娘の名はジュディに決まった。

     母親の愛称と同じなので、普段は区別のためにジュニアと呼んでいる。

     

     我が家に小さな家族が増えて、早一週間。

     毎日が目まぐるしく……というほどでもないが(男の私は育児にはほとんど関わらないからだ。毎日子供部屋

    へ顔を見には行くが)以前よりもにぎやかになったように思う。

     ジュディはまだベッドに寝ているが、数時間置きに乳を与えるために子供部屋へ行っている。

     これでは寝ている意味があまりないので、ジュニアを乳母車に乗せて寝室へ運んだ方が良いように思えるが、

    どうなんだろうか。ジュディ本人は体力の回復を兼ねて少しでも運動がしたいというので、丁度よいと笑っている

    から、好きにさせておけば良いのだろうか……?

     さて、ジュディが母親らしくジュニアの世話をしている一方、父親の方はどうかというと……どうなんだろうか。

     私は良い父親らしい行動を取れているのだろうか?

     よく、わからない。

     私自身、父との思い出はあるものの、男の子にとっての父親と女の子にとっての父親はどうもその存在意義

    からして違うように思えるのだ。

     息子にとって、父親はライバルでもある。父には敵わないと思いながらも、いつか父を越えなければならないと

    思うものではないだろうか? 

     一方娘にとって、父親とは最大の庇護者だ。守られ、慈しまれるのが娘というものであって、あまり父親を超え

    ようなどと考えるものではないだろう。

     となると、今の私が娘に対してやらなければならないことはなんだ?

     もちろん、私はジュニアに色々と尽くしていると思っている。
     優秀なナースを雇ったし、子供部屋は赤ん坊にとって必要だと思われるものがすべてそろっている。

     だが、私自身が直接あの子にしてやれることはほとんどない。

     子供部屋へは行っているものの、対面している時間はそれほど長くはない。
     私にも仕事や付き合いというものがあるので、一日中屋敷に篭っているわけにもいかないからだ。

     歩き出すようになれば、私も一緒に遊んでやれるとは思うのだが、まだおしゃべりもできないのだからなぁ。

     

     しかし。

     ジュニアを見ると、とても不思議な思いがする。

     抱きかかえると私の腕にすっぽりはまって、尚余りがあるほど小さい身体。

     小さな顔にちょこんとした鼻。それでいて、目は大きい。

     小さな手にはさらに小さな爪がついている。

     これがいつか何倍も大きくなるということ、そして全ての人間が、元はこんなに小さな赤ん坊であるということに、

    生命の神秘を見る思いがする。

     小さなジュディ。早く大きくおなり。

     そして広い世界をたくさん見聞きするんだ。

     世の中というものは、美しいものばかりではないけれど、素晴らしいものがたくさんある。

     だから恐れず、飛び込んでゆきなさい。

     私は絶えず側にいて、何があっても守ってみせるから。




目次





ジュディの子供の名前は続あしながの原書には Judy,Junior と書いてありました。
でも、ジュディは正式にはジルーシャだから、赤ちゃんも正式にはジルーシャ・ジュニアなのかな?
でも、ジュディは自分の本名好きじゃないみたいだから、やっぱりジュディ・ジュニアが正式なんだろうか。