審判があっちこっちと走り回っていた。
各自の状態を確かめると、こちらには右手に行動不能の印がつけられ、あちらには左手に続行可の印がつけられる。
スランドゥイルたち遊撃隊とスーレ分隊との戦いは、長くは続かなかった。後ろからの攻撃には、さすがにアスガールたちといえどもすぐには反応しきれなかったのだ。数に任せて矢を射かけてはきたが、それより先に遊撃隊の一人が放った矢がアスガールに当たった。
スーレの副将が倒されたことで、この分隊は全体的に行動不能とみなされる。それでも審判たちが行動可否の印をつけているのは、『生存者数』の確認をするためなのだ。
この度の演習は三勢力に分かれて行われている。これまでのようにただの勝ち負けだけでは済まない。順位というものが発生するのだ。
演習であるので、順位などというものをつけるのはそもそも意味のない行為ともいえるが、それではやる気の点で盛り上がらない。意味がなくてもやった方がいいことはあるものだ、とエレナが決めた。
敵をどれほどしとめたか。味方がどれだけ残ったか。一位以外の勢力では大将と副大将が両方倒されている可能性もあるが、これらのことを考慮して順位を決めるということだった。
緊張のとけたスランドゥイルたちは、他の遊撃隊ともども草地に座り込み、審判たちがスーレ分隊を集めて検分している様子を眺めていた。こちらも六人中二人が行動不能となっている。スランドゥイルは肩に矢が霞ったが、これくらいならと行動続行の承認を得られた。他にも怪我を負ったものの、続行を認められたのは二名。無傷な者は一人しかでなかった。
成果としては、悪くないといえるだろう。全滅が覚悟だったのだ。動けるものが残っただけで十分である。
「そろそろ皆のところへ戻るか……」
あらかたの検分が終わったらしいと感じて、スランドゥイルは呟く。
そうですな。行きますか。などという声が周りからあがった。
「さて、次はサンディオンの隊かヤンタ勢か……。どちらとやりあうことになりますかねぇ」
怪我をした味方の一人が、やれやれといいたげに肩をすくめた。勝ったのはいいが、さすがに緊張の連続で疲れているのだ。
「どちらにしても全力をつくすだけだ。……が、こちらもさらに味方の数が減ったからな。正直言ってきついな」
スランドゥイルはぼやく。詰め所に立てこもった時点ですでにこちらは半数しか残っていないのだ。そのさらに半分になっていてもおかしくはない。それだけの人数でどれだけ勢力の残っている敵チームとやりあえるか、心もとなかった。
アスガールを討ち取ったことで達成感に満たされたものの、先を思うとまだまだ頭の痛いことばかり目に付いてしまう。
スランドゥイルは天に仰いで嘆息した。
行動不能となった遊撃隊二人をかついで、オロフェアたちの下へ戻ったときには、そこにも審判たちが集まっていた。
「随分多いな」
スランドゥイルは驚いた。非戦闘員の彼らがうろうろしていると、途端にここが仮とはいえ、戦場であることを忘れてしまいそうになる。
「やあ、戻ったか」
オロフェアがスランドゥイルを認めて微笑んだ。アラウダもスランドゥイルに気がついて、喜び勇んで飛んでくる。
頭上を飛んでいたラークともども、二羽はスランドゥイルの両肩に止まった。小声で労をねぎらうと、アラウダは嬉しげに喉を鳴らす。
「アラウダが飛んできたときには驚いたが、まさかこんな小さな味方がいようとはね。しかし、助かった」
上機嫌でにこにこしながら、オロフェアは続ける。
「この分隊はアスガール指揮下だったらしいな。そなたらが仕留めたと聞いたよ。よくやってくれた。功労者は誰だ?」
「彼です」
スランドゥイルは遊撃隊の一人を紹介した。二人いた行動不能者の一人である。アスガールに向けて放った矢が当たったものの、直後に流れ矢があたり、戦線離脱をするはめになったのだ。またもう一人の戦闘不能者は、スランドゥイルを焚き付けた、例の男だった。
満足そうに頷き、オロフェアは遊撃隊一人一人に言葉をかける。
それが終わるのを待ってから、スランドゥイルは父に尋ねた。
「それにしても、いやに審判が多いのではないですか? なにか変事でも?」
「ああ、そのことなんだが」
オロフェアは苦笑する。
「どうやら残りは私たちと姉上たちとの決戦のようだ。アスガール分隊がやられたことで、スーレ勢は全滅らしい」
「え……」
スランドゥイルは思わず口をぽかんと開ける。
「エレナたち、ですか」
「ああ。審判たちはその処理が終わったので、こっちに回ってきたんだそうだよ。そうはいってもこっちももう十分審判はいたわけだけどね。その彼らに聞いたんだ。なんでもスーレとは逆に、ヤンタ勢は一団になってスーレ分隊を追い詰めたのだそうだよ。サンディオン分隊はサンディオンが狙い打ちにされて、残りの一隊は池に追い込まれて叩き落されたんだそうだ」
すごい勢いだったそうだよ、と言ってオロフェアは締めくくった。
「意外でした。サンディオンは最後まで残ると思っていましたから……」
なにしろこの森の警備隊長なのだ。その彼があっさりやられてしまったとは。
そういえばマキリオンがエレナは強いのだ、と言っていたことを思い出す。あの時はまだ実感が湧かなかったが……。
「エレナはどのような戦い方をするのでしょうか」
伯母に対する対策をまったく考えていなかった自分に気がつき、父に問う。しかし彼も首を振った。
「私にはわからないよ。なにしろ姉上が戦っているところなど、見たことはないのだからね。それに、警備隊の彼らもほとんど知らないらしいし」
言いながら背後の森エルフ達をオロフェアは振り返る。
「知らないとは……」
「兄上がご存命の頃には兄上と。それに警備隊長、副隊長くらいとしか手合わせはしていなかったみたいでね。姫の立場ではあまりおおっぴらに武具を振り回すなど、できるものではないだろうから、仕方ないとは思うが」
それはそうだろう。となるとマキリオンがそのことを知っていたのは、彼が副隊長だからなのか。あの様子では結構な目にあっていそうだ。
マキリオンにエレナの対策を聞いておくのだった。後悔したが、遅い。彼は現在エレナの副官として動いている。接触できる状況ではない。サンディオンでもいいのだが、おそらく彼は審判たちに見張られていることだろう。戦線離脱した者に会いに行ってはならないという規則はないが、なんとはなしにはばかられるような気がした。
「まあ、こうなったらやれるだけやるしかないね。こちらは残りが三分の一強というところだ」
オロフェアは腕組みをしながら半ば自嘲しているような笑みを浮かべた。
「ヤンタ勢は……?」
父の態度に嫌な予感を覚えるつつ、スランドゥイルは訊ねる。
「ほとんど減っていないそうだよ。さて、どうしようね」
帰ってきた答えに、スランドゥイルの頬は引き攣った。
どうしようね、などとオロフェアは苦笑混じりで言っていたが、勝負がついていない以上、行動は起こさねばなるまい。
そしてスランドゥイルとしてはあっさり負ける気はなかった。
戦力差は約三倍。これだけ大きな開きがあれば、まともにぶつかるだけ無謀というものだろう。オロフェア、スランドゥイル、タルランクの三者で今後の行動を話し合ったが、誰の口からも真っ向勝負をしようという意見はでなかった。スーレ勢がこれと同じ作戦をとって、すでに負けていることを思えば、愚策にもほどがあるともいえるが、選択の余地はないのだ。自然と奇襲作戦へと話は進み、最初の頃から三分の一に減った兵力をさらに三つに分けることとなった。スランドゥイルはそのうちの一つを率いる。
直接的な戦闘は避けるつもりでいる。狙うはただ一人、エレナカレンだけだった。
彼女を捕獲か戦闘不能にすることができれば、場合によっては引き分けにできるかもしれない。
もはや勝ちを望むというよりも、ただ負けないためだけの戦いである。
スランドゥイルはまたもやラークとアラウダに力を借りて、エレナがどのあたりにいるのか探らせにやった。二羽ともまだやる気でいるからなのだが、それなら一羽はオロフェアかタルランクの手助けに回そうと話を振るも、二羽ともスランドゥイルがいいと頑として断った。なぜこれほどまでに懐かれたのかはさっぱりわからないが、そこまで言うのならとこのままスランドゥイルが使うことにした。もともと小鳥たちは演習に関わりがなかったのだ。いなくとも父親もタルランクも困ることはないだろう。
エレナたちヤンタ勢がいるという方向に向かって進んでいると、一足ならぬ一翼先に飛んでいっていたアラウダが矢のように舞い戻ってきた。
「いたわ。いたわ。銀色のお姫様。あっちにいるの。まだあなたたちがこっちから来ていることに気がついてないわ」
ああ、疲れた。とスランドゥイルの肩に止まって、羽繕いをする。
「ご苦労だった、アラウダ。向こうの動きはどうだった?」
「南の方に向かって進んでる。ゆっくりだけど」
「南、か……」
見通しの良い丘に拠点を築いていたはずだが、その場を動いたのか。これが自分たちにとって吉とでるか凶とでるか。スランドゥイルには判断がつきかねた。
しかしすぐに思考を切り替え、このあたりの大まかな地形を思い出す。このまま進めば、ヤンタ勢の側面と出くわすことになりそうだ。
「エレナは隊のどのあたりにいた?」
「後ろの方。たくさんのエルフたちに囲まれていたわ」
「そうであろうな」
大将だからという理由だけではないだろう。彼女はこの森の姫であり女王なのだ。男の将とは扱いが大きく違ってきているはず。もっとも、エレナ自身はそのことをどう思っているかはわからないが。あの性格だ、少しは放っておいてくれとも思っているかもしれない。
(ありえそうだ)
自分の想像で笑いがこみあげてしまい、スランドゥイルはかみ殺すのに苦労した。
たとえ本人がどう思っていようとも、彼女に怪我などしてほしくはないと思うものがほとんどだろう。ヤンタ勢も大変だ。彼女を守りながら戦わねばならないのだから。
しかしそんなヤンタ勢が現在もっとも有利な位置にいるのだ。それはエレナの将としての有能さの証明でもあるのだから、気持ちとしては複雑である。
スランドゥイルは歩きながら考えを巡らせた。そんなエレナたちにどうにかして一撃を与えなければならない。
「ヤンタの中心部隊をやりすごして、後ろからの奇襲攻撃をかけるか。エレナが後方にいることもあるしな」
安易な策だが無駄に凝っても意味はない。打つ手など限られているのだ。ここは素直に自分たちにできることをすることにした。
ヤンタは兵力が多いこともあって、見張りにも十分人手が割かれているだろうと考え、スランドゥイルたちはやみくもに進まないことにした。うっかり見つかって攻撃を受けたら防ぎきれないことは確実である。
ラークとアラウダにちょこちょこと飛んでいってもらっては、ヤンタ勢の現在位置を確認してもらった。それを元に少しずつ進行方向を変え、彼らの後ろにつくようにする。
ここが森であることは幸いした。隠れる場所には困らない。人数が少ない事もあって、分散しながらもあまり広がることなく潜むことができる。こればかりはヤンタ勢にはできないことだった。
そのヤンタは、警戒しながらもほとんど隠れ潜むことなく、全軍が緩慢ともいえる速さで進んでいる。
(さて、ここからどうするか、だな)
エレナは後方にいるとはいえ、守りの層は薄いわけではない。スランドゥイルの目視では彼女のいる位置はまったく見えなかった。似通った緑色のフード付きマントを身につけた警備兵が鋭い眼光を周囲に投げかけている。
「どうしますか。副将殿」
シリンデ脱落後、スランドゥイルの副官役に抜擢したシルヴァンエルフの小隊長が訪ねてきた。
「ああ……」
大木の幹からヤンタ勢を覗き見ながら、スランドゥイルは生返事をする。
小隊長は急かすことなく答えを待っていた。
「待つか」
スランドゥイルは短く告げる。
「待つ、とは?」
困惑したように小隊長は繰り返した。
ひたりと見据えていたヤンタから視線を外し、スランドゥイルは木の幹に背を預ける。そしてそのまま腰を下ろした。
「考えたんだが、このまま突撃を仕掛けたところで、エレナをどうこうできるとは思えん。一時的には押せるかもしれないが、すぐに前方から兵士が戻ってくることだろう」
「そう、でしょうね」
「勝ち目はない。ならば、どうにかして隙を作るか、隙が出るまで待つか。このあたりが常套手段だろう」
「わかります」
難しい話はわからないわ、と途中でアラウダがスランドゥイルの頭に乗ってきた。ラークがたしなめるが、アラウダは意に介さない。騒がないなら好きなようにすればいいと告げ、夫婦喧嘩になりそうな場面を速やかに収めると、スランドゥイルは続けた。
「隙を作るのは難しい。まるで策が浮かばないのだ。もしやそなたは何か考えがあるか?」
小隊長は頭を振った。
「いいえ。これくらい戦力差がついてしまったときには、逆転はほぼ無理だと思っておりますので。できることといったら、日暮れまで逃げ延びて、これ以上離脱者を出さないことになるかと」
これが実際の戦いならば、それが正解なのだろう。むやみに勝ちにこだわるのではなく、民が一人でも生き残れるようにするのが彼らの発想なのだから。
「それでもいいがな。せっかくだ、少しくらい戦ってみようかと思う。そなたらもエレナの指揮などという珍しいものと一度も刃を交えないままでいて本当にいいのか? 少なくとも彼女たちは、サンディオンらを撃破したのだぞ」
「それは……私たちも驚いております。しかしこう申し上げてはなんですが、私どもでは姫様と一対一で渡り合うことはできません。もし傷でもつけてしまったら……」
「それも原因かもな」
「は? なんの原因でしょう」
スランドゥイルの呟きに、小隊長は首を傾げる。
「サンディオンたちが負けた原因だよ。いくら本物の矢じりではないとはいえ、この染料詰めの木の実も当たればかなり痛いからな。だからエレナに矢を放つのをためらったのかもしれない」
スランドゥイルは自身の肩に触れる。アスガールとの戦いで矢が掠めた場所だ。幸い染料はつかなかったものの、掠めた矢の勢いは鋭かった。まともにぶつかっていたらしばらくあざになっていたことだろう。
「意識しているのかそうでないかは別としても、エレナのいる辺りを攻撃する手を緩めていては、それは勝てぬだろうよ」
「それはあるかもしれません。ですが……副将殿でしたらできるのでしょうか」
「やりたくはないな。あの方に怪我などされたら寝覚めが悪くて仕方がない」
サンディオンの甘さを非難されたのだと受け取ったのか、小隊長の口調はきつくなった。それをあっさりと返してスランドゥイルは続ける。
「だが怪我をさせたくない相手が大将をしているからといって攻撃を加えることを控えたら、演習の意味がなくなる。なのでここは一つ腹を括って攻撃してみようと思う」
「……副将殿」
なんだその結論は、と言いたげに小隊長は肩を落とした。
「サンディオンは警備隊長だ。エレナとは身分が違う。しかし私と父は彼女の身内だ。タルランクもエレナより私たちを優先するだろう。だから葛藤という点ではサンディオンたちやそなたらよりも軽い。良いか、これは副将命令だ。私が指示したらためらうことなく攻撃せよ。迷いも不安もすべて私に被せるといい。何があろうと責任はとる」
きっぱりとスランドゥイルは断言した。覚悟を部下たちに見せなければならない。それができなければ、女王に武器を向けるということに戸惑いを覚えつつある彼らを動かす事はできないだろう。
とスランドゥイルは結論づけた。
小隊長はまじまじと彼を見つめ、そして――
「それは、つまり、もしこの演習で我々が――御大将やタルランク殿の分隊の連中も含めて――姫様に傷をつけてしまい、それが直らなかったとなったら、責任を取って副将殿が姫様をもらってくださるということでよろしいのでしょうか?」
「どうしてそうなるんだ……」
思いもよらなかった解釈をされて、スランドゥイルは顎が外れそうな思いに駆られる。しかし小隊長は真面目だった。
「責任を取るとおっしゃったので、そういうことなのかと。御大将には西方に行ってしまわれたとはいえ奥方がおられるのですから無理でしょうし、身分の問題もありますからタルランク殿も無理。残りは副将殿しかおられません」
「エレナは伯母だぞ……。無茶を言うな。第一そなたら、私のような若造に大事な姫君を任せる気になれるか? なれないだろう?」
スランドゥイルはそっけなく答える。
だが、自分とエレナの親等を数えてみて、ぎりぎり婚姻の結べる範囲にいることに気がついてしまった。なんとはなしに恥ずかしい思いにかられて、そんなことは考えなかったことにしよう、と無理やり自分を納得させた。
「確かに納得しない者たちもでてくるでしょう。ですが他種族の血が混じることは、我々にとって忌避しなくてはいけないことではないように思います」
小隊長はしばらく考え込んでいたが、明るい瞳をあげたときには、迷ってはいないように答えた。
「我らシルヴァンエルフは、中つ国とこの森への愛情ゆえにこの地に留まり時を重ねています。同じ思いを抱えているのならば、森の民でなくとも構わないでしょう。それに、私は貴方が嫌いではありません。むしろ好きです。青臭いところはおありになるが、それもおいおい直ってくるでしょうし」
そうは言っても、姫様にも選ぶ権利がありますからね、と笑いながら小隊長は締めくくった。
頼むからそんなに真剣に考えないでくれ。顔に血が昇りそうになるのを堪えながら、スランドゥイルは思った。
あとがきは反転で
すまん、まだ終わらない……。
信じられないだろう? これ、考えた当初はせいぜい前後編だったんだぜ……(遠い目)。
前へ 目次 次へ