「エリック……」
鏡を通して伝わってくる淡い光が地下道の入り口を照らす唯一のものだ。
灯りを用意しなければすぐに真っ暗な闇の中に囲まれてしまう。
「どこにいるの?」
わたしを呼んだはずなのに、彼の姿は見当たらなかった。
と、突然強い力で手首を捕まれた。
「きゃ……!」
「私だよ、」
「エリック……?」
薄明かりに白い仮面が浮き上がる。
目はぎらぎらと光り、口元は笑いをこらえるように引き結んでる。
喜んでいるのだ。
たった今一人殺したというのに。
「聞いたかい、カルロッタのあの声を。これで明日からのイル・ムートはお前が公爵夫人役だ」
なにを言っているのだろう、この人は。
ブケーが死んだことよりも、カルロッタがカエルのような声を出したことの方が重要だとでも?
「舞台を壊すのは忍びなかったのだがねえ。あの女が私の命令に従わないからこのようなことになるのだ。これで支配人たちもいい加減理解するだろうね」
エリックはやれやれと肩をすくめた。
「可哀想なお馬鹿さん なんて可笑しいのかしら!
ハッハッハッハッ ハッハッハッハッ
グエッ グエッ グエッ ゲエッ……!
グエッ グエッ グエッ ゲエッ……!
愉快だろう?!」
エリックはカルロッタそっくりの声で歌いだした。
カエルの声も同じだった。
つまり……あの声はカルロッタが出したのではなかったのだ。
すべてエリックの仕業だったのだ。
「、どうしたんだい?」
エリックはわたしの顔を覗きこんできた。
はっとして後ずさったが、エリックが手首をつかんでいるので思うように距離がとれない。
「ブケー……ブケーを……」
わたしの手首を握っているこの手こそが、殺人という大罪を犯した手だということに今更ながら恐怖を覚えた。
エリックはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ああ、あの男か。舞台の上にいたところを見られてね。それ以前にも奴には不快な思いをさせられていたのだ。私の容姿を好き勝手に脚色して、バレリーナたちにしゃべり回った!あの男の言うことが嘘八百だということはお前もわかっているだろう、?確かに私は男前ではないし顔色もよくない。だが私にはちゃんと鼻があるんだ!」
そんな……!
そんな理由で!?
わたしは恐怖で身動きが取れなくなった。
震えすら起こらない。
ここへ来たのは間違いだった。
すぐにでも逃げるべきだったのだ。
「?」
「いや……」
「どうした?」
「……で」
エリックは聞こえない、と首を傾げる。
さらに顔が近づき、わたしは絶叫した。
「触らないで!放して!!」
今まで出したことがないほど、無様で、引きつった声だった。
エリックの表情から笑みがさっと消え、同時につかんでいた手からも力が抜けた。
わたしは身を翻して楽屋に戻ると、マダム・ジリーにしがみついた。
