神様・・・。
 私はどうしたらいいのでしょうか・・・?




PHANTOM LADY ―幻の女―




 こうして今夜もあなたに祈りを捧げる私が、信心深い人間だということはおわかりでしょう。
 ですが私が罪人であることを、それも、罪を知りつつ知らぬふりを決め込んでいる、厚顔無恥な卑怯者であることも……。

 ジュール・ベルナール、この迷える子羊の主人は地獄の悪魔です。
 火のような目。
 思考をかき乱す声。
 類まれなる才能。
 そのすべてに私は平伏しました。
 ……あの仮面の奥に隠されている顔を見たことがないのはきっと幸いなのでしょう。
 あの方が多くの罪を重ねてきた人であるということは想像に難くありません。
 それに、毎月支払われる一万フランという信じられないほど高額な給料が、まっとうな仕事によって作られているだろう、なんてことはこれっぽっちも信じてはおりません。
 それでも、私は誰に告発することもなく、あの方の奴隷として、地上で暮らすことをやめたあの方に変わって、手足となるべく仕えているのです。


☆   ☆   ★   ☆   ☆



 私の仕事というのは、ある意味ではとても単純なもので、定期的に食料や消耗品を買い、あの方の住まいの入り口――もちろん地上にある入り口です――まで届け、月に一度か二度あるくらいの頻度であの方の嗜好を満たす品物を調達をし、たまに御者として駆り出されるだけというもの。
 あの方の好みは年々洗練され、私の生まれでは中に入ることもできないような高級店に行かなければならないことも多くなりました。
 それでも給料が良いもので、そういった店に行っても裕福な紳士と見なされるだけの格好はできます。
 そうしたらたとえ注文が風変わりでもなんとかなるものです。
 あの方はそこまで考えているのでしょう。とにかく頭の回る御方ですから……。


 そんな、恐ろしくも単調な日々に変化が起きたのはいつからだったでしょうか……。
 思い起こせば、四ヶ月ほど前の、あの時か……。


☆   ☆   ★   ☆   ☆



 私は毎日朝の早いうちと夕方にスクリブ通りにある入り口に密かに作った――もちろん作ったのは私ではなくあの方です――郵便箱に予定の確認に行きます。
 品物の名前が書いてあるメモがあったらそれを買ってこいということですし、日付と時間が書いてあるメモがあったら馬車の用意をして待機していろということです。
 一応、週に一回、直接会うことにはなっていますが――あの方はたまにすっぽかすこともあります――それでは急ぎの用がこなせないということもあってこういったやりかたをするようになりました。

 ある日のメモに、大量の品物が書かれていました。
 シーツとテーブルナプキン、ハンカチーフとタオルを1ダース。
 ピローケースとバスタオルが半ダース。
 それに、スリッパを二組と化粧着が三着、ナイトガウンを一着。
 それから食料は今までの二倍、届けるようにとの命令が付け加えられていました。

 リンネル類は毎年決まった時期にまとめて一年分買っています。
 今の時期にこれだけの量を必要とするということに首を傾げました。
 それに、普段は品物名以上のことが書かれていることはないのですが、この時は色やら模様やらサイズやらが細かく書かれていました。特に化粧着やナイトガウンはどう考えても女性もので……。
 まさか、と不吉な考えが頭をよぎりました。


☆   ☆   ★   ☆   ☆



 翌日は時間が書かれていたメモが入っていたので、馬車の用意をしてあの方が出てくるのを待っていました。
 行き先は家具屋で、どうやら壁紙と置物をいくつか買ったようです。
 また、帰りには菓子屋に寄りました。
 あの方は特に甘いものがお好きなわけではありません。


 さらに次の日はまた買い物メモで、ペンとインク、紙と吸い取り紙。
 鏡とブラシ、香料入りの石鹸。
 また、絵入り新聞の購読を始めるのでその契約をすることとありました。
 さらに次の日は……。
 と、こんな調子で日曜日を除いた一週間、毎日のようになにかしらの用事をいいつかりました。
 こんなことは初めてです。

 私は恐ろしくてなりませんでした。
 一体、これらの買い物は誰のためなのですか?
 そう聞きたくてたまりませんでした。
 しかし、私にはあの方の私生活に関して口出しすることは許されておりません。
 私の知る限りあの方の周囲に女性の影があったことは一度としてありませんでした。が、間違いなく、これらの品物はご婦人のために用意されたものです。
 それも、状況から察するに、その方は地下にいらっしゃるのでしょう。
 ……本当に、そんな方がいらっしゃるのだとしたら、ですが。


 ええ。私が心配しているのはそこなのです。
 あの方は、地下にもう一人の住人ができたような振る舞いをなさっています。
 それが、あの方が地下暮らしの寂しさでおかしくなってしまわれたのではないと、どうして言えるでしょう?
 『女性』は本当にいるのでしょうか。もし、あの方の頭の中にしかいなかったら……。


☆   ☆   ★   ☆   ☆



 二ヶ月前、あの方はずいぶんと大きな荷物を抱えて現れました。
 生地屋で大量の布地やレースを買い、婦人用の仕立て屋へ回りました。
 大荷物はその時にデザイン画ともども仕立て屋へ渡されました。
 ですから多分あれはマヌカンなのでしょう。
 仕立て屋はあの方の異様なお姿に最初は嫌な顔をしていましたが、前金として半額を渡すと、コロッと愛想が良くなりました。
 そんな仕立て屋を同情半分、忌々しい気持ち半分で眺めていましたが、私の心は一向に晴れませんでした。

 なぜって?
 ドレスの前に必要なもの、つまり、コルセットやバッスル、それから――男の私が大きな声で言うことはできませんが――下着類。これらの注文をしろという命令は私は受けていませんし、あの方が注文になさった形跡もありません。あの方がなにかを注文した時、その日のうちに受け取れない品物は私があの方に届けることになっているので、それとわかるのです。
(しかし婦人用下着を買って来いなんて命令されても大そう困ることになるのは目に見えてますがね。もしそんなことになったら、なんとか女房を拝み倒して彼女に買ってきてもらうことになったでしょうが。女房はあの方をひどく怖がっているので、あの方のための買い物を引き受けさせるのはひどく困難だったでしょう)
 その日は最後に靴屋に回って、ブーツとサンダルを注文なさいました。
 それから翌日には手袋と帽子と日傘を買い求める……。

 着々とご婦人ものの用意がそろってゆきます。
 あとはそれを身につける方がさえいれば文句はないでしょうが……。
 今になっても、あの方が狂ってはいないという確信が私には持てません。
 いっそのこと……いっそのこと、どこかの女性を誘拐してきたのであるのなら、その方がよっぽどましだと思うようになりました。
 主が狂気の淵に飲み込まれたことを認めるよりは、犯罪を犯しただけだと思うほうが遙かに楽なのです。

 この四ヶ月の間、私は生きた心地がしませんでした。
 私は疲れきっています。
 次に幻の女性のために用意するものは何なのでしょうか。
 宝石でしょうか。香水でしょうか。
 いいえ、ウェディング・ドレスだとしても、私は驚きません。


 いつか、あの方はご婦人の手を引いて地上に出てくるのでしょう……。
 その時、その女性は、私の目に見えるのでしょうか。





☆   ☆   ★   ☆   ☆






 ハレルヤ!
 ああ、神様!ありがとうございます!
 やはり天はあの方をお見捨てにならなかったのですね!
 『女性』が本当に存在していたなんて!
 それも、あの方を恐れる様子もなく、親しげに笑いかけていた!

 東洋人の若いご婦人は私にも少し訛りのあるフランス語で挨拶をしてきました。
 なんて可愛い方!

 神様。
 今日のこの日を感謝いたします。
 あの方の心の慰めとなる方がいるのだとこれではっきりいたしましたし、何より私の悩みがすっかり消え去ってしまったのですから!






タイトルはウイリアム・アイリッシュの「PHANTOM LADY」から。
読んだことないですけど(←駄目じゃん)。

ベルナール、彼女のできない息子を心配するおかんのようだ・・・。





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