顔を上げ、あたりを睥睨しながら歩くも、私の意識は右の腕にばかり向けられていた。
軽く曲げたそこにの指がかかっている。
恋人同士が腕を組んでいるというよりも、子供が迷子にならないように親の後を必死でくっついてきているというような感じではあるが。
オペラ座の仮面舞踏会当日。
私の音楽の王国は、どこから集まってきたのかというほどの人間を詰め込み、ぱんぱんになっていた。
ひっきりなしにすれ違う人びとは、常ならば正気を疑われるような装いをしている。もっともそれは我々とて同じことなのだが。
は古代エジプトの女神バステトをイメージした衣装を身にまとっていた。壁画に見られるようなストンとしたドレスに飾り帯を結び、装飾品は肩から胸の辺りまでを覆うビーズを編んだ首飾りと、両腕にはめた金の腕輪。そして梳いただけの黒髪に砂色の猫の耳を模した飾りをつける。
顔にはもちろん猫のような化粧を施してある。鼻の頭を逆三角形に塗り、唇は笑みの形、目元だけはただ黒く塗っただけだが、布製のマスクにアーモンド形に釣りあがったアイラインを入れたので、いつもより目が大きく見えた。
そして私の仮装はというと、やはり古代エジプトの神だった。トートというこの神はトキとヒヒの二種類の動物の姿で表されるのだが、見栄えの良さそうなトキを選ぶ。顔全体を覆う嘴の長い鳥顔の仮面に、額から後ろは冠毛を模したものが肩のところまで流れている。前後二つにパーツを分けているので装着は難しくはないが、普段以上に視界が制限される上に耳が隠れてしまうので音も聞こえ辛い。そのためいつも以上に周囲の気配を読む必要があった。
だがそれは瑣末な問題だった。そんなことよりも衣装をどうするかで私は大いに悩んだのだ。かの地の男性装束を身につけるとなると、必然的に上半身裸になってしまうのであるが、仮装であってもそのような格好は問題がありすぎる。ただでさえ私は若くない上にやせすぎているのだから、見た目が芳しくないことは想像に難くない。
そこで上にはドレープをつけたチュニックを着ることにした。そしてくるぶしまである腰衣に、と同じくビーズの首飾りと金の腕輪をつければ完成だ。暖かい国の衣服は概して身体を締め付けない構造になっているものが多いように思われるが、これもそうだった。
開放感があるせいだろう、はバステトの衣装を喜んで身につけたものだが、私はといえば、無防備すぎるとしか感じないものだから、居心地が悪くて仕方がない。自分で選んでおいて何を言っているのかと言われてしまえばそれまでだが、トートの仮装をすると決めた時点ではそんなことまでは思い至らなかったのだ。
私にとって衣服とは鎧のようなものなのだろうと、改めて思う。そこに存在するだけで世間から忌避されてしまう醜く厭わしい己の肉体を覆い隠し、少しでも威嚇できるものである必要があるのだ。
だがこのようなことは口にすまい。
が気にしてしまうし、これにすると決めたのは他ならぬ私なのだから。
「そろそろ踊るかい?」
会場を一回りすると、私はおもむろに切り出した。
は控え室まではかなり乗り気でいたのだが、いざ会場に足を踏み入れると、あまりの人の多さに怖気づいたのか、軽くパニックを起こしてしまったのだ。
私にくっついて少しも離れようとしない。踊ろうと誘うも、ステップを忘れてしまったと答える。そして自分の仮装が周りから浮いていないかとしきりに気にして、とても楽しむどころではなくなったのだ。
そんな彼女を落ち着かせる意味で、回廊を一周したのだが、効果はあったようだ。
は「うん」と頷いて、ふにゃりと笑った。
「なんか、すっごく緊張してた自分が馬鹿みたい」
「初めてなのだから、そういうこともあるだろう」
だから気にするな、と言外に告げた。
「あまりにも想像していたのと違っていたから、余計にびっくりしたみたい。まさかここまで無茶苦茶だとは思わなかった。なんというか、舞踏会っていうと、お上品にワルツを踊るところだと思っていたから」
普通の舞踏会でもワルツばかり踊っているわけではないとは思うが―参加したことがあるわけではないので全て伝聞だが―、なんとなく彼女の言いたいことはわかる。
このオペラ座の仮面舞踏会は、とにかくかかる音楽は軽快さや賑やかさを中心にしていて、品の良さなどほとんど省みられてはいない。
参加者はこの日のために節制してなんとか入場料を払えたというような労働者階級から、オペラ座に専用の桟敷席を持っているような金持ち連中までと広く……つまり、ダンス一つにしても社交界で恥をかかないように教師について習ったことのあるような者から、場末のダンスホールで見よう見真似で覚えただけという者までいるわけで、そこに統一性などというものが生まれるはずもなかった。
会場は、一言で言えば制御不能な乱痴気騒ぎの場と化している。
誰も彼もが目一杯楽しむためだけにやってきているのだ。
これほど大勢がいて、なのに誰も周りを気にしない。私を含めて。
この矛盾は、なかなか愉快だ。
もっとも、いくら愉快であっても一緒に踊れる相手がいなかったら、わざわざ参加しようとは思わなかっただろうが。
「では私たちも始めようか。お手をどうぞ、お嬢さん」
うやうやしく手を差し出すと、はにっこりと笑って手を差し出した。
リズムに合わせ、足を踏み出す。バッスルどころかペチコートもつけていないため、動くたびにの体の線がくっきりと浮き上がった。こんな扇情的な姿をさらして、どこの馬の骨にでも目をつけられるかわかったものではない。もしも彼女を淫らな目つきで見ているものがいたらその目を潰してくれようと思った。だがそれと同じくらいに、これほど魅力的な恋人がいるということを知らしめたいと考えている自分がいる。まったく、こんな風になるだなんて、私も相当この場の空気に毒されているとしか思えなかった。
立て続けに三曲ほど踊ると、さすがに暑くなってきたので、一休みをすることになった。
の頬は真っ赤で、目は楽しげにきらきらと輝いている。場の雰囲気が彼女を大胆にしたのか、いつにないほど身体を密着させて腕を絡めてきた。布越しに彼女の熱が伝わってくる。それに陶然としながらも、周囲への警戒を怠る事はなかった。
なにしろこの狂乱の場では、気に入った女を見つけたら、パートナーがいようといまいとかまわずに抱きついてきたりキスしてきたりする男が相当いるのだ。そんな不埒な輩にを触れさせるわけにはいかない。
しっかりと彼女をガードしながら、夜食の用意されている部屋に入る。
そこでは立食形式で食べ物や飲み物が並べられており、自由に取ることができた。私たちは食事を済ませてきたので、飲み物だけもらう。
「さすがにお酒ばっかりね。あんまり強くないから、ノンアルコールのものがあれば良かったんだけど」
ワインを取りながらは呟いた。
「なら、茶かコーヒーを調達してこようか?」
さすがにオペラ座の調理場などは、今頃料理人たちがてんてこ舞いで近づけないだろうが、個人用の控え室などには各人で用意しているコーヒーセットなどがあることが多い。使用後に洗ってしまえば勝手に使われたことに気づく者はほとんどいないだろう。
「いいって、ちょっと言ってみただけなんだから。別に飲めないわけではないんだし」
とはワインを一口含む。
「あー、冷たくて気持ちいい……」
そしてとろんと目を細める。
私はその様子を眺めていた。
「エリックは飲まないの?」
「ああ、仮面を外さないといけないからね」
なにしろ顔全面を覆っているのだし、嘴までついている。飲食はとても無理なのだ。
もっとも……素顔をさらしても、今ならば『よくできた仮装メイク』だと思われる可能性は高いが、さすがに試してみる気にはなれなかった。
「あ、そか……。どっか、人気の少ないところに行く?」
内緒話をするようには少し背伸びして、私の耳のある辺りに手を当て、小声で言った。そんなことをしなくてもこの騒ぎの中では聞き取れるものなどいないだろうに。
私は頭を振った。
「構わんよ。さして喉は渇いていないし、欲しくなったら控え室に戻るさ」
「そう……?」
は心配そうに眉を寄せて軽く首を傾げた。
「ああ。だからお前が気にすることはない」
十分に休憩を取ったあと、私たちは再び踊るために平土間へ行った。
始めは私が教えた通りのステップを踏むだけだったも、やりようがわかってきたのか、適度に力を抜いてアレンジを効かせてくるようになり、ならば私もとそれに応えた。
あらかじめ打ち合わせていたわけでもないので、そのように踊りだすと、当然ながらステップがかみ合わないこともある。だがそれはそれで面白いし、ぴたりと合った時には心が通じ合ったようで楽しかった。
「エリックー」
ダンスを再開してしばらく経った頃、が身を投げるようにして私に抱きついてきた。
「なんだ?」
「楽しいねぇ」
満面の笑みを浮かべては私を見上げる。
「それは良かった」
「うん」
アイシャがやるように、彼女は額を私の胸にこすりつける。頭につけた猫の耳が動きに合わせてぴこぴこと揺れた。
の顎の下に指を伸ばしてくすぐると、「ひゃあ!」と笑い混じりの悲鳴をあげる。
そしてわざとらしく頬を膨らませながら、たいして力のこもっていない拳で、私の胸を叩いた。
この可愛いいたずら者にキスをしたい衝動にかられたが、仮面をつけたままではそれもできない。嘴が突き刺さってしまうからな。
代わりに腕を伸ばして抱きしめ、背中をなでた。
気持ちよさそうにはますます擦り寄ってくる。
こんな風に大勢の前でこのようなことをしていても、ほとんど注目されないというのも奇妙なことだった。
なにしろ他のやつらも本当に好き勝手にしているので、エジプト装束の男女が踊りもせずにくっつきあっていたところでたいして目立ちはしない。
女をくどく男、男をくどく女、酔いが回りすぎたのか大声で喚いている者に、仮装した人物になりきって演説をしている者までいる。美しいステップで踊る男女に、ひたすらぐるぐる回っているだけの集団……。何でもありというのはまさにこのことだろう。
耳が割れそうなほどの喧騒の中、それに負けない音量でオーケストラが音楽を奏でる。
普段静かな暮らしをしているので、このうるささは大変なものだった。
「エリックー」
私の腕の中でが身じろぐ。
「どうした?」
ほふ、と息を吐きながら、
「どっか別のとこ行こ。ここ、暑い」
「ん? そうか……。しかしどこへ行ってもこの人の数だからな。一度控え室に戻るか?」
「えー、まだ帰りたくないー」
嫌々とは首を振る。
「帰るわけではないよ。暑くないところで一度休憩するだけだ」
「さっき休んだばかりだから、いい」
「なら玄関ホールに行くか? あそこなら外の空気が入ってくるからここよりは暑くはないだろう。しかし人の出入りが激しいから踊る事はできないぞ」
「んー、踊るのも、いいの」
言いながら彼女は私の胸元に顔を埋めた。
さっきからずいぶんと甘えてくるが、酔いが回ったのだろうか。たしか彼女はワインをグラスで二杯飲んだだけなのだが……。休憩はしたものの、また踊ったのがいけなかったのか? まだ酩酊状態というほどではないが……。
「では、なにかしたいことがあるのか?」
「エリックといるのー」
「そうか」
答えになっていないが、なんとはなしに微笑ましく思えて、私は微苦笑を浮かべた。
と、その時余韻を残して曲が終わった。
一瞬ざわめきが弱まり、人の流れが変わる。
中に入ってこようとする者と出て行こうとする者が交差していった。
せっかくなので玄関ホールに行こうとを誘うと、彼女は大人しくついてくる。
しかし人の数が多すぎて、中々出口に近づけない。いつもの習慣であまり他人とは接近しないようにしていたので、なおさらだった。
そうこうしているうちに新しい曲がかかる。
(オッフェンバックの『地獄のオルフェ』か……)
賑やかさには定評のある曲ではあるが、その分取り上げられる機会も多い。無難すぎる選曲は飽きにもつながろう。指揮者にはもう少し考えてもらいたいものだ。
いつもの癖でつい論評を加えてしまい、私はひとり苦笑した。
こんな騒ぐだけの場にまでオペラ座の怪人が口を挟むこともなかろう。
「うんどーかいの曲だ」
唐突にが足を止める。
「?」
うんどーかいとはなんだろう、と思いながらも、私も一緒に止まった。
は私の腕から手を放すと、にこっと笑って、
「エリック、走ろう! どっちが早くオペラ座を一周できるか競争よ!」
「なに?」
「ようい、スタート!」
は説明らしい説明もせずにいきなり走り出した。
私は咄嗟に反応ができないまま彼女の背中を見送り、それが人ごみに紛れてしまったところで我に返った。
! お前、実はかなり酔ってたんだな!?
なんだその唐突ぶりは!
くそっ、呆けている場合ではない。このままはぐれてしまっては、どうなるかわかったものではないぞ。
素面の状態であれば、たとえここで別れ別れになったところで彼女は自分から控え室なり我が家なりに戻ってくるだろうが、酔っ払っているのであればどこかの男に持ち帰られてもおかしくはない。
(冗談じゃない!)
私はすぐに彼女の後を追って走り出した。人の波の間に、砂色の猫の耳が上下する。ただそれを見失わないようにと、必死で。
☆ ☆ ★ ☆ ☆
「やー、はなしてー」
「駄目だ。少し頭を冷やせ。それまでは会場へは戻らないからな」
「エリックのいじわるー」
じたばたと暴れるを抱きかかえ、私は控え室に戻った。
なんとか玄関ホール付近で彼女を捕獲できたのだが、彼女は走ったせいで酔いがますます回ったようで、目の焦点は合っていないし、口調も怪しくなっていた。足もふらふらしている。
グラス二杯でここまでなるとは正直信じられないのだが、酒に強くなければこういうこともあるのだろう。
とにかくこのままでは踊るどころではない。本当ならここで切り上げて自宅へ帰った方がいいのだろうが、いくらとはいえ暴れる娘を抱えて戻れるほど我が家への道のりは平坦ではないのだ。
下手をすると私がを抱えたまま転げ落ちてしまう可能性もある。
せめて眠ってくれれば助かるのだが、この興奮状態ではな……。
むずかる彼女を無理やりソファに座らせる。まだぶぅぶぅ言っていたが、立ちあがってもまともに歩けないようなので、不満そうながらもそのまま座っていた。
「ほら、水を持ってきたから飲みなさい」
グラスを渡そうとするも、は顔をしかめて、
「いらなーい」
とそっぽを向く。
やれやれ……。どうやら酔いが醒めるまで、ここにいなければならないようだ。
こうなるとわかっていたら、いつもの仮面を持ってくれば良かった。とにかく嘴が邪魔なので、外してしまいたい。素顔のままでいたところではさして気にしはしないと思うが、仮面は私の一部になっているので、ないと非常に落ち着かなくなるのだ。
「エリックー、顔がべたべたして気持ちわるい」
ごそごそとマスクを外しながら、は言った。
「顔を洗うか?」
「うん」
こっくりと彼女は頷く。
ここは普段誰も使っていない楽屋なので、たいしたものが置いていないのだ。そこで私は近くの楽屋を回って、石鹸やタオルを勝手に拝借してくる。
ふらつく彼女の背を支えて、洗顔するのを助けると、ややあって。
「あー、さっぱりしたー」
と満足げにためいきをついた。
崩れかかった化粧を落とすと、いつものすっきりしたの顔が現れる。
「ねえ、エリックー」
「うん?」
使い終わったもろもろを片付けていると、ふいに呼ばれたので私は振り向いた。すると。
「エリックもさっぱりしよ?」
と急に手を伸ばし、彼女は私の仮面を取った。
「……なっ、お前……!」
とっさに右手で顔を隠す。
「エリックー、どうしたのー?」
は私の仮面を手にしたまま、気の抜けた笑みを浮かべた。
「仮面を……」
返すようにと私は左手を伸ばす。
「エリックは顔を洗わないの?」
無邪気に問う彼女に、何ともいえない苛立ちを覚えた。
だが、落ち着け、と私は自分に言い聞かせる。
彼女は私の素顔を知っているのだ。
その上で私と婚約までしている。
さらに言うと、今のは酔っ払いだ。物事の通りなど通用しない。
ここはもう、野良猫に引っかかれたものと考えて、彼女の気の済むようにさせた方がいいだろう。
「――私は後でいい」
ため息交じりで答えると、はふうん、と呟いた。そしてじりじりとこちらににじり寄ってくる。今度はなんだ。
「ふふー」
にぱっと笑うと、彼女は私の首に腕を回して唇をくっつけてきた。
思わず手を放してしまう。
彼女から口付けてくるとは珍しい。酔いの勢いがあるにしてもそうあることじゃない。
それから頬に、顎に、瞼に、とにかく顔のあらゆるところに、彼女はキスをする。
柔らかいその感触にくらくらしてきた。
今夜は散々世話を焼いたのだから、これくらいの見返りがあってもいいだろうと、私は彼女の胴に腕を回す。
酒ではなく私に酔うようにと、深い口付けをしようとした。
ところが。
「ダメー」
彼女は両手で己が顔をガードする。
「なぜだ?」
自分から煽っておいて、それはないだろう。
そう文句を言おうとするより先に彼女は、
「エリックはしちゃダメなの。だって、わたしはまだ戻りたくないっていったのに、エリックはダメって言ったんだもん。だからこんどはわたしがダメって言う番なの」
どういう理屈だ、それは。
脱力し、腕の力が抜けると、はそれを「えいっ」と外した。もうどうにでもなれと好きなようにさせると、彼女は私をどんと突き飛ばした。とはいえ、彼女に押された程度では、よろめくこともない。
はあれ? という表情を浮かべると、しょうがないなぁ、と呟き―そう言いたいのは私の方だ―、私をソファに座らせようとした。
大人しくされるがままになると、彼女は満足そうに笑う。
それにしてもは酒を飲むと陽気になるのだなぁ、と彼女を眺めながら半ば関係のないことを考えた。
そして――。
☆ ☆ ★ ☆ ☆
「……」
「なーに?」
「何をしている」
「エリックであそんでるの」
「なるほど」
☆ ☆ ★ ☆ ☆
自分の置かれた状況を正確に認識すると、私は非常に居たたまれない気分になった。
彼女は……は……私をソファに横たわらせると、自分はその上にうつ伏せに寝そべったのだ。
そしてトートの冠毛をいじったり、適当なところにキスしてきたりする。
傍からは私が彼女に押し倒されているように見えるだろう。
さすがにコルセットはしているとはいえ、これだけ密着していれば、熱も感触も直に伝わってくるもので、私は困惑すると同時に己の欲望が頭をもたげてくるのを感じた。
少し力を込めれば、簡単に立場を逆転することができるだろう。
だが彼女が私の抵抗をその頼りない腕で止めてくる。
私はこのまま我慢するべきなのだろうか……。
それともこれも機会だと考え、さらなる一歩を進むべきなのだろうか。
ああ、だがしかし、相手は酔っているのだ。これを口実に使うのは、いくらなんでも男として情けないように思える。
「、やめるんだ」
せめてもの抗議の声をあげるも、
「やーだ」
という楽しげな答えに弾き返される。
ああ、……酔いが完全に醒めたら、この礼はしっかりとさせてもらうからな。
心の中で宣言すると私は観念して、このある意味でとても幸福な生き地獄に身を委ねたのだった。
『地獄のオルフェ』というのは運動会の定番曲である「天国と地獄」のことです。
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