びしょ濡れになって、上着もネクタイもないラウルが外と中を隔てる格子を揺さぶったとき、わたしは安堵と失望を同時に感じた。
ああ、来てしまったのね、ラウル!
「ファントム、を離せ!他はどうなっても構わない、彼女だけは離してくれ!お前には情けがないのか!?」
叫ぶラウルを鼻で笑い、エリックはわたしを振り返る。
「恋人が熱烈な嘆願をしているな」
わたしは彼から顔を背け、
「ラウル、もう止めて!何を言っても無意味だわ」
ラウルはさらに声を張り上げる。
「愛しているんだ!それが無意味だというのか!?ファントム、に会わせてくれ!」
彼の叫びが闇のしじまに吸い込まれると、エリックは優雅な足取りで格子に向かって行った。
すっと手を振るだけで、それはするすると上がってゆく。
半ばあっけに取られた表情のラウルは、よろめく足取りで中に入ってきた。
エリックも水の中に入り、軽く両手を広げる。
「ようこそ、歓迎しますよ。ムッシュウ。ところで君はわたしがを傷つけるとお考えになったのかな?」
仮面のないエリックの顔と馬鹿丁寧な口調にラウルはひるんだ。
「まさか、まさか。そんなことはありえない。そんなことをする必要などないだろう?彼女が罪を償う理由などない。罪はすべてお前にあるというのに!」
エリックはすばやく縄をラウルの首と格子にかけ、いつでも締め上げられるように端を自分が握った。
不意を突かれたラウルは抵抗らしい抵抗もできないまま、縄を外そうともがく。
「やめて!」
「さあ、馬車の用意をしたらどうだ!?手を目の高さまで上げるのも忘れるな!何をやっても無駄だがな!ただ、の返事を除いては……」
エリックはさっきまでの冷徹さをかなぐり捨て、火がついたような怒りに満ちた目でわたしを睨む。
「私と共に生きると言うんだ。こいつの自由をお前の愛で買うのだ。私を拒めばお前は自ら恋人を死に突き落とすことになるぞ!選べ!!」
「、許してくれ。何もかも君のためを思ってやってきたのに、すべてが無に帰した」
苦しそうな息で叫びながらも、それでもわたしを見る眼差しには愛情があった。
ラウル……。どうしてそうまでして……。
エリックもラウルも互いの声など聞こえないように大声をあげる。
どちらが何を言っているのか聞き取れないほど。
わたしはただ呆然と、立ち尽くすしか出来なかった。
「もう遅い。情けも祈りも用はなさない。帰り道などないんだ!」
「どちらを選んだところで奴の思う壺だ。、嫌だと言ってくれ!こいつを愛していると君がいうぐらいなら、僕には生きている意味すらないんだ!」
「そうとも、どちらを選んでも私の勝ちだ!ただこいつの命が助かるかどうかだけ……。最後の選択だ!」
「僕のために君の人生を投げ打っては駄目だ!ぐぅっ……!」
「やめて、エリック、やめて!」
エリックの縄を握る手に力が込められ、ラウルが苦しげなうめき声をあげた。
