わさわさわさ……。

 わさわさわさわさ……。


 わさ……。


「もういやだ……」
 げんなりと呟くと、エリックは、
「だいぶ良くなったよ。もうじき気にならなくなるだろうさ」
 と、つれなく答えた。





PHANTOM LADYの舞台裏





 エリックに頼むからと懇願されたので、とうとうこちらでの衣類、つまりドレスを作ることになった。
 それは、まあ、仕方がない。
 現代の服などないことはわかりきっているのだから、遅かれ早かれそうなるのは当然のことであって、いつまでもシャツとジーンズに拘るわたしの方にこそ無理があるというもの。とはいえ……。
 わたしはドレスを作ったときのことを思い出してため息をついた。

 『拷問部屋事件』のあった翌日、エリックは深刻な表情でこう切り出した。
「非常に言いづらいのだが……採寸をしなくてはいけないんだ」
「まあ、そりゃそうでしょうね?」
 この時代、まだ既製服というものが浸透しきっていないのだという。
 《ボン・マルシェ》や《プランタン》など、わたしの生きていた時代でも経営されているデパートがすでにあり、一応の既製服というものはすでにあるというものの、基本はやはり仕立て、なのだそうだ。
 ついでに言うと、この当時のデパートは庶民階級が主な客層なので、今で言うところのブランドショップは入ってない。ということで、趣味にうるさいエリックにはデパートで大体のサイズのものを買い求めるということは最初から想定外のようだ。
「で、どうすればいいの? ていうか、わたしが自分で測ればいいの? どこを測ればいいの?」
「いや……正確なサイズがないと手直しばかり増えて具合が悪い。わかっていると思うが、ここに仕立て屋を連れてくるわけにはいかないんだ」
 エリックは珍しく言い淀む。
「わたしを外に出したくないから? いいのよ、別に目隠しでもなんでもしてくれて。ここへの行きかたをわたしが知らなければいいんでしょ?」
 わたしは今でもそんなに信用がないのだろうか。
 そう匂わせるとエリックが慌てて否定した。
「そうじゃない。君のいた時代は違うようだが、ここでは服を作るときは仕立て屋を呼ぶのが普通なのだよ。一応は旅行者やプチ・ブル相手の飛び込み店もあるがね。そういったところは私の好みではない」
 本当に趣味にうるさい人だ。
 こと、衣類に関してわたしとエリックの間には接点になりそうなところはかけらもない。わたしははっきりいって服には興味の薄いたちなのだ。
「わたしは別にそれでもいいんだけど、お金をだすのはあなただからスポンサーの意向には従いますよ? それならどうすればいいっていうの」
「マヌカンを作ろうかと思っている。それで……すまないが、ナイトガウンに着替えてきてくれないか?」
 マヌカン?
 ぱっと頭に浮かんだのは、ブティックなどに置かれているディスプレイ用の顔なし――あるのもあるが――人形のアレだ。
 それを、作る?
「ど、どうやって?」
「どうって、そうだな、胴体は石膏にして、腕は木だな、間接があるから……。大丈夫、私は彫刻もできるから、きちんと作ってやれるよ」
 いや、材料のことじゃなくて。ついでに、作り方のことでもなくて。
「どうして、ドレスを作るのにマヌカンが必要なの?」
 考えられるとしたら収納用だろうか。ドレスなんて、どう仕舞ったらいいのかわからないけど、もしやマヌカンがハンガー代わり? 確かにそれなら、型崩れはしなさそうだけど。
 そう聞くとエリックは頭を振った。
「紳士服でもそうだが、服を誂えるなら仮縫いは欠かせない。君の時代では既製服が主流らしいが、それくらいのことは想像がつくだろう? 人体には凹凸が多い。直線に布を切って直線に縫えばいいというものではない」
 えー、はい。
 わたしは頷いた。
 本当のことを言うと、あんまりピンとはこないのだが。裾あげくらいならしてもらうこともあるけど、一から服を作ることって、なかなかないもの。
 けれど、一生懸命説明してくれているエリックに悪いので、ここは理解しているフリをすることにした。
「先ほども言ったが、本来服を仕立てるならば仕立て屋を屋敷に呼び、注文を出すのだが、外国の貴族や富豪の令嬢令夫人は頻繁にパリには来れないからと、自分の体型と同じ像を作って贔屓の仕立て屋に預けているのだ。これなら像に合わせて作ればいいのだから直しはほとんどない。体型は維持しなければいけないがね」
 なるほど。それなら仮縫いの手間が省けるわけね。
 しかし、自分の身体と同じ像となると……。
「脱げと?」
 思わず退いてしまったわたしを誰が責められよう。
「ガウン越しに採寸しようと思う。女性に対して失礼だとは思うが、これが最大の譲歩なのだよ。なにしろここには私と君しかいないのだから」
 さっきまでの先生然とした様子はどこへやら、エリックは額を押さえて途方に暮れたような表情になった。

 途方に暮れたいのはこっちです。

 いや、まあ、採寸はいいんですよ。ナイトガウン着てて良いって言うならとりあえずは。
 しかしその像はエリックが作るわけでしょ?
 想像するだけで滅茶苦茶恥ずかしいぞ。

「他に方法はないの?」
 懇願するようにエリックを見上げる。
「私も考えたのだが……」
 ふっと顔を背けた。

 ないんですね……。


☆   ☆   ★   ☆   ☆



 ガウン越しの採寸は、くすぐったいやら照れくさいやら。
 それとて像を作られるということに比べればどうってことはないけれど。
 気を使ってくれたのか、作業はわたしの見えないところでやってくれた。

 どっちがより恥ずかしかということはあえて考えないようにする。


 三日後、自室から出てきたエリックは、出来上がった像の一つはコルセット屋に、もう一つは仕立て屋に渡すと告げた。……って、二つ作ったんですか!?
 目の前が一瞬暗くなった。
 それでも出来を確認し(エリックも隣にいたのだ! 一体なんの羞恥プレイだ!?)、自分のスタイルの不味さにがっかりした。あああ、これを彼の目にさらしたなんてー!
 それでも彼の彫刻の腕には脱帽する。
 スタイルの悪い上半身像なのだが、胴体部分には黒絹が張ってあり、腕は滑らかに磨かれ、ニスを塗ったかのように艶やかだ。それで、妙に綺麗に見える。
 それだけが救いだと思えた。


☆   ☆   ★   ☆   ☆



 その後は特にわたしがすることはなく――ドレスのデザインしたのはエリックだし、実際にものをつくるのは専門のお店だし―― 一ヶ月が流れた。

 エリックがデザインし、パリの店で仕立てたドレスはとても美しいものだった。
 わたしが恐れていたコルセットをつけなくてはいけないようなドレスは、まずコルセットが出来てからでないと作りようがないということで、最初に出来上がったのはそんなものがなくても大丈夫なものだった。この後またコルセットをした状態で採寸をし、今度こそあの拷問器具――としかわたしには思えない――を必要とするドレスを作るということなのだが、正直、このままでいいとわたしは思う。


 しかしコルセットがいらないとはいえ、このドレス……。
 予想通り、すっごく動きづらい。
 それに、重い!

 どうやら一昔前よりはだいぶ軽くなっているらしいのだけど、Tシャツジーンズに慣れている身にはどちらにせよとんでもなく重たい代物なのだ。
 あまりの窮屈さに出来上がったドレスに初めて袖を通した時はかなりげんなりした。
 これでも楽なドレスだなんて……。
 そして、ふと思った。
 よく考えたら、ここにいるのはわたしとエリックだけで、そのエリックはわたしの身の上を知っている唯一の人なわけで。
 だから、別にドレスを着なくてもいいんじゃないかなー、あの人なら理解してくれるんじゃないかなー、という考えがわたしの頭をよぎったのだ。
 エリックが着てるようなドレスシャツとズボン。上着はあってもなくてもいい。これならきっと楽だろう。
 そう思って交渉しようと部屋を出たら……滅茶苦茶褒められたので言うに言えなくなってしまいました。

 うん、わたしも少しずつこの時代のことがわかるようになったのだけど、ドレスって高いんだよね。
 作る前ならともかく、作ってしまった後に「やっぱこれ、嫌」ってのもないよなー。
 わたし、エリックにどれだけ散財させちゃったんだろうか。怖くて聞けない。

 しかし……。
 エリックの顔はだんだん曇ってゆき、ついには額に手を当ててため息をつかれてしまった。

「君は……」
 真面目な、重々しい空気をまとったエリックは、低い声で呟いた。
「な、何?」
 理由はわからないがなにか怒らせてしまったようだと感じ、恐る恐る顔を上げた。
「まったくエレガントじゃない」

 ……はい?

「君が活発な服装を好むことは知っているが、それはそういった服を着ているときだけ許容されるものなのだ。ドレスを着ている時は、そんなに大股で歩くものじゃない。無作法に見えるし、品がない。少しは考えたまえ」
「そんなこといったってドレス着たのなんて初めてなんだもん、仕方がないじゃない」
 特に大股だという自覚はなかったけど、歩くたびにばさばさ音がしているのは事実だ。
 それもこれもペチコートとドロワーズが足に纏わりついてくるのが不快なので、蹴っ飛ばすように歩いているせい。それに、バッスルが邪魔くさい。お尻にクッションがついているようなものなんだもの。
 わたしの抗議にエリックはやれやれと肩を落とす。
「わかっている。これは慣れの問題だ。だから、ドレスに慣れるまでは君が着ていた二十一世紀の服は着てはいけない」
「えー!」
 エリックにしばらくドレスを見せたら速攻脱ごうと思っていたわたしは、思わずブーイングをした。
「私は君にずいぶんと寛大に接していると思っているが、これだけは命令させて頂こう。いいね」
 エリックはわたしの目の前でぴっと人差し指を真っ直ぐに伸ばして告げた。
「う〜〜〜。……はい」
 衣食住、すべてにおいて彼に頼らざるを得ない身としては、スポンサーの意向には逆らえない。

「まあ、そんなに悲観せずとも、おいおい慣れてくるだろう。それにご褒美が待っているのだから、練習にもきっと身が入るだろう?」
 エリックは人が悪そうににやりと笑った。
「ご褒美って?」
 彼は喉の奥で笑う。
「本当は、外出用のドレスができてからパリを案内しようと思ったのだが、君のこの調子ではあまりにも具合が悪い。いつ転んでしまうかわかったものじゃないからねぇ。君が東洋人であるということを差し引いても、もう少し優雅な立ち居振る舞いというものを身につけてもらわないと」
「パリを案内って……外に連れて行ってくれるの!?」
 エリックは頷いた。
 やったぁ! とうとう外に出れる!
「ありがとう、エリック!」
 思わず抱きつくと、途端に彼は固まってしまった。
 あ、まずい。

 エリックは不用意に近づかれるのが嫌いなんだった。

 わたしは慌ててエリックから離れる。
 ごめんなさい、と謝ると、いや、気にするなと答えた。
 済まなく思ったけど、それ以上に嬉しくて仕方がなかった。
 外には出さないと言っていたエリックだけど、こうして外出の約束をしてくれたんだもの、少しは心を開いてくれたって思っていいのよね?


 ……ということがあって、わたしは毎日意識的に動くことを心がけるようになった。
 ここんところ動く時にする音は、『ばさばさ』から『わさわさ』に変わったから、もう少しね。

 多分。







ベルナールの感激はまったくの見当違いだったと・・・。
しかし段々長くなってきてるような気がする@日常生活シリーズ。

そろそろエリックの仮面をうっかり外してみようかと思ふ。

補足:マヌカンはマネキンのこと。マネキンはmannequinの英語読み。
最初、私、「ボディ」って書いてたけど(参考にした本にそう書いてあったから)、「これって思い切り英語だよなー、フランス語ではなんて言うんだろう?」とか本気で思っていました。そんな私は服飾には全く詳しくありません……。や、日本の服飾業界では服を飾ったり作ったりするときに使う人体模型のことをボディと呼ぶこともあるみたいなので、間違いではないのですがっ!(他にもイタリア語のtorso/トルソーとか、日本語の人台/ジンダイかもあるようで……。 この辺、外来語の摂取におおらかというか、いい加減というか、いかにも日本らしいなぁ。) でもやっぱ、フランス語で会話してるのに「ボディ」というのもヘンだと思いましたので、その辺りをがっつり変更しました。




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