わたしは支配人たちがカルロッタのご機嫌を取っている間に支配人室をそっと抜け出した。
エリックの所へ行って撤回するよう頼まないと。




、待ってくれ!」
ラウルがわたしが抜け出したことに気がついて追いかけてきた。
、ムッシュウ・O.Gのところに……いや、君がエンジェルと呼んでいる人物に会いに行くのかい?」
「ええ……。こんなこと、させたくないの」
ラウルは一瞬はっと息を飲んだ。
「……僕も行く」
「何を言うのラウル、駄目よ!」
「オペラの配役を代えようとしたり、高額な金を要求してくるような奴のところに君を一人でやれるものか!僕が行って、もう二度と君に関わるなと言ってやる」
「そんなことしては駄目よ、あなたが危なくなるの!」
、だったらもう二度とエンジェルのところへ行ってはいけない。今回のことも、彼に会わずとも解決はできる。あいつのいいなりにならないというこちらの態度を見せればそれで充分だ。このオペラ座もも彼のものじゃないんだってね!」
ラウルの正義に満ちた言動にわたしは慄然とした。

彼は正しい。
わかってる。
だけどそれならエリックを裏切り、見捨てることが神のみ心に適う行いだというのだろうか。

いいえ。
違う。
それだけは言える。

「だけどラウル、わたしにはエンジェルを裏切ることは出来ないわ……!」
我慢し切れなくて涙がこぼれた。
ラウルは背をかがめてそっと拭ってくれる。
……。どうしてあんな奴のために泣くんだい?」
「あなたにはわからないわ!わたしがどれだけ大きなものをエンジェルに戴いたか。彼はわたしの声に翼を付け、天の高みまで昇らせてくれたのよ。ずっとあの人がファントムと同じ人だって気付かなかった。だって、優しかったんですもの。とても、とても、優しかったんですもの。パパのように、。天使のように!」
しゃくりあげるわたしをラウルは悲しそうな顔で見下ろした。
「悪かった。……だけど、彼が犯罪者であることは変わらないんだ。そのことだけは、わかってくれるかい……?」
小さな子供をなだめるようにラウルはわたしの背をゆっくりなでた。
「あいつの思い通りにさせることだけはできないんだ。僕だって君の歌を聞きたい。プリマドンナとして堂々と舞台に立つ君を見てみたい。だけど、残念だけど、今回は決まっていた通り君はセリフのない小姓役になると思うんだ」
「わか……ってる。止めさせないと」
歩き出そうとするわたしの腕をラウルはつかんだ。
「会いに行くのは駄目だ。彼の命令を君が止めさせようとしたら、君の方が危なくなる」
「そんなこと……」
「オペラ・ゴーストは性質の悪い事故を今までも何度も起こしているんだろう?」
そういわれて、わたしはエリックに会いに行くのが怖くなってきた。
たしかに彼がわたしに優しかったのは、わたしが彼の望む生徒であったからなのだ。
エリックには容赦のないところがある。
それはわたしに対しても向けられるかもしれない。
「そう……。そうね・・」





◇   ◇   ◆   ◇   ◇





翌日の朝になるのを待って、わたしは楽屋に行った。
エリックの家には行かず、彼が現れるまで中で待っていた。
彼が来たら何といおうか、止めてくれるだろうか。
そんなことを考えながらいつ来るとも知れない彼の姿を鏡の向こうに探した。

一時間ほどして彼が現れたとき、彼は苛立ちを隠そうとはしなかった。
なぜ来なかったのかを責め、わたしが手紙の件を持ち出すと、気を変える気はないと言い放った。


彼はわたしの嘆願には耳を貸さず、声が悪くなるので泣くな言った。
時間がなくなって今日はレッスンができなくなり、エリックの帰った後、一人残されたわたしはエリックの恐ろしさに涙した。
彼の姿ではなく、歪んだ心に。