朝食がすみ、人心地がついた私たちは、どちらからともなく行動を開始した。
 私はいつも通り荷物を取りに地上へ。は部屋の掃除をするようだ。

 この日、届けられたものはそれほど多くはなかった。パンと牛乳、それからハムがひとかたまり。あとは日持ちはそれほどしない、けれど彼女が好む葉物の野菜と旬の果物だ。
 食物以外では私のための新聞と、彼女用の婦人雑誌があった。
 牛乳瓶を小脇に抱え、それ以外のものを紙袋にまとめて入れると、私は家へと戻る。食料品を片づけ、新聞と雑誌を手に居間へ行くも、はまだ掃除をしているようで、時折部屋の向こうから何らかの作業をしているらしき音がしていた。
(長くかかりそうだな……)
 彼女は毎日自分の部屋を整えているのだが、感心なことに週に一度はしっかりした掃除もしている。やはり週に一度は洗濯日を設けているので、午前中はこれらの作業でつぶれることも珍しくはない。
 ふと私は自室の惨状を思いだした。そろそろこちらも片づけねばなるまい。
 私の部屋は、とにかく物が多いのだ。寝しなに読む本を図書室から持ってきてそのまま積み上げたり、脱いだ衣服をそのまま放置したり、またはゴミ箱の中身を捨て損ねることもままあった。
 部屋が広いため、足の踏み場もなくなるということは滅多にないが、それでも現状よりは片づけ頻度を増やしたい。
 そうしないと……万が一、彼女と良い雰囲気になれたとしても私の部屋は使えないではないか。いや、ここは私の家なのだからどこでやろうと構わないのかもしれないが、気分の問題というものがあるだろう。
 私は抑えのきかない若造のような振る舞いをしたくはない。欲望のままにがっつくなど論外だ。望み、望まれて彼女と愛し合いたい。とならば、それができるはず。
 だが。
(……具体的にいつ頃になりそうなのかがわかれば、やる気がでるのだろうが?)
 いつ来るのかまだ定かではない「いつか」の時のために、基本的に私以外の人間が足を踏み入れることはない部屋をこまめに片づけるのは、面倒でしかなかった。
 それに、崇高な決意とは裏腹に、いざとなれば寝椅子やソファもあると開き直っている自分がいる。こちらはと共有する場所である居間にあるので、いつでもそれなりに気を使っているのだ。
 なんとかしたいとは思うものの、なんともする気になれず、なんとかなるさと思いながら新聞を開く。文字を頭に流し込みつつも、が出てきたら何をしようかと取り留めもなく考えているうちに読み終わってしまった。の掃除はまだ終わらないらしい。
 仕方がないので、彼女が毎月購入している雑誌を手に取った。流行のドレスの絵が色付きで載っていたり、どこそこの夜会が盛況だったなどという社交情報、それから詩や小説などの軽い読み物がメインの、なんということもない本だった。
 劇評などもなくはないが、専門誌には比ぶべくもない。しかしこういったものに目を通せば、女性がどのようなものを好むのかがわかるような気がするので、多少の参考にはなっているのだ。特にドレスの型あたりは。
 ぺらぺらとページをめくっていると、ぱたんと扉が開いた。扉を押し開いたままのポーズで固まったは、大げさに息を吐く。
「余計なことしちゃった。疲れたー。肩痛いー」
「何をしたんだ?」
 彼女は肩に手をあてつつ片腕をぐるぐる回す。掃除をするためだろう、飾りのないドレスを着ているのだが、お世辞にも淑女らしいとはいえないその動作に私は眉をひそめた。
 は反対の腕を回しながらこちらに向かってくる。
「絨毯にくっついている細かいゴミが気になったのよ。上にベッドを置いているから、今までちゃんと埃を払ったりしたことがなかったから。部屋が暗いからそこまではっきり見えるわけではないんだけど、やっぱり相当だろうなぁと思って、ちょっとベッドを動かしてみたの」
 ソファの前まで来ると、彼女はすとんと腰をおろす。
「ベッドを動かしただって?」
 さらりと告げられたその内容に、私は声をあげた。
「ええ。布団やマットレスを取ってから押してみたのよ。シングルサイズだから大丈夫だと思って」
「無茶をする。いくら一人用であってもそれなりに重たいものだ。それで肩を痛めたのか。他は大丈夫か?」
 私を呼べばよいものを、一人で格闘するなんて。
 しかしはそうじゃないのと頭を振った。
「確かに思っていた以上にベッドは重たかったけど、そっちはまだ大丈夫だったの。……絨毯の方がよっぽど重たかったのよ」
 予想外だったと彼女はぼやいた。
「密に織られた絨毯だからね。それを運んだのか?」
「運ぼうと思って挫折したの。浴室に持っていってブラシをかければいいかなと思ったんだけど、丸めたものを持ち上げることもできなかった……」
 はふーとため息をついて、彼女は身体を二つ折りにする。
「それで、その絨毯は?」
 あとベッドも。
 問うと彼女は元に戻したわよ、と答えた。私は彼女の返答に大げさにため息をつく。
「そういう時は私を呼びなさい。人には向き不向きがあるんだ。力仕事はお前の役目ではないだろう」
 厳しい口調で注意すると、は身を起こしてぼそぼそと反論した。
「だってぇ、思いつきでやりはじめたことなのに『無理だったから後始末はお願い』なんて、よくないじゃない」
「思いついた時点で協力を頼めばよかったのではないかね」
 寝ているところを起こされたりしたら後にしてくれ、とは言いそうだが、今日はそうではないからな。
 は今度からそうするね、と言いつつも小さく舌を出した。
「作業に熱中して、エリックを呼ぶことを忘れなければ、だけど」
 まったく、この子は……。
「痛みはひどいのかい。湿布を作ろうか」
 痛いといっても、せいぜい軽い炎症を起こしているくらいだろう。湿布を貼って一日か二日、安静にしていればすぐに治るはずだ。
「うーん。湿布って、ちょっと臭うからなぁ。肌着はともかく、ドレスにまで染み着きそうだから、今はいいわ。寝る前に貼るから、その時に用意してもらえるとありがたいのだけど」
「それでよいのなら」
 用意するだけでなく湿布貼りの手伝いもしてあげようか。片手では上手く貼るのは難しいだろうから。……下心がないとは言わないが、好きな女の肩に触れるくらい、私にだって許されてもいいだろう。彼女は夜会に出かけることなどないから、デコルテの開いたドレスを着ることなどほとんどないのだ。それに我を忘れるようなこともあるまい。何しろ湿布はかなり臭うからな。自然と欲求は抑えられるはず。そうだとも、私は紳士なのだ。
 そのようなことを密かに決意してると、が視線があるものをとらえる。
「あ、その雑誌、今月分が出たのね」
 こっちに頂戴、と笑みを浮かべて彼女は両手を伸ばした。
「ああ……」
 開いたままの雑誌を渡そうとして、私は考え直す。
、これからこの本を読むつもりかね?」
「そうだけど?」
「私はお前と過ごしたくてさっきからずっと待っていたのだがね」
 淡々と告げると、は困惑したように瞳を揺らした。
「それならそうと言ってくれたら、しっかりお掃除は明日にでも延ばしたのに。別に今日やらないといけないことでもなかったもの」
 私たちは一緒に生活をしているし、定時仕事についているわけでもない。だから好きな時に好きなことをやれるはずなのだが、意外に予定を合わせることが難しいのだ。大きな原因は単純な伝達ミスだろう。私が彼女としたいことを思いついてもそれを伝え損ねたりしたために、彼女は彼女で自分の予定を入れてしまうというものだ。
 さらに現状では私が同行しなければ外に出られないにも関わらず、彼女は時間つぶしが上手になってきているせいもある。しっかり掃除もその一環なのだ。
「ところで、何をするつもりでいたの?」
 午前中はもう半分以上過ぎた。今からでも間に合うのかと気にするように、は小首をかしげた。
「これと言って考えていたわけではないのだがね。ただ二人で同じ時間を共有したいんだ」
 の関心が私に向いていてほしい。だからただ同じ部屋にいるだけで、別々のことをしているというのは嫌なのだ。つまりはが雑誌に夢中になるのも、今日は願い下げだった。
「それはつまり、特に予定はないということね」
 私に明確な行動予定があるものと思っていたらしい彼女は、拍子抜けしたような顔になった。
「じゃあ、何をしたいか決まったら呼んでちょうだい。わたしはそれまでその雑誌を読んでいるから」
 なんなら隣に行きましょうか甘えん坊さん、といたずらめかして言う。
「ふむ……。そうだな」
 頷くと、は何がそんなに面白いのか、くすくす笑いながら私の隣にやってくる。そして寄り添うように腰を下ろすと、私から雑誌をとろうとした。
「エリック?」
 とっさに手首をつかんで阻止したので、は身体を強ばらせる。いぶかしげに眉を寄せる彼女ににやりと笑いかけ、軽く握られた手を持ち上げると、中指の付け根にわざと音を立てて口づけた。
「……っエリック、これって作戦?」
 瞬時に耳まで赤くなりつつも、強がるように彼女は言った。
「いいや、今思いついたんだ」
 キスだけじゃない、本日の楽しい過ごし方もだ。
、今日は私が読み聞かせをしてあげよう。雑誌が気になるんだろう?」
「エリックが読むの。これを?」
 ぽかんと小さく口を開けて、は聞き返す。さらには婦人雑誌よこれ、と疑問系で付け加えた。
「いけないかね?」
「いけなくは、ないけど……。なんだか恥ずかしい気がする」
「おや、そうかね。だが肩を痛めたのだろう。無理は禁物だ。紙というものは意外と重たいものなのだよ」
「そんなに厚い本でもないじゃない。……でも、ちょっと興味が出てきたから、お願いするね」
 自分に言い訳するように、彼女は少し早口で言う。私は軽く頷くと、に手を差し出した。
「そこからだと見えにくいだろう。こちらにおいで」
「え?」
 私が膝を軽くたたくと、彼女はその意図を汲み取り、そして、大慌てで頭を振った。
「む、無理! ごめん、許して……!」
……。そこまで嫌か?」
 膝の上に恋人を座らせるのは、よくあることだと思っていたのだが……。いや、多少は恥ずかしがって拒否されるかもしれない、とは思っていたが、ここまで強く拒絶されるとは。
「あ、ええと、そういうわけじゃなくて」
 へどもどと彼女は答える。
「じゃあ、どういうわけだ?」
 畳みかけると、はこれ以上ないくらい申し訳なさそうに肩を縮ませた。
「だって……ドレスって重たいんだもの」
 膝に座ることとドレスにどんな因果関係があるのかわからず、私は彼女に無言で先をうながした。
「だから……。エリックは背は高いけどやせているし、わたしは身長に対して標準的な体重だと思っているけど、それにドレスの重さも加わるから……」
「だから?」
 はそっと目をそらして、消え入るような声で告げる。
「今の状態のわたしはエリックが膝だっこするには重すぎるんじゃないかと……思って……。きっと服をきている状態だと私たちの重さって、ほとんど差がないと思うのよ」
 彼女の様子は泣きそうだとすら言えそうなものだった。
「……大げさな。私は何度かお前を抱えているではないか」
 無用な心配を憂う彼女に脱力した私は、力なく呟く。しかしはきっとまなじりを上げて言い返してきた。
「でもその時のエリックはすごく怒っていたりしていたから、火事場の馬鹿力を発揮していたんじゃないかと思うの。いくらあなたでも、平常時に自分とそう重さの変わらないものをずっと乗せていられるとは思えないわ」
 それから俯いて、きゅっとスカートを握った。
「乗せてみて、やっぱり重いから降りてくれなんて、言われるのはさすがにへこむわよ。体型の問題なんてそう簡単に解決できるものではないとわかっていてもね」
 やれやれと、私はため息をついた。といってもそれは女心のわけのわからなさに対する呆れではなく、もっと別のもの。
 は私の闘争心に火をつけたのだ。
 今の彼女を力づくで抱き上げても暴れられるだけだ。そんなことで二人の時間を無駄にする気はない。そうとも、彼女の方から私の膝に座るようにし向けてやろう。これはなかなか楽しいゲームになりそうだ。
 私は内心をおくびにも出さずに鷹揚な態度に見えるよう演技をした。軽く苦笑してみせて、そこまで気になるようならと引き下がる。だが気が変わったらいつでも膝に座っていいと付け加えた。の返事は、気持ちだけは受け取っておく、というものだった。
 私は改めて雑誌を広げた。はもぞもぞと私にさらにくっつくように座り直すと、それをのぞき込む。
 これではっきりした。接近するのは何も問題ないということを。ではやはり、私の考えている手は有効だろう。は好奇心をそれなりに抑えることはできるが、だが好奇心が旺盛な娘なのだ。
 私は何食わぬ顔でページをめくる。巻頭はドレスのページだ。彼女の好みの物があれば仕立て直しにだすなり新調するなりしようと言うも、は手持ちの物で十分だと軽く受け流す。帽子やアクセサリーなども同様だが、髪型だけはまだまだ手を加える余地があるとしばしの間、私たちは意見を交わす。私に手伝えそうなこと、が自分でできることなどを考慮して、それほど手間をかけなくてもできるアレンジ方法を探ってみようということになった。別の日にだが。
「だって、今日のわたしは埃っぽいような気がするのよ」とは彼女の弁だ。
 次のページは宣伝だ。私は淡々とそれを読みこなしてゆく。
 は次第にもそわそわし始め、複雑な表情で私を見上げてきた。
「どうかしたか?」
「こんな胡散臭い記事を読むにはもったいなさすぎる美声だと思って」
 ひきつった笑顔で彼女は答えた。
 読み上げている宣伝は、効き目が抜群だと謳っている痩せ薬だ。食事制限などは必要なく、定期的に飲むだけでよい。それに価格は安く、反動で太ることもないのだそうだ。科学的に効果があると立証され、愛用者には有名貴族婦人や外国の王族もいると喧伝している。
 は私の肩に頭を預けると、苦笑しながら言った。
「わたしの時代にはこの手の広告ってたくさんあったのよ。この時代にもすでに同じようなものがあったことにも驚いたし、基本的な手法が変わってないことにも驚いたのよね……」
「それもすごい話だな」
 つまり、まともな痩せ薬などというものは百年経っても開発されていないということなのだろう。これこそ効果ありというものがあるのならば「たくさん」宣伝があるものではあるまい。
 なんだかもの悲しい気分になるので、宣伝ページは読みとばしてほしいと言われ、私は次のページに進んだ。楽しい時間を過ごしたいのに、気分を盛り下げては本末転倒であろう。
 次からしばらくは読み物のページだった。すでに一度目を通している私は、どんなものが書かれているかわかっている。まずは詩だ。私はその内容に合わせて声を変えた。穏やかそうな響きの、低めの女性の声だ。
 は目を大きく見開き、ぱっと顔をこちらに向ける。ここでこのようは小細工をするとは思わなかったのだろう。顕著な反応に、私は気をよくした。
 詩を読み終わると、は小さく拍手をする。
「その技も久しぶりね。やっぱり、すごいわ」
「どうもありがとう。だがせっかく読み聞かせをしているのに、雑誌を見なくてもいいのかね?」
「だって、エリックを見ている方が楽しいもの」
「次はもっと楽しいと思うよ」
 私はページをめくった。
「まさかと思うけど……」
 はうずうずとしながら期待に輝く目を私に向けた。次は小説のページなのだ。
 だが、彼女の期待は裏切られる。
 私はいつものエリックの声のまま、しかし感情を込めて読み始めた。
 の視線は私と雑誌の両方を行き来する。少し残念そうにしているものの、だがこれはこれで、という様子だった。
 私は声が雑誌から聞こえるようにしたのだ。
 気を取り直したはしばし雑誌をじいっと見つめていたかと思うと、今度は私の口元を凝視した。私の口が微動だにしていないことを確認すると、今度は身をかがめる。
、それでは本が読めないよ。おとなしく座っていなさい」
「だ、だって」
 音読を中止して彼女に注意すると、は身体を起こしながらも肩をすくめた。
 は私の腹に耳を近づけようとしていたのだ。「腹話術」という名から、エリックのものではない声は腹から出しているのだと思ったのだろう。だがその名とは違い、腹話術の声は腹から発しているわけではない。現役時代にもこのような勘違いしていう観客は非常に多かった。の反応を見る限り、その誤解はこの先も続くのだろう。
 だがわざわざ種を明かして興ざめさせることもあるまい。私のこの技は、今は彼女を楽しませるためにあるのだから。
 区切りのいいところまで読み進めると、私は彼女にある選択をさせることにした。
、私がどこから声を出しているか、気になるかね?」
「そりゃあ……」
 さきほど注意されたばかりのせいだろう。は怪訝そうにしつつも素直に頷いた。
「なら、もっと近くにおいで。隣に座って身をかがめられると、お前の頭が邪魔で本が読めなくなるからね。それに、そうしたら、『まさか』が実現するだろう」
 極めて何気なく聞こえるように言うも、はあからさまに動揺した。
「近くって……。『まさか』って……」
 はスカートの膨らみが私の足に押しついてしまうくらい寄り添って座っている。それ以上に近く、となれば何をしなければならないのかは明白だ。
「なんでそういうことを言うの。エリック、今日は変よ。何がしたいの!」
 は弾かれたように立ち上がり、叫んだ。
 私はしれっと答える。
「何とは。お前と過ごしたいと言っただろう。そして私たちは婚約をしているのだから、このくらいのことをしてもおかしくあるまいと思うのだが」
「そうかもしれないけど……っ」
 言い淀むを、私は笑いだしたい気分で見つめる。これまでにもといい雰囲気になったことがあるが、あっという間に逃げられたりかわされたり、なぜそうなるんだという反応をされてその気が削がれたりすることが多かった。彼女のペースに巻き込まれると、決まって色気のない方向に行ってしまう。
 だが今日は違う。今日は私のペースで進めてやろう。そうだとも、彼女が突発的な行動を取らぬよう、しっかりと雰囲気作りの手綱を握り続けるのだ。
 それに今日の彼女は照れても逃げることはないだろう。は私の「登場人物によって声を変えて小説を読む」技に興味を持っている。最初にわざとそれをしなかったことを残念そうにしていたのだから、彼女の行動如何によってそれが見られるとなれば、実行に移す可能性は高い。
 だが、それもはっきり口にはしてやらぬ。
、私はなにもお前が嫌がることを無理強いするつもりはない。だから気が進まないのなら、何もしなくていいのだよ」
 私はなだめるような口調で言う。それからずいぶん中断してしまったと、続きを読む体勢に戻った。
「え、あの……エリック」
「隣には、いておくれ。では続きを読むよ、座って」
「え、えっと」
 戸惑うをそっちのけで、私は音読を再開した。はしばし居心地が悪そうに立っていたのだが、そっとソファに戻った。それから心ここにあらずといった状態で静かにしていたのだが、再びゆっくりと立ち上がる。
 彼女がそっと私の手首に触れた。両手で雑誌を押さえているので、そのままでは彼女は座れないのだ。
 私はちらりと目を上げ、雑誌を一時的に脇へどけた。
「おいで」
 衣ずれの音をさせ、は私の上に横座りになる。彼女を支えるために腰に腕を回した。
 顔が近い。瑞々しい頬など、ふとしたことで触れ合ってしまいそうだ。膝にかかる適度な重みに幸福を感じる。襟元の隙間から、彼女の香りが立ち上っていそうで、密かに嗅覚を働かせる。……少々埃っぽかったが、経緯が経緯だ、仕方あるまい。
「どいてと言われてもどいてあげないからね」
 憎まれ口を叩く彼女に、私は文字通りの口封じをしかけた。
「私はお前が思っているほど非力ではないよ。そんな生意気なことを言うのなら、立ちたいと言っても離してやらないからな」
 肩で息をするに笑いかけ、私は雑誌を手に取った。さあ、お待ちかねのショーを見せてあげよう。




目次  次へ