくりではありますがフロドは年を取り、老齢の域に達していました。サムはもっと年寄りに見えます。それでも二人は矍鑠としていました。
フロドは「それは嬉しいことです」と呟きました。
「フロド! サム! お待たせ〜」
三人が並んで海を眺めていると、後ろから若い娘の声がしました。
「やあ、来たね」
フロドは砂を払いながら立ち上がりました。
どうやらフロドたちに会いに来たエルフのようです。失礼にならないようハルディアも立ち上がり後ろを振り返った途端、表情が凍りつきました。
「!?」
呼ばれた少女は驚いたように立ち止まります。
「いえいえ、違いますよハルディア殿。彼女はリリアンといってエルロヒア殿とロスマリエン姫の娘御です」
フロドが少女を紹介しました。
「ロスマリエン、殿? では――」
「様はわたしのお婆様です」
リリアンと呼ばれた少女は驚きから立ち直り、ドレスの裾をつまんで挨拶しました。
「これは失礼をいたしました。私はハルディアと申しまして、中つ国ではロスロリアンに住んでおりました。リリアン殿の母君の、父君と母君に面識がある者です」
ハルディアは少女を失礼にならない程度に眺めました。
顔はによく似ています。髪は漆黒、瞳は青です。
「なんて嬉しい出会いでしょう。レゴラスお爺様のことをご存知の方はたくさんいらっしゃるのに、お婆様をご存知の方はあまりいらっしゃらないのですもの。どうかわたしにお婆様のことを話してくださいませんか?」
リリアンはほっそりした指を組んでハルディアを見あげます。期待に頬が薔薇色に輝いていました。
「ええ……喜んで」
奇跡のような偶然に眩暈がしそうになりながら、ハルディアは答えました。
「リリアン。お使いはどうしたんだい?」
「ひゃう!」
それから話に夢中になっていた四人は急に声をかけられて驚きました。
中でもリリアンは座ったまま飛び上がるという器用なことをしたくらいです。
「お、お父様!」
そこには呆れたように腰に手を当ててエルロヒアが立っていました。
「これは……エルロヒア様。お久しゅうございます」
長い間主君だった人物の孫息子の登場に、ハルディアは威儀を正して礼をしました。
「や、ハルディア、久しぶり。まったく、あんたときたら何度誘っても家にこないんだもんなあ」
「それは……失礼とは存じますが、私は一介の森エルフでありますれば、ノルドールのかかる高貴な館に足を踏み入れられる立場ではございませぬ」
エルロヒアは苦いものを食べたように口をへの字に曲げると、天を仰ぎます。
「……まあ、あんたの頭が固いことは今に始まったことじゃないか。でもここであったが百年目、今日はうちに来てくれよ。リリアンにはフロド殿たちを迎えに行くように言ったんだが、なかなか帰ってこないから私が迎えに来たんだ」
「何かの式典が?」
「そんなんじゃない。ただ皆で集ってお茶にしようってだけ。今日はうちの奥さんがケーキを焼いたんだよ。ビルボ殿はもう来てるんだ。ほらほら三人とも、立って、歩く歩く」
エルロヒアは明るく言うと三人に先に行くよう促しました。
リリアンとフロドとサムは笑いながら先に行きました。
「ふ〜ん」
「……何か?」
エルロヒアは歩きながらハルディアの顔をじろじろと眺めます。居心地が悪くてハルディアはついぶっきらぼうな口調になってしまいました。
エルロヒアは真面目そうではありますが、何か企んでいそうな表情をしています。
「そうか、ハルディアか」
名案を思いついたように一人ごちて頷きました。
「エルロヒア様?」
「あのさ、ハルディア。リリアンはまだ二百歳にもなっていないから手を出すのはちょっと待ってほしいんだけど」
「!?」
ハルディアは声にならない叫びをあげました。
「エ、エルロヒア様、私はリリアン殿をそのような目で見ていたりは……!!」
「あー、わかってるって。でもとりあえず婚約だけでもどう?」
まるでお茶に誘うような気軽さでエルロヒアは畳み掛けてきました。
「エルロヒア様!?」
ハルディアはもう何がなんだかわからなくなり、赤くなったり青くなったりしました。
「引き受けるなら今の内だぞ。悠長なことしていたら他の男が名乗り出てきそうだからな。とりあえずハルディアが引き受けてくれるなら私としても安心するんだが」
「何が安心です? 私は一介の森エルフです。高貴な姫君とはつりあいません。それに、あの方は本当にまだ子供ではありませんか! ご自分のお子が大切ではないのですか!?」
どうにも適当な態度に見えるエルロヒアをハルディアは叱責しました。
「何言ってるのさ、子どもの成長なんてあっという間なんだぞ。外見はアルフィエルそっくりだからこれ以上大人っぽくなってくれないかもしれないけど」
からかうようにエルロヒアは笑います。ハルディアは弱点を突かれて怯みましたが、
「私は……の代わりを欲しいとは思いません」
厳しい面貌に冷ややかな怒りを浮かべて断言しました。
エルロヒアは茶化しすぎたか、と肩をすくめました。
「そういう頑固なあんただから言ってるんだ。リリアンは、エルフのすべての種族、マイア、エダイン、異世界の人間と、これ以上ないほどすべての血が入っているから……物珍しさだけでちょっかいをだしてくるような男にはやりたくない」
エルロヒアの顔は娘を案じる父のものになっていました。真剣な眼差しはハルディアの胸を打ちます。
「……」
「結構本気だよ」
黙り込んだハルディアに、エルロヒアは優しく微笑みかけました。
二人はその後、一言も言葉を発しないまま歩きました。
エルロヒアの住まう館が見えてきたところで、ハルディアは足を止めます。
「……いずれ」
「うん?」
エルロヒアも足を止めました。
「あなたの口車に乗せられてしまう、馬鹿な森エルフが出てくるかもしれませんが、ご自分の撒いた種であることをお忘れなく」
エルロヒアはしてやったりと笑いました。
「望むところだよ」
あとがきは反転で↓
…。
……。
………。
え〜と、オマケ、読みましたか?
ははは…
最大の転覆がここに!という感じです。
この続きは考えていませんが、あったとしても少女漫画的展開になりそうなのは日を見るよりも明らかです。恥ずかしくて書けません。
が、
もし、なんかの弾みで番外編の番外編「ハルディアの春」とか書き始めたら生温かい眼差しで見守ってください…
あ〜、ちなみに孫娘に入ってる血ってのは、エルロヒアは父方にノルドのフィンエ、ヴァンヤールのインディス、エダインのトゥオルがおり、母方にシンダールのシンゴル、マイアのメリアン、やっぱりエダインのベレンがいます。ケレボルンもシンダールだし、ガラドリエルはノルドとヴァンヤのハーフだし、でイロイロ混ざってる。
で、ママのロスマリエンは祖母のレゴママがシルヴァンエルフ、という設定になってますので、リリアンはエルフ全種族とエダイン、異世界の人間、という無茶苦茶混ざり合った血を持っている、ということになってしまったのでした。
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