注意書き
・結婚後設定です。ただし日常本編で結婚後もオペラ座の地下に住むかどうかとか、細かいことはまだ決めてないので、あくまでもこの話の中だけでの設定です。
・ヒロインの外見描写がそこそこ出てきますが、これもやっぱりこの話のなかだけでの設定です。本編では外見等の書いていないことは自由に想像してください(笑)
・最初はヒロイン視点、次がエリック視点です。エリック視点で風呂場でちょっといちゃつくシーンがあるので、R-15にしています。


リク内容概要
「胸の小ささに悩むヒロイン、そのことをうっかり知ってしまったエリックの苦悩話。
胸を大きくしたいと、自分で胸を揉んでみたりとか、それをエリックが知ったらどうするのか。」

という感じです。

それでは色々承知した方だけスクロールしてください。















「いいかね?」
「ちょっと待って。……っと。大丈夫。お願い」
 背後から問われたので、わたしは軽く焦りつつ、シュミーズを整えた。慌てなくてもエリックは待っていてくれるのはわかっているが、彼に間近で話しかけられると未だに心臓が強く跳ねてしまう。そろそろ慣れてもいいと思うのに。
「では、いくぞ」
 エリックがコルセットの紐を引き始めるのと同時に、わたしは息を吐いた。意識的にお腹をひっこめて、それから静止。その間エリックはきりきりと紐を引き続け、これ以上は引けないというところまで引っ張ると紐が逃げないうちに手早く結ぶ。
 結婚前は自分で着けていたコルセットだが、ふと思い立ってエリックに頼んで以来、彼につけてもらうようになっている。もっとも、朝にエリックが起きていたらの話だが。


 今朝わたしは、わたしの部屋で目覚めた。隣にはエリックがいた。
 真っ暗な中、おはようのキスをし、彼は手燭に火を灯した。夜目が効くエリックは着替え程度にならば明かりはなくてもいいそうだから、この行動はわたしの視界確保のためだ。
 わたしが新しいシュミーズを取りに行っている間に、彼は寝間着の上にガウンを羽織る。それから部屋に分散して置いてあるランプに火をつけて回る。
 仮面は明かりをつける前に装着済みだ。これは彼にとって人前で着る服のようなものだから、わたしが彼の姿に慣れているということはあまり重要ではないそうだ。本人が納得していないのに無理やり引っぺがすのもどうかと思うので外して欲しいと強くお願いすることはないが、素を見せてくれなくて寂しい、と思うことがたまにある。
 そうそう、エリックにコルセットを締めてほしいと頼んだきっかけは、自分で締めるには、あまり力がいれられないからというちょっとした悩みがあったからだ。
 コルセットの紐は背中側で結ぶようになっている。いくら自分で強く引いても、いざ結ぼうとした時に少し力が緩んでしまい、結果的にはある程度以上の強さでは締められなくなってしまうのだ。
 現代式のブラジャーがないのだから仕方がないとはいえ、今でもわたしはコルセットをぎちぎちに着ける気はない。だがコルセットには伸縮性はなく、日常的な動作を行ううちにだんだん紐が緩んでしまうのだ。だからそれを計算に入れて、朝のうちに強めに締めてしまいたいのだが、これがなかなか難しい。
 他にも悩みはあった。
 コルセットが緩むとその下に着ているシュミーズも少しずつだが動いてしまう。だから下着を脱ぐと、上半身に布の皺跡がミミズ腫れのようについてしまって、ちょっと気持ち悪かったのだ。結婚前は誰に見られる部位でもなかったのでちょっと気持ち悪いな程度で済んだが、今は……。行為中は基本、明かりはつけないのだが、きっとエリックには見えていることだろう。そうであるならばで、きるだけ綺麗な自分を見せたい。これは女の本能だと思う。
 そしてあと一つ、理由がある。これはエリックには知られたくないことなのだが……。
「さあ、できたよ」
「ひゃ……っ」
 交差する紐の捻れなどを直していたエリックが、背中からお腹の方へ滑らせるように手の平を動かした。もう片方の手は二の腕を押さえるようにしつつ、首筋に唇を這わす。
「ちょ、エリック……!」
 不意打ちされて背筋がざわつく。思わず彼の手を振り払い、壁際まで避難した。
「どうかしたかね?」
 喉の奥で笑いつつ、だがごく自然な声音でエリックは問い返す。
「どうって……。つけたばかりのコルセットをもう外す気なの?」
 手つきに下心を感じたわたしが抗議するも、エリックは心外そうに肩をすくめた。
「そんな気はないが、お望みとあらばそうしても構わないよ、奥さん」
 言いながら彼はわたしの前にゆっくりと歩いてくる。わたしは両腕を交差してガードしつつ、エリックを牽制した。
「今日は予定があるって言っておいたわよね。わたしに遅刻しろっていうの?」
「まさか。ただ私はその約束を取り消してほしいだけだよ」
「なんで今更そういうこと言うの!? だって、最初に話した時には特に反対しなかったじゃない」
「鷹揚な夫でいようと思ったが、無理だったようだ」
 叫ぶわたしに、エリックは如何ともしがたいという表情で頭を振った。
「……エリック、本気? それならわたし、今日は閉じ込め決定?」
「もちろん」
 わたしの目の前に立ったエリックは、髪を一房手に取り、それに口付ける。
「冗談だよ。早くドレスに着替えなさい」
 さらりと髪を手放すと、彼はしてやったりという笑みを浮べて寝室から出て行った。
 ……心臓に悪い上に笑えない冗談はやめてください。
 エリックがいなくなった後に思わずへたりこんでしまったわたしはいや、と考え直した。
 案外本音だったのかもね、と。

☆  ☆  ★  ☆  ☆


 気を取り直して着替えをし、居間に行くと、コーヒーの匂いが漂っていた。わたしよりも先に身支度を整えた彼が用意してくれた朝食をとりつつ、今日の予定を確認する。
 わたしはメグとクリスティーヌの二人とでかけることになっていた。エリックはわたしを地上に送るついでにオペラ座の巡回をすると言った。
 そうして昼少し前なると、わたしとエリックは連れだってオペラ座へと向かった。人目がないことを確認して、隠し扉から楽屋が並ぶ一角の廊下へ出る。
 全身黒尽くめ――シャツはさすがに白いけれど――の彼は、ひたとわたしを見つめ、抑えた声で告げた。
、あまり無粋なことは言いたくはないが……。祝いの席であっても羽目ははずしすぎないようにな」
「ええ、飲み過ぎないように気をつけるわ。なんだかんだいって、彼女たちもそれほどお酒に強い方じゃないし、おしゃべり中心になるわよ、きっと」
 彼が何を心配しているのかが手に取るようにわかるので、わたしは苦笑して答える。
「それとジリーの友人たちがもし来たとしても、あまり相手をするな」
「今日は女三人だけよ。メグちゃんがそう希望したんだもの。男の人たちは出入り禁止なの」
 わたしは彼の懸念を払拭しようと、きっぱりと言い切った。やっぱり朝のあれは本音かなと思っていると、エリックは咳払いをして続ける。
「五時には帰ってくるように。夕食は軽めのものを考えておく」
 今日はメグのシュジェ就任祝い昼食会という名目で集まるのだ。昼食会とはいえ、昼を過ぎても食べたり飲んだりするのが目に見えていたので、エリックの的確な配慮に思わず吹き出す。
「ありがとう。助かる」
 エリックは軽く頷くと、では、といってきびすを返した。わたしは小さく手を振って、いってきます、と答える。エリックはマントの裾を翻し、そのまま廊下を歩いていった。
(オペラ座を巡回するとは言っていたけど……)
 彼の背中を見送る形になったわたしは、エリックの堂々とした態度に感心してしまった。
 午前中のオペラ座は一部の職員とコーラスやバレリーナの練習生たち程度しかいない。とはいえ、いつどこで誰かと鉢合わせをするか、わかったものではないのだ。だというのに、隠し通路ではなくて廊下をああも躊躇なく歩くとは……。誰かに見られて追いかけられても、逃げきれる自信があるのだろう。
(年々、隠し通路が増えているから隠れ場所には不自由しないとはいえ、豪胆だよね。でも大丈夫かな……)
 そんな感想を心の中で呟くと、わたしはメグの新しい楽屋へと向かっていった。


 リズムよくノックをし声をかけると、勢いよく内側からドアが開く。
「いらっしゃい。待ってたのよ。さぁ、入ってよ」
 いつも元気なメグが太陽のような明るい笑みをあふれさせ、わたしの手首を引っ張る。
「おじゃまします。わぁ、ずいぶん私物が増えたね。すっかり馴染んでいるじゃない」
「そうなの。念願の個室だもの、やっぱりお気に入りのものに囲まれたいじゃない。あ、そうだ。この間はお花をありがとう」
「どういたしまして。あの時はすごかったわね」
 メグはいたずらっこの目をして軽やかに笑う。
「本当にね。ほんの一週間前のことなのに、結構ばたばたしたから、もう何年も昔のことみたいよ」
 彼女が昇進試験に合格し、新生のシュジェになって最初の舞台があった日のことを思い出す。
 以前からのメグのファンと、注目度が高まったために新規にファンになった人たちから贈られた花で、この楽屋は埋まってしまったのだ。友人の晴れ舞台だからと私も花籠を持って開演前の楽屋を訪問したらそんな風になっていたものだから、日を改めた方が良かったかと一瞬後悔したものだ。
 ソファに座るように促されたので、遠慮なく新しい絹張りのそれに座る。
「クリスちゃんは練習中かなにか?」
 もう一人の昼食会メンバーはまだ来ていないようなので確認すると、メグはふるふると首を振った。
「今日は稽古はお休みなはずよ。少し待っていればくるでしょう」
 そしてクリスティーヌを待つ間、四方山話に花を咲かせた。新しい演目のこと、練習のこと、シュジェになって大変になったこと。おいしいお菓子の店や綺麗な小物が多い店のこと。それに恋愛話にドレスの話。
 メグに、そのドレスはおろしたてなのかと聞くと、シュジェになれたお祝いにと恋人が買ってくれたものだという答えが返ってきた。
 メグは半年以上前に恋人ができている。少し年は離れているが――といっても、わたしとエリックほどではないが――裕福な貴族で、彼女の熱心なファンだった人だ。
 出会った頃は髪を下ろしていたメグも今では結い上げるようになり、輝く金髪は王冠のように彼女の頭上を飾っている。元気いっぱいで、顔立ちも派手目の彼女が着ているドレスは、それに劣らず華やかだ。昼用のドレスなので襟刳りは浅いが、フリルとリボンの間からはくぼんだ鎖骨が覗き、匂いたつような色気を漂わせている。そしてその下に続く丸みを帯びたラインは初めて会った時よりも間違いなく成長していた。
「どうしたの?」
 ぼんやりしているように見えたのだろう。メグはわたしの目の前に手を広げて上下に降った。
「あ、大丈夫。聞いてる。……ね、メグちゃん」
「なぁに」
「こんなことを聞くのはどうかとは思うんだけど」
「なに、なに?」
 聞きにくいことだったのでどうしても言葉が途切れがちになってしまうのだが、それがメグの興味を引いてしまったようだ。テーブルを挟んで身を乗り出して、彼女は話を促してくる。
「恋人の男爵さんとは、その……最後までいってるのよね?」
 性的なものには厳格なこの時代だ。いくらオペラ座の女の子とはいえ、こういう話題を振るのはどうだろうという葛藤があった。だがわたしの質問を聞き終わったメグちゃんは、好物を見つけた猫みたいに目をランと輝かせた。唇は意味深な笑みの形を作る。
「そういう話? いいわよ。で、どこまで知りたいの?」
「こっちから話を振っておいてなんだけど、どうしてそんなに乗り気なの……?」
 わたしがぼやくと、髪よりも少し濃い色の眉をつりあげてメグは言い返した。
「興味があるからに決まってるじゃない。それに、わたしのことを話すなら、の方も当然話してくれるんでしょう?」
「わ、わたし?」
 彼女の勢いに思わずたじろぐ。
「当たり前じゃない。聞くだけ聞いてそれで終わりなんてなしよ。結構長い付き合いになるのに、わたし、の旦那様とは一度も会ったことがないんだから。結婚式にも呼んでくれなかったし!」
「だから、それは――」
 わたしが最後まで言うのを待たずに、メグは言葉を被せてくる。
「理由ならママからよくよく言い聞かせられているから、詮索はしないわよ。でも、わたしにこの手の話を振ってくるってことは、なにか夜の生活に不満とか不安とかあるってことでしょ? なら、そっちのほうはきりきりと白状することね。大丈夫。ママには内緒にしておいてあげるから。それで?」
 スカートの下で足を組み、命令するように彼女は言った。言葉遣いは若さ故に砕けているけれど、表情は意外と真面目だ。こういうところはマダム・ジリーによく似ている。
「あのね……」
 腹をくくって口を開く。他に誰かいるわけでもないのに内緒話をするようにしてしまうのはご愛敬だ。
「メグちゃんの恋人って……やっぱり胸とか重点的に触ってくる……?」
「胸? そうね、かなりお気に入りみたいだけど。……あ」
 メグは自分の胸元に目を向けると、次には視線をわたしの首から下に向けた。その顔に一瞬気の毒そうな表情が浮かんだのを、わたしは見逃さない。やっぱりそうか。そしてわたしの質問の意図を汲み取ってしまったのだろう。雄弁な答えをありがとうございます。
 一気に落ち込むわたしに、メグはわざとらしい明るい声で励ましてくる。
「でも、ほら、男の人って胸が好きな人とお尻が好きな人に大きく分かれるっていうじゃない。の旦那様は後者なんじゃないの?」
「けど、好みじゃない方には触らないわけでもないんじゃないの? 違うの?」
「もしかして、下の方しか触ってこないの?」
「……そういうわけじゃないけど、でも、明らかに比重が違うと思うの」
 顔から火が出そうになりながらもそう答えると、メグは濁点がついていそうな声で唸った。
「ねえ、ドレスの話からこの話になったのって……なにか関係があるの?」
 こめかみをさすりつつ、彼女は問う。関連性がつかめない、と冷静に指摘された。
 もっともなことだったので、わたしも平静を取り戻そうと呼吸を整える。
「メグちゃんの彼が贈ったそのドレスって、胸のところが綺麗に見えるようなデザインになっているなと思って」
「ああ、そうかも。大きさが大きさだから一歩間違えると下品に見えるのよね。それが結構気になるのよ。彼にもそう言ったことがあったから、それでじゃない?」
 言葉を切った彼女は、すぐに小さく声をあげる。
「言っておくけど、自慢じゃないわよ。胸なんて、大きすぎても大変なだけなんだから。重たいし、踊っている時には揺れすぎて痛くなってくるし、全身の見た目のバランスだって悪いわ。コルセットを作るときにも特別料金がかかっちゃうし。それに、年をとったら垂れてくるんだから」
 始末に困るというように顔をしかめて、メグはまくしたてた。
「あ、うん。そういうものらしいということは聞いたことあるけど……」
 わたしには縁のない話なので、自慢ではない、と言われても自慢されているように聞こえる……。というのは、やはり僻み故だろう。胸の大小は自分でどうこうできるものではないのだから、メグに八つ当たりをしてはいけないと自分に言い聞かせる。
「見た目のバランスが悪いのは胸がなさすぎの人も同じだと思う。あのね、メグちゃん。わたしのドレスは夫がデザインしているんだけど、そのどれもこれもがフリルやレースやリボンで胸がないことを目立たないようにしているのよ」
「いいことじゃない。はちょっとやせすぎだから、色や形を考えないとドレスに埋まっているように見えるもの。あなたの旦那様、そのことをよく理解しているのね」
 ドレスを着ているとスタイルがよく見えると言いたいのだろう。それはわたし自身もそう感じているので否定はしない。けれど。
「でも、わたしとエリックは結婚しているのよ」
「知ってる。それが?」
「だから、どれだけドレスを着ている時に綺麗に見えても、それだけじゃ足りないと思うの。だって……脱いだらどうしたって、中身がないことがわかるじゃない」
 中身がないのを知られているとはいえ、コルセットを少々強めに締めてもらい、なけなしの谷間を作ってみたりと、あがいてはいるのだが。そう、これが彼に言えないコルセットをエリックに締めてもらう理由だ。
「……」
 メグはどう答えを返したらいいのかわからないというように、視線を泳がせる。
 わたしはため息をついてうな垂れた。
「あの人はわたしのことを華奢だとかなんとか誉めてくれるんだけど、わたし、そこまで自分のことを理解していないわけじゃないわ。わたしみたいな身体は華奢じゃなくて、貧相っていうのよ」
 華奢というのは、痩せていてもつくべき場所には適度に脂肪がついている人のことを言うのだと思っている。そう、まだここにはいないもう一人の友人であるクリスティーヌのように。
「彼がいつもどんな気持ちでわたしのドレスをデザインしているかと思うと、申し訳なくて。中身が詰まっているのをほどほどに見せるのと、その逆とでは、やりがいに雲泥の差があるんだろうなぁ……」
「考えすぎじゃない? 胸のことでなにか愚痴られたりしたことがあるの?」
「ないけど……」
 エリックは自分の努力などではどうにもならない外見のことを悪く言われることがどれだけ辛いかをよく理解しているから、わたしに対して無神経な発言をしないだけではないかと思う。胸派か尻派かというニ択があって、エリックが尻派だとしても、胸はあった方がいいに決まっている。横になればほとんど平らになる女なんて、触りがいもなくてつまらないと思っているだろう。ああ、ストローで挿して空気を吹き込んだら膨らむようにできればいいのに。メグはいいなぁ。きっと色々、わたしにはできないことを恋人にしてあげられているんだろうなぁ。
「メグちゃん、何を食べればそんなに大きくなるの?」
「原因がわかっていたら、それを食べるのを控えたでしょうね」
 そうよね。
「揉むと大きくなるって聞くけど、あれって実際にはどうなんだろう。実はね、せめて今からでも少しは育たないかと思って、お風呂に入るときに揉むというか……マッサージをしているの。効果がでているように思えないけど。男の人に揉んでもらわないと意味ないのかな」
 思いがけない内容すぎたのだろう。メグは困惑気に眉間にしわをよせる。
「揉めば大きくなるかどうかはわたしにもよくわからないけど、そんなに気になるなら、さりげなく旦那様の手を胸の方に誘導してみたら?」
「……さすがに、無理」
 反射的に想像してしまい、顔が熱くなる。
 自分がそういうことをするというのも恥ずかしいが、エリックだってなぜそんなことをするのかと理由を聞いてくるだろう。その説明をするのが恥ずかしい。
 それに正直に打ち明けられてもエリックも困るだけだろう。下手すると、彼にいらぬ気遣いをさせてしまいかねない。
「でも、もし効果があるなら? やらなければずっとこのままよ?」
「う……」
 わたしが言葉に詰まったため静かになった室内にノックの音が響く。
「メグ? 遅くなってごめんなさい。中にいるわよね?」
 クリスティーヌの声だった。わたしとメグは無言で目と目を見交わすと、しっかりと頷きあった。
 クリスティーヌは純情可憐を絵に描いたような子なのだ。オペラ座に所属している以上その手の話題が聞こえてこないはずはないが、それでもその手の話題を振られると本気で困り顔になってしまうような子なのだ。そんな彼女にあけすけな話は聞かせられない。
 メグは何事もなかったかのように表情を切り替えて、親友を迎えにいく。
 車輪が外れた馬車のせいで道が混んでいて遅くなったとすまなそうに言うクリスティーヌに、おしゃべりをしていたから気にしないでとわたしたちは返した。
「どんなおしゃべり? わたしも混ぜてほしいわ」
 そう問い返す彼女に、わたしたちは答える。
「ドレスの話よ」
「そう、そう」
 ……嘘はついていないもん。



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