は朝からそわそわしていた。
 昨日も焦れったいような気分だったが、今はもっと落ち着かないのだ。
「ねえ、これはどう?」
 黒髪に淡い桃色の花を飾り、側仕えの侍女を振り返る。
「お可愛らしいですよ、姫様。姫様は何色でもお似合いになるのですもの」
 花の位置を整えて、侍女は微笑む。
 しかしは頬を膨らませた。まだ幼い容貌と相まって、ひどく子供染みた様子になる。
「もう、さっきから同じ答えばっかり。適当に言わないで、どれが本当に似合うか教えてくれたっていいじゃない」
 少女は青い目を半ば泣きそうに歪めながら侍女に食ってかかった。
 は朝早くに庭へ行き、庭師に頼んで様々な色の花をわけてもらっていた。そして取っ替え引っ替えしながらどれが似合うかを確かめている。そして侍女にどれが一番いいかと聞いているのだが、その答えはだいたい同じようなものばかりなのだ。
 侍女は困惑して眉根を寄せる。
「わたくしは適当に答えてはおりませんわ。姫様の黒髪は本当にどのような色でも映えるのですもの。白や水色なら清楚で、淡い桃色や黄色なら可愛らしく、赤や紫などではひきしまって……そう、少し大人びて見えますわね」
「赤にする」
 は即答した。侍女は軽く目を見張る。
 その眼差しに含みを感じた少女は、頬を染めて目を伏せた。
「単純って、思ってるでしょう」
 拗ねたような呟きに侍女はゆるやかに頭を振る。
「いいえ、そんなことはありません」
「嘘よ」
「嘘ではございません。気になる方に綺麗だと思われたいのは、女ならば当然のことですもの」
 言われては耳まで赤くなった。どうして朝からこのように頑張っているのか、とっくにお見通しだったのだ。しかしそれも当然だろう、侍女は物心付く前から自分の世話をしているのだ。それに――こういったことは今回が初めてではなかったからだ。
「大人っぽい装いがよろしいのでしたら、この用意していたドレスではなく、こちらの方がよさそうですね」
 侍女は寝台の上に広げていたドレスを脇に寄せて、新しく衣装戸棚から出してきたものを広げた。
「うん、でも……ちょっと地味じゃない? せっかくのお茶会なのに」
 は戸惑った。
 どちらも白を基調にしたドレスだったが、今度出されたものはストンとした形をしているのだ。大人である母親ならば似合うだろうが、まだメリハリのない彼女の体型では……。
(棒に布が巻き付いているように見えるんじゃないかしら)
 想像しただけでがっかりする。
 しかし侍女は安心させるように柔らかく笑んだ。
「そんなことはございませんよ。着こなし次第でとても素敵に見えますわ。まずこちらのリボンと花とで御髪を飾って、首飾りは滴型の石がついている細い銀の鎖がよろしいですわね。それから靴は……」
 てきぱきと小物を一揃い用意すると侍女はいかがですかと尋ねてきた。それらはのこれまでの趣味とは少々違っていたのだが、意を決して頷いた。
 今までの自分から脱皮をしたい。いつまでも『可愛い』だけの存在だと思われたくないのだ。できるならば綺麗だと思われたい。この顔では難しいことはわかっているが。
 は鏡に映る自分の姿を改めて眺め、心の中で小さくため息をついた。


 支度が整うと、今度は玄関付近でうろうろしだした。お茶会が始まるまでは一刻以上あるのだが、もしかしたら早く到着するかもしれないと思うといてもたってもいられなかったのだ。
 しかし、そのようなことは起こらないということをは学んでいる。これから訪れる客人たち、特にが待ち望んでいる人物は大抵時間厳守で遅刻もしなければ早く来すぎるということもないのだ。
 しかし万が一ということもあるかもしれない。
 が玄関近くにある窓から外の様子を窺っていると、柔らかな声で呼びかけられた。
「母様」
 振り返ると花を一抱え腕にしたロスマリエンが音もなく歩み寄ってくる。ドレスの裾が床を滑り、美しい軌跡を描いた。
 の母は娘に頬を寄せるようにして、少女と同じように窓を覗く。
「お客様は到着しそうかしら」
「いいえ、母様」
 まだその時間には早過ぎるのは母もわかっているはずだ。どうしてこんなに早く準備が済んだのかと聞かれるかと思ったが、彼女は上から下まで娘を検分してにこやかに微笑んだ。
「いつもと雰囲気が違うわね。でもとても可愛らしいわ、
 は思わず俯く。
「可愛い、ですか……?」
「ええ。きっとお客様がたもそうおっしゃってくださるでしょう」
 俯くを恥ずかしがっていると思ったロスマリエンは、娘の頬をゆるりとなでた。それから額に軽く口づけすると、お客様がお見えになったら知らせてと言い残して立ち去った。
 母がいなくなってからようやく、は顔をあげる。
(やっぱりわたしって、可愛いとしか言われないのね)
 精一杯のおめかしが無駄になったような脱力感に襲われたが、一方では無理もないと冷静に判断していた。
 彼女はまだ本当に少女としか呼べない年齢なのだ。美貌の名高い両親に似ていたとしても、現時点ではやはり可愛いとしか言われないだろう。
 それでも父母のどちらかに似ていたのであれば、大人になれば綺麗になれるだろうという希望も持てたが、生憎は非常に童顔だという母方の祖母に似てしまった。その女性のことをよく知っている両親が言うには、髪と目の色以外まったく同じだと、太鼓判を押している。
 少し前まで、その評価はにとってそれほど重要な意味を持っていなかった。嬉しいとも思わなければ困るとも思っていなかった。なにしろ身内とはいえ会ったこともない相手なのだ。ただ自分に良く似たその人はどんな人なのだろうかというぼんやりとした興味はあった。
 しかし今ではこの事実は大きな枷となってに圧し掛かっていた。
「ハルディア……」
 微かな声で呟く。我知らず想い人の名を口に出してしまったことに気づき、は真っ赤になった。誰かに見聞きされてはいないかと思わずあたりを見渡す。
 誰もいない。
 良かった、とほっとしながら彼女は頬をぺちりと叩いた。
 それからうっかりしてはいけないと、気を引き締める。胸に秘めた想いを、彼女はまだ誰にも明かすつもりはなかった――侍女には気づかれているが彼女は別だ――。からかわれたりしたら恥ずかしいし、このことを相手に知られてしまい、距離を置かれるのも悲しい。それになにより、その人には好きな相手がいたのだ。その恋は成就しなかったことを知っているが、成就しなかった相手が問題だった。
 その相手とは、の実の祖母だった。




 約束の時間が近づき、ようやく招待客が集まりつつあった。
 最初に到着したのも、次に来たのも、が待ち望んでいる相手ではなかったが、失礼のないようににっこり笑って出迎えの挨拶を述べると、誰もが相好を崩した。しかし誰一人綺麗だとは言わなかったので内心では落胆していたが、どうにかして表情に出さないようにする。客人の声が聞こえたのだろう、母や父が交代で出てきては、奥へと案内していった。
 五組めか六組めの客を通し終わり、まだあの人は来ないのかとやきもきしながらまた外をのぞく。
 途端、は胸のあたりがきゅうと締め付けられた。まだ遠目ではっきりとしないのに、あの人が来たと感じたのだ。馬に乗ったその人影は銀髪。客人には黒髪が多いので見分けがつきやすいということもあるが、銀髪は彼一人というわけでもない。ただなんとなく背格好や馬に乗っている時の姿勢などから、彼なのだと思ったのだ。それもこれも、が機会があるごとに彼を見つめ、その姿や様子を頭の中で何度も反芻していたからわかったのだろう。
 人影はどんどん大きくなり、やがて表情がわかるほど近くなってきた。馬上の男がふと顔を動かす。
 目が合った。
 男はしばしを注視していたが、やがて視線は脇へと反れていった。その動きは周囲を確認するためといった風だったが、かすかに眉間に刻まれていた皺が、口元が堅く結ばれる様が、それ以外の理由を伝えてきた。
 またやってしまったとはその場にしゃがみこんだ。あまり見つめているから、気を悪くさせてしまったのだ。だがどうしても彼の姿が目に入ってしまうと、追うのを止められなくなってしまう。
 は気恥ずかしくなり、逃げ出したい衝動にかられたが、逃げたらお茶会に参加できなくなってしまうので次にはもっとこっそり見つめるようにしようと心に誓った。見つめるのをやめるという考えは、彼女の頭にはまったく浮かばなかった。
「ようこそいらっしゃいました、ハルディア。父も母もお越しを楽しみにしておりました」
 失敗もあったが、それでも会いたくてたまらなかった相手に会えた喜びは何にも代え難かった。馬を預けて玄関口に到着した青年を、は満面の笑みで迎えた。
「お久さしゅうございます、姫」
 灰色の目を軽く伏せて、ハルディアは礼儀正しく一礼する。背が高く、肩幅が広いのでしっかり上を向かないとには表情がよく見えない。
 ハルディアは一瞬言葉を切り、固さの残る口調で続けた。
「ご健勝のようでなによりです。それに本日も大変……愛らしいですね」
「ありがとうございます」
 落ち着いて礼を言えたと自分では思っていたが、の胸の中はなにかがくるくると回っているような感じがして息苦しくなった。
 可愛いといわれたことはやはり残念だったが褒められたことは確かだ。嬉しくないわけがない。
「やあハルディア、来たね、待っていたよ」
「ようこそ、ハルディア」
 先ほどまでの客人を案内してきた両親がそろって戻ってくる。エルロヒアは陽気に片手を揚げ、ロスマリエンは美しい微笑を浮かべる。
 ハルディアはの前を通り過ぎると両親たちと挨拶をしだした。簡単な近況報告もしている。
 大人同士の話になると、は構ってもらえなくなる。あとでゆっくり話をする時間はあると思うのだが、のけ者にされる寂しさはどうしようもなかった。
 小さくため息を付いていると、背中を小さな手でつつかれる。
「あ、いらっしゃい、みんな!」
 振り返るとにこにこした顔が三つ並んでいた。彼らはより少し背が低いので、ハルディアより表情がわかりやすい。
「こんにちは、
「時間に間に合ったようで良かったよ」
「お久しぶりです、お嬢さん」
 ビルボ、フロド、サムの三人はホビットという種族だ。ホビットはアマンには彼ら三人しかいない。しかし数こそ少ないが彼らは三人とも有名で、知らない者はいないほどだ。の父の古なじみということで、よく茶会に招待されている。
「どうかしたのかい、なんだか沈んでいるように見えたけど」
 フロドは心配げな顔でを見上げてきた。
「いいえ、何もないわ。ありがとうフロド」
 きっと両親にハルディアを取られたようでなんだか面白くなかったのが顔に出ていたのだろうと思ったが、はそのことについては黙秘することにした。
 一頻り話が済んだらしいエルロヒアたちがこちらに来る。今度はホビットたちとの挨拶が始まるのだろうと一歩下がって場所を空けると、エルロヒアがに笑いかけてきた。
「あ、。すまないけどハルディアを奥へ案内してくれないか」
「は、はい」
 てっきりホビットたちと挨拶をしてから全員で移動するのだと思っていたがそうではなかったようだ。しかし両親ともに客人の対応に追われている場合でも案内は上級の使用人に引き継がれる。まだ一人前でないには大事な役目は任されることはないのだ。しかしハルディアは家族全員と親しい間柄と言っても過言ではないので、父はに頼んだのだろうと思った。
「奥へどうぞ、ご案内します、ハルディア」
 小走りで駆け寄り、男を見上げる。胸がどきどきしてうるさいほどだったが、誰はばかることなく隣に並べることができるという期待で頭がいっぱいだった。
「ありがとうございます、姫君」
 並んで歩き出す。
 ハルディアの方が歩幅が大きいはずなのだが、少女に合わせて歩いているので、自然と速度が遅くなった。
「あの、ハルディアは最近ではどういうことをしていましたか」
 何か言わないと、と焦ったあまりに口から出てきたのは月並みな話題だった。
「最近、ですか」
 もうちょっと話の弾むようなことを聞けば良かったのに、と頭の中で自分をぽかぽか殴っていただったが、ハルディアは真面目に考え込んでしまった。
「特に変わったこともありませんので、いつも通り、といったところでしょうか。ああ、そういえば弟たちと遠駆けをしました。半月ほどかけて気の向くまま、あちらこちらと巡ってきました」
「まあ、楽しそうですね。綺麗な景色は見られましたか?」
 どうやら話は止まらなくて済みそうだと、は嬉しくなって顔を輝かせた。ハルディアは穏やかな声音で続ける。
「ええ、初めて足を踏み入れる土地もいくつかありましたので、新鮮でしたね。私は森に住んでいる期間が長いので、森ではないというだけでもそう感じるのですが」
「そうなんですか。こちらの近くに寄ることはなかったのですか?」
「え? ええ、そうですね。方向が違いましたから」
 ハルディアの眉が困惑したように寄せられた。は立ち寄らなかったことを責めているように聞こえてしまったかもしれないと、慌てて弁解する。
「あ、あの、旅の話をいろいろ聞かせていただきたかったなぁと思って。それに父も母もハルディアが寄ってくださったら、喜んで歓迎してくれたと思うんです。あ、でも弟さん方とご一緒だったんですよね。家族水入らずのところを邪魔をしてはいけないですよね。いやだわ、わたしったら」
 途中から自分が何を言っているのかわからなくなってしまった。それに顔も熱い。きっと赤くなっていることだろう。
 ハルディアはますます困ったような顔になる。
「ああ、その……ありがとうございます。エルロヒア様ご一家の皆様には身に余るほどのご厚情をいただいていると……。その、旅の間のことはこれからでもお話することができます。立ち寄らなかった不義理をどうかお許しねがいますか」
「わ、わたしは別に怒っていないです。ごめんなさい、変なことを言って。あ、でも、旅の間のお話はぜひ聞きたいです」
 は勢い良く頭を振った。勢いがありすぎて頭がくらくらしてきたほどだ。
姫」
 焦ったような声とともにハルディアが腕を伸ばしてくる。大きな手のひらが肩と頬に当てられた。の頭に一気に血がのぼる。
「は、は……はい?」
 返事をする声が裏がえってしまう。この態度は不自然だろうと思うが、どうすることもできなかった。
「そのように頭を振っては、せっかく結った髪が崩れてしまいます」
 軽く片膝を曲げて、ハルディアはそっとほつれた髪を指にとった。それをピンにひっかけ、取れかかったらしい花を押し上げる動作をする。
 目線が近くてはくらくらしてきた。ハルディアが動くたびにかすかな風が肌に当たる。それがほてった肌に涼しく感じるが、すでに足の先まで赤くなっているだろう自分を冷ますには、このくらいの風では足りないだろうと思った。
 やがてハルディアは立ち上がった。もう少しこのままでいてほしかったと残念がっていると、彼は済まなそうな顔でを見おろしてきた。
「申し訳ありません。こういうことは私は苦手で……。余計ひどくしてしまいそうなので、腕の確かな方に変わってもらったほうが良さそうです。侍女などは近くに控えておりませんか」
「え、あ、あの、大丈夫です。これでいいです」
 せっかくハルディアにやってもらったのだから、そのままにしておきたかった。
「しかし……」
「いいんです!」
 は小走りで廊下に飾ってある鏡の前に向かった。くるりと回って頭の様子を確かめる。
「ほら、大丈夫じゃないですか。おかしくなんてないですよ」
 ちょっと花の位置がずれたようだが、最初からこうだったと思えばいい。だからはそう言い張った。
 ハルディアは小さくため息をつくと、を鏡の前から連れ出した。取られた指先にまたしても心臓が激しく動く。
「あの……」
 どこに行くのだろうと怖いような不安なような気持ちでいると、ハルディアは廊下の片隅の柱の近くにを導いた。
「少し、話でもしますか。遠駆けのことでよろしいですか?」
「え、ええ」
 なんだかよくわからなかったが、ハルディアはこのまま広間へ行かないようだ。こんなところで立ち話というのも妙だが、ハルディアの方から話をしようと誘われることなど滅多にないことなので、珍しい機会を逃すつもりはなかた。
 ハルディアというのは中つ国生まれのシルヴァンエルフだ。の曾祖父母であるケレボルンとガラドリエルが治めていたロスロリアンで長い間警備隊長をしていたという。
 はハルディアにとって主筋の姫君にあたる。圧倒的に身分が違うため、ハルディアは基本的に恭しい態度で接してきた。だがハルディアにもっと近づきたいにはそれがもどかしくて仕方がない。
 初めて会った時には、もっと色々な表情を見せてくれた。優しい顔、昔を懐かしむ表情、愛しさと切なさが入り交じったもの――。
 祖母に間違われて祖母の名を呼ばれたのが出会いだった。一度も会ったことのない、知る人も少ない身内だったので、話をしてくれと頼んだ。
 ハルディアの話は有名な指輪戦争に絡んだもので、も色々聞いたことがあるが、ハルディアの話すの祖母の人となりは他とは少し違っているように感じた。なぜそう感じたのか、後日父がふともらした話で判明した。ハルディアはの祖母を愛していたのだということを。
 最初の日のあの表情は、自分を通して祖母を見つめていたのか。ハルディアの目に自分が映ってはいなかったのか。衝撃は大きかった。
 しかし知るのが遅すぎた。はその時にはもうハルディアに恋するようになっていたのだ。
 恋の自覚とハルディアの過去を知った頃には彼と会うのが辛かった。だが会えないでいるのはもっと辛い。
 だが生憎なことにハルディアは遠くに住んでいるため、会うのもままならなかった。再会を喜んだエルロヒアが度々お茶会に招くようになったので、その時にようやく顔を会わせることができるくらいだ。もっと頻繁に会えるといいのだが、一人で遠出することがまだ許されていないにとっては今のところ、この機会が唯一のものだったのだ。
「ハルディア、どうかしたのか」
 遠駆けの話をしていると、エルロヒアたち五人が通りかかった。
、そこにいるのか?」
 ひょいとエルロヒアは身体を斜めにする。そこでは自分が柱とハルディアの陰になって周りからは見えにくくなっていたことに気づいた。
「あ、はい。父様」
 返事をして出ていこうとしたところを、ハルディアが制止する。
「あの……?」
 問うより先にハルディアがここにいるように囁いてから、エルロヒアらの方へ向かった。
「少々問題が発生しました。ロスマリエン様、失礼ですがお願いしたいことがございます」
「なんでしょう」
 ロスマリエンは明るい緑色の瞳をハルディアに向ける。
 押さえた声で会話をしているので、からは途切れ途切れにしか聞こえなかったが、母親はしばしして目を細めた。それから緩やかな足取りでの方へ向かってくる。
「あらあら、ちょっと髪型が崩れてしまったわね」
 それから夫や友人たちを振り返り、鈴が転がるよううな声で告げた。
「皆様、先に広間へ行ってくださいな。わたくしたちは後から参りますから」
「大丈夫かい、ロスマリエン」
 エルロヒアが問う。
「大丈夫です、すぐ済みますわ。ハルディア、知らせてくださってありがとう」
 ハルディアは一礼して、エルロヒアたちと共にその場を去った。
 ようやくは彼が髪が乱れたままの自分を誰にも見られないようにしながら母に引き渡すためにここにいるようにしたのだと理解した。
「母様、わたしの髪、そんなにひどい?」
 ひどい醜態を見せてしまったのかと、は蒼白になる。ハルディアの言うとおり、おとなしく侍女を呼んでいればよかったと後悔した。
 ロスマリエンは娘を落ち着かせるように優しく背中をさする。
「それほどひどくはないわ。だけど綺麗に結っていたから、崩れた部分が少し目立ってしまったのね。すぐに直せるから、そんなに泣きそうな顔をしないで」
「でも、わたし……恥ずかしい」
 はぎゅっと目をつぶる。ロスマリエンは困ったように娘を見つめ、それから袖で目尻にたまった涙を拭った。
「そんなに悲しまないで。大丈夫よ、ハルディアはこれくらいのことであなたを嫌いになったりしないから。しばらくぶりに会ったんですもの、一緒にいたかったのね」
「え……」
 母の言葉に、ぱっちりと目が開く。
「あの……母さま」
 もしもの勘違いでなければ、その言葉の真意は。
「もしかして、知っているんですか?」
 おそるおそる、は尋ねる。
「知って……? ああ、あなたがハルディアに恋していること? もちろんよ」
 母親はにっこり笑って当然のように答えた。は息が止まりそうな思いで硬直する。
「ど、どうして……」
 誰にも言っていなかったはずだ。侍女にはばれてしまったが、彼女はの側に控えているせいだ。いや、そもそも侍女が母に話したのか。が疑惑で青くなっていると、ロスマリエンはあっけらかんと答える。
「どうしてって、わからないわけがないじゃない。全部顔にでているもの」
「顔……に、ですか」
「ええ。ハルディアのことを素敵だなぁって、恋する瞳で見つめているし、お話をしていないときもずっと姿を追っているもの」
 は愕然とした。ハルディアを見つめすぎているという自覚はあった。でも自分としてはそっと行っているつもりだったのだ。さすがに見つめられていたハルディアとは度々目が合ったので見ていることに気づかれているようだとは思ったが、端からみて分かりやすいほどだったとはまでは思わなかった。
「父様も……気づいているの?」
「ええ、そこまで鈍い方じゃないもの」
「ハルディア……も?」
 答えを聞くのが怖かったが、聞かずにはいられなかった。間をおかずにロスマリエンは頷く。
「ええ。知っておいでよ。……どうしたの、。気づかれていたことに、まさか気づいていなかったの?」
 は口をぱくぱく開けたが、なにを言いたいのか自分でもわからなくなった。だがすぐにはっと我にかえると、首がねじ切れそうな勢いで廊下の奥を見やる。父たちが今の話を聞いてしまったか、確認するためだ。エルフは耳が良いので普通の声で話していたら、廊下の端と端くらいの距離では聞き耳を立てるまでもなく会話が聞こえてしまう。
 せめて皆が広間に行っていれば、というのささやかな願いは叶わなかった。
 少し離れたところで、五人は立ち止まってこちらを向いていた。ハルディアは顔を片手で覆いながら俯いている。珍しいことに耳のあたりまで赤くなっていた。エルロヒアは笑いながらそんなハルディアの肩をぽんぽんと叩いている。そして三人のホビットたちは苦笑しながら廊下のあちらとこちらのエルフたちを見比べていた。
 しっかりと聞かれていた。
 恥ずかしさのあまりに今すぐここから逃げだしたいと思ったが、足がふるえて動かない。だがその悩みは長くは続かなかった。
!?」
 母の驚きの声は少女の耳には届かなかった。
 なぜなら羞恥が頂点まで達した少女は意識を手放すという方法でその場から遠ざかったからだ。





庭師はサムじゃありませんよ(笑)



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