翌日、ラウルが呼びに来て、わたしは支配人室に向かった。
そこで待っていたのは頭から湯気が出るほど怒りまくっているムッシュウ・フィルマンと、心痛のあまり顔が土気色になっていたムッシュウ・アンドレだった。
「ミス・……。これを見てみたまえ」
ムッシュウ・アンドレが机の上の楽譜の束を指差す。
わたしは恐々それを取り上げ、一枚目から目を通した。
ムッシュウ・フィルマンはわたしが楽譜を読んでいる間、落ち着きなく部屋を歩きまわり、「馬鹿げてる!」だの「異常だ!」だのぶつぶつ呟いていた。
わたしは息が止まるような思いで二枚目、三枚目をめくり、次第にたまらなくなって途中を抜かしつつ最後まで読みきった。
「これを……上演しなければならないんですか……?」
楽譜を読むだけでひどく疲弊し、息も絶え絶えになりながらわたしは支配人たちに尋ねた。
「拒むわけにもいかないからな」
ふーっと大きなため息をついたのはムッシュウ・アンドレ。
多分、音楽的教養のある彼の方はすでにこれを読み終え、その圧倒的な音の連なりをすでに頭の中で思い浮かべ、心も身体も消耗され尽くしてしまったのだ。
わたしだって、エリックの奏でる音楽に慣れていなければ同じようになっていただろう。
「それで、ミス・。君がアミンタ役に指名されている。断らんでくれよ」
「そんな……」
その時扉が大きな音を立てて開いた。
「ちょっと、何なのよこれは!!」
憤怒の形相のカルロッタがピアンジを従えて乗り込んできた。
手にはぐしゃぐしゃになった紙を握りしめている。
多分、エリックからの手紙だろう。
「あたくしがほとんどセリフもないコーラスにされていたわ!ひどいわ!侮辱よ!」
「そうとも、侮辱だ!」
カルロッタにいいなりの、でもそれなりに上手くやっているピアンジは彼女のために怒りの表情をする。
「落ち着いてください、シニョール!」
ムッシュウ・フィルマンはぶつくさいうのを途端にやめて、カルロッタを宥めにかかる。
「・が主役ですって!?素質もないくせに!」
「そうとも、それにこんなオペラが芸術と呼べるものか!」
「シニョール、シニョーラ、どうか落ち着いて!」
「・!」
ぎっとカルロッタはわたしに詰め寄ってきた。
「お前、ファントムとグルなんでしょう!?」
「違います!」
「白状なさいよ!」
「知りません。アミンタはあなたが歌えばいいのよ!わたしは歌いたくないのだもの!」
萎縮していた心はカルロッタの的外れな侮辱で怒りに変わった。
この人はエリックの恐ろしさをわかっていないから、こんなことを言うのだ。
あの人を知って、どうして彼のオペラに出たいなどと思えるというのだ。
逃げ出したくてたまらないというのに!
「ちょ・・っ。困りますよ、ミス・!」
ムッシュウ・フィルマンが今度はわたしを宥めにかかってきた。
「歌いたくないんです!」
「君には歌う義務があるんだよ!」
「嫌、嫌よ!」
頭を何度も振る。
怒りのあまり目じりに涙が浮かぶ。
「、嫌ならいいんだ。無理に歌わせるようなことはさせない」
ラウルはわたしの肩を抱き、涙を拭った。
「子爵!」
ムッシュウ・フィルマンは悲鳴のような声をあげる。
コンコン。
狂乱の場と化した支配人室に、場違いなほど落ち着いたノックが響く。
返事も待たずに入ってきたのは、マダム・ジリー。
「失礼します。また手紙が届きましたわ」
その一言で部屋は静まり返った。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
ムッシュウ・アンドレはマダムに手紙を読むよう、身振りで示す。
マダムは封を開け、厳かな調子で読み始めた。
オーケストラとコーラスへの長々とした注文の次に、カルロッタは脇へ回したことが書かれ、ピアンジには痩せるように忠告してきた。
「さて、ミス・・に関しては―。
彼女は最善を尽くすだろう。
彼女の声には間違いなく素質がある。
だがまだ学ばねばならないことが多い。
その気があるのなら師のもとへ戻ってくるように―」
このメッセージが、エリックの声で語られなかったことを、神に感謝した。
あの人が自分の口で話していたら……わたしは、恐ろしくてたまらないにもかかわらず、再び闇の下へと向かっていただろう……。
