時が過ぎるほどにじりじりとした焦燥を覚える。
 だが急くな、とスランドゥイルは己に言い聞かせた。
 ヒバリが飛び立ってからまだ半刻も経ってはいない。焦りは自滅を生むだけだ。あのヒバリがどれほどの働きをしてくれるかは賭けになるが、結果も待たずに次の行動を取るのは短絡に過ぎるだろう。
 小さな鳥にも自尊心くらいはあるものだ。それを自分が不安だからと傷つけて良いものではない。
 スランドゥイルは心の底ではすぐにでもこの場を立ち去ってスーレ勢の動向を調べに行きたかったが、一度大きく頭を振るうとその場に座り込んだ。
周囲に同胞は見当たらない。自分から買って出た囮役だったが、実際に一人で行動してみると、重責と恐怖感に押しつぶされてしまいそうだった。
これは演習であり、怪我はするかもしれないが、死人はでない。勝つことはそれほど重要ではなく、今後の糧、そして将来に対する備えの一つとすることこと大事である、とわかっていてもだ。
 しかし勝利が第一の目的でないとしても、やはり彼としては負けたくはなかった。初めてのことだとか、相手が強力だとか、言い訳はしたくなかった。自分は随分と負けず嫌いなのだと理解した時には、当惑とともに苦笑がもれた。もっと泰然としていると思っていたのだが。
 獣道もないような森の奥。奔放に伸びた枝葉の隙間からこぼれる光を浴びようと、地面から草や蔓が延びる。その無造作に絡まりあった、丈の短い緑の帳に隠れるように、スランドゥイルは身を潜める。
 ややあって、軽い羽音が二つ、自分の方に向かってきていることに気がついた。
(二つ……? ヒバリが戻ってきたのではないのか……)
 自分と同じようなことを考えた敵勢力がいるかもしれない。そう思い当たって彼は一層目と耳を研ぎ澄ませる。だが来たのはやはり、あのヒバリだった。
「やあやあ、お待たせをいたしましたエルフの君。少々手間取りまして戻るのが遅くなり申しわけありません」
 ヒバリはスランドゥイルの足元に降りてくると、軽く頭を下げる。わずかに遅れてもう一羽のヒバリが降りてきた。新しいヒバリは最初のヒバリより一回り小さかった。
「無事だったか」
 スランドゥイルは我知らず息を吐いた。己が頼んだ事とはいえ、そしてヒバリも自信満々に引き受けたとはいえ、どうなることかと不安に思っていたのだ。もっとも、ヒバリがスパイだとばれたところで、いじめたりするようなエルフはいないだろうが。
「はい。怪しまれずに近付くには難儀いたしましたが……。しかし色々と知る事ができましたぞ」
「よくやってくれた。早速だが話してくれ。……その前に、そのもう一羽はどうした?」
 スランドゥイルは新しく飛んできたヒバリに目を向ける。問われてヒバリは自慢げに胸を膨らませた。
「わたくしの連れ合いでございます。わたくしがエルフの君の御用を賜ったのだと言ったら、自分も加わりたいと言い出しましてなぁ。いやはや、気の強い嫁で困ります」
「まあ! あたしに卵を産んでくれないと嫌だ死んでやると言ったのはどこの誰よ! 全く、調子ばかりいい旦那であたしの方こそ困っているんだから」
 つん、と妻ヒバリは顔を背ける。が、すぐにスランドゥイルに目を向けると、観察するように首を動かした。
「でも今は気にしないことにするわ。お日様色のエルフが来たって聞いて、ずっとお会いしてみたかったの。あなたって本当に綺麗ね。きらきらしてる」
 これ、お前! と夫ヒバリが慌てるが、妻ヒバリは取り合わない。
 緊迫したなかでのコミカルなやりとりに、スランドゥイルは思わず微笑んだ。
「ありがとう。ところで二羽ともヒバリと呼んではまぎらわしいな。名はなんというのだ? ……いや、私が名乗るのが先か。私はスランドゥイルという」
「わたくしはラーク、と申します」
「あたしはアラウダよ。ねえ、あたしもあなたの役にたちたいわ。何かない? ねえねえ」
「ありがとう、アラウダ。しかし先にラークの話を聞かねばならない。少し静かにしていてもらえないか」
 気と好奇心の強そうな妻ヒバリなので、文句をいうかと思われたが、「わかりましたわ」というと素直に引き下がる。ラークは「では」ともったいぶったように咳払いをすると、滔々としゃべりだした。
「ここからヒバリの翼でちょっと飛んだ先に数十人のエルフたちがおりました。といっても固まってはおりませんで、あっちの木の周りに数人、二つ挟んだ木の近くに数人、さらにちょっと離れた茂みに数人、という具合でして。それから指揮を執っているのはおそらくアスガール殿ですな。目だった動きはなかったので、誰が偉い人なのかちょっとわかりづらかったのですが。しかし近くにサンディオン殿もマキリオン殿も見当たらなかったので、そうではないかと見当をつけただけなのですが……」
 スランドゥイルは軽く頷いた。
「その判断は正しいだろう。今回の演習は変則的でな。この付近にいる勢力をスーレと我らは呼んでいるが、その勢力内にはマキリオンは所属しておらぬ。あれはエレナの指揮するヤンタ勢の副官をしているから。なのでサンディオンがおらず、アスガールがいるのであれば、この近くにいる者たちはアスガールの指揮下にいるということになろう。……良い知らせを聞いた」
 ヒバリは褒められて照れたように身をよじる。
「これは光栄の極み。ええと、他には、そうそう、スーレと申しましたか、そのアスガール殿率いるエルフたちがですね、少しやられているようなのですね。数はスーレよりも少ないのですが、この辺りには潜伏しているエルフ達がおりまして、その方たちが端の方にいるエルフたちを打ちのめしているのですよ。まあ、数の差がありますので、たいして効果をあげられていないのですが」
「それは我が方の同胞だ。私も本当なら同じことをしなければならないのだがなぁ……」
 なのに、なぜかのんびりとヒバリと話している。どこか釈然としない思いで、スランドゥイルは首を傾げた。
「まあいいか。で、そのことに対してスーレの反応はどうなっている?」
「どうもこういったことが起こるのは予想しているようでして、目だった混乱は生じておりませぬ。しかし自ら探し出して討ち取ろうともしてはいない様子」
「そうだろうな。むしろ、分散しては自軍に余計な損害をもたらしかねない。……そうなってくれた方がこちらとしては都合が良かったんだが、やはりそこまで愚かではなかったか」
 ヒバリはぱちくりと瞬いた。
「はあ。エルフの方は難しいことを考えられるのですなぁ」
 スランドゥイルは苦笑する。この辺りのことは父からの受け売りであって、自分が考えたことではないからだ。しかしそこまで説明することもなかろうと、話を進めた。
「ここから近くにいるスーレはどの辺りにいる? その人数は?」
「スランドゥイル様の足でしたら五十歩ほど行ったところに六人がおります。それと向こうに回ったところにですが、スランドゥイル様のお仲間の方がおりますよ。少しずつ相手側に近付いておりました」
 ラークは翼を広げて方向を示した。
「ふうん……。うまく連絡が取れれば挟撃できるかもしれないな、六人くらいなら……」
 しかし雑魚を討ち取ることに時間を費やすのもどうか。いっそ、その同胞には近くのスーレ勢を任せて、自分は先へと進むか……? 薄情なようだが、枝にかまけて幹を打ち倒し損ねては本末転倒だ。
 頭を悩ませていたスランドゥイルだったが、肝心なことを確認し忘れていたことに気付いて顔をあげた。
「アスガールはどのあたりにいる? それと、奴の近くには何人くらいスーレ勢がいた?」
「だいたい真ん中あたりです。この近くにいるスーレのような小集団を五個は超えていかないとなりませんよ。それからアスガール殿の近くには十人ほどおります」
「さすがに、簡単には近づけないか……」
「でも……」
 ラークは言いよどむ。これを話していいものかと迷っているようだ。
「どうした、ラーク」
 スランドゥイルは先を促した。
「前と後ろは空いています」
「……前と後ろ?」
「はい。スーレたちはここから見ると横に広がっています。あっちにある小屋を扇の形に囲むようにしてあるのです。なので、ここから見ればアスガール殿のところまでたどり着くには多くのスーレを倒していかなければならなくなるのですが。前と後ろはそんなにいないんです。すかすかです」
 あっちの小屋とはアンナ勢の隠れている詰め所のことだろう。それを取り囲むようにスーレが広がっている。自分がどこをどんな風に走ったのかまでは覚えていないのだが――なにしろとにかくスーレの攻撃が届かないところに行くことを第一にしていたからだ――どうやらちょうど扇状に広がっているそれの端のあたりにいるらしい。
 なので、ここから見れば敵側の防備が厚く見えるが、前か後ろに回ればそれは劇的に薄くなる。
 しかし――。
(前に回るのは論外だな。遠回りしてもいくつものシルヴァンたちの目を掻い潜らなくてはならない以上、見つかる可能性は高くなる)
 だが。
(後ろへ回っても、その先をどうするかという問題がある。私一人ではさすがにアスガールは討ち取れまい。せめてもう少し人数がいれば……。それに、スーレの気をそらせることができるようなものがあれば……)
 元々、囮作戦は起死回生の逆転を狙ったものだった。駄目で元々、敵の勢力を少しでも減らせられたらめっけもの、といった色合いだが強い。
 アンナは結局、初動からして間違っていたのだ。それを回避しようとしているが、後手に回りすぎたので、結局こんな無謀なことしかできない。
 だが、まだやれることはあるはずだ。
「ラーク、アラウダ」
 静かな決意を込めて、スランドゥイルは二羽のヒバリの名を呼ぶ。
「なんでございましょう」
「なーに。なーに?」
 うやうやしく恐縮する夫ヒバリと期待に満ちた眼差しを送ってくる妻ヒバリ。二対の丸くて黒い目に至極真面目な面持ちのエルフの姿が映る。
「頼みたい事がある。手伝ってくれるか?」





 太陽が中天に差し掛かった。
 朝早くから行われていた演習が半分終了したことになる。
 これまで常ではこの時刻は最も森閑とする時間帯だった。まだ半分残っている演習時間を万全の体調で過ごせるように、一息いれることが多いからだ。やろうと思えば飲まず喰わずで一日中戦うこともできるエルフだが、集中力や体力を保つにはやはり一定の休憩が必要なのである。
 そんなのどかな時間帯に、鋭い怪気炎が挙がった。
 発されたのはアンナ勢が立てこもっている詰め所からだ。
 オロフェアの指示の元、雨霰と矢が放たれる。
 じりじりとしたにらみ合いが続いていたが、このような時間帯に攻撃が再開されるとは思っていなかったのだろう。スーレ側はにわかに足取りを乱したようだった。
「始まったな」
 自軍と敵軍の攻防を眺めながら、スランドゥイルは呟く。
「では、動くぞ」
 すっくと立ち上がる彼のそばには同じく囮役となっていたアンナの同胞が五名集まっていた。呼び集めてくれたのはラークだった。そして妻のアラウダは、スランドゥイルの考えた作戦を伝えに、詰め所に飛んでいった。
 内容は至って単純なものだ。
 オロフェアたちは散発的に攻撃を仕掛けていたが、一度それらを止めてもらう。詰め所側からの攻撃は、矢の届かないところまで退避してしまえばそれで無効となるため、スーレ勢からしてみれば回避しやすいのだ。
 とはいえスーレ側も黙ってアンナ側を包囲するだけで満足してはいないらしい。攻撃が止んでいる間はじりじりと近付いているようなのだ。突破口を開こうと少数の精鋭を送ることもしている、らしい。すべてラークからの報告なので、スランドゥイルが見聞きしたわけではないのだが。
 それでも何もわからない状態よりは随分ましだ。
 攻撃を止めることによって、スーレをよりアンナの近くにおびき寄せる。攻撃が再開されれば彼らは逃げ出すだろうが、逃げるための距離が伸びれば伸びるほど、こちらのチャンスも大きくなる。いくら森に慣れていようが、気配を読むのが上手だろうが、攻撃や退避をしている最中に別方向へ意識を向けるのは難しいだろう。気をつけていようと、必ず穴が開く。
 その隙をついて、スランドゥイルたちはスーレの後ろ側に回るのだ。
 狙いはもちろん、副将アスガールだ。
 スランドゥイルは走り出す。そのすぐそばを五人の同胞も駆けた。
 身を隠すことは念頭にはおかない。短い時間で、どれだけ後方中心部に回れるかが鍵だ。
 本当ならば人数はもっとほしかった。しかし綿密な打ち合わせが出来ず、合図もろくに送れないとなると、行動開始はオロフェア側に委ねられる。
 父には、太陽が中天にかかるまでは行動を控えてほしいとしかいえなかった。わかりやすい合図など送ればスーレに気付かれてしまう。苦肉の策だった。
 もう少し攻撃開始時間が遅ければ、十人前後は集まるのではないかと考えていたが、始まってしまったものは仕方がない。拡散している残りの囮たちには個別に頑張ってもらおう。スーレの目をひきつけてもらえれば、さらにこちらは動きやすくなる。
 味方を見殺しにするようなことは好かないが、背に腹は代えられない。建前はどうあれ、最終的に囮役は全員討ち取られることになるだろうということは、アンナ勢ならば誰でも暗黙の了解として納得しているはずだ。
「副将殿!」
 鋭いが押し殺した声で脇を走っていた男がスランドゥイルを呼んだ。男の見ている先をスランドゥイルも見た。それで彼が言いたいことを汲み、頷く。
 木立に紛れているが、慌しく動くシルヴァンたちの姿があった。どれも似たような格好をしている。スーレ勢だ。
 大股で十数歩も進めば彼らと直接やりあうこともできる距離だ。しかし人数は向こうの方が多い。下手に近付けば返り討ちにあう。
「どれがアスガールかわかるか?」
 不用意に見つからないように身を隠したスランドゥイルは、近くにいた味方に訊ねる。フードを被っているため、どれが誰かわからない。攻撃するのであっても一撃必殺を狙わねばこちらが危ない状況だ。
 俄仕立ての遊撃手は、スランドゥイルを除いて全員森エルフだ。自分よりもアスガールには詳しいだろうと思われたが、全員が首を振った。顔が見えないのでわからないというのだ。
「せっかくの機会だというのに……!」
 スランドゥイルは歯噛みした。となれば取れる方法は少ない。返り討ち覚悟でそれらしいのに一斉に攻撃を仕掛けるのだ。あるいは、危険を覚悟でもっと近付くか。
 あまり考える時間はない。詰め所側からの攻撃がやんだり、スーレが安全域まで退避してしまったら、こちらの危険度はもっと上がってしまうのだ。
「振り向かせましょうか?」
「何?」
 唐突に切り出したのは、確か以前の演習で詰め所の床に落とし穴を掘ったと話していた男だった。窮地にあるのにどこか楽しげなのはいくら陽気さが売りのシルヴァンエルフでも限度を越えているとスランドゥイルは密かに思った。
「私が前へ出て攻撃を仕掛けます。となればさすがにあっちも敵がどれだけいるか確認しないわけにはいかないでしょう。それで振り返ったところをこちらが攻撃します。アスガール殿があの辺にいるかどうかは賭けですし、振り返った連中の顔がちゃんと見えるかどうかわからない。でもやるしかないんでしょう?」
「たしかにそうだが……」
 ラークはアスガールがスーレの中心付近にいると言った。だが今もいるかどうかはわからない。もしいなかったら、こちらはただ無駄に全滅するだけなのだ。
「アスガールがいさえすれば……こちらは五人での一斉攻撃だ。さすがにどれかは当たるでしょう。やるかやらないか、どうします、若君」
 スランドゥイルは決断した。四の五の言っている暇は確かにないのだ。
「やろう。しかし一つだけ要望がある」
「なんでしょう」
「出るのは斜め前にしてくれ。ついでに、向こうからそなたの姿がはっきり見えるように。攻撃がそなたに集中すれば、こちらのチャンスはもっと増える」
 男は面食らったように目を丸くしたが、すぐににやりと笑った。
「優柔不断で経験不足のボンかと思いきや、結構言うんですね。おっと、ボンなんて言っては失礼か」
 スランドゥイルも唇の端をあげる。
「かまわんさ。ボンなのは事実だろう。で、やってくれるのか、くれないのか?」
「やりましょう。骨は拾ってくださいよ」
「うむ、そなたの犠牲は無駄にしない。……まあ、こちらも危険なことに変わりはないのだがな。死なばもろとも、か」
 くくっと男は笑った。スランドゥイルも笑う。残りの面子も血が滾るような笑みを浮かべた。
 誰からともなく拳の甲を打ち合う。言葉は少なくとも意識が繋がっているような感覚を覚えた。
「では、行きますよ」
 男はまるで散歩にでも行くような気軽さでひょいと立ち上がった。そのまま音を立てずに数歩先へ出ると、無造作に矢を放った。






あとがきは反転で。
ヒロイン出てこない……!
つーか、演習話がここまで長くなるとは予想外だった。
まだ、続きます(汗)
ちなみにヒバリ夫妻の名前はなんかちゃんとした由来のあるものを思いつかなかったのでそのまんまです。
ラーク→英名のLarkから
アラウダ→ヒバリの学名Alauda arvensisから。




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