* 連載と同じ設定のマスターとカイトですが、この話の中ではマスターは大学生です。
その出会いは、衝撃。
一瞬で、俺はココロを囚われた。
それ以来、願ってやまないことがある。
どうしても、叶えたい。
一度でいいんだ……。
♪・♪・♪
「マスター……」
リビングで雑誌を読んでいるマスターの横に正座して、俺は切ない想いを伝えた。
マスターにとっては迷惑なだけだろう。
それは理解している。
これまで何度も拒絶されているのだから。
だけど、俺は諦められない。
どれだけそれを望んでいるか、彼女にわかってほしいんだ。
俺はありったけの言葉を駆使し、愛と情熱が届くように何度も何度もお願いをする。
しつこい、と怒られることは怖くない。
黙ったままではマスターは気づかないふりをするから、うざがられても口にしないと。
ああ、だけどこの不毛な話し合い――大抵、マスターは聞き流すから、話し合いにすらなっていない。俺が一方的にしゃべっているだけだ――は何度繰り返せばいいんだろう。
マスター。
俺の願いは、そんなに無茶なことですか?
どうしても受け入れられないほど、嫌なんですか?
……どうしたら受け入れてもらえますか?
どれだけ条件が厳しくても構わない。
それで望みが叶うなら、なんだってします。
マスター。俺、本気なんですよ?
「うるさい」
マスターはため息交じりに髪を払い、うんざりしたような顔を向ける。
雑誌をぱたりと閉じて、横に置いた。
その雑誌は、さっきからずっと同じページを開いていたので、多分読んでいたわけじゃないんだろう。俺の話を聞きたくない、ただそのためだけに読んでいるふりをしていたんだ。
「マスター……」
今日も駄目か。そう思って俯くと、
「まったく……。わかった。いいよ」
「……え?」
俺は思わず耳を疑った。
「マスター、今なんて言いました?」
彼女はじっとりと半眼になる。
「二度は言わない」
「そ、そんなこと言わないで! 良いって言ったんですよね? つまりOKってことですよね? 前言撤回はなしですからね!?」
「しないって……。まあ、いい加減何度も同じ話を繰り返されるのも飽きたしね。一回やって納得するなら、そうしなさい」
「マスター、ありがとうございます! ふぎゃ……!」
俺は感激のあまりマスターに飛びついた。
と、間髪をいれずに脇腹を殴られる。
「痛いです」
「抱きつくなっていってるでしょうに」
はい、そういう約束になっていますね。でも長きに渡る断絶の後の和解なんですから、今くらい許してくれてもいいと思うんですけど。
心の底からのヨロコビを素直に伝えているだけじゃないですか。
何がそんなにいけないんですか。まったくマスターは素直じゃないんだから。
「それで、今からでもいいんですか?」
脇腹をさすりながら――たいした威力ではなかったけれど、痛いものは痛いんですよ――俺はマスターに尋ねる。
顔、にやけているんだろうなぁ。
マスター、思いっきりどん引いてる表情してるもん。でも、良いって言ったのはマスターなんだから、今更そんな顔したって、無駄です。
マスターはちらりと壁掛け時計を見上げる。
「スーパーは開いてるし、コンビニだったらいつでもいいんだし――。好きにすれば?」
「はぁい。じゃ、お金、ください」
俺はにこにこしながら両手を差し出した。
はいはい、とマスターは立ち上がる。
うわぁい。やっと、やっと、やっとやっと! 好きなだけアイスを食べられるんだ!
いつもは一日一個で、それでも毎日食べられるだけましだとは思ってたけれど、一度でいいから思いっきり食べてみたいと思っていたんだ。
色々な味を楽しむのもいいけど、俺、バニラだったらバケツサイズくらいイケると思うんだよね。
財布を持ってきたマスターが、中から諭吉さんを取り出す。
あれ一枚で、俺の月々のアイス代、約三ヶ月分なんだよなぁ。俺、どれだけ食べると思われているんだろう。まあ、メーカーによっては、それくらいの金額は軽く越すんじゃないかと思うけどね。マスターも開き直ったのかな、ずいぶん太っ腹だ。
「はい、お金。さすがにこれで足りないとか言われたら困るけどね。……あたしがついていった方がいいのかな」
マスターは軽く眉を寄せる。俺はマスターと一緒にでかけるのも好きなので、じゃあ一緒に行きましょう、と誘った。
そうする、と言ってマスターはパーカーを取りに行く。俺は朝のうちに普段着に着替えていたので、このまま外に出られます。
俺たちが出かける仕度をしたので、小次郎さんもそわそわしだした。ゴメンね、小次郎さん、お散歩じゃないんだ。また後でね。
髪はまとめず、帽子だけかぶって、マスターは玄関に向かう。
スニーカーを履きながら、ちらりと振り返り……。
「一応言っておくけど、これはいつものアイス代だからね?」
俺は頭が真っ白になった。
「……えええええっ!? なんでですかっ!?」
てことは、下手したら一ヶ月とか二ヶ月、アイスが食べられなくなるってことじゃないですか。
「なんでって……。特別な行事でないのに、そんなゼイタク、ほいほい許せるわけないじゃないの」
真顔でマスターは答える。
「でもカイトの月々のアイス代を、カイトがどう使おうと、それはあたしが口出しすることじゃないし」
「そんなぁ」
俺のアイス代というのは、月によって決められている。三十一日まである日は三一〇〇円、三十日までなら三千円だ。つまり、一日百円分ということ。
といっても、一日に百円のアイスを一個しか買えない、というわけではない。コンビニはともかく、スーパーは定価よりも少し安く売っているから、例えば五個で三百円、なんて日には三日分のアイス代で実際にはもっとたくさんのアイスが買えるのだ。パイントサイズのものや、箱入りでもOK。ただし、一度アイスを買ったらそのアイス代分の日数が経過しないと、次が買えない。
えっと、つまりはこういうこと。今日、三百円分のアイスを買ったら、それを一日で食べ切ってしまったとしても、次にアイスを買えるのは三日後、ということだ。これのチェックは手帳――マスターのお父さんが仕事の付き合いでもらってきたというものを、さらにマスターがもらったものだ――の見開きカレンダーにしっかりつけている。
「マスターひどい! 期待させておいて……!」
「勝手に勘違いしたあんたが悪い。つーか、あたしが何の理由もなくこんなこと、許可するとでも思ってたの?」
「うう……」
しましたよ。思い切りしましたよ! そりゃ、ずいぶんと話がとんとん拍子に進んだなとは思いましたけど、こんなオチがあるだなんてさすがに思いませんでしたよ!
「ま、それが嫌ならやめておくことね。でもあたしはせっかくだから、買い物に行ってくるわ。カイト、出かけないんなら留守番お願いね」
「……俺も行きます」
まだショックから立ち直れていないけど、マスターとは少しでも一緒にいたいし、それに、今日の分のアイス、まだ買ってない。
でも、ああ、俺のバケツアイス……。
アパートを出てスーパーまでの道のりを、俺はとぼとぼと歩く。
少し先を進んでいたマスターはしばらくするとぴたりと止まり、戻ってきた。
「?」
外ではマスターのことはマスターと呼ばない。そういう約束になっているから、俺は名前で呼んだ。
「いつまで落ち込んでるのよ、アイスくらいのことで!」
ばしっと背中を叩いてくる。だから、痛いですって。
「アイスは『くらい』のことじゃありませんよ」
「ったく。そんなにアイスの馬鹿食いがしたいんなら、クリスマスか誕生日まで待ちなさい。プレゼントってことで、買ってあげるから」
「何ヶ月先の話ですか、それは」
マスター、まだ夏休み前ですよ。
すると彼女はむっとしたような顔になって、
「あっそう。別にいらないなら今年は何も買ってあげないから」
「ちょ……。待ってください、いらないなんて言ってません!」
先でもなんでも、本当にやってもいいのならば待ちます! 待ちますとも!
♪・♪・♪
日曜日のスーパーは、朝から人がいっぱいだった。
店内BGMにタイムサービスを知らせる威勢の良い掛け声、それに小さい子の叫び声などでとても賑やか。
俺は買い物籠を持って、マスターと並んで歩く。うちの冷蔵庫、あまり大きくないから買いだめとか難しいんだよね。
今日のお昼と夕食、それと明日のメニューまでざっと決めながら、俺たちは商品を籠に入れていった。野菜をいくつかとお肉、お豆腐に油揚げ。最後に寄るのはいつも決まっている。アイス売場だ。
「何にするの?」
「うーん……」
何にしよう。バニラな気分だけど、季節ものの新フレーバーも捨てがたい。
ケースに沿って歩きながら俺はゆっくり移動した。
と、目に入ったのは、冷凍ケースの脇に置かれた小さな台。
そこには赤や緑や青色をした瓶入りの液体が並んでいた。かき氷のシロップだ。隣にはディスプレイ用らしいペンギンの形をしたかき氷機もある。
が、それを無視して先に進む。
俺はかき氷には興味はない。一度、マスターがこの安っぽい味が好きだというのでカップ入りのかき氷を食べたことがあるけど、あれはただ冷たくて甘いだけのものだとわかったので、それ以来は口にしていないのだ。
アイスには滑らかさがないと。
ちなみに、ソフトクリームは俺の中ではアイスだけど、シャーベットは違う。かき氷よりはおいしいけどね。
でもかき氷というのはかき氷を作るための機械があれば家で簡単に作れるから、その点ではいいよなぁ。そうしたらアイスでお金を使いすぎちゃっても、かき氷でしのぐこともできるし……。ああ、俺がかき氷好きでもあれば……ん?
(家で作る!?)
アイスを作る。
その発想はなかった!
いや、でも、作れるはずだ。アイスのレシピを、俺は見たことがある。
よくレシピを探しに行くサイトに、カテゴリとしてもあるし。
ただ、俺はアイスは買うものであり、買ったものの方がおいしいのだと思っていたから、あまり気にかけていなかったけれど。
俺はごくりと唾を飲み込み、事実確認を行った。すなわち。
『アイスの材料は、アイスも作れるには違いないが、アイスではない』
ということだ。
だから、材料だけ買うならそれは……。
(俺のアイス代には含まれない、かな?)
ちらり、とマスターの方をうかがうと、マスターもアイス選びしていたところだった。最中のとコーンタイプのとを見比べている。
確かバニラアイスの基本的な材料は卵と生クリーム、砂糖、それにバニラエッセンスとかだったはず。バニラエッセンスはともかく、砂糖と卵ならいつでも家にあるし……。でも、生クリームって、容器は小さいのに結構高いからなぁ。
できればもうちょっと量があると嬉しい。……牛乳混ぜればいいかなぁ。
「カイト? どこ行くの?」
こっそり乳製品売場に行こうとする俺をマスターは呼びとめる。
「あ、ちょっと……」
「アイスいらないの?」
珍しいといいたげに、マスターは俺を見上げた。
「い、いります。でもちょっと買い忘れを思いだして……」
「そう? なら籠、ここに置いてていいよ。待ってるから」
「あ、はい」
そそくさと俺はその場を離れる。
うーん、でも、牛乳はともかく、生クリームなんて普段は買わないもの、持って行ったらマスターに不審がられるだろうなぁ。ここで何とか誤魔化しても、どうせアイスを作ったらばれるんだし、先に話してしまったほうがいい、かな。でも……駄目って言われたらそこでおしまいだし……うーん、どうしよう。
♪・♪・♪
生クリームはプリンを作ると言い訳して、なんとか買うことができた。
今度はデザートまで作る気なのかと若干呆れていたようだけど、プリン好きなマスターはそれでも楽しみにしているみたいだ。まあ、マスターが好きなのはプリンだけじゃないけど。ゼリーもケーキもクッキーも好きですよね。で、食べた後に体重がー、とか言ってるんですよね。
それはともかくとして、嘘をつくのは心苦しいし、おいしく作ったら今後も材料を買うのを許してくれるかもしれないから――もちろん、俺のアイス代に含まずに、だ――1パック分の生クリームで作れるアイスとプリンのレシピを探した。
製作は、マスターが学校に行っている間。
作ってしまえばこっちのものです!
♪・♪・♪
帰宅したマスターは、匂いでプリンを作ったことを察知したようで、速攻で冷蔵庫を開けた。こういうときの反応の良さはすごいです。
さらに飲み物に入れるために氷を取り出そうと冷凍庫を開けたので、アイスの入っているタッパーもあっという間に見つかってしまった。
まあ、その、隠し通せるなんて思っていなかったから、こうなるだろうとは思っていたけれど、マスターの視線が痛い……。
タッパーの中身を確認したマスターは、うろんげな目つきになる。
「カイト、これは何?」
「……アイスです」
「どうしてアイスがタッパーに入っているのかな?」
「……つ、作ったからです」
「昨日の牛乳と生クリームを使って?」
「……あい」
マスターの声は穏やかだ。だけどそれは怒っていないからじゃなくて、多分その逆。
怒鳴られていた方がましだと思うくらい、居たたまれない気分に俺はなっていた。
「それが目的だったんだ。プリンじゃなくて」
ひくり、とマスターの唇がひきつる。
「……プリンも作りましたよ?」
目をそらしつつ俺は反論した。
「カイト」
「ごめんなさい」
まっすぐに見据えられて、俺は降伏した。小次郎さんだったら、お腹見せている状態です。
ふう、とマスターはため息をついた。
それからしばらく黙っていたが、ややあって踵を返してキッチンから出て行ってしまった。
ちゃんとタッパーは冷凍庫に戻して。
「マスター?」
置いてきぼりにされて、俺は途方に暮れる。
放置プレイは勘弁してください。お説教でもなんでも聞きますから、怒っているのか許されたのか、わかるようにしてほしい。この胸のもやもや感をどうしたらいいんですか。
五分ほどして、マスターは戻ってきた。着替えて、かばんを置いてきただけみたいだった。
家の中ではしょっちゅう着ているTシャツとデニムパンツに変わっている。
リビングに行くように指で指示されたので、やっぱりこれから怒られるのかと軽く鬱になった。
ローテーブルに向かい合って座る。
「ちょっと、これからのことを話し合いましょう」
「……これから?」
予想以上に重たげな単語が飛び出てきたので、俺は膝の上で拳をぎゅっと握った。
まさか。
まさかこれは解雇フラグ?
そんな! アイス作ったくらいで解雇だなんて! ……そりゃあ、マスターに対して誤魔化しをしたけれど、でも……!
「マスターごめんなさいごめんなさいごめんなさい捨てないでー!」
「誰もそんなこと言ってないでしょうが、いいから落ち着け!」
テーブルがあることも忘れて抱きつきながら嘆願しようとする俺を、マスターは両手を突っ張っておさえつける。
はうっ。またやってしまった。
ああ、どうして俺ってこうなんだろう。
もっとしっかりしないといけないって、いつも思っているのに……。
「悪い事した、という認識はあるのね」
肩で息をしながら、マスターは言う。
「……はい。調子に乗りました」
「そうね」
マスターは立ち上がってパソコンに近付き、電源を入れた。
「本当のことを言わなかった理由は、ま、想像できなくもないわ。あの話の後だったしね」
「……」
「だからって、何の相談もなしにこんなことをされると、あたしとしては不安にならざるをえないのよ。……あんたのアイスに対する熱意は本当に底なしなんだもん」
その通りです。
俺、特に好きなアイスの種類やメーカーもあるけど、基本的にはアイスのことならなんでも知りたいんだ。できることなら全メーカー全種類のアイスを制覇したいくらい。もちろん、かき氷系は別だけど。
「あたし、前々から言っていたじゃない。最初はフォローするけど、基本的に家のことはカイトにやってもらう。買い物なんかも任せるって。でもこのままだと食費を流用されかねないから、困るのよ、本当に」
食費の流用……。まさに、それをやってしまった。
マスターはアルバイトをするつもりではいるのだけど、俺が外の世界の習慣とかに慣れるのを待っていて、そのためまだ働いてはいない。だから出費はすべて仕送りで賄っている。本来ならマスターと小次郎さんの生活費であるそれに、俺の分まで加わっているので、うちの家計は余裕があるとは言えない状態だ。それは、家計簿をつけている俺がよく知っている。
俺の分の出費というのはほとんど食費だ。俺は食事はできるけれど、食べないからといってお腹が減るということはない。だから本当なら食事なんて必要ないし、マスターがここに引っ越したばかりの時には実際に食べていなかった。
だけど十日もしないうちにマスターが箸と茶碗を買ってきて、一緒に食べるように言い出したのだ。
自分ひとりだけでご飯を食べていると、ネグレクトしているような感じがして嫌だ、という理由で。
あの時俺は、マスターは気遣う部分がずれている、と思ったのだけど、今は違う。アイスじゃなくてもおいしいものを食べられることは幸せなことだと思います。
「本当にごめんなさい。二度としません……!」
俺はマスターの信頼を裏切ってしまったのだ。
回復できるのかはわからないけれど、償えるものなら償いたい。
俺は床にくっつきそうになるくらい、頭を下げた。
「別に、二度とするな、なんて言わないけど」
「……ふえ?」
顔をあげると、マスターは表計算ソフトを立ち上げていた。表示されているのは、俺が作った家計簿用のシートだ。
マスターは親指でそれを指し示す。
「先月、先々月と比べて、生活費に余裕がでてきてるのよね。最初の月なんて、オーバーしちゃって、あたし、趣味代削る羽目になったじゃない。それに比べたらたいした進歩だと思ってるわ」
確かに、引っ越してきて最初の一ヶ月は、何にどれくらいお金を使っていいか把握しきれなくて、結局マスターは教養娯楽費にあたる分を少し持ち出したのだった。
俺は家計簿担当だけど、俺がお金の管理をしているわけじゃなくて、どう使うかはあくまでマスターが決めている。
だからそれはマスターがお金の管理に慣れていなかったのが原因になるのだけど、マスターばかりに負担をかけてはいられない。俺も節約術なんかを調べられるだけ調べてマスターに提案し、今ではちゃんと設定金額以内で収まるようになっていた。
朝の奥様番組で知った、底値帳とかもつけているんですよ、俺。マスターのいない時間は結構長いので、作業時間には困りません。
「それはもう、カイトのお陰だと思ってる。感謝してるし、助かってる」
「マスター」
ドキン、とないはずの心臓が動いたような気がした。
直球で褒められることには慣れてなくて、嬉しいけど、どうしたらいいのかわからない。抱きついたら駄目なことだけは、わかっている。
「あたしのバイトが決まったら……と思ってたけど、いい機会だわ。カイト、これからは買い物行くの、あたしが帰ってくるの待たなくていいから。自分の都合のいい時間に行きなさいよ」
「……はい?」
マスターはちらりと笑う。
「一人で買い物に行ってほしいってことよ。正直、アイス買わずに材料買うなんて、余計な知恵をつけたもんだと思ったけど、それだけ機転が利くようになったんなら、一人で出歩いても大丈夫でしょ」
「え、ええっ!」
解雇フラグと思っていたら、俺、一人前認定ですか。
なんでそうなるんですか。マスターの考えることはさっぱりわかりません。
わけがわからずあわあわしていると、マスターが俺の鼻を弾いた。
「食べたいものがあるときはあたしの方からいうけど、基本的にメニューは任せる。どれくらいの頻度で買い物に行くのかも、自分で決めなさい。で、うまいことやりくりできて、食費が余ったら、それはカイトにあげるわ」
「え、ちょ……マスター?」
なんですか、これ。新手の嫌がらせかなにかですか? 俺にプレッシャーかけてるんですか?
マスターの話についてゆけず、俺は戸惑うばかりだ。
「その食費の余りでアイス買おうがアイスの材料買おうが、他のもの買おうが、それもカイトの自由よ。あ、月々のアイス代は、これまで通りだから、それは安心なさい」
「……」
呆然。
俺の今の状態を表すのに適切な言葉は、これしかない。
ていうことは、つまり……俺、いつものアイス代のほかに、もうちょっと使えるお金が増えるってこと?
う、うわぁぁ……。
ぽかんと口を開ける俺に、マスターは真顔で詰め寄った。
「だからといって、材料ケチったりランク下げたりするのはなしだからね。あくまでもご飯の内容は今までどおりよ」
「……」
「返事は?」
「は、はい!」
俺は力いっぱい返事した。
マスターの期待に答えられるように、頑張ります。
その後、食べ物は粗末にしないが信条のマスターは、プリンだけじゃなくて俺作のアイスも食べた。
味見、とか言っていたけれど、ただ食べてみたかっただけですよね?
本当、素直じゃないんだから。
最初に作った俺のアイスは、しっかりとアイスで、おいしいけど、でもなにか物足りない感じがした。
売ってるアイスと何が違うんだろう。
どうせ作るのなら、市販のアイスに負けないくらいおいしいのがいいな。
他のレシピでも試してみよう。
♪・♪・♪
―― 一ヵ月半後 ――
「なんだこの無駄においしいアイスは……」
俺の最新作、レシピナンバー19・改(バニラ味)を食べたマスターは、頭を抱えて呻いた。
「おいしいアイスは無駄ではないですよ。失礼なマスターですね」
今回のアイスは自信作だ。これまで作ったアイスの材料や作り方を比較検討して良さそうな部分を組み合わせている。材料にもちょっと拘ってみた。そして無添加。
ただ、材料費が結構かかるから、頻繁に作れそうにないのが難点だ。
「この情熱を本業の方に向けてくれたらいいのに……」
遠い目をしてマスターが呟く。
「マスター、俺が音痴なのは、俺だけのせいじゃありません」
マスターの技術力しか俺には反映されないんだから、それはマスターが頑張ってくれないと。
「るっさいなー。実体化したりアイス作りに没頭するだけの熱意があるんだったら、エディター介して調声しなくてもいいように仕様変更しなさいよー。もう、どこいじったらロボ声直るんだかわかんないー!」
突っ伏しながら両手をテーブルに打ち付ける。
「無茶言わないでくださいよぉ」
アイスが固まるまでの間、マスターは俺に歌を教えてくれたのだけど、どうにもロボロボしい声が直らなくて、だいぶ頭が煮えているようだ。
アイスを食べて癒されてください。甘いものは脳にいいらしいですから。
俺はマスターの器にアイスを追加すると、涙目になりつつも彼女は早速ぱくついた。
「……あたし、就職失敗したら、起業しようかなぁ」
乾いた笑いを浮かべながら、マスターは呟く。
「きぎょう?」
「商売するのよ。アイス屋。このアイス、売れるレベルだと思う。あんたが作ってあたしが売るの。この不況があたしが卒業する頃までに収まるかどうかもわかんないし、選択肢は多い方がいいよね」
「ア、アイス屋……! 本気ですか、マスター!? あ、それならテーマソング作りましょう。俺歌いますから!」
思わずマスターの手をしっかと握る。
「冗談に決まってるじゃない。店始めるのにいくらかかると思ってるのよ。つか、テーマソングって……」
マスターは真顔で返した。
わあ、またぬか喜びさせられた。マスターは俺を翻弄して楽しんでいるんだ、そうに違いない。KAITOのマスターがS揃いだっていうのは本当のことなんだなぁ。
「マスターの鬼」
「なんですってこの」
「ひたいぃ〜〜」
ぼそりとした呟きは、マスターの耳にしっかり届いたようで、俺はほっぺたをつねられた。
ひりひりする頬をさすりながらも、俺は前向きに考える。
マスターは冗談だっていったけど、俺がバニラ味以外でもおいしいアイスを作れるようになったら、それ、本当のことにならないかなぁって。
そうしたら、朝も昼も夜も、俺はマスターと一緒にいられる上にアイスに囲まれて生活ができる。
なんて素晴らしい。夢のようだ。
これを実行に移さない手はない。
そのための第一段階は、やっぱりおいしいアイスを何種類も作れるようになることだろう。
よーし、俺、頑張っちゃおうっと。
目標は三十一種類だ。
マスター、待っててくださいね。
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