空の青さはまだ薄く、そよぐ風も冷気を帯びている。
 秋の風情がより強くなってきているものの、昼間はまだ暑い。しかし朝夕はめっきり涼しくなっていた。
 中心地の広場には、大勢のエルフが三々五々と集まってきている。
 その集まり方は、スランドゥイルたちがこの森に到着した時のようだった。しかし雰囲気はだいぶ違う。
 先のときは、遠方から訪れた朋輩を歓迎しようという意識もあったのだろう、彼らなりに美しく装っていたものだったが、今回はもっとざっくばらんな格好をしていた。
 着慣れた上着を袖まくりにしていたり、裾を絡げていたりしている。髪型も、首の後ろや頭の上で一つにまとめていた。
 もっともそれは男たちだけの話であって、女は普段と変わらない。それに数も男ほどは集まっていなかった。テーブルを出してきて、そこに飲み物を並べている。それらは自由に取ってよいらしいが、飲もうとする者は少ない。まだ活動を始める前だからだろう。
 そんな森エルフたちの間で、彼らほど砕けてはいない様子のシンダールたちが混じっていた。勝手がわからず、困惑している者が多い。
「集れる者は集まったか? では、始めるぞ!」
 屋敷から出て早々、エレナカレンが声高らかに叫び、拳を天に突き上げる。
 森エルフたちは一斉に主と同じ行動を取った。シンダールたちはすぐにはついてゆけず、後を追う形になる。
 二つの波がある喚声を聞きながら、自分も叫びながら拳を上げた方が良かったのだろうかと、スランドゥイルはすぐ側にいる父を見やった。
 オロフェアはにこにこしているだけで、特になにもしていない。スランドゥイルの視線に気がつくと、どうしたのかと眼差しで問うてくる。
 なんでもないと首を振ると、彼は軽く頷いて、再び前方に目を向けていた。とても楽しそうな表情で。
 今日はこれからスランドゥイルたちのための住居部分を作るのだ。どのような住まいにするかという選択を父親に丸投げされた彼は、あまり大げさなことはしたくはないと思い、新築ではなく増築することに決めた。
 それだけならばこれほどの人数は必要ないのだが、仮住まいをしているシンダールの中にも、住んでいる家と同居者人数の規模が合わずに不自由な思いをしている者が出始めているので、ならば一斉に作ってしまおう、という事になったのだ。
 決めたのは、もちろんエレナカレンである。
 一棟や二棟という規模ではない。さすがに一度に全部は無理だろう、とスランドゥイルは思っていたのだが、しばらくして彼女は材料がだいたい揃ったからと、森中に協力を呼びかけたのだ。
 来られる者だけでよいから、手伝える者は集まれ、と。
 それがこの結果である。
 宴のような騒ぎに、スランドゥイルは驚きを禁じえなかった。
 エレナに言わせれば、森エルフは集まって騒げる機会があれば、絶対にそれを逃したりはしないのだそうだ。
 家を建てるのは力仕事であって、けっして楽しいものではないというのがスランドゥイルの認識であったが、ここでは少し違うようである。
「では材料を運びに行くぞ。今回はちょっと大人数だから、混乱しないようにな。とにかく、慌てるな。それから怪我のないように! わからんことがあったら、その辺にいる警備隊員を捕まえて聞け。以上。ああそれと、目標は日暮れまでに壁まで作ることだ。では、よろしく頼む」
 エレナは口元に両手を当てて叫んだ。そんな大雑把な説明でいいのか、とスランドゥイルは思ったが、森エルフたちは気楽そうな様子で彼女の話が聞こえたことを示すと、流れるように動き出した。
「さてと、ではわたくしも行ってくるか。そなたたちはどうする?」
 はりきった表情でエレナは振り返った。彼女が非常にやる気になっているのは、今朝方顔を合わせたときにすぐにわかったものだった。
 彼女は初めて会った時のようにズボンを着用していたのだ。
 そしてこの事を気にしているような森エルフはやはり一人もいない。
「行くだけは行きますが、なにをどうやるのかさっぱりわからないので、戦力としては当てにしないでください」
 姫としての自覚等、説教したいことは幾つもあるが、エレナは聞く耳をもたないだろう。
 短い付き合いではあるが、すでにそのことを理解していたスランドゥイルは、余計なことは言わないことにした。
「そうか。オロフェアは?」
「私は残ります。戦力になりませんからね」
 おっとりと彼は微笑む。
「応援部隊の方に加わることにします。何かあったら呼んでください」
 応援部隊とは、件のテーブルチームのことである。作業チームがいつでも一服できるように食べ物や飲み物を用意しておくのが主な役目だ。作業チームが男性中心であるのに対し、こちらは女性と子供が中心だ。
「わかった。ではまた後で」
「はい、姉上もご無理なさらない程度に頑張ってくださいね。……というよりも、本当に材木運びからなさるおつもりなんですか?」
 穏やかな微笑を浮かべたままだったが、オロフェアの頬はわずかに引き攣っている。姉の無茶ともいえる行動力に、さすがに困惑しているようだ。
 そのことにスランドゥイルは安堵する。家を建てるというときに、外観や内装を考えたり、細やかな彫刻を施したりする女性はいる。織物などは得意とする者も多いので、絨毯やカーテンを織るのは、専ら彼女達の役目だといえた。
 だが、建物を『建てる』段階で作業に加わる女性はさすがに聞いた事はない。男女の体力差があるということが大きな原因であろうが、誰も――たとえその女性が一族を率いる立場の者であってもだ――女性にそんなことは期待していないのだ。作業には慣れていないと危険につながることもある。できれば彼女も応援部隊の方に行ってくれるといいのだが、とスランドゥイルは思案した。
 ここは一つ、オロフェアからしっかり言い聞かせてくれたら、彼女も折れるのではないだろうかとスランドゥイルは父を見やる。やはり彼も同じことを考えていたのか、自分と一緒に残るように提案した。
 しかしエレナはそれを笑って退ける。
「一人で担ぐわけでもないから平気だよ。そんなに心配するな。これが初めてということでもなし、慣れたものなんだから」
「しかし……」
 オロフェアは柳眉をひそめた。エレナは緑の瞳を細めて、力づけるように弟の肩を叩く。
「無理はしないよ」
「……わかりました」
 小さくため息をつきながら、オロフェアは折れる。
(早すぎです。父上)
 スランドゥイルはがっくりと肩を落とした。





「慣れているんですか?」
 道すがら、スランドゥイルは隣を歩くエレナに訊ねた。
「うん?」
 のんびりと進んでいた彼女は、小さく首を傾ける。
「ですから、こんな風に建物を建てる事です」
「ああ。そうだね、これでかれこれ……二十度目くらいかな」
 指を折って数えながらエレナは答えた。
「そんなに?」
 スランドゥイルは目を丸くする。
「随分多いですね。一体いつからこんなことを始めようと思ったんです」
 二十度も現場に混じっていれば、森の民が何も言わないのも納得できる。すでに慣れてしまっているのだろう。納得しつつも納得してよいのかと、釈然としない思いでスランドゥイルは聞き返した。
 エレナは困ったように笑う。
「そなた、なにかわたくしのことを誤解していないか? わたくしは何も男の領域に好き好んで首をつっこんでいるわけではないのだよ」
「どうでしょう」
 そうだとしても、実際彼女は楽しそうに首を突っ込んでいるとしか見えない。最初の動機がなんであれ、今は好きでやっているとしか思えなかった。
 なのでからかうように混ぜ返すと、エレナは子供っぽく頬を膨らませた。
「……前にも言ったと思うけれど、この森では何度か中心地が移動している」
 ふいに声が堅くなる。スランドゥイルは表情を改めて拝聴する体勢をとった。
「わたくしたちでは対処しきれない敵だと判断したら、その場所は放棄しているんだ。意地を張って留まっても被害が大きくなるだけ。家屋ならばまた作ればいいが、死んでしまった者はもどってこないからな」
 エレナは苛立ったように髪を払った。銀の糸がはらりとこぼれる。
「次の住居地に移ったら、とにかく一からやりなおさなくてはいけなくなるだろう? まあ、わたくしたちもこの森のことには詳しいから、移る前から次に避難するとしたらあの辺り、くらいの目星はつけているので、全く知らない場所ではないがね。それでも……」
 腰に手を当て、ふ、と息を吐いた。
「住む場所だけはできるだけ早く確保しなくてはならないから、とにかく人手が必要になってくるんだ。だから手伝うようになった。体力的にもそれが可能だとわかったから続けている。わたくしたちは放浪のエルフではないもの。屋根もないところでずっと過ごしているのは好きではないのだよ」
 エレナは目をあげると、ちらりと唇の端に笑みを浮かべる。
「たまには空の下、星を眺めながら夜通し過ごしてもいいけれど、毎日は難しいね。こう感じるわたくしは、多分放浪には向いていないのだろうよ。必要があれば旅をするのもやぶさかではないのだけれど」
「なるほど」
 存外真面目な理由があるものだ。
 からかったりして悪かったなと、ひっそりと反省する。
「それ以外にもただの引越しだとか、老朽化したので立て直しだとか、色々あるのだがね」
 とエレナは付け加えた。
 スランドゥイルは我が身を振り返りながら呟く。
「私もあまり放浪は好きではないですね。浮き草のような身の上は、気楽かもしれないが、性にあわない」
 この森にたどり着くまで、いつも不安を抱えていた。初めての旅のきっかけが強制的に国を追われたからということもあるだろうが、己の身が不確かで、焦りが消えない。
「旅がいやなら、ここに住み着いてしまえばいいよ」
 強く勧めるような調子ではない。そうしたければすればいい、といった風だ。
 来る者は拒まず去るものは追わない森の民らしい物言いだった。
「それもいいかもしれないな……」
 戸惑うことも多いが、エレナもこの森の民も温かい。一時の仮の宿としかこれまで考えていなかったが、真剣に考慮してみる必要があると彼は感じた。





 着いた先には、すでに板になっているものが山と積んであった。
 警備隊を中心にして、事前準備をしていたということである。木材を振り分けているのも、彼らのようだった。
 板山は幾つかに分散されているのだが、先頭付近が混雑しており、近付くには少し待たなければならない。受け取り待ちの列の間を、受け取った組が板を担いで次々と通っていった。
 しばらく待ったあと、ようやくスランドゥイルの番がやってくる。この山の担当者らしい警備隊員はシンダール公子の姿を認めると、目を丸くした。
「若公子殿! 貴方も参加なさるのですか!?」
 やはりこういうことにスランドゥイルのような立場のものが参加することは珍しいことらしい。
「エレナが参加するのに、黙ってみているわけにもゆかぬだろう。それに作るのは我ら親子の部屋だ。少しは手伝わねば」
 にやりと笑って答えると、担当者は苦笑する。似たもの親戚だと思われただろうか、とスランドゥイルは首をかしげた。
(まあ、いいか)
 板を渡すよう促すと、担当者は我に返ったようで、慌てて板山に戻っていった。
「重いですから、気をつけてください」
「スランドゥイル、ゆくぞ」
 さっさと板の端を持ったエレナが後ろにつくように指差す。受け取った板はずしりと重い。思わずたたらを踏んでしまった。
「っ……!」
「大丈夫か?」
 エレナは焦ったように振り返ってくる。
「大丈夫です。……行きましょう、エレナ」
 後ろにはまだ大勢が並んでいる。もたもたしている暇はなかった。それに慣れの問題とはいえ、エレナが平然としているのに、男の自分が板の一枚くらいでよろめいていては沽券にかかわる。
 唇を噛み、両足に力を込め、なんということはない風を装う。しかし身体がかしいでしまい、何度もエレナを振り返させるはめになった。頼りないと想われるのが嫌で、その都度顔をしかめてみせたが、一向に効果はない。最後の方には本当に疲れてきてしまい、彼女の足をひっぱらないようついてゆくだけで精一杯だった。
「お疲れさま。降ろすぞ。ゆっくりな」
 ようやく増築予定地まで戻ってくると、エレナは気遣うようにスランドゥイルを見やった。
「…………」
 スランドゥイルは肩で息をしながら頷いた。声にだして返事をする余裕がないのだ。
 おかしい、こんなはずではない。体力なら普通にあるはずだ。なのにこの差はなんだ?
 すでに運ばれている板の上に自分たちの分を重ねると、彼はその場に座り込んだ。
「そなた、重いものを担いだことがないんだなぁ」
 エレナが近付いてきて、しゃがむ。
「しかし……こんなに疲れるはずは……。私は普段から鍛錬は怠らないようにしているのに……」
「使う筋肉が違うからのう。しかしまあ、途中でへたばらなかったのだからな。偉いぞ」
 彼女はスランドゥイルの前髪を掻き分けて、顔を覗きこんできた。聖母のような慈愛に満ちた眼差しが胸にささる。いっそだらしがないぞと笑い飛ばされたほうが楽だった。
「スランドゥイルー。大丈夫か?」
 のん気な声を響かせながら近付いてきたのは父親だった。
 彼は両手にカップを持っている。
 差し出してきたそれを受け取ると、スランドゥイルは一気に飲み干した。酸味と甘味の混じった冷たい飲み物が身体を潤す。
「しかし良い格好だの」
 立ち上がってカップを受け取ったエレナは、微笑ましげな眼差しでオロフェアを眺めた。
「そうだろう。こういうのは向いているんだよ。子供には好かれやすいんだ」
 オロフェアは両腕と両足に幼子を生やしていた。好奇心旺盛な森エルフの子供らしく、目を大きく見開き、きらきらと輝かせながらシンダールの公子にしがみついている。その後ろにも抱っこをしてもらいたそうな様子で何人もの幼児がついてきていた。そしてテーブル付近では、母親らしい女性たちが微笑ましげに見守っている……。
「子守担当ですか?」
「料理はできないからね。ぐずっていた子をあやしていたら、懐かれてしまったんだ」
 息子が問うと、父は笑って答えた。
「しかし随分へばっているなぁ。私は残って正解だったね」
「父上の要領のよさを見習うべきだと思いましたよ」
 自分だって子供らと遊んでいる方が良かった。半ばあてつけのように言うと、
「せめて年の功といいなさい」
 とオロフェアは平然と返した。
 それからスランドゥイルは一休みを入れると、板運びをするのはやめて、現場監督のようなものをすることにした。
 のようなもの、というのは、エレナの屋敷の増築担当として、すでにサンディオンがいたからである。
 彼はロープと棒を器用に扱って地面に部屋の外郭や柱の位置を決めていた。スランドゥイルはそれを眺めながら時折、こちら側ももう少し広くだの、窓はこちらがいいだのと口を挟む。これにはオロフェアもちょこちょこと混ざった。
 それが済むと一気に柱を立て、壁を作り始める。人数が十分にいるので、瞬く間に外観が整っていった。
 その手際のよさと連係の巧みさに、スランドゥイルは舌を巻く。身軽に立ち働き、重労働をも楽しみに変えてしまう。複雑な技や高度な道具などなくても、彼らは自分たちに必要なものをちゃんと持っているのだ。
 勝手に彼らを見下していた己が恥ずかしくなってくる。
 ふと、父の言葉を思い出した。
 クウィヴィエーネンで暮らしていたときも、こんな感じだった、と。
 それを聞いたときには、そんな時代遅れな生活を続けているとはと呆れただけであったが、今では違うように思える。
 ベレリアンドにはドリアスの他にも難攻不落を謳われた国があった。隠れ王国と呼ばれたゴンドリンや大城塞都市ナルゴスロンドなどである。
 しかしこれらの国々は、すべて滅びたのだ。
 一方彼ら森の民はしたたかに生き延びている。
 だから森のエルフたちの方が強く優れている、というような単純な話ではないだろう。それでも彼らから学ぶ事はたくさんありそうだった。

 あちらこちらで力を合わせるための掛け声と、工具を使う音が響く。
 それは日が暮れるまでずっと途切れる事はなかった。






あとがきは反転で。

シルヴァンエルフの家って、木造中心でいいんだよ、ね……。
タランなんかも木造なはずだし。
なんかエルフって植物とも会話ができそうな気がしてたんだけど(だから木を切るとかしなそうなイメージなんだけど)……ちょっとよくわかんなくなってきたから二つの塔とか読み返したら、意思を「感じる」程度なんだね。
会話はできないっぽいですね。
相手がエントなら別だけどね。エントは口があるからね(笑)
まあ、植物とも会話できるとなると、それはそれで大変そうだ。家を建てられなくなるだけじゃなく、パンも焼けなくなるじゃん(小麦の悲鳴が、とかさ。うわぁ/汗)
ホビットの冒険の中ではシルヴァンエルフたち、普通に肉食べたりしてますし、あんまり難しく考えなくてもいいのかなぁ。

あ。でもそういや、ドリアスには斧兵がいるんだったよ。
てことは、必要なら木は普通に切るんだろうなぁ。その後のフォロー(切ったあとに木の実植えるとか)はしてそうだけど。




前へ   目次   次へ