状況は不利、といえるだろう。
 預けられた兵士はすでに三割を失ってしまった。
 『敵』は彼らよりも上手だった。姿を見せることなく、じわりじわりとこちらの戦力を奪って行く。
 不意をつかれて倒れた味方が赤く染まる。
 彼は自分の無力さに歯噛みした。
 助けようとするも、時すでに遅く、それは叶わないのだと知る。
 父の顔も険しい。
 大将として隊を率いるも、慣れぬ戦場に有効な手段を打てずにいた。敵の目から逃れるために、大きな木の幹に隠れるように分散して潜んでいるが、相手の側に地の利がある。こちらが気がついていないだけで、すでに見つかっているかもしれなかった。しかしそれを確かめる術は、ない。
「御大将。ただいま戻りましてございます」
 声を潜めて小走りで駆け寄ってくるのは、斥候に遣わした男だった。
「戻ったか。それで、状況は?」
 灰色の目が鋭く光る。
「ヤンタ勢はここより西へ二リーグほど行った先に防衛拠点を築いております。丘になっており、麓は草地。見通しがよいため、正面から近付けば、格好の標的となってしまいます。近付くのは難しいかと」
 オロフェアは苛立たしげに親指を噛んだ。
 斥候は堅い表情で続ける。
「我らを襲ったのはスーレ勢です。彼らは勢力を三分しながら、随時移動している模様です」
「そのうちの一部隊が、我らと遭遇した?」
「そのようです」
 オロフェアは唇を引き結ぶ。彼がこのように焦燥を露わにするのは珍しい。
 しかし、焦りを覚えたのはスランドゥイルも同様だった。ヤンタもスーレも、兵の数ではスランドゥイルたちアンナ勢と同じだ。そのうちの三分の一の兵力だけで自分たちの軍勢の三割を奪ったのだ。
 相手側はこの辺りの地形を熟知している。その差を覗いても、この損失は大きすぎた。
 それほど、相手は強力なのだといえよう。
 このままでは負けてしまうのではあるまいか。
(いや。悲観するのはまだ早い)
 勝負は始まったばかりなのだ。諦めるのは、すべての手を打ちきって、矢が尽き刀が折れてからでも遅くはない。
「撃ってでましょう、父上」
 オロフェアは表情を変えぬまま、ゆっくりと頭を振った。
「ここのように、天にも地にも罠だらけで、隠れる場所にも事欠かないようなところで、一斉突撃などしようものなら、全滅させてくれと頼んでいるようなものだ」
 罠だらけ。確かにそうだ。
 着地がしやすような枝の下には落とし穴。走りやすい草地は、地面すれすれに縄が張られ、うっかりすると転倒してしまう。縄には音の鳴るものが結わえ付けられているものもあった。
 その場合には、速やかにその場から離れなくてはならない。でないと潜んでいる敵方が飛んで火に入る夏の虫、とばかりに襲い掛かってくるからだ。
 トリモチが茂みに撒かれていて、近道をしようと突っ切ると服やマントにひっついて取れないわ、上から網が振ってくるわ、と散々である。
 マキリオンが言った『何でもあり』だというルールは、少しも大げさではない。
 スランドゥイルは心底実感して、そのあまりの徹底ぶりにただため息をつくしかできなかった。





 秋も深まった晴天の日。
 夜明け前に中心地に集まったスランドゥイルの目に映ったのは、武装を凝らした大勢の兵士だった。
 本日の予定は、シンダール、シルヴァン合同の演習だ。
 もともと警備隊の定期行事である一斉演習に、エレナが本当に参加を表明し、彼女に引きずられる形でオロフェアも加わることとなった。
 それにより本来は隊長のサンディオン率いる部隊と副隊長マキリオン率いる部隊の二組が戦う、という構造だったものが、大幅な変更を加えられることを余儀なくされた。
 シンダール勢が加わる分、三つに分かれることになったのである。
 一つ目は大将エレナカレン、副将マキリオンによるヤンタ隊。
 二つ目は大将サンディオン、副将アスガールによるスーレ隊。
 そして三つ目が大将オロフェア、副将スランドゥイルによるアンナ隊だ。
 隊名はそれぞれの大将の頭文字に由来している。
 オロフェアはアンナ隊をシンダールエルフだけで構成するつもりでいたのだが、それでは公平ではないとエレナに文句を言われ、どの隊も同数になるよう調整がかけられている。
 演習のルールは極めて簡単だ。
 規定の時間以内に、大将と副将が両方とも敵勢力に捕獲あるいは行動不能になると敗北となる。
 また、両者とも残っている場合は、残存勢力数の多い方が、どちらか片方の将しか残らなかった場合は、大将が生き残っている方が勝ち、だ。
 勝利を得るためにはどのような手段を使ってもかまわない。
 知恵を振り絞り、技を尽くし、運を味方に率いれ、体力の限り駆け回るのだ。
 演習場所は、中心地を除く、森全域である。
 とはいっても、あまりにも遠くへ行き過ぎると、演習時間が終わるまでに戻れなくなるため、だいたいはエレナの守備魔法が届く範囲内で留まっているらしい。
 また、森中には審判員が多数散らばっており、敵側の攻撃を受けた場合に行動不能か否かを判断する。攻撃を受けてもそれが大きな傷ではないと判断されれば続行となるが、審判の指示を受けたというマークが左の手の甲につけられる。また、行動不能に際してもそのマークが右の手の甲につけられるが、これは行動不能になったにも関わらず、こっそり戦場に戻ることを防ぐためだった。遊びの要素が強いとはいえ、これは実戦訓練である。本当の戦いの時に深手を負ったら、こっそり復帰することなどできるものではない。根本的なところは真面目にやっているのだ。
「……こちらも罠を張っておくべきだったなぁ」
 口惜しげにオロフェアは呟く。
「完全に出遅れてしまいましたね」
 開始時間になる前に、オロフェアとスランドゥイルは簡単な打ち合わせをした。
 そして罠を張るのに時間を使うくらいならば、物陰に潜みつつ徐々に敵側の戦力を削る。また状況によっては、一気に決着をつけるという方法を選んだ。
 緑森大森林で暮らすようになってしばし経つが、森のことならば相変わらず相手方の方が詳しい。しかし個々の技量は自分たちシンダールの方が上だと自負していた。
 地の利と技量。
 これで五分、もしくは自分たちの方が有利だと、考えていたのだ。正面切って戦ったら負ける方がむしろ難しいだろうと。
 しかし現在までのところ、結果は散々なものであった。
 向こうはそもそも、正面切って戦うという気が全くない、としか考えられないようなやり方を取るのだ。
 彼らは罠を最大限利用している。こちらが罠に引っかかって体勢を崩した瞬間に、あるいはそちらに気を取られた隙に、さっと数人ずつ仕留められてしまう。
 特に金髪であるというだけで、すぐにアンナ勢の副将だと気づかれてしまうスランドゥイルは、危機一髪となった回数は飛びぬけている。シリンデが彼の背中をかばうように付き従っているので、なんとか交わせてはいるのだが、それによってシリンデの危険度も高くなっているのだ。
 面倒くさいことこの上ない。
 オロフェアはアンナ勢に振り分けられたシルヴァンエルフたちを呼んだ。先頭にいる小隊長三人が緊張した面持ちで公子の前に立つ。
「どこか安全な場所に移動したい。心当たりのあるものはいないか?」
 小隊長たちは顔を見合わせた。
 一人が軽く挙手をして口を開いた。
「ここからでしたら……この先の小川を突っ切った先に警備隊の詰め所があるんです」
「詰め所? そんなところを使っていいのかい?」
 驚いたようにオロフェアは聞き返した。
 それに対して別の一人が答える。
「もちろんです。なんでもありですので。詰め所は絶好の篭城ポイントなんですよ。ただ、それは相手方にとっても同じなので……長居はせずに物資だけ持ってゆくとか、または罠をしかけていくケースもあります」
「……そこでも罠なのか」
 仮にも自分たちの軍事拠点なのにそれでいいのだろうか。訓練中にもしも本当の敵がきたらどうするつもりなのだろうかとスランドゥイルは呆れた。
「水の中に下剤を仕込まれていた時は大変だったよなぁ」
「あ、俺、床下に落とし穴掘ったことがある。足がはまるくらいの小さい奴で、踏み抜いたら抜けないようにさらにその中に簡易とらばさみを仕込んだんだ」
「ちょ……。それお前か! 入り口のところだろ? その時同じ組だった中隊長がひっかかってた!」
「あの時はうまくいったよなぁ。動揺して入り口辺りで戻るの戻らないのとぐだぐだしている隙に奇襲かけたから、半数以上を行動不能にできたもんな」
 口々にしゃべりだすシルヴァンエルフたちに、オロフェアは目を丸くした。そしてひどく納得した表情で頷く。
「なるほど、どうやら私は罠の重要性をしっかりと認識していなかったようだ。ここではなによりも優先されるものなんだね?」
「そりゃあ、味方に被害を出さずに済めば、それに越した事はありませんからね」
「あ、でもちゃんと敵と相対しても大丈夫なようにする訓練もしておりますよ。今回は私たちの御大将は公子殿なのですから、どうぞ公のご随意に。シンダール流を貫くというのも、一つのやり方だと思いますし」
「森では不利な気はしていますが。ですが滅多にない経験であることは確かですよ。なぁ、みんな」
 最後に発言をしたエルフが後方にいる仲間に向かって振り返ると、同意を示す声が次々とあがった。
 オロフェアはふいを突かれた様に真顔になったが、ややあって微笑んだ。
「ありがとう。私は少々うぬぼれていたようだ。技量に勝ってさえいれば、負けるはずがないとね……。だがその認識は改めよう。君たちの力を借りたい」
「いつでも。ご命令をどうぞ、御大将」
 小隊長のひとりが胸に手をあて、一礼をする。
 オロフェアはすっと目を細めた。
「先ほども言ったとおり、まずは体勢を立て直すべく安全が確保された場所に移動したい。その詰め所が使えそうなら、利用させてもらおう。罠の有無については、君たちの方が詳しいだろうから、確認をしてもらいたいのだが」
 別の小隊長が一歩前に出る。
「承知致しました。では我が隊が先導をいたしましょう。シンダールの方々はできるだけ固まって移動を願います。側面としんがりとを我らシルヴァンで囲みますので」
 シルヴァンエルフの小隊長たちは素早く打ち合わせを終えると、各々配置についた。見張りが戻ってきて、移動準備がなされる。
 いつ動くか、気配を探りつつ様子を窺っていると、大きな乱れが起こった。
 ここからはずいぶん離れているようだが、戦いが始まったらしい響きが風に乗って届いてくる。
「スーレとヤンタが接触した?」
 スランドゥイルは呟く。
「それしか考えられないだろう。いい機会だ」
 オロフェアはにまりと笑った。
「動くぞ」
 オロフェアは先導する小隊長に合図を送る。彼は頷くと、音もさせずに草地を突っ切っていった。シンダールたちもそれに続く。
 できるだけ遮蔽物のあるものの間をジグザグに走っているうちに、小川に出た。
 小川といっても飛び越えられるほど幅は狭くない。音をさせずに走るのは、シンダール、シルヴァン問わずに可能だが、水の中まではそうはいかない。
「綱を渡しますか?」
 小隊長はオロフェアの指示を仰いだ。
「いや、全員渡るには時間がかかりすぎる。それに川の上では身を守れるものがない。狙い撃ちにされたら防ぎようがないからな。音がするのはやむを得まい。速度重視だ。突っ切るぞ」
「承知!」
 小隊長は部下たちに合図を送ると、一斉に渡河しだした。水音が響き、驚いた小鳥が囀りながら飛び立つ。
 スーレ勢は全滅を避けるためかかく乱のためか知らないが、隊を分けているという。ヤンタと戦っていない勢力がこちらに気づいて向かって来るかもしれなかった。
 できるだけ早く、この場を離れなければいけない。
「御大将、来ています! 後方斜め左! おそらくスーレです!」
 側面を守るシルヴァンが叫ぶ。
「弓隊、構え! 近づけさせるな!」
 オロフェアが答えるより先にスランドゥイルは吼えた。シンダール、シルヴァンに関わりなく、弓を装備している者たちが一斉に矢を番える。
 放たれた矢は弧を描いて飛んでいった。
 タルランクが主に問う。
「ここで撃ち合いますか?」
「いや、足止めで十分。深追いはするな」
 オロフェアは間髪をいれずに返した。
 そうしている間にも、敵も矢を放ったのだろう、空から枝葉を突き抜けて細長いものが降ってきた。
 矢は当たっても怪我をしないように矢じりが外されている。かわりに赤い染料がたっぷり詰められた木の実がくくりつけられているのだ。演習が始まってそうそうにそれが当たった味方は、肩から背中にかけて見事に染まってしまったものだ。その味方は、すぐに脇から飛び出てきた審判の一人によって行動不能の烙印を押されてしまった。
 彼らは中立で、複数いる。こうして騒ぎが起こった今、この近くにいてもおかしくはなかった。
「若君!」
 シリンデが鋭い声で叫ぶ。同時に背中を強く押され、彼はたたらを踏んだ。
「シリンデ、どう……」
 とっさに振り返ると、彼は両膝をついてうな垂れていた。
「シリンデ……」
 背中に赤い染みが広がる。毒々しいまでの赤。スランドゥイルは息を飲んだ。
 のろりとシリンデは顔をあげる。
「どうやら行動不能、のようですね……」
 やれやれ、と小さく頭を振った。
「何を言うか、立て! お前がこの程度でくたばるものか!」
「あ、ちょっと、駄目ですよ。シリンデ殿は行動不能です」
 ひょいと現れたのは審判である証の腕章をつけた女性だった。審判員は警備隊以外のエルフ達有志によって構成されている。その中には女性も数多く含まれていた。
「シリンデは殺しても死なんようなしぶとい奴だ。この程度では行動不能にはならん」
 スランドゥイルは審判に喰ってかかった。
 審判は彼の剣幕に気圧された様子だったが、ぐっと胸を突き出してきっぱりと拒否する。
「この位置を見てください。これが実戦だったら、シリンデ殿は矢が肺に達していたところです。参戦続行はとても認められません。これは遊びではないのですよ」
 ぶっとシリンデが噴出す。
「そうですよね。遊びではないんですものね。と、いうことで若君、後は頑張ってください」
「お前なぁ……」
 ひらひらと手を振る副官に、スランドゥイルは半眼になった。誰のために逃げるのを中断して残っていると思っているんだ。そう飛び出そうになる言葉を飲み込んで、彼はシリンデを睨みつける。
 そうしている間にも、審判はシリンデの手の甲に×印をつけた。行動不能、ということがこれで決定した。
「ではわたしはこれで。あ、もしもシリンデ殿をこの場に残すのがお嫌でしたら。かついで行かれる分には構いませんよ。行動不能中なので、自分で歩くのは駄目ですが。あ、そこー! 行動不能でーす。走るのやめてくださーい!」
 言い終わるやそうそうに、次の行動不能者に向かって審判は駆け出していった。気づくと他にも何人かの審判員があっちこっちにいる。
 いつの間に。
 森のエルフは本当に神出鬼没だ、とスランドゥイルは素直に驚いた。
 手の甲のマークを興味深そうに見ていたシリンデは、唖然としている主を見上げる。
「若君、審判もああ言っていたことですし、私も一緒に連れて行ってもらえませんか? たぶんこのままここで転がってたら、追いかけてきているスーレとかに踏まれそうですし」
「……っ。しょうがないな」
 なんとはなしに怒鳴りつけたい衝動を押さえ込むと、低い声でスランドゥイルは答える。
「舌打ちはお行儀が悪いですよ」
 ひょうひょうと言う副官に、
「死体は黙っていろ」
 とざっくりと返した。






あとがきは反転で
前後編になりそうです。
ちなみに、チーム名はそれぞれの大将の頭文字のエルフ語読みなわけですが、(エレナがE。追補編に載ってるテングワール表でいえば35番の字。オロフェアがOなので23番)、サンディオンはイニシアルはSではなくてTHです。なので、スーレ(9番)。スランドゥイルもTHだから同じだ、そういえば。






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