だけど、そんな恍惚とした陶酔感も《エンジェル》の住まいに着いた途端に解けてしまった。

大きなオルガン。
部屋の片隅には雑然と物が積み重ねられている。
さらに奥の部屋へと続いているだろういくつかの扉……。

溶けかけの蝋燭。
にゃあ、という声に振り返ると、信じられないほど大きなダイヤのついている首輪をしたクリーム色の猫がいた。

ここは、奇妙ではあったけど、間違いなく《人間》の住まいなのだ。





◇   ◇   ◆   ◇   ◇





不安感に襲われたわたしはエンジェルを仰ぎ見た。
顔の半分を仮面で隠した背の高い人は、テイル・コートとマントに身を包んでいる。
彼はわたしの手を離して、一歩退いた。
彼が人間なら、わたしは見知らぬ男性と二人きりだということになる。

「エンジェル、あなた……あなたは……」
言葉が続かない。
だけどエンジェルはわたしが言いたいことを察して頷いた。
「そうだとも、私は天使などではない、人間の、男だ」
切れ切れに答えたエンジェルの声はひどく苦しそうで、でも変わることなく《エンジェル》だった。
「だがお前が危ない目に合うことを心配しているのならば、無用なことだ。無闇に好奇心さえ持たなければ、な」
それは多分仮面のことを言っているのだろう。
わたしは見透かされているようで恥ずかしくなった。
確かに思ったのだ。
彼が人間なら、どんな人なのか、知りたいって。

「怖いかい、。だが私が今まで教えたことを思い出すんだ。私はこれからもお前に音楽を教えよう。こここそが私の音楽の王国。陽の光などに用はない。甘美な闇に身をゆだねるんだ。私の音楽にはお前の歌が必要なのだ」
黒いマントに後ろに撫で付けられた黒い髪。
闇の化身のようなその姿の中に白く浮かび上がる仮面。

それから彼は歌いだした。
わたしは悲しくて、切なくて、そして怖くて怖くて怖くて、仕方がなかったけれど。
妙なる調べは徐々に不安を溶かしてゆき、いつしかわたしは眠りに落ちていった。