ハルディアの目が驚愕に見開かれる。
 もともと硬質な雰囲気を持つ彼が視線を固定してしまうと、強い眼差しに射られる心地がした。
「あ……わたし……」
 はじりっと後ずさりする。その拍子に握っていたマントの端が手から離れた。深い緑の布は緩やかな動きで再びハルディアの背を覆う。そしての耳の奥では、先ほど己が発した言葉が鐘の音のように繰り返されていた。頭に上っていた血が下がる。なぜあんなことを言ってしまったのか。は激しい後悔に襲われた。
「ご、ごめんなさい……!」
 居たたまれなくなった少女はとにかくその場から逃れようと、駆けだした。走り出してすぐに自分を呼び止める声が耳に届く。きっと我に返ったハルディアが追いかけてきているのだろう。はつかまらないように必死に速度をあげた。
 どこへ向かって走っているのか、自分でもわからなかった。
 息があがるまで闇雲に足を動かし、それが限界まで達すると、ふらついて木の根に引っかかり、藪につっこむ。勢いが余ってその藪を突き抜け、は地面に倒れ伏した。
「……うぅ」
 幸いなことにそこは大きな木の下で、下草のさらに下は柔らかい苔で覆われていた。幼少のみぎりより覚えがないほど盛大に転んでしまったが、思っていたほど痛みがないのはそのせいらしい。
 だが身体よりも心に負った痛みの方が大きかった。
 しばらく情けなさからその場から動けなかったが、のろのろと身を起こし、きょろきょろとあたりを見渡して、そこが記憶にない場所であることを確信する。
 ハルディアに馬鹿と言って、その弁解も済まない内に逃げ出して、迷子になってしまった。
(何をやっているんだろう、わたしは……)
 少し冷静さを取り戻したは落ち込んでため息をついた。
「あ……」
 そして視線が下を向いたことで、己の惨状に気づく。
「あーあ……」
 藪に突っ込んだことでドレスのあちこちに鉤裂きができ、湿った土がここかしこについていた。は土を払い落としながら、帰ったら母を驚かせてしまうだろうと考えた。
 だがそれよりももっと気になるのは、やはりハルディアのことだった。
 きっと彼はが癇癪を起こした理由をわかっていないだろう。それでも己に非があるのだろうと考えるのだ。そういう性格なのだと理解していたつもりだったが、そうとしか考えてくれないハルディアにやるせない思いを抱く。
「……バカ」
 小さい声では呟く。その声は瞬く間に風にさらわれていった。
「はぁ……」
 は再びため息をついた。
 こんなのは八つ当たりだ。それはわかっている。それでも胸の奥底に、悲しいような苛立たしいような言葉にしがたい感情が澱のように降り積もって消えない。
 が不機嫌になったのは、ハルディアがファラウレの戯れ言を言うに任せていたからだ。それにとの間に何もないときっぱりすぎるほどきっぱりと断言した。
 ハルディアは嘘はついていない。確かに彼との間には何もないのだ。ただ一方的にがハルディアに恋い焦がれているだけ。だがそのことはハルディアも知っていること。だから。
(少しは匂わせてくれてもいいんじゃないかしら……)
 ファラウレに付きまとわれて迷惑していることが察せないハルディアだとは思えないが、そうしてくれなかったのは例え一時的にを守るためであっても心にもない愛情は示せないということだろうか。
(いえ、いえ、それでいいのよ。だってハルディアは果たせない約束になりかねないことを後先も考えずに言うようなひとではないんだもの)
 は自分に言い聞かせる。
 だがファラウレとハルディアの心地の良くはない会話を聞いていたとき、少し――ほんの少しであるが期待してしまったのだ。
 が愛しているのは自分であると。そして自分も同じであり、彼女が成年に達するまで待つつもりなのだと。
 そうハルディアが庇ってくれることを期待したのだ。
 だが彼はそうしなかった。それどころかファラウレの言いがかりに等しいことも柳の枝のように受け流していた。改めて考えるまでもなく、ハルディアがそうしたのは当然のことだが、にはそれが物足りなくて不服だったのだ。ファラウレを身勝手だと感じていただったが、自分も同じようなものだと意気消沈する。
 は膝を抱えるように座り直し、両の膝頭の間に顔を埋めた。
 早く戻らないと侍女が心配するだろう。だが引き返したらハルディアと顔を合わせることは避けられまい。
 彼は自分のことをどう思っただろうか。それにフロドの前で恥ずかしい姿を見せてしまった。ファラウレは――もしこれで自分に幻滅したりしてくれたら助かるのだが。
 などという雑多な思いがの頭の中を交錯していた。だがそれもつかの間、ははっとして顔をあげる。
 誰かが近づいてきている。足音も声も聞こえないが、の走った跡を探しているようなかすかな気配を感じたのだ。
 は反射的に口元を手で押さえる。声が聞こえたらすぐに見つかってしまうかもしれないからだ。座り込んだ少女の視線の先はが突っ切った藪が低い壁のように広がっている。気をつけて観察しなければ、は藪の陰になって向こう側からは見えないだろう。
 道もないところを走ったが、とてエルフだ。走った痕跡は草の上にもほとんど残っていないはず。そんな追跡困難な状況であっても長い年月を森で警備隊として活動していたハルディアならば難なく自分を見つけてしまうかもしれない。
 追いかけてきてくれたのは嬉しい。だが迷惑をかけてしまったので心苦しくもある。そしてなによりハルディアにとってはわけのわからないであろう罵倒をしてしまったのだ。いま会うのはできるならば避けたい。だが相手はハルディアだ。きっと見つかるまでを探すことだろう。
 立ち上がって自分はここだと彼の前に出ていくべきかどうかを悩んでいる間に、気配はより近づいてくる。決心がつかないでいたは見つかるのを遅らせようとより死角になっているであろう藪のすぐそばまでにじりよった。
 心臓が口から飛び出そうなほどどきどきしていると、ふいに上から声がふってくる。
「こんなところに……」
 両手で藪をかきわけ、上半身を前のめりにして、男はをのぞき込んできた。金色の髪が木漏れ日に煌めく。その色は夕暮れ近いため、赤みがかっていた。
「……ファラウレ、だったの」
 予想していた人物と違ったため、の声は知らず落胆の色を帯びた。
 しかしその声はファラウレには届かなかっただろう。彼は大きく目を見開き、驚きの叫びをあげたからだ。
、大丈夫!?」
「え?」
 ファラウレは藪をかきわけのすぐ脇にしゃがみ込む。そしてゆったりとした袖の先を使っての頬や鼻の頭を拭った。
「転んだの? 土がついてる」
「そ、そうだったの」
 くすぐったくて目を閉じながらは答える。確かに顔も多少打ったが、鏡がないので確認できなかったのだ。
 取れた、と言って苦笑したファラウレだが、すぐに軽く眉を寄せる。
「頬に擦り傷ができてしまったよ。綺麗な肌なのに……。こんなことなら薬を持ち歩くんだったよ」
「大丈夫よ、すぐに直るわ。でも、ありがとう」
 心底気の毒がる青年には礼を言う。苦手なところはあるが彼も根は優しいのだ。
「ところでどうしてファラウレがいるの?」
 自分を追いかけてきたのはハルディアのはずだ。少なくとも背後からかかった声はそうだったのだ。今更二人の声を聞き間違えるはずがないという確信を持っては尋ねる。
 ファラウレはなんでもないことのように答えた。
「当然だろう。彼は君を怒らせた。追いかけてどうなるというんだ? を追い詰めるだけじゃないか。だから僕が行くと言って止めたんだよ」
「……そう」
 確かにさっきまではハルディアの前に出ていくかどうか悩んだ。結局来たのはファラウレだとわかりほっとしたところがある。だがはハルディアに追いかけてきてほしかったのだ。身勝手と理解していても、関心を持ってほしいと心から思う相手は一人しかいないのだから。
 の複雑な乙女心には気づかない様子でファラウレが小さく笑う。
「ところで、君、意外に走るのが早いんだね。すぐに追いつけると思っていたのに見失ってしまったからびっくりしたよ」
「そうなの? 必死だったからよくわからないわ。でもあんなに一生懸命走ったのは初めてよ」
 朗らかに笑いながらファラウレは頷く。
「後を追うために痕跡を探すのが大変だったよ。この辺は僕は詳しくないんだ。は?」
「わたしも来たことはないわ」
 はホビットたちの家を訪れた時には家の中か庭でお茶を飲み、おしゃべりに興じるのが常だった。ほど近いとはいえ、この雑木林には入ったことはない。ホビットたちにとっては好物のきのこが取れる素晴らしい場所だそうだが。
「それなら僕が来なかったら迷子になって帰り道がわからなくなっていたかもね」
 満足げな笑みを浮かべ、ファラウレはの頭をぽんぽんとする。
 はむっとしてさっと頭を避けた。ファラウレの手が空を切る。
「失礼ね。いくらなんでもそんなことにはならなかったわよ」
「でも夢中で走ったんだろう? 自分がどう来たのか、本当にわかってた?」
 ほらほら、とを立たせると、自分も立ち上がったファラウレは芝居がかった動作で腕を広げる。
 改めて藪の向こう側を眺めると、広く間隔が空いているとはいえ木と木の幹や枝、下生えなどで視界は遮られていた。林の外にはホビットたちの家があるはずだが、屋根の先すら見えない。フロドたちの家から眺めていた時には森とは違って迷うことなどないだろうと高をくくっていたが、どうやらそれは思い違いだったようだ。
(そもそも、どうしてわたしはこっちに向かって走ったんだったかしら)
 ふと自身の行動に疑問を覚える。そしてできるだけ身を隠したいと思ったせいであると思い出した。だがその結果、迷子になりかけたのだ。ファラウレが来なければ、確かに帰り道に困る羽目になっただろう。
 押し黙ったの顔をファラウレがのぞき込む。
「ね、僕が来て良かったでしょう。やっぱり君には僕がついていたほうがいいんだよ」
 整った容貌に微笑みが刻まれている。優雅で繊細だが、その目にも声にもどこか勝ち誇っているものが滲んでいた。
 はふいと顔を背ける。
(こういうところがあるから、好きになれないんだわ)
 ファラウレはのことを自分では何一つできない少女だという扱いをするのだ。ハルディアにもそういうところがあるが、彼は気遣いを押しつけてこない。もっと強引になってもいいのにと、むしろ不満に思うほどだ。
、落ち込まなくてもいいんだよ。大丈夫、こんなことくらいで僕は君に呆れたりしないから」
 そしてちょっとドジなところも可愛いよ、と続けたのでは絶句した。
 ファラウレのこの思いこみの激しさはどこからくるのだろうと、は何十度となくした自問を繰り返す。だがその答えはこれまで同様、出てくることはなかった。
 その間はずっと意識しないまま彼を見つめ続けていたようで、ファラウレは惚れなおした? と言っての額に口づけてくる。
「……っ! そういうことはしないでって、前にも言ったでしょう」
 ばっと額を押さえ、反射的に後ろへ飛び退く。
「額くらい構わないじゃないか。本当は頬にしたかったけど、傷のところを触ると痛いだろうと思って避けたんだよ?」
「そういう問題じゃないわ!」
 ひょうひょうと答えるファラウレには声を張り上げた。それでもけろりとしているファラウレに、は呆れるを通り越して感心してくる。なんて打たれ強いのだろうと。
 だがの思いは結局一つのところへ戻るだけだった。
(これがハルディアだったらどれだけ良かったかしら……)
 ファラウレの半分でもハルディアが積極的であればとは嘆く。だがハルディアが積極的であっても、彼が自分に恋してくれない限りはその積極性は発揮されないだろう。つまり、ハルディアはに積極的にはなってくれないということだ。
 はがっかりする。だんだん彼を想い続けることに空しくなってきた。ハルディアの心を占める強大な存在には所詮自分が敵うことはないだろう。
 それでも――好きなのだ。
 気持ちが相手に向かって、止まらない。
(ファラウレのことを好きになっていれば、もっと楽だったろうにな)
 を好きだと言ってくれるファラウレ。
 彼なりのやりかたで、自分のことを大事にしてくれるだろう。
 それにがファラウレに恋しているのなら、あの見当外れの愛情表現としか思えない言葉だって、きっと嬉しく感じるに違いない。
 だが応えられない。が好きなのはハルディアなのだから。
 だから期待を持たせないようきっぱり拒絶しているつもりなのだが、その点だけは一向に汲んでくれる気配がないのが非常に残念だった。
(もっとも、ハルディアを好きになる前からファラウレのことは苦手だったけれどね)
 向けられる愛情が暑苦しいせいかもしれないと、は密かに考えた。
。どうしたの? もしかして頬以外にも怪我してるの?」
 俯くの顔をファラウレはのぞき込んでくる。
「ううん、なんでもない」
「本当に? ところで、君、館へ帰るよね?」
 急に話題が飛んだので、怪訝に思いながら肯定すると、ファラウレはいたって真面目な顔でがめまいをするようなことを言い出す。
「それなら馬車のところまで僕が運ぼう。抱きかかえるのとおんぶ、どちらがいい?」
「どちらも遠慮しますっ!」
「遠慮しなくていいよ。怪我しているんだから」
「歩くのには支障はありませんから!」
 たとえ足を怪我していても、ファラウレに抱えられるつもりもなかったが。女の勘としか言いようがないが、怪我が原因であっても彼と一度でも密着してしまったらどんな風に曲解されるかわかったものではない、――危険、という単語がとっさに脳裏をよぎった。
 抵抗に抵抗を重ねてなんとかファラウレに運ばれるのを阻止したは、青年と連れ立って侍女が待っているはずのホビット邸に向かった。
 戻ると侍女とフロドが心配げな様子で待っていたが、ハルディアの姿はなかった。帰れと言ってやったからね、とファラウレは満足げに呟く。そうと知っては気落ちした。
 彼は追いかけても待っていてもくれなかった。自分のような手のかかる女の子の世話をするのが、いい加減わずらわしくなってしまったのかもしれない。
 胸が締め付けられるほど痛い。せめて屋敷に戻ったらハルディアに八つ当たりをしたことを謝ろうとは決心した。




 屋敷に戻るとは急いで部屋へ向かった。
 すでに日は落ち、夜の宴が始まっている。着替えの途中だったは母の来訪を告げられ、慌てた。いつになく遅い帰宅になってしまったのでお小言をくらうかもしれない。
 髪を梳かし直していなければ、鉤裂きのできたドレスもまだ片付けていなかったので、母に少し待ってくれるよう声をかけたが、ロスマリエンは頓着することなく中へ入ってくる。
「どうしたの、その傷は?」
「走ってつまづいて、藪に突っ込んでしまったんです」
「まぁ、どうしてそんなに走ることになったの?」
 ロスマリエンはかすかに首を傾ける。そして何かに気が付いたというように視線が一点で止まった。
「これも転んだせい?」
 母親の目はがとっさに丸めたドレスに注がれていた。ちろりとはみ出た袖口には破れ目がある。
 は急いで理由を説明した。万が一にでもハルディアが関与されているなどと思われてはたまらない。誰のせいでも――ファラウレのせいでもないのだ。に堪え性が足りなかったのが最大の原因なのだから。
 聞き終わったロスマリエンは頬に手をあてて思案する様子を見せる。
「母様?」
 問うとロスマリエンは、ハルディアが明日帰るそうだが聞いているかとに問い返す。
「えっ!?」
 は叫びに近い声をあげる。
「聞いていません、本当ですか?」
「ええ。夕方、戻ってきたあとでエルロヒアにそう話していたの。今までもこれくらいの滞在日数で帰られていたけれど、ピクニック以来、なんだかあなたたちの間はぎくしゃくしているでしょう。今日なんてを迎えにいった直後のことだもの、何かあったんじゃないかと気になっていたのだけど……。これが理由だったのかしら」
 ロスマリエンは小首を傾けて、釈然としないように呟く。
「これくらいのことで本気で気分を害するような方ではないと思うのだけれど」
 はぎゅうっとスカートを握りしめた。本気で見限られたかもしれないという切迫感に襲われる。
「母様、ハルディアは宴にでているんですか?」
「いいえ、部屋にいらっしゃるわ」
「これから、訪ねてもいいでしょうか」
 母の顔色を窺うようにして、は尋ねる。
「一人でなければ構わなくてよ。それからあまり長い間、おじゃましないこと」
「はいっ!」
 ぴしっと背を伸ばしては返事をする。ロスマリエンが宴に戻るために退室すると、は侍女を急かして着替えを済ませた。
 訪問を告げるとややあってハルディアが部屋の扉を開けた。いつもと変わらぬ雰囲気のように見えたが、一瞬彼の表情が曇ったことをは見逃さなかった。
 お目付け役である侍女は会話の邪魔にはならないように、だが存在を忘れられない程度に二人から距離を取ると彫像のように気配を消す。
 それが対話の開始の合図になったかのようにハルディアはに歩み寄った。
 椅子を勧められたが断り、は反省と謝罪の言葉を口にする。
 ハルディアの眉がぴくりと動いた。
「姫君、なにを謝られるのですか?」
「だって、ハルディアは気を悪くされたのでしょう?」
 『馬鹿』の一件を口にすると、ハルディアは苦笑する。ということはそれが原因ではないということだろう。
 もしかして、とは別の心当たりを示す。
「わたしが怒ったことを自分のせいだと思っていらっしゃる?」
 ハルディアはが駆け去り、ファラウレに追いかけないよう強く命じられたあと、侍女やフロドに何が悪かったのかを聞いたという。しかし侍女にとってもの爆発は唐突すぎて理解できなかったのだそうだ。
 だがわからないなりに自分のせいだとハルディアが思いこんだ可能性はある。だからそれは違うとは強調して否定した。
 ハルディアは切れ長の目に困惑の色を滲ませ、閉じる。
「いえ、そのことは……。気にしていなかったわけではありませんが、それが帰郷の原因というわけではありません。姫君こそ、お気になされませんよう」
「では、どうして?」
 問うとハルディアはためらいを見せつつ理由を告げた。
「私自身の気持ちを見つめ直すため……でしょうか」
「それは、どういうことですか?」
 重ねて問うと、ハルディアは苦しげに目を細め、を見下ろす。
「姫君」
 ハルディアの声は固くこわばっていた。何を告げられるのだろうと案じながらは次の言葉を待つ。
「私の気持ちが固まるまで待っていてくださいといったことを覚えていますか?」
「もちろんです。忘れるわけがありません」
 胸の前で両手を組み合わせ、はハルディアを見上げ続ける。
「申し訳ありませんが、そのことは一度白紙に戻させてください」
「……え」
 ぱたりと組み合わされた手が降ろされる。
「それがいけなかったようです。期限を切ったわけではありませんが、あまり待たせるものでもないだろうと意識するとはなしにしていたようで……。いつの間にかこの度の滞在中に結論を出したほうがいいのだろうと思い込んでいたようです。多分、貴女も同じではないかと」
「それは……」
 結論が出るならその方が良かった。そしてその結論は自分が受け入れられる方である方がもちろん嬉しい。だが彼のこの口ぶりは……。
 ハルディアはゆるりと頭を振る。
「そんなつもりはなかった、という言い訳はしたくはありません。ですが結果として私の行動が招いたことは姫君を束縛することにつながってしまいました」
「していませんよ、束縛なんて」
 は反射的に言い返す。
 ハルディアは目を開け、感情を抑えた眼差しで少女を見下ろした。
「そうなってしまっているのですよ、姫君が意識なさっているかどうかは別として。私も貴女も、相手に幻滅されることを恐れている。だから良いところだけを見せたいと、知らず知らず、互いを探りあいすぎていた。これが続けば、どんどん疲弊し、心をすり減らすことになるでしょう。ですから少し距離と時間を置いて自分の気持ちを見つめなおしてみたほうがいいと思ったのです」
 ハルディアの言っていることがわからなかった。疲弊するとはどういうことだろう。そんなことはありえないのに。
 だが恋心を隠す必要のなくなったの求愛は、ハルディアには相当の負担になってしまっていたのだろうということはなんとなく察した。はただ彼の愛したひとの末裔としてではなく、自分を無二のひととして見てもらいたいだけだったのだが。
「……わかりました」
 搾り出すようには言葉をつむぐ。きりきりと心が痛んだが、心配をかけたくない。それに物分りの悪い女の子だと思われるのも、嫌だった。
 はなんとか笑みを浮べてハルディアを見上げる。
「今まで無理をさせてすみませんでした。けれど、お付き合いくださってありがとうございます」
「姫君……」
 ハルディアは悲しげに顔を曇らせる。
 ああ、こんなんじゃいけない。もっと自然に笑わないと。はさらに明るい笑顔を顔に貼り付ける。
「真っ直ぐ郷へ帰れるのでしょうか。長い道のりのことと思いますが、道中お気をつけて。またお会いできる日を楽しみにしています」
 はやっとの思いでそれだけ言うと、一礼をして立ち去った。
 部屋へ向かう足取りはどんどん速くなり、最後には逃げるように部屋に駆け込む。
(次に会える日、なんて……来るのかな……)
 はハルディアに振られたのだ。最初からハルディアには想いびとがいたのだから、ハルディアが自分の気持ちを考え直したらの心は受け入れられないとなるだろう。もとから希望など持つのではなかった。
 受け入れられないことへの覚悟をしておくべきだったのだが、急なことだったので実感がわかない。
 自室に戻ったことで気が緩んだのか、はその場にへたり込む。そしていつまで経っても立ち上がる気力はわいてこなかった。








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