私は行ったことがないのだけど、と前置きを置いてマダムは語った。

「地下のあの方の住まいは、広くて変わった物が多いんじゃなのかしら?」
「ええ」
「あそこは、家具類は違うとしても、あの方が作ったのです。それにこのオペラ座にも、ずいぶんあの方の手が入っているわ」

わたしはぽかんとしてマダムを見上げた。

「あの方には多くの才能があります。建築家で設計者、学者でもあり、発明家でもある。そして、音楽家で、奇術使い」

「私が彼と会ったのも、ほんの偶然からでした。わたしがまだ若かったころ、バレリーナになるための勉強をしていたときに旅芸人の一座がやってきました。軽業師や手品師、それに檻に入れられた異形の者たち……」
「檻?」

マダムは頷いた。

「まだ若かった彼は、《悪魔の子》と呼ばれ、棒で看守に打たれながら、見物人の前に出されていました。ほとんどの見物人は面白がっていましたが、私はひどく心が重たくなった。帰り際に去りがたく思って振り返ると、彼は看守を絞め殺していた……」

「すぐに騒ぎになりました。私は夢中で彼の手を引いて、オペラ座の寮の地下倉庫に隠しました。オペラ座といってもここではなく、ルペルティエ街にあった前のオペラ座ですよ。あそこはここよりも手狭でしたから、とても隠し通せるものではないと思いました。それでも数日で騒ぎは収まり―彼は死んだと思われたので―今後、彼をどうしようかと悩んでいるうちに、彼の姿は消えていた」

「再会したのはここが出来てからです。ここが完成した当初から幽霊騒ぎがありました。でも私はそんなこと少しも信じてはいなかったわ。だって、何百年も経っているのならともかく、出来たばかりなんですもの。でも、皆が言う《ファントム》をとうとう見てしまったとき、やっぱり怪人はいるのだと思ったわ。でも皆が思っているような実態のない存在としてではなく、血肉を備えた存在としてよ。あの仮面のおかげで、私はすぐにあの時の少年だとわかったの」

「彼は私にはすぐに気がつかなかったけれど、勇気を奮って声をかけたら、思い出してくれた。二十年以上もどこで何をしているのか、ほとんど話してはくれなかったけれど、多くの苦労をしてきたのね。子供のころは雨に打たれた捨て犬のようにぼろぼろで、でも再会した彼は世間にも自分にも冷ややかで尊大になっていたわ」

マダムは口をつぐむと、じっとわたしを見下ろしてきた。

「マダムは彼が、エリックが恐ろしくはないのですか?」
「いいえ、恐ろしいわ。彼はその気になったら殺人も辞さないでしょう。今まで多くの事故が起きました。事故といわれていても、それが彼が起こしたということを私が知っています。沈黙を続ける私にも彼と同じように罪はあるのでしょう。それでも告発しないのは、ただ哀れんでいるだけなのかもしれない」

「神様は多くの才能を彼に贈ったのに、その代償のように恐ろしく醜い顔をも与えられた。たくさんの美しいものを作り出せる力があっても、それが正当な評価を受けることはないのです。あの顔のせいで……」

「私にできることはあの方を隠すことだけ。隠し続けることだけなのよ……」

いつも厳格なマダム・ジリーの毅然とした顔には、拭いきれない疲労が滲み出ていた。





◇   ◇   ◆   ◇   ◇





マダムはずっと前からエリックのことを知っていたのね。
そのことを誰にも打ち明けることもできないで、ずっと苦しんできたのね。

わたしは……どうしたらいいんだろう。

可哀想なエリック。
だけど、人を殺しただなんて……。