「ごめんなさい。エンジェル」
しゃくりあげたまま扉を開けると、オルガンが止み、《エンジェル》は立ち上がった。
そのとたん、わたしは彼が仮面をつけていなかったらどうしようという恐れに捕らわれ、あれだけ言い聞かせたにも関わらず回れ右して寝室に閉じこもりたくなったのだ。
「」
振り返った《エンジェル》は仮面をつけていた。
ほっとすると共に、その白い覆いの後ろにあるものを思い出して身震いした。
すべてを知ってしまったものは、隠すものがあろうとなかろうと、ずっとそれを覚えていかなければいけないのだ。
記憶という映像再生装置が、《エンジェル》をいつでもわたしの脳裏に浮かび上がらせるだろう。
わたしに出来ることは、どちらか一つ。
拒絶し続けるか、受け入れるかの、どちらか……。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
「地上に戻ろう。君がいなくなったという騒ぎが大きくなる前にね」
エンジェルの声は怒っていなかった。
だけどわたしを少しも見ない。
失望されてしまったのだろうか。
そうされても当然だ。
わたしは彼のいいつけを破り、傷つけ、今また恐ろしさに竦んでいるのだから。
だけど、エンジェルに見放されると思うと、冷たい恐怖が体中を駆け巡るのだ。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
《エンジェル》に促されるまま、わたしは船に乗り、階段を上った。
彼は必要最低限にしかわたしの手を取らなかった。
胸中にざわめきを覚えたのは、安堵からなのか落胆からなのか、わからなかった。
着いたところはオペラ座の地下……といっても人々が行きかうことの多い区域だ。
すぐに見慣れた厩舎を見つけ、自分がどこにいるのかがようやくわかった。
「ここからの帰り道はわかるね?」
目をそらしたまま、彼は聞いた。
「ええ……」
わたしたちは黙ったまま、どちらも動くことが出来なかった。
「、明日、いつもの時刻に……」
わたしはぱっと顔をあげた。
いつもの時刻。
レッスンをするというのだろうか。
「いつもの時刻に楽屋へ来るんだ。いいね?」
「レッスンを……?」
おそるおそる、わたしは尋ねた。
「まだ終わってはいない」
高圧的な言い方だが、どこか怯えたような、わたしに拒絶されることを恐れている様子が滲んでいた。
「エンジェル」
そっと彼のマントに手を伸ばすと、驚いたように《エンジェル》は身体を強張らせた。
「あなたの名前を教えて。本当の、あなたの名前を……」
「……エリックだ。わたしはエリックというのだよ、」
エリックの声は震えていた。
「明日、いつもの時刻に、楽屋で……。エリック」
精一杯の勇気を込めて、エリックを見上げる。
「ああ、いつもの時刻に……」
