翌日の午前中にハルディアは帰っていった。
 エルロヒアとロスマリエンに丁寧な別れの挨拶をする様子は、変わったことなど何一つ起きなかったかのようだった。
 いつもならば両親と共に見送りをするだが、昨日の今日だ。その場に居合わせる勇気が出せず、部屋に閉じこもる。見送りにいかなければ、ハルディアが気に病んでしまうだろうとは思ったが、きっと笑顔ではいられない。それはそれでハルディアの負担になってしまうだろうという確信がにはあった。
 だが気はそぞろで、ふと気がつくと室内をうろうろとしていた。そしてはあえかな風に乗って届いたハルディアが繰っているであろう馬の蹄の音が聞こえると、居ても立ってもいられなくなった。部屋を飛び出し、屋敷の外がよく見える窓へと駆けてゆく。
短時間とはいえ、全力疾走したは、むせそうになるほど肩で息をしながら窓辺に寄った。すでに小さくなっていた銀髪のエルフの後ろ姿が目に入ってくる。途端、の目から涙がこぼれた。
(もう、会えないかもしれない……)
 ひくっと、の肩が揺れた。
 ハルディアはエルロヒアの友人待遇なので、今後も彼は父親に招かれることがあるだろう。だがハルディアはその招待を受けてくれるだろうか。受けたとしてもそれは避けられないしがらみがあってのことではないだろうか。彼にとっては気が重いことだろう。そしてその原因の大半はにあるのだ。だから、例え今後、ハルディアが屋敷を訪れてくれたとしても、は彼の前に姿を現さない方がよいのではないか。ハルディアの方から彼女を避けるのは立場上難しいのだ。ならばの方が動くしかない。
 恋する相手にもう会うこともしない。
 それはきりきりと胸が痛むほど辛いことだった。だが、それも必要なことならという覚悟を持って、はハルディアが見えなくなるまでその場に立ち尽くした。


 それから、数日後。
 お茶会はなごやかなうちに終了し、館は久しぶりに家族と家人だけとなった。気力をなくしていたも、多少は気分が落ち着き、少しずつ部屋から出るようになった。
エルロヒアやロスマリエンは元気がないに多くを言わなかった。無理はするなと静かに声をかけられはしたが。
 二人は意図的にハルディアの話題を出さないようにしているのだろう、ハルディアのことも、彼につながりそうな話題ものいるところでは聞こえてこなかった。
 ハルディアのことを忘れたいわけではないのだが――。
 両親にも気遣いを強いているのだと思うと申し訳ない思いに陥るも、元気そうな振りをすることすらできず、はやり場のない、鬱屈とした気分を味わっていた。
そんな折り、時期を見計らったかのように、ファラウレから訪問をしたいとの申し込みがきた。に会いたいというのがその要旨だった。
「ファ、ラウレ……?」
 その知らせはが両親とともに居たときに届いたため、も速攻で知ることとなった。少女が思わず青年の名を呟くと、エルロヒアは読み終わった手紙を妻に渡し、軽く肩をすくめた。
「うん、まあ、断れないよね。お茶会は終わったから「多忙につきご遠慮ください」は使えないし。……十中八九、計画的にやっているよね、彼」
 なんで懐かれちゃったんだろうなぁ、とエルロヒアは乾いた笑い声をあげた。
「父様、わたしはファラウレには会いたくありません」
 まだ落ち込みから回復しきっていないのに、苦手な相手と顔を合わせないといけないなんて、とは眉を下げた。対峙する気力がまるで起きない。けれど父親に訴えても無駄であることをは知っていた。
「そうさせてあげたいけど」
 エルロヒアは気の毒そうに眉を寄せる。ロスマリエンも麗しい面に憂いの表情を浮かべて言った。
「正式な文面での訪問伺いですもの。断るには相応の理由が必要になるわ。けれど、断れる理由がないことはファラウレも承知していることでしょう」
「そこを押して断ると、彼のことだから必要以上に大げさに傷ついたと言い触らして回るだろうし。ぎりぎりなんだよね、ファラウレは」
 眉間に指をあて、エルロヒアは苦笑する。
 は小首をかしげた。
「何がぎりぎりなんですか?」
「迷惑です、こっちに近づいてこないでくださいって言える段階にぎりぎり届かないってことだよ。悪意がないのはこっちもわかっているし……。というより、この国では基本的に悪意を持つ者は存在しないわけだから、それはもちろん喜ばしいことなんだけどね」
「だからといって、好意がすべて好意として受け取れるわけでもないわ。もうちょっと、ひとの話を聞いてくれる子だったらいいのだけど」
「本当に、ねぇ」
 エルロヒアとロスマリエンは顔を見合わせた。なんとも言えない両親の表情に、も覚悟を決める。
「父様、母様、来てしまうものは仕方がありません。わたし、ちゃんと失礼にならない態度を崩さないようにしますから、そんなにお困りにならないで」
「ごめんね、
 エルロヒアはのそばに歩み寄ると、目線を合わせるように膝を折り、頭をなでる。
「だけど、あなたも淑女らしくなってきたわね、
 ロスマリエンはほほえみを浮かべた。少しは大人っぽくなれているのだと一瞬舞い上がりそうになったが、しかしの心はすぐにぺしゃんと潰れてしまう。大人だったら、本当に淑女だったら、自分の感情に振り回されたりしないだろう。それができれば、ハルディアのことを困らせなくてすんだはずなのに。
「いいえ、まだまだです」
 は寂しく思いながら、自嘲の笑みを浮かべた。


 到着したファラウレは、いつもの余裕に満ちた笑みを浮かべていなかった。きつく唇を結び、眉もつり上がっている。こんなファラウレは見たことがないと、は息を飲む。
 ファラウレの目的はとの歓談のはずだった。しかしエルロヒアがそれとなく自分たちも同席すると言うと、ファラウレもぜひにという勢いで承諾したのだ。
、それにエルロヒア様、ロスマリエン様にも聞いていただきたいことがあります」
 常にない様子のファラウレに、エルロヒアはおやと眉をあげた。もこくりと息を飲む。なんだかとても怖い話をされるような気がしたのだ。
「真面目な話のようだね。何だい?」
 エルロヒアが促すと、ファラウレははっと短く息を吐いた。それから決然としたまなざしでエルロヒアを見上げる。
「ハルディアというシルヴァンエルフと親しいようですが、あの者とのつき合いを一切やめるべきです。私はそのことを忠告しに参りました」
 一体何を言いだすのだろう。は首をかしげた。唐突すぎたため、ハルディアを貶されたのだという不快感もわかないほどだった。
「なぜそんなことを?」
 エルロヒアは優雅な笑みを唇に刻んだまま、続きを待った。ファラウレは強い光を目に宿し、こくりと頷く。
「彼は危険だからです。あの者は性質に問題があります。そして被害に遭うとしたらそれはだ。私はそれを防ぎたい。だからです」
「わたしが?」
 はますます困惑した。
 ハルディアと危険という単語が結びつかない。はっきりいって、ファラウレは寝言を言っているようにしかには見えなかった。
 しかしファラウレは真剣な顔で少女を見つめる。
「そうだよ、。僕だって、フロド殿から教えてもらわなければ、彼があんなに異常だなんて気づかなかったよ」
「フロドですって? 一体彼が何を言ったの」
 ますますわからなくなり、の頭の中は疑問符で満杯になった。フロドがハルディアのことを悪く言うはずがない。ならば、考えられる可能性はただ一つだ。ファラウレ得意の思いこみで、フロドから聞いたという話をねじまげて解釈したのだろう。
(それならハルディアの名誉はわたしが守らないと!)
 は一気に発憤した。
 そんな話は真実ではないと軽く受け流しても、それをファラウレが信じなければ意味がないのだ。ファラウレが自分たち以外の誰かにその話をしたとして、聞いた相手がハルディアのことを知らなかった場合、その話は信実として伝わってしまう。エルフは目の前で話している相手が偽りを言っていたら大概見抜けるが、それも話し手が内容を偽っていると自覚していてこそだ。それが本当の話であると信じ込んでいたならば、さすがに気づけない。
 だからここでくい止めなければ、ハルディアは見知らぬ誰か、それもおそらくは複数の者に「危険」で「異常」な存在だと認識されてしまう。それは避けなければいけない。
 はこっそりと拳を握った。
「君は衝撃を受けると思うけれど……」
 ファラウレが気遣うように口調をやわらげる。
「でも大丈夫、僕がついているから」
 そしての頬をそっとなでた。自分の表情が険しくなっていたことにはその時ようやく気づいたが、ファラウレはおそらく自分がどんな危険に直面しかけていたのかと不安がっているのだと思ったのだろう。しかしが案じていたのはハルディアのことであって、自分自身のことなどではなかったのだ。ハルディアが危険だなんてことは、あり得ない。
 しかしの予想は裏切られた。ハルディアは確かに「危険」と形容されるしかないことをしていたのだ。
「お祖母様を……アルフィエル様を監禁しようとした……?」
 一通り話を聞いたは、呆然と目を見開いた。ファラウレは痛ましいものを見るように目を細める。
「そう。指輪所持者と命運を共にした、白鳥の乙女の話は君も知っているね。君の祖母君……ロスマリエン様にとっては母君にあたる方なのだから」
「それはもう……」
 だが彼女が監禁されかけたという話は初耳だった。それもハルディアにだ。
 は反射的に母親に目を向ける。ロスマリエンは口元に手をあて、困惑に瞳を揺らしていた。
「ロスマリエン様、このことは?」
 ファラウレは真っ直ぐな目でロスマリエンに問う。彼女は目を伏せて頭を振った。
「ハルディアが母を愛していたということは知っていました。けれど監禁については聞いたことがありません。エルロヒア、あなたは知っていたの?」
「え、ああ、まあ……。話だけは聞いている」
 エルロヒアは気まずそうに答えた。
「でもそれは思い余ってのことでは? 監禁だなんて驚いたけれど、ロスロリアン……ケレボルン様とガラドリエル様が治められている地でのことですもの、大事になる前に解決したのよね?」
 は何とか自分の聞き知っている記憶と辻褄を合わせようとした。
「それに、そうよ、お祖母様はロスロリアンを出て指輪棄却の旅を続けられたじゃない。お祖母様はその間、ほとんどお祖父様、レゴラス公子と一緒だったのだもの。お祖母様は、お祖父様の方をお好きだったから」
 ファラウレは苦いものを噛んでいるような表情で同意する。
「ああ、僕もそう聞いていたし、それは間違っていない。少なくとも、フロド殿はそう言っていた。けれど、ハルディアは白鳥の乙女を行かせたくない一心で、配下を動かし彼女を捕らえようとした。けれど乙女に厳として拒まれたので、彼女を斬ろうとしたんだ」
「え……」
 ファラウレの目に暗い陰が宿る。
「指輪棄却の旅は困難を極めることが容易に予想できた。五体満足でなければ、旅を続けることは難しい。……そういうことだよ」
 は頭がぼうっとして、その場から動けなくなった。ファラウレは忌々しそうな口振りで続ける。
「その頃の乙女はまだ人間だった。それも中つ国とは異なる世界の。僕は人間そのものには会ったことがないけれど、話に聞く限りでは付き合うに値する種族だとは思っていない。一部を除いてだけどね。でも」
 ファラウレは憤激して頭を振った。金の髪がばさりと広がる。
「後ろ盾のない無力な娘に力づくで事に当たろうなんて、下劣にも程がある! 仮にも森の守りを任されていたのだろうに、彼には矜持がないのか? レゴラス公子がいてくださったのは、幸いなことだ。そうでなければかの乙女は人のまま、儚くなっていたことだろう。そうなればだって、今この場にはいなかったんだ」
 いなかった、そう言われての背中に冷たいものが走った。自分とよく似ているという祖母。その彼女を愛したハルディア。似ているからこそ愛されない自分――。八つ当たりだとわかっていても、祖母のことを恨めしく思ったこともある。けれど初めて聞かされたハルディアの行為は、さすがに常軌を逸していると思えた。
 なのに、そうまでされた祖母をうらやましいと思ってしまう自分もいた。
(……いくらなんでも、これはないわよね。お祖母様のことをお気の毒に思うべきなのよね。だって、あのハルディアが滅茶苦茶に迫ってきたら、さすがに怖いだろうし……)
 不謹慎だとは内省する。
 けれど、これは事実なのだろうか。疑問が頭をもたげてくる。この話をしたのがファラウレでなければ半信半疑にもならないのだろうが。しかし元の話がどうであれ、何をどう解釈したらこんな話になってしまうのだろう。どこをどうやっても、こうはならないように思える。ならばファラウレは本当に、フロドから聞いたままの話をしているのだろうか。
「父様……?」
 はすがる思いで父を見上げた。ハルディアに直接聞けば早いのだが、彼はいない。他にこのことについて少しでも何かを語れそうな者はエルロヒアしかいなかった。
 注目の視線など殊更気にしないはずのエルロヒアが、三対の目を向けられただけでたじろぐ。それはファラウレの話を確定したもののようにには見えた。
「視点が違うと、こうも変わってしまうものなんだね」
 乾いた笑いがエルロヒアの口からこぼれた。
「私がハルディアやレゴラス、それにアルフィエル本人から聞いた話も、概ねそんなものだったよ。少し違っている部分もあるけれど」
「どのあたりがです?」
 間髪をいれずには問う。
「ハルディアがアルフィエルを斬ろうとしたくだり。あそこはね、ハルディアが何としてでも、と思いつめて行動したわけではなくて、どうしても止めたいならそれくらいやりなさいと、アルフィエルが挑発したんだそうだよ」
 はぽかんとした。
「アルフィエル様の方から?」
「一体なぜ、そんな危ない真似を?」
 納得がいかないというように、ファラウレは怪訝そうな顔になる。
 エルロヒアは口元に軽く握った拳を当てた。しばしの間沈黙し、詳細を思い出そうとする。
「時間がなかったから、というのが一番の理由かな。彼女自身は出発することを望んでいたけれど、彼女は元々会議で選ばれた旅の仲間ではなかった。だから残るも留まるも自由だった。つまりハルディア一派の妨害で出発できなくなっても、それで本来の面子にとっては支障が出るものではなかったんだよね」
 レゴラスはもちろん、そうはさせじと動いたようだけど。
 エルロヒアは一度言葉を切って、続けた。
「アルフィエルもその状況をわかっていたんだ。それで一度で片をつけるために、どうしても自分を行かせたくないのであれば、文字通りの「足止め」をしなさいと、迫ったそうだよ」
「それは、ハルディアにはできるはずがないと計算して? だとしても、いくらなんでも物騒だわ。母様がやりそうなことではあるけれど」
 ロスマリエンの問いにエルロヒアは困ったような笑みを浮かべる。
「賭けだったそうだよ。成功する確率が高い賭け。でも外れる可能性だってもちろんあった。でも勝負を仕掛けたのは自分だから、負けても文句を言うつもりはなかった、とは言っていたよ」
「父様はそのことを、アルフィエル様たちとお話したことがあるのですね?」
 は念を押す。
「そりゃあね。第四紀になってからはイシリアンに行くことがよくあったから。ふとした折りに指輪戦争の話になったことは珍しくなかったよ」
「それなら、どうして母様はそのことを知らなかったの? 母様だって、中つ国の生まれで、イシリアンに住んでいらっしゃったのに」
 エルロヒアは腕を組み、難しげに額にしわを寄せた。
「指輪戦争の話になるとはいっても、ロスロリアンでの出来事は、むしろヴァロマ殿の来訪が話の中心になるからなぁ。異界のヴァラが来たなんて話は滅多にないし。これ以外だと三度に渡るドル・グルドゥアからの攻撃とその撃退の話が多いね。イシリアンにもロリアンから移動したエルフは多少はいたけれど、主流ではないし、ロリアンからこちらに渡ってきたエルフはシルヴァン・エルフの郷から遠く離れることは滅多にない。だから大きな流れの中に埋没しているような細い流れについては、彼らの間だけに留まって、外までは広がって行かないのだろう。それに」
「それに?」
 エルロヒアはそっと視線をそらせた。
「恋心を暴走させたあげく女性の方にすごまれて、結果振られたとかさ、言い触らせないでしょう。そりゃあさ、正直、この話を聞いた時はあのハルディアが、って驚いたし恋は人格すら変えるんだと面白く思ったけど、それをいつまでも蒸し返すほど、私たちは話題に飢えてはいないんだよ」
 父の表情としんみりとした口調で、沈黙していたのはエルロヒアたちなりの配慮なのだとは察した。
「でも、ロスマリエンにとっては母親に関わる話だし、未遂に終わったとはいえ、こういうことをしようとしたと知らせずにハルディアと親交を持たせたことについてはすまなかったと思っている」
 ごめんよとエルロヒアが目を伏せると、ロスマリエンは頭を振った。
「いいえ、エルロヒア。確かに驚きはしましたが、不快ではありません。事情はわかりましたし、それに、むしろ……母が無茶を言って申し訳ないとハルディアに伝えたい気分です。わたくしが言うのはおかしな話でしょうが」
 照れたような戸惑ったような様子でロスマリエンは頬に手を当てる。そこにファラウレが異議を申し立てた。
「それでよろしいのですか? 斬ろうとしたことは私の誤解だったようですが、監禁についてはそうではないのでしょう。アルフィエル様によく似ているというが同じ目に合わない保証はないではありませんか」
 声を荒げるファラウレに、はびくりとする。
「暴走とおっしゃいましたね。その暴走を行った実績のある人物を、なぜみすみす再び暴走しかねない状況においておくのですか。のためにも彼のためにもならない。エルロヒア様、すべてを知っている貴方が、なぜこのようなことをなさるのですか?」
 不審そうに、ファラウレはエルロヒアをねめつける。エルロヒアはそんなの当然だと、小さく笑った。
「ハルディアはを監禁したりしないとわかっているからだよ。こっちだってだてに古なじみなわけじゃない。彼の目は節穴じゃないと知っているんだ。だからなにも心配はしていないよ」
(ああ……)
 色々なことが一度に起こって、ごちゃごちゃになりかけていたの頭の中が急速にまとまっていった。
「ええ、そうね父様。ハルディアはわたしとお祖母様を同一視したりはしないのよ」
 彼が見間違えたのは一度きり。出会ったその日だけだ。似ていたから、を知らなかったから、とっさに彼女だと思ってしまっただけだ。を知ってから、間違われたことは、もちろんない。重ねて見られたこともない。が知るハルディアは、そうしないように常に己を律していた。それでも白鳥の乙女を思い出してしまうことは避けられないようだったが。
 そのハルディアを愛してしまったのならば、すべて受け入れるしかないではないか。自分を見て過去を思い出す彼を。がハルディアを苦しませてしまうのだという罪悪感も、面影を追われてしまうことへの悲しみも。
 ハルディアの記憶は彼のもの。祖母に並び立ちたいという思いは消せないだろうが、ハルディアの過去の想いを塗りつぶそうとするのはいけないことだ。
 自分はそうしようとしていなかったか?
 と共有する思い出が増えれば、それだけ白鳥の乙女の存在が、ハルディアの中で小さくなると思っていなかったか?
 そして彼女の存在が薄く小さくなっていけばいくほど、比例するようにはハルディアに好かれるようになると思っていなかったか?
 そんな単純なものではないだろうに。
「ファラウレ、ありがとう」
 にこりとは笑った。
「え?」
 ファラウレは面食らったように眉を寄せる。
「心配してくれて。だけど大丈夫。わたしとお祖母様は全然似ていないから。見た目はともかくとして、中身は違うわ。わたしはアルフィエル様みたいに強くはない。危険だとわかっている旅に出ることを止める方に、自分を斬れなんて言えない」
「言う方が無茶だ、と思うけどね。ちょっと、白鳥の乙女に対するイメージが崩れてしまったよ」
 呆れたようにファラウレはため息をついた。はくすくすと肩を揺らして笑う。
「わたしも。意思が強い方だとずっと思っていたけれど、気も強いのかしらって思ったわ」
「ああ、それはあるね」
「そうね」
 なんの躊躇もなく肯定するエルロヒアとロスマリエンに、とファラウレは複雑な顔を見合わせた。ここは笑ってもいい場面なのだろうかと、年若い二人は悩む。
「と、とにかく」
 はファラウレを見上げた。自分にできる限りの渾身の力を視線に込める。
「そういうことだからファラウレの心配しているようなことは起こらないわ。それに、わたしもわかった。ハルディアがわたしに対して一線を引いているわけが。身分だけの問題ではなかったのね」
 ファラウレは頷く。
「君の顔を見ると古傷を思い出すんだろうな。情けないと思うが、男として、彼に同情する」
 まただ。
 はほのかの暖かいものを感じてほほえんだ。
 ファラウレがエルロヒアに対して向けた怒りには、理不尽なものからハルディアも守ろうとする意志が感じられた。のついでかもしれないが、それでも守ろうとしたことにはかわりない。
 今もだ。ファラウレはハルディアに理解と同情を寄せている。性格と思考にはついていけないところが多々ある彼だが、それだけではない。
(ファラウレも自分に振り回されているのかな。わたしみたいに。わたしたち二人とも、もっと成長したら、自分とも、周りとも、もっと上手くやっていけるのかな)
 そうだといいな、とは心の中で呟く。
 ファラウレに対する凝り固まっていた苦手意識が少し和らいだようだった。



次はハルディアのターン!




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