「頼む相手を、間違えたな」
 手首を返しながら、スランドゥイルは言った。
 刃を潰した短剣が日の光に煌く。
 それを難なく避けながら、マキリオンは嘆息した。
「今頃、言われても、遅いです」
 シリンデに煙に巻かれたマキリオンだったが、自分から言い出した手前、実行しないといけないと思ったのか知らないが、後日本当にスランドゥイルを鍛錬に誘ってきた。
 短剣に弓、屋筒と道具を一揃い持って。
 シリンデに上手く乗せられたようで釈然としないスランドゥイルだったが、たいしてやることもないのでいいかと、外へ出る。
 中心地を抜け、警備隊が訓練に時折使うという場所に案内された。
 開けた草地は丈の短い草が風にそよぎ、周辺の木の幹には弓の鍛錬の時に使う的があちこちにくくりつけられている。中心を正確に射抜いた跡があるのは、さすがというべきだろう。
 まずは肩慣らしと、二人は形式的な動作で短剣を打ち合わせる。
 互いの技量がわからないこともあり、探りをいれながらの攻防を続けていた。
 殺気などひとかけらもない。話をする余裕すらあるほどだった。
「訓練の相手なら、タルランクに頼むべきだったんだ。あれは真面目だから、根気よくつきあってくれるぞ。その分容赦はしてくれないがな」
「そんなこと、私が知っているはずがないじゃありませんか。そうおっしゃるのなら、タルランク殿を紹介してくださいよ」
 鋭い音を響かせて、マキリオンが刃を弾く。スランドゥイルは後ろに跳び退り、衝撃を相殺させた。
 と、一拍置く間もなく軽く地面を蹴り、マキリオンの懐に飛び込む。低い位置から短剣を振り上げた。
 マキリオンはそれも防いだ。体勢をぐらつかせることなく続けざまに蹴りをあげる。
「知るか。シリンデにやったように勝手に突撃すればいいだろう。猪突猛進はお前の得意だろうが」
 とっさにしゃがんで蹴りを交わすと、スランドゥイルは足払いをかけた。
「ひとのこと、わかったように言わないでください!」
 それを飛び越えながらマキリオンは叫ぶ。
「違うというのか?」
「概ね合ってますけどね! 癪ですけど!」
 その叫び声が消えぬうちに、二人は間合いを保ったまま動きを止めた。
 双方じっと相手の動きに神経を集中し、次の一手を予想する。
 ふ、とマキリオンの肩が下がった。スランドゥイルも緊張を解く。
「お見事です、若公子殿。シンダールの流儀は、動きの一つ一つが鋭くも美しいのですね」
 短剣を降ろし、マキリオンは微笑んだ。
「世辞はいい」
 鼻を鳴らしながらスランドゥイルは髪を払った。緩く編んで背に垂らしたそれは、さきほどの動きでもさして乱れていない。
「短剣の使い方に、シンダールも森エルフもないだろう。それに私は短剣は不得手だ。それくらいのこと、そなたも感じ取ったはず」
「ええ、ですが、やはり流儀に差は出るものですよ。そうですね、若公子殿の剣は舞のようです。非常に美しい。ですがその分実戦向けではないですね」
「あまり練習していないからな。型を覚えている程度なんだ。そのせいだろう」
 マキリオンは軽く頷くと、短剣を鞘に収めた。
「では、得意な武具は?」
「剣だ。なかなかの業物を一振り持っている。あれを使いこなすのが当面の目標といえるのだろうな」
「のちほど、それも見せていただきたいですね。とても興味があります」
 楽しげに目を細めてマキリオンは笑う。
「そっちの稽古もつけるつもりか? シリンデ以上の腕の持ち主でないと、さすがにそれは厳しいぞ」
 そっけなく言うと、彼は困ったように微笑んだ。
「剣こそ私の不得意分野です。見せていただきたいと申し上げたのは、純粋に興味があっただけなのですよ。私だけでなく、警備隊全員にいえることですが、剣を使うものはここではほとんどいませんから」
 話が雑談めいてきたので、スランドゥイルは草地に腰を下ろした。マキリオンも近くに来て向かいに座る。
「やはり森では使いづらいからか?」
 膝の上に肘をついて、スランドゥイルは訊ねた。
「そうですね。それが一番大きな理由になるでしょう。それに剣を使うものがいないので、覚えたくとも覚えられない、ということもありますね」
「覚えたいとは思うのか?」
 座り込んだまま、マキリオンは肩をすくめる。
「いないわけではないんですよ、そういう者も。だけど師となるものがいないので、やるとしたら我流になってしまいます。それが悪いわけではないでしょうが、個人がいくら腕を磨いても隊を組めない以上は戦力としてあてにするわけにはいきません。それならなんのために剣を覚えるのか、ということになってしまって、結局本気で取り組む者がでてこないと、こういうことですね」
「ふうん」
「我流でもなんでも、ある程度剣を使えるものが増えれば、それはそれとして実戦投入をしてみることもできるのでしょうが。さほど脅威ではない敵相手ならばそれほど無茶でもないでしょうし……」
 そこまで話すとマキリオンははっとした表情を浮かべた。
「申し訳ない、話が脱線していました。自分たちのことばかり話していてはいけませんね。では改めまして、若公子殿、実戦経験はどれくらいおありですか?」
 副隊長はシリンデにいいつけられたとおり、真面目にこの森での師匠になるつもりらしい。
 とはいえ年が近いこともあって、あまり相手を師匠だとは思えなかった。マキリオンの実力のほどがわからないということもあるだろう。
「両手の数にも足りない程度だ。ドリアスは徹底的に守られていた場所だからな。警備隊でもない限り、実際に敵と戦うということはありえなかったんだ」
 しかしスランドゥイルはたいして拘りもなかった。反発するほど相手を知っているわけでもないし、吸収できるものは吸収しておけという副官の教えにあえて乗ってみるかという思いもあった。
「武芸は男子のたしなみだから幼少の頃から手ほどきは受けていたが、実戦とは随分違う。まあ、違うということがわかったのも、敵と遭遇してからのことだがな」
 最初がドワーフ。次がノルドール。
 もしも自分が戦場に立つことがあるとしたら、敵はモルゴスの配下だろう。そう思っていただけに、この二度の戦いは意外な相手が敵だったといえる。
 とはいえもう終わってしまったことだ。特別な感情など持ち合わせていない種族だったが、これで自分の中ではドワーフとノルドールは大嫌いだという印象が刻まれることになった。
 そして旅の途中で起きた数度の戦闘。ここでようやっと彼は本来の意味での敵と認識していたものたちと合間見えることとなった。
 これらは先の二つに比べれば戦いといえるほどの規模ではなかったが、スランドゥイルの知るものは、それがすべてだった。
「なるほど……。となると、不足しているのはやはり数をこなすことでしょうね。基本の型はできていますから、徹底的に応用を覚えることが必要なのでしょう。視界や足場の悪いところや、大勢に囲まれた時の対処法などは対複数の演習を重ねるしかありません。若公子殿さえよろしければ、警備隊の一斉演習に参加してみませんか? ものすごく汚れると思いますが、結構楽しいですよ」
「……汚れる?」
 演習で? なぜだ? それは、場合によっては泥だの草の汁だのがつくことはあるだろうが、ここまできっぱりと汚れるというからには、そんなものではないような感じがする。
 スランドゥイルの疑問を感じ取ったマキリオンは陽気に笑いながら説明した。
「うちの合同演習は半分遊びみたいなものなんですよ。いえ、遊びといっても真剣に遊んでいるみたいな感じなんですが」
「なんだそれは」
 呆れたような顔になるスランドゥイルに、話は最後まで聞いてくださいとマキリオンがなだめる。
「まず隊ごとに分かれます。それぞれの隊にとって、相手側は敵です。なので全力で行く手を遮り足を止め、しとめなくてはなりません」
「……本当にしとめるわけではないのだろう?」
「もちろんです。演習で死者が出ては困りますから。短剣の刃は潰してありますし、矢じりは取ってあります。代わりに木の実をくりぬいて中に染料を詰めたものをつけているんですよ。これが当たると、染料がつきますから、『敵』にやられた、ということになってその者はそこで戦闘終了。終わるまで死んだフリをしてその場で待っていなくてはなりません。終わってしまえば後は楽そうですが、なにしろ乱戦中なので、たまに踏まれたり蹴飛ばされたりします」
「……なるほど」
 それは盛大に汚れそうだ。スランドゥイルは納得した。
「他にも罠をしかけたりして――落とし穴を掘ったりとか、仕掛けを踏むと上から網が降ってくるとか、目立たないように草を結んで転ばせやすくするとか――とにかく徹底的に相手側をしとめにいくんです。勝った側には賞品が出ますからね。遊んでいるように見えて、皆真剣ですよ」
「賞品?」
「ええ。勝った側は負けた側に酒をおごってもらうというのが、いつもの流れですね」
「それが目当てか」
「素敵な商品だろう?」
 そう答えたのはマキリオンではなかった。
 涼やかな笑みを含んだ女の声。気づくといつのまにかエレナカレンがそばに来ていた。
「エレナ」
「姫様、御用がおありでしたら、こちらから参りましたのに」
 マキリオンは片膝をついてかしこまる。身内の気楽さから、スランドゥイルは座ったままだ。
「楽に、マキリオン。用はあるのだけど、急ぎではないので気にするな。こんなに天気の良い日に屋敷のなかでふんぞり返っているなど、退屈でかなわんもの」
 ころころと笑いながら滑るように歩み寄ると、エレナはスランドゥイルとマキリオンの間に座る。
 飾りのひとつもないシンプルなドレスに、染めた革紐を編んだベルトを締め、髪を一房頭の上でまとめている。そこには淡い紫色の花を飾っていた。しかし暖かい陽光の元でも、彼女の髪は氷のように見える。色味が冴えすぎているのだ。
「姫ともあろうものが、共もなく一人で出歩くのですか?」
 無用心だとスランドゥイルが言うと、エレナはそっけなく答えた。
「面倒くさいのは好かぬ」
「面倒とかいうことではないでしょう。何かあったらどうするつもりですか」
「何があるというんだ。ここは我が領内だぞ」
「そういう意味だけで言っているんじゃありません。あなたも森の主なら、ふいに何か言いつけることもあるはずだ。侍女なり侍従なり、そういうことを伝える者は必要でしょう」
「そうか? 別にそういう時にはそのあたりにいる者を捕まえて頼むがな。どうしてもあの者でなければならないということは、そうないぞ」
「体面とか体裁というものを考えないんですか、あなたは」
「だから、面倒なのは好かぬというておるだろう。意外に形式主義なのだのう、そなたは」
 ああいえばこういうエレナに、スランドゥイルは頭を抱えた。女王がこれというのはどうなのだ、とマキリオンに視線を向ける。新参の公子に無言の圧力をかけられた副隊長は乾いた笑い声をあげた。
「ま、まあ、この森の者は皆身内のようなものですから……。それで困ったことはほとんどないですし、民も姫様と直に接する事ができるのは嬉しいことですし……」
「うちは身分の垣根が低いほうでな。他と比べたことがないので、放浪の者たちから聞いた話からそうだと思っているだけだが……そなたを見ていると、確かに余所は堅苦しいのだというのがわかるね」
 緑色の目に見据えられて、スランドゥイルはひるんだ。
「……こちらの流儀を否定するつもりも、ドリアスのやりかたを押し付ける気もなかったのだが、だがどうやら不快にさせてしまったみたいですね。申し訳ない」
 軽く頭を下げると、エレナは小さく微笑んだ。
「不快ではないよ。本当のことをいえば、そなたのようなことは、前々から言われている」
「そうだったのですか?」
 驚いたように聞き返したのは、マキリオンだった。
「まあね。なにしろわたくしがいなくなったらこの森をまとめる者がいなくなってしまうだろう? それで危機感を持った者たちがわたくしを過剰に守ろうとするのだよ。しかし駄目なときには何をやっても駄目なのだから、そうくよくよしても仕方がないと思うのだがね。あまりにも口うるさくなってきた時に、ならばまとめ役などやめてやると言ったら引き下がった」
 この場合、どちらが気の毒なのか、スランドゥイルには判定できなかった。とりあえずエレナはずっとこの調子であるということだけはわかる。
「過剰? 護衛をつけるということですか? ならば警備隊に話が来ていてもおかしくはないはずですが、私は聞いておりませんよ」
 自分の役職に関わるようなことだったので、さすがに焦りが生まれたらしい。マキリオンはぎょっとしたように目を見開いた。
「いや、警備兵ではなくて侍女だな。双子たちをとにかく始終そばにつけてろと。あの子たちはそこそこ魔法が使えるから、警備的な面もないわけではないのだろうけどね」
 スランドゥイルはがっくりと肩を落とした。
「エレナ、それは身分のある女性なら普通のことだ」
 そしてさっき自分が言ったのもそれと同じことなのだ。
「だから、わたくしはそれが面倒なのだよ。それにあの子らが始終わたくしにひっついていたら、屋敷のことは誰がするの?」
 心底そう思っているように、エレナは真面目な顔で小首を傾げる。
「新しく誰か使えばいいだろう」
「わたくしの世話役は、そんなにいらないよ。できないことを手伝ってもらえればそれで十分だもの。それより、わたくしはこんな話をしにきたわけではないよ。だから終わりにしよう。いいね」
 一方的に打ち切られたが、彼女の勢いは強く、拒否することは難しい。
 スランドゥイルとしてはまだ言い足りないこともあったが、渋々従った。
「で、話というのは何です。というよりもどっちに?」
 目だけを動かして、自分とマキリオン、どちらに用があるのだと問うた。
「両方だね。まずはスランドゥイルの方からにしようか」
「ああ」
「なに、簡単な話なんだが……そなたたちは当面ここで暮らすわけなのだから、そなたたち用の屋敷を造ったらどうかと思ってね」
「わざわざ、ですか? しかし……」
 いるといってもいつまでいるかわからない身だ。いまは彼女の兄の部屋を父子二人で使っているのだが、広さもそれなりにあるので不自由というほどではない。居候の身であればあれで十分だと思っていたのだ。大げさなことになりそうなので、スランドゥイルは困惑する。
「完全に別個の建物を造っても良いし、別棟を作ってわたくしの屋敷とつなげても良いし、たんに建て増しをするだけでも良いし、とにかく寝室は別とはいえ、いい年した親子が同じ部屋というのも気詰まりになるかと思ってね。特に、オロフェアは副官ともめているようだから、そなたも気をつかうだろう?」
「それは、確かに……」
 オロフェアとタルランクの意見の食い違いはまだ決着がついていない。二人とも立場をわきまえているので、平素はいさかいなど微塵もないように振舞っているが、余人の立ち入らない私室では、互いに牽制をしあうことが見受けられた。 父と副官の問題だからとあえて首をつっこむことなくやりすごしているが、ああいう場にいて気分がいいということはさすがになかった。
「わたくしたちのところでは、必要なだけの敷地内に必要なだけの材料を使って家を建てるものだから、あまり客室というものを用意していなくてね。だから寝台も、そなたの使っているものは賓客用ではないのだよ。兄上の侍従のものだったの。しかしそなたは公子なのだから、それこそ体面だの体裁というものが必要だろう」
「それで屋敷を、ということですか」
 体面だの体裁だのを蹴っ飛ばした姫に言われてもいささか説得力には欠けるが、彼女なりの心遣いなのだと判断して、そのことには触れないでおいた。
「造るのならば早い方がいい。雪が降れば作業が遅くなるから。無論今聞かれたからといってすぐに答えられるとは思っていないけれど、とりあえずそなたはどうしたいか、考えておいてほしい」
「わかりました。このこと、父には?」
「出掛けに話した。が、スランドゥイルに任せると言われてしまった」
「私ですか?」
「あれはもう春になったら出立するつもりでいるから、そなたの方が住む期間が長くなるだろうからと」
「タルランクはまだ承知していないのですが……。押し切るつもりなんでしょうね」
「そうであろうな」
 伯母と甥は顔を見合わせるとしたり顔で頷きあう。
「そしてマキリオン」
「はっ」
 森の主に呼ばれて、マキリオンは居住まいを正す。
「その折には警備隊に手伝ってもらうつもりでいるから、そのつもりで」
「承知いたしました。サンディオンと相談して、人員の都合をつけておきます」
「頼む。それと……」
 エレナは意味深な笑みを浮かべてちらりとスランドゥイルを見やった。
「小耳に挟んだのだけど、スランドゥイルを演習に誘っていたね。わたくしも混ぜておくれ」
「……は?」
 マキリオンは虚を突かれたような声をあげた。
「わたくしとスランドゥイルがそれぞれの隊の大将になって試合をするのだよ! どうだ。やりがいがあるだろう?」
「エレナ、急になにを……!」
 そもそも演習には誘われたが、行くとは言っていない。慌ててエレナカレンを押さえにかかろうとするも、彼女は目をきらきらとさせてやる気をみなぎらせていた。
「勝った組にはわたくしの方からも賞品をだそう。なにがいいかな……」
「エレナ、ご自分が何を言っているのかわかっているのですか? 演習とはいえ、戦いの真似事をするのですよ。いくらまとめ役とはいえ女性が戦場に立つなど危険です」
 声を荒げて忠告するスランドゥイルに、しかしこの森の警備隊副隊長は沈うつな色を瞳に讃えて彼を見つめた。そして重々しく首を振る。
「いや、若公子殿……姫様が参加なさるというのであれば、貴方は本気でかからないと負けてしまいます。姫様は武芸に秀でているというわけではないのですが、その……強いんです。本当に」
「……何?」
 副隊長の忠告に、スランドゥイルは思わず動きを止めた。それからエレナの方を見やると、彼女は薔薇色の唇をにっこりとさせる。
 その笑みは――彼女の経てきた年月を考えれば不思議なものだが――小娘のように無邪気で可愛らしいものだった。









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