時間はない。

怒りにかられた群集がここを目指してきている。

エリックの秘密は、たとえ正義と法の前であってもわたしには言うつもりはなかった。
だから彼らがここにたどり着く前に立ち去らねばならない。

だけど、ああ。
わたしにはもうすべてがわからなくなってしまった。

どうしてエリックは行けと言ったのだろう。
どんな理由が。
どんな決意があってそう叫んだのだろう。

彼はわたしを求めていたはずなのに……。


愛情が失われたのだとは思っていない。
あの言葉が本心でないのも、わかっている。

だけどわたしの心があの口付けで一気に変化を起こしたように、彼の心もまた変わったのだ。

それが、わたしを手放すという行為に走らせたのだ。

だから、ここで戻るのはさらにエリックを追い詰めるだけのことになってしまうのではないか……。

彼の言葉に従うべきなのか……。





……なんてひどい女なのだろう。
さっきからわたしはエリックのことしか考えていない。
ラウルは殺されそうになったというのに。


エリックは彼を殺さなかった。
彼が生きていてくれて、本当に良かった。

……わたしは、これからはラウルのために生きなければ。
それが義務であり、償いなのだ。





膝に目を落とすと、無意識に祈るような形に組まれていた手の左の薬指に金色の輪がはまっていることに気付いた。
舞台の上でエリックがわたしに嵌めた結婚指輪―。