「あ」
「どうしました、マスター」
 二月下旬。受験が終わり、卒業式まであともう少し。
 しかし学校へ行く用事もないため、自宅学習という名目での野放し期間。
 日々家でごろごろしながらゲームしたり本を読んだり小次郎と遊んだりたまにカイトに歌を教えてみたりしながら過ごしていた。受験の終わった受験生というものはここまで暇な生き物なのかと驚いたりもしているが、まあそれはおいておいて。
 卒業後はすぐに引越しをする。
 念願の一人暮らしだ。やっと家を出られるかと思うと嬉しくてたまらない。
 断っておくが、別に両親との仲が悪くて早く独り立ちをしたいとかいうのでは全然ない。
 一人暮らしというものに憧れとかがなかったわけではないけれど、もともとはそんなに切実な思いなどなかった。
 なにがなんでもどうしても、一刻も早く家を出なければ。そう切羽詰るようになったのは――。
「マスター? 聞いてます?」
 困ったように軽く眉をしかめ、澄んだ濃い青の瞳でこちらを見つめる青年――カイトの存在があるせいだ。
「うん、聞いてる」
 上から下まで、ゆっくりと検分する。青い髪、青いマフラー、白いロングコート。耳にはインカム。典型的な(?)KAITOスタイルだ。
「ねー、カイト。身長、どれくらいある?」
「身長、ですか?」
 おもむろに尋ねるとカイトは軽く首を傾げる。
「わかりません。測った事ないですから。俺にはそういった設定もありませんから自分でも知りませんし」
「そういえばミクたちにはあるんだよね、身長設定」
「はい。あと年齢と体重も」
 KAITOとその姉にあたるMEIKOは、パッケージに人物が描かれてるものの、初音ミクなどとは違い、それはただのイメージイラストの域を出ていなかった。キャラクター設定など、ないに等しいのである。まあ、そのイメージイラストをリアル人物っぽく3D化してみました、的なカイトがなぜうっかりあたしのPCから出てきたのかは今もって不明だが、出てきてしまったものはしょうがない。よく今まで両親に存在がばれなかったものだ。
「俺の身長が気になるんですか、マスター?」
「あー、まあ、そう。しょうがない、測るか。メジャーどこにやったっけ?」
 あたしは立ち上がり、自分の部屋に戻る。確か小学校の時に使った家庭科の裁縫セットの中にあったはずだけど……。
 クローゼットの中を引っかき回していると、ほてほてとカイトもやってきた。ちょこんとしゃがみこみ、あたしの行動を見守っている。
 見守るくらいなら手伝え。
 ま、無理なのはわかるけど。クローゼットは二人が並んで作業できるほどの幅はないんだ。
「どうしたんです、急に」
「いやさあ、気付いたんだけどさ」
「はい」
「カイトの服、買わないと外に出られないよね」
「……はい?」
 くりん、とカイトは首を傾ける。
 あたしたちはさっきまで、新しい部屋のレイアウトやら、新生活にあたって必要なものはなにかを話し合っていたのだ。話し合っていた、などというと随分真面目にやっているように思われるかもしれないが、そんなことは全然なくて、ようするにただの雑談である。
 新居には、あたしの私物を持ってゆくのは当然だけど、他にも色々荷物はある。冷蔵庫や洗濯機なんかはすでに量販店で購入しており、直接送ってもらえることになっているが、そういったものではない細々としたもの。鍋とか皿とかお風呂グッズとか収納用品とか、そういうものは引っ越してから買うことにしたのだ。どうせなら自分が気に入ったものを使いたいから。
 それで、その買い物をするときにはカイトにも手伝ってもらうことにしている。電車の乗り方や道路の歩きかた――信号の見方とかそういったものも含めてだ。ただ道歩くだけなら今のカイトにだってできることはあたしだってわかっている――などを教えるいい機会になると思って。
 というのは建前で、本当のところは色々買い込む事になりそうだから荷物持ち要員がほしかった、というものだけど。
「服……ですか」
 カイトは自分の格好を確認するように、自分を見下ろした。
「コートを脱げば割と普通なんじゃないんですか?」
 たしかに、コートの下は青いインナーを着ているし、パンツは、黄色いラインが変といえば変だが、許容範囲内だ。カイトは顔とスタイルだけは文句なく良いので、多少おかしな服を着ていてもさまになるという部分もあるが。
「そうなんだけど、カイトのインナーって、結構布地厚めだから違和感あるかも。今はともかく、引越しする時って、もっと暖かくなってるはずだからね。というよりも、正直もっと青色を少なくしてほしい。目だってしょうがないから」
「青は俺のイメージカラーなんだからいいじゃないですか」
 うんうんとカイトは頷く。
「それにしたって限度というものがあるでしょう」
「そうですけど」
「あ、あった」
 少し色のくすんだプラスチックの箱。その中にはもう何年も使っていない裁縫道具がごちゃごちゃと入っていた。メジャーを取り出して、また元に戻す。
「それで測るんですか?」
「うん、そう」
 返事をしながらメジャーを伸ばす。特に意味のない行為だったが、あることに気がついてあたしは眉をひそめた。長さが足りない。このメジャーでは一五〇センチまでしか測れないみたいだ。
 まあ、二度にわけて測ればいいか。
「カイト、そこの壁のとこに立って」
「あ、はい」
 立ち上がり、彼は柱の前に立つ。
「背中丸めないで、まっすぐ立って。背中に壁をくっつける感じで。それと、顎引いて」
 身体測定のときに言われたことを繰り返す。気分は保健の先生だ。
 初めてのことにカイトは緊張したように身体を硬くした。それを微笑ましい気持ちで見守りながら、どう測れば誤差を少なくできるか考える。
 あたしの身長ではカイトの頭のてっぺんまで手が届かない。届いても、ずれてしまいそうだし。それはカイトが自分でやっても同じだろう。
 柱の傷はおととしの、五月五日の背比べ。
 の方式で、ちょっと印をつけてみようか。椅子に乗れば高さは十分間に合うだろう。
 さて、椅子椅子。
 勉強机から椅子を持ってきて、あたしはカイトの前に置いた。と、その時彼の足元が目に入る。
「あ、カイト、靴脱いで」
 そういえばカイトは家の中をスニーカー履いたまま歩き回っていたんだった。スニーカーを履いているのは仕様なんだし、家の外へ出るわけでもないのだから、特に汚れてはいないけど。まったく気にしていなかったけど、家の中で靴を履いているというのは、そういやちょっと変なことだったということを今更ながらに気がついた。
 スニーカーを脱いだカイトは裸足だった。靴下、履かないのか。まあいいけど。
「じゃ。もう一回、さっきみたいに立って」
「はい」
 あたしは椅子の上に乗ると、ゆっくりと立ち上がった。勉強机用の椅子は、くるくる回るようになっているのでバランスを崩しやすい。カイトもそう思ったのだろう、そっと両腕を上げると、腰のところに指を当ててきた。
「ちょ、カイト、くすぐったい!」
 笑いがこみ上げてきて、あたしはしゃがみかけた。
「でもマスター、危ないですよ。落ちちゃいそうです」
 くるりと椅子が回りそうになる。それでもカイトが指を離さないので、ぐらぐらと身体が揺れた。
「このままだと本当に落ちるから! つか、指当てるんじゃなくて、掴むならちゃんと掴んでよ。力弱いからくすぐったいんだってば」
「え、いいんですか?」
 カイトは目を丸くする。
「セクハラっていいながら、蹴っ飛ばしたりしません?」
「しないから」
 あたしをなんだと思ってるんだ、こいつは。
 再度立ち上がると、カイトはしっかり、というよりもがっちり、という感じであたしの腰をつかんでくる。ちょっと力が強いけど、不安定なよりはいいか。
 定規をあてて、ペンで印をつける。と、カイトが上目遣いであたしを見上げてきた。
「どうかした?」
 カイトは無邪気な笑顔を浮かべる。そして。
「マスター、このまま俺のこと、ハグしてくれませんか? そしたらすっごく嬉しいです」
「はぁ?」
 唐突な要求に、思わず語尾があがる。
 と、カイトの視線がどこに向かっているのかを悟った。
「ハグはしないけど、代わりに別のことをしてあげよう」
 あたしはひくつきそうになる頬を懸命に持ち上げて、笑顔らしきものを浮かべた。
「本当ですか」
 ぱあっと明るい表情を浮かべてカイトは顔をあげる。
「本当よ。……ということで、受け取りなさい!」
「はぐっ」
 ごすっ、と良い音をさせて、あたしの肘鉄がカイトの脳天を直撃する。
 頭を押さえてしゃがみこむカイトに冷ややかな目を向けながら、あたしは椅子を降りた。
「ナチュラルにセクハラしてくるんじゃないの」
 あたしはばっさりと切り捨てる。
「だ、だって、小次郎さんにだったらマスター、ぎゅって抱いたりするじゃないですか。だったら俺にもやってくれたっていいでしょう!? というか、これもセクハラなんですか?」
「あんたねぇ……」
 いくら目の前にマスターの胸があるからといって――椅子の上に立ったら、ちょうどカイトの目線に当たるのがそこだったのだ――なんであたしが彼氏でもない男の顔を胸に埋めさせなければならないのだ。それよりも、今のは本当に素だったのだろうか。わざとやってないか、お前。
 涙目で見上げてくるカイトを頭の痛い思いで見下ろしながら、あたしは深い深いため息をついた。


♪・♪・♪



 身長の計測が終わり、メンズウェアのサイズの読み方と測り方をネットで探す。
 あたしは今まで男性用の服を買ったことがないので、女性用と同じかどうかも知らなかったのだ。
 身長以外はバストとウエストさえわかればなんとかなりそうだとわかり、カイトに自分で測るように言う。手伝ってくれるものだと思っていたらしいカイトはごねたが、力ずくで振り払うと、あたしはリビングに行った。
 あたしがこれから用意しようとしている服は普段着レベルのものなので、多少大きい分には問題ないだろうが、カイトは服を買うのは初めてなのだから、やっぱり一応ちゃんと測らないと。で、ちゃんと測るには……服、脱がないとならないじゃないか。ヌードサイズというものだ。それをあたしに測れというのか。目の前で裸マフラーを見る羽目になるのか。頼むから勘弁してほしい。あれは、二次元だから許されるものだろう。
 十分ほど経って、終わりましたよという台詞とともに、カイトが出てきた。
 手にした紙片には、計測結果が書きとめられている。ご丁寧にS、M、L表示でのサイズと、号数でのサイズも書いてあった。
「んじゃ、さっそく明日にでも買いに行ってくるわ。とりあえずTシャツとジーンズでいいよね」
「マスターにお任せします」
「うん、任された。……でもどこに行けばいいのかなぁ」
 あたしは男性衣料を買ったことがほとんどないのだ。せいぜい父の日や父の誕生日にネクタイや小物なんかを買ったくらい。それらの店のものは、カイト向きじゃないし……。
 結局思いついたのは、どこにでもある低価格量販店だった。とりあえずここなら一式そろえてもたいした金額にはならないし。一応、シンプルさを売りにしているので、よほど組み合わせを失敗しない限りは無難にまとまるだろう。
 とにかく今回の買い物は、カイトの服を買いに行くための服を買いに行くのが目的なわけだから、とあたしは開き直った。
 引越しが終わったら直接カイトを服屋につれていこう。そうしよう。


♪・♪・♪



 とはいうものの、本人の好みを丸無視にするわけにもゆくまい。
 どういうものがあるのか、着る当人にもある程度把握してもらった方が、後々ごねられる確立も減るというものだし。返品とか、面倒だもんね。
 幸いなことにその量販店はネット通販もしている。あたしのところの地元店にも全部そろっているわけではないと思うが、それはそれだ。
 椅子はカイトに譲り、あたしはその脇に立つ。
 カイトは上から順番にクリックしてゆき、次々に現れる商品群を真剣な眼差しで追っていた。
「マスター」
 一通り観終わったカイトは、くるりと椅子を回すと、途方に暮れた表情であたしを見上げてきた。
「多すぎて、決められません。どうしましょう」
 そんなところだろうと思ったよ。ふふん、今更この程度のことで頭を抱えるものか。
「別に決めなくちゃいけないってわけじゃないから。何か気に入ったものがあるとか、これだけは嫌、とかいうのがあったらその辺考慮して選ぶってだけで」
「そうだったんですか。では、俺には決められませんので、マスターが決めてください」
 文句はいいません、と締めると椅子をあたしに譲る。
「そう? じゃあ……」
 あたしはマウスを動かして、適当にクリックしてゆく。
「試着できないわけだから、白か黒か灰色あたりが無難かなぁ……」
 最初はカットソーやTシャツ、と思ってたけど、ここの店のって大抵無地なのよね。でなければチェックだし。それがいかにもあそこの店で買いましたって感じがして、なんだか嫌になってきた……。プレーンな綿シャツにしようかな。別にスーツ着る人でないと着てはいけないってわけでもないし。そうするか。
 それから下はブラックジーンズだ。手抜きというなかれ。モデルがその場にいないのに、服が選べるものか!
「あ、靴下もいるか」
 なにしろ裸足だもんなぁ。いらないかもしれないが、念のため。それから肌着……タンクトップとか、いるかなぁ。ま、その辺は店に行ってから考えるか。
「靴は、どうしよう」
 あたしはちらりとカイトの足元を見やる。
「履いてるじゃないですか」
 カイトは片足を軽く持ち上げた。
「却下。家の中だけ歩いている分にはかまわないけど、中も外もとなると抵抗がある。だから外を歩く時には外用の靴を履いてよ」
「はあ」
「まあ、本音言えば、そのスニーカー、ちょっとダサいと思うんだよね」
「マスター……」
 ほろりと涙をふく真似をして、カイトはいじける。しょうがないじゃないか。ダサいもんはダサいんだし。
「シャツにジーンズだったらスニーカーでも革靴でもいいと思うけど……。こればっかりは履いてみないとなー」
 サイズが合っても横幅や甲の高さが合わないとか、普通にあるからね。でも、いくらなんでもサンダルでは崩しすぎだと思うし。
「靴は、後回しね」
「わかりました」
 最悪、靴だけはそのままで、実際に店にカイトを連れて行くことも覚悟しておこう。そのときのカイトの格好はきっと見事にちぐはぐに違いない。
「ってことで、この辺り買ってくるから」
 あたしは買うものをメモすると、カイトに確認してみせる。
「あの、マスター」
「何?」
「大事なものを忘れています」
 軽く指摘されたので、あたしは首をかしげた。まだ何か足りないものあったっけ?
「パンツがないです」
「……そうきたか」
 この場合のパンツは、ズボンではなく下着の意味だろう。うん、たしかにパンツは重要だ。しかし。
「トイレに行かないあんたにパンツって必要なの?」
 いや、買っても良いけどね。男物一式そろえるんだ。そこにパンツが混じってたって、店員も不審に思うまい。さすがにブリーフは勘弁してほしいけど。
「何を言ってるんですか。身だしなみの基本でしょう。俺は紳士なんですから」
 変態という名前の紳士が何を言う。
「まあいいけど。で、トランクス? ボクサーブリーフ? マスター権限でただのブリーフは却下するよ」
「……」
 問うとカイトはあれ? という顔になり、
「えーっと……」
 やおらベルトを外し始めた。
 次の瞬間、あたしの蹴りが炸裂したのは言うまでもない。
「いきなり脱ぐな!」
「だって何はいてるのかわからないんですもん! いちいち蹴らないでください、痛いじゃないですか」
「だったらこっちが蹴りたいと思うようなことはするな! つか、何はいてるかわからないって、自分のことなのに?」
「ズボン下ろす用事がこれまでありませんでしたからねぇ」
 蹴られた太ももあたりをなでながら、のほほんとカイトは答える。
 トイレに行かないってだけで、こんな基本的なことにも長い間気付かないでいられるものなのか。カイトののんきぶりに怒りを通り越してあきれ果ててしまった。
「あー、とりあえずわかったから。でも、感触でわかるもんじゃない?」
「そうなんですか?」
 この様子ではわからないのだな。
「何でも良いけど、確認するならあたしの見えないところでやってよ」
 うらわかい乙女の前で堂々とパンツ見せるのは、まさしく変態の所業だぞ。
 しかしカイトは可愛らしくきょとんと首を傾げるだけ。
「でも、マスターというのは、ボーカロイドのパンツには並々ならぬ関心を寄せているものなのでは……」
「なんでもかんでも動画に影響されてるんじゃない! さっさとリビングに行け!」
「す、すみません〜」
 半泣きで部屋から出てゆくと、あたしはため息をついた。
 あたし、そのうち叫びすぎで喉壊すんじゃないかなぁ。
「ふ、ふふ」
 あまりにも起こりそうな未来に、あたしは遠い目になった。


♪・♪・♪



 一分も経たずカイトは戻ってきたが、妙に慌てた様子だった。
 なんというか、本当に奴は自分の下半身事情を把握していなかったらしい。
 ……なんというか、カイトは……はいていなかった、んだそうだ。
「マ、マスター。俺は本当に変態だったんですよぅ。今まで気付かなくてごめんなさい〜」
 えぐえぐと泣き出す姿にさすがに哀れみを覚え、
「いいよ。もう。それから泣くな。パンツくらい、二枚でも三枚でも買ってあげるから」
 ぽん、と肩を叩く。
 マスターが優しい、とカイトはうるうるした目で見つめてきたが、話の内容が内容なだけに素直に喜べない自分がいた。
 なんだこれは。これも素なのか。わざとなのか?





このカイトがパンツをはいていなかったのは、別に本人の趣味というわけではありません。
パケ絵を自分の姿だと認識しているのですが、描かれていない部分は再現のしようがなかったのでできなかったのです。(靴下はいてないのも同じ理由から)
とか書くと、服の下の身体はどうなってるんだ?と思うかもしれませんが、その辺は人体を参考にしているので人間の男性と同じです。

ついでに、マスターが考えていたカイトの服を買う店はUニクロです(笑)
高校生のこづかいならこの辺りかなと。




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